第5話 俺が殺した
「ワイルドネイル!」
声が、聞こえた。
幕を閉じたはずの舞台から、聞こえた。
「ウサミ、遅くなってごめん! 大丈夫?」
聞こえる、ガルタの声が。
友達の、声が。
もう開けることはないと思っていた瞼をゆっくりと開け……心配そうに半身をこちらに向けたガルタが目に入る。
木漏れ日で薄く光を纏うガルタを見て俺はハッとなり、自分の身体を見回す。
「俺っ……生き、てる?」
「そうだよ! ウサミは生きてるんだ! なぜなら、僕が助けたからね。ふふん」
腰を反らして胸を張るガルタ。
細い尻尾がふらふらと揺れていて、ご機嫌なのが見て取れる。
さっきと全く変わらない様子を目にして、俺の視界がじわりと滲み、強張っていた全身から力がふっと抜けた。
「た、助かった……さんきゅ、ガルタ」
「ふふーん、さっきは良いとこ見せられなかったけど、つ・ぎ・こ・そ・は! 僕がウサミを助けてみせるよ!」
ガルタはググっと体勢を低くし、ギラリと光る双眸でキールを捉える。
「よーし、やるぞー! スキル発動! ファスティガ!」
ガルタがスキル発動の掛け声をあげると、身体が青白い光に包まれた。
すぐにそれはガルタに吸い込まれて消える。
「ふんす! 突撃!」
大きく鼻を鳴らしたガルタは低い体勢のまま地面を蹴る。
「ギッ!?」
「は、速い!」
イモもんの時より断然速い!
土煙と残像を残したガルタは気がつくと既にキールの目の前にいた。
そのまま流れるように腕を振りかぶる。
「おりゃあっ!」
「ギッ!?」
ガルタがキールをグーで殴り飛ばすと、キールからミシィッという音が鳴る。
キールは数回バウンドして転がるが、それでも立ち上がった。
キールは反撃しようと腕を振りかぶる。
あれは、スキルの構え……!
ガルタはまだキールのスキルを見ていない、もしかしたら、避けられずに…………
「おぉ!!」
その先を考えたら、身体が勝手に動いた。
俺の身体はキールの方へまっすぐ向かっていき、額の一本角がキールの脇に突き刺さった。
角を伝って頭蓋にビリビリと衝撃が伝わり、軽く目眩を起こす。
しかしむしろそれは渦巻く恐怖を振り払って俺に力を与える。
「ギィ!!」
キールも同様に痛みを感じたのか、顔が歪んで振りかぶっていた腕がピタリと止まった。
「ナイスだよウサミ! これでとどめだ! スキル発動! ワイルドファング!」
それを見たガルタはにかっと笑いながらスキルを発動した。
口から覗く八重歯が白い光を放ち、巨大化する。
ガルタは大きく飛び上がり、キールに向かって斜めに落下しながら口をガバッと大きく開いた。
「っ……」
俺はキールの脇から角を引き抜き、バックステップを踏む。
その間にガルタは自身の制空圏にキールを捉え、巨大な牙を突き立てる。
キールは硬い腕を使ってそれを防ごうとする。
ギリギリと軋む音が数秒続き……やがてガルタの牙は無情にもその腕を貫き、キールの身体をも貫通した。
「ギアァァァァァァァァaaaaaaaaa!!!!」
な、なんて悲鳴だ……
鼓膜がひりつくほどの断末魔。
ガルタはそれを聞いて一瞬、悲しそうな顔をする。
「……ごめんね」
それを押し殺すようにすぐに肉食獣の顔に戻り、そして……
「giyaaaaaaaaaaaa!!!!!!」
ガルタの下顎の牙も巨大化。
ガルタはそのまま顎を閉じ、頭を捻る。
バリっ。
キールの身体から鳴る、繊維が引きちぎれる音。
バリッ、バリバリッ。
……やがて、身体は二つに分かれてしまった。
「ぎ、あ……」
分かれたキールの胴はそれぞれ別方向に力なく倒れ、シワシワと枯れていき……飛び散った木屑がヒラヒラと地面に落ちていく。
怖いもの見たさか、責任からか。俺は地面を見て項垂れるガルタの後ろから、キールを覗き込む。
しかし当然、分かれた二つの物体から、『生命』は一切感じられなかった。
「……死んだ、のか」
俺が呆然とキールだったものを見下ろしていると、それは光の粒子に変わって自分とガルタに吸い込まれていった。
それの正体がなんなのかは分からない。
でも、それが何かを知ろうとする気力は俺にはなかった。
先程までたしかに生きていたそいつは、死んだのだ。
もっと言えば、殺した。
イモもんに加えて、また殺した。
俺が、殺しを手助けした。
上の歯と下の歯ががちがちと音を立ててぶつかり、それを聞く度にまた心臓がうるさくなる。
心臓の鼓動を聞く度に震えが早まり、上下の歯がうるさくなる。
上下の歯ががちがちと──────
「ウサ……!」
ガルタが突然自分の頬をパチンと叩き、俺の身体に覆い被さるように飛びかかる。
「やったー! 勝ったよウサミ!」
ガルタは変わらずに、キラキラと輝いた笑顔で俺にVサインを向ける。
そのおかげか、歯の震えが徐々に緩み、心臓の音が減速する。
それでも、助けてくれてありがとうとか、言うべき言葉が分かっているのにどうしても喉から出てくれない。
生き物を殺したという自覚と、今まではなかった角という器官に残る感覚が、べったりと張り付いて離れない。
「ウサミ」
「あ……? あ、あぁ、そうだな……」
「……ウサミ、あのね……」
「お二匹とも!」
声のする方へ顔を向ける。
さっきまで襲われていたピンク色のモンスター……モチもんだ。
なぜかキラキラとした目でこちらを見つめている。
こう見るとどこかの星の戦士にそっくりである、手足は生えていないが。
ぽよぽよという可愛らしい音をたてながら、全身を使ってこちらにぴょんぴょんと飛び跳ねてくる。
「えっと、無事でよかったな。怪我は……」
「かっこよかったっす!! お二匹とも!!」
俺の言葉は大きな声で遮られる。
さっきも言っていたが、お二匹……?
お二人の匹バージョン……?
この世界ではこれが普通なのだろうか……人間の俺からすると違和感を覚えざるを得ない。
「あ、申し遅れましたっす。オイラ、モチもんのサクラと言いまっす! それはさておき、ほんとにかっこよかったっす!!」
「へへーん、まぁそれほどでもあるよ!」
「こういう時は謙遜するのが普通じゃないのか……?」
「いえ! そんなことしなくていいっすよ! タイガルさんのスキルを生かした素早くアグレッシブな戦いぶり! イッカクウサギさんのスキルに頼らない斬新な立ち回り! どちらもかっこよかったっす!」
サクラと名乗るモンスターは身体を俺たちにグイグイと寄せ、息を荒くして早口で捲し立ててくる。
「おー! すごい具体的!」
「おうぅ……褒められるのは慣れないな……」
戦闘経験ゼロの俺でも上手く戦えていたのか……よかった。
褒められるのなんて滅多にないから……すごく嬉しい、嬉しくないはずがない。
けど、褒められたのは殺しの腕。
滅多にない褒め言葉、殺しをしたという自覚……その両方が混在する俺の胸中は決して穏やかとは言えなかった。
サクラは興奮気味に話を続ける。
「お二匹を師匠とお呼びしたいっす! 良いっすよね!?」
「うん! もちろんいいよ!」
「え、えぇ!? 軽すぎるだろおい! 」
「まぁまぁ、とりあえず一回ここから出ないと! もうバトルは懲り懲りだよ」
「そうだな……一旦脱出して、話はそれからだ。行こう」
「はいっす!」
仲間が増えたとはいえ、これ以上の戦闘は避けたいな……。
何事も起きないといいが。
◇◇◇◇◇
「はぁ……まさか家の塀を傷つけられただけで殺しの依頼とはな……金持ちってのは全部こうなのか?」
俺は煤の塊になった人間二人の上に腰掛けながら煙草を吸う。
俺に追われる前から何かから逃げているようだったが……追ってくるやつは見当たらなかった。
……まぁ、どうでもいいか。
膝の上に肘を置いて頬杖をしながら溜息を吐くと、灰色の煙が路地裏に満ちる。
「ほんと、こいつらも運が悪いな。ま、この世界の生き物なんてどうでもいいか」
俺は考えるのをやめて立ち上がり、死体に煙草を放り捨てる。
煙草の火が死体に燃え移ると、炎が巨大化し……死体はものの数秒で灰燼と化した。
俺はそこに残った煙草を踵で踏んで火を消した。
「さて……帰るか」




