第4話 無になるだけ
「……とも……だち……」
友達。
その言葉を聞いたのはいつぶりだろう。
そう呼べる存在なんて……俺には一人もいなかった。
どこを見回しても、友達と呼べるような人間はただの一人もいやしない。
俺にとってはもうそれが当たり前になっていた。
顔にある、この醜い痣のせいでツギハギと呼ばれ、フランケンシュタインだと怖がられ、罵倒され、物を隠され、捨てられ、殴られ……
俺はいつしか人と関わることを諦めていたように思う。
でも、今、目の前のこいつは、ガルタは…………こんな、俺の汚らしい、穢れた痣を見ても……なにも……
「……考えとく……」
……まだ……怖い……
だって、こうやって近づいてきたあいつらは……
「ウサミ……? なんで震えて……」
「う、うわぁぁぁぁ!?」
「「!!?」」
突然、誰かの叫び声が耳をつんざく。
ガルタは反射的に声のする方へ身体を捻る。
「ちょうどここを抜けた先だ! 行こう!」
「ま、待てガルタ!」
「なに?」
「……迂回、しないか?」
「え?」
俺の発言を聞いてガルタに正気かと問い質すような鋭い視線を刺される。
俺は胸に深く突き刺さるそれに見ないふりをし、努めて冷静に言葉を返す。
「さっきの初期モンスター……じゃない、あんまり強くないやつに対してあの苦戦だ。俺たちじゃ行っても返り討ちに遭うだけかも……」
最低だ、俺は。
俺はどうしようもなく最低だ。
でも、もうそんなこと知ってる。
俺はどうせ、最低で、醜悪で、卑怯で……酷いやつだ。
自分が、最低なままでいるだけで、痛い思いをしないで済むのなら……
「ウサミ……」
ガルタは悔しそうに拳を強く握りしめる。
先程の戦闘を思い出しているのだろう。
俺だって、見ず知らずの誰かとはいえ見殺しにするような真似はしたくない、けど、それ以上に俺はもう、あんな思いは……
「……でも、僕は行きたい。助けに行きたい」
「……それは、なんでだ?」
「僕は、ウサミに助けられて凄く嬉しかったよ」
「っ……」
「だから僕は行く。もちろん危険だと思うし、ウサミは着いてこなくても大丈夫。きっとここから北東に行けばここを抜けられるし……」
「……いや……お、俺も、い……く、よ」
喉からうまく言葉が出ない、けど言い切った。
行きたくない、痛い思いもしたくない、死ぬような目に遭いたくない……また、殺したくない……。
けど、それ以上に……
「ガルタを一人で、行かせたくない」
照れ臭くて言えるわけはないけど、友達になりたいと言ってくれた、こんな俺に、こんなどうしようもなくクズな俺に友達と言ってくれるような存在を……この痣を見ても何一つ罵倒しないどころか無反応でいてくれるようなガルタを、一人で死地に行かせたくない。
救えるかもしれなかったガルタを俺の選択が原因で死なせた……そんな悪夢が現実になる方が嫌だ。
「へへ、やっぱりウサミは優しい子だね」
「……自己中なだけだよ」
結局は、責任を負うのが嫌なだけだ。
どこまで行っても俺は人間、いくら自分が嫌いだろうが、死に直面すれば我が身可愛さで行動するんだ。
……こうやって開き直るところも、反吐が出るほど大嫌いだ。
「……この森なら障害物を飛び越えられる俺の方が速い。先に行くからガルタも早く助けに来てくれ」
そんな自分を否定したかったのか、俺の口は勝手にそんなことを喋り出した。
「ウサミ……! ありがとう!」
「あ、当たり前だろ……だって、俺たちはと、トモダ、チ……なんだし……」
「え? なに?」
「な、なんでもない! ほら、先に行ってるからな!!」
俺は真っ赤に染まっていたであろう自分の顔を見せたくなくて、一気に悲鳴のする方へ跳躍した。
「ふふ、ウサミ、かっこいいな」
ガルタは遠くなっていくウサミの背中を眺めて薄く微笑み、地面を蹴り出した。
◇◇◇◇◇
「ッキッキ!」
「く、くるなっす……あ、や、こないで……」
無我夢中で跳躍していると、今まさに襲われているモンスターを発見した。
俺は一度茂みに身を隠して状況を観察する。
般若のような恐ろしい顔を携えた人面樹のモンスターがピンクの丸々としたモンスターを襲っている。
確か人面樹の方はキールとかいうモンスターだったな。
丸っこいのはモチもんだ。
腕のように生えた枝からは斧のような弧を描いた鋭いものが生えていて……ささくれのように跳ねた樹皮からは嫌な不気味さを感じる。
人面樹のモンスターは鋭い腕を振りかぶろうとしていて、一刻の猶予もないことが見て取れる。
覚悟を決めろ……確かにあいつは恐ろしいモンスターだが、それは俺だって同じ、先の人間離れした跳躍力を思い出せ……!
今の、俺なら……なんとかなる!
「その人から離れろ!」
「キェ!?」
俺は茂みから飛び跳ね、太陽を背に上空から奇襲を仕掛ける。
先のイモもん戦でやったように前足を突き出すが、キールは後方へバックステップ。
俺の前足は地面に激突し、軽く砂埃が舞った。
硬い地面だが、毛皮が衝撃を吸収しているのか、反発や痛みはさほど感じない。
頭だけを後ろに向け、震えるモチもんを見る。
「人……人でいいよなとりあえず今は。怪我はないか?」
「あ、だ、大丈夫……っす……」
「よかった。俺の他にも仲間が一人くるから、きっとなんとかなるよ、だから……」
「キー!」
「!」
キールがタコの足みたいに根をうねらせながら近寄ってくる、気持ち悪い。
そりゃそうだ、話してる時に待ってくれるわけないよな。
たとえ出てくるモンスターがゲーム内のキャラクターだろうが、これはゲームじゃない。たぶん。
「はは、怖くてたまらないや」
俺はモチもんに聞こえないよう小声でそう漏らす。
目の前にするとキールの顔は誇張抜きに悪魔で、刻まれた皺の一つ一つから殺意が滲み出ている、そんな気がして……爪先からピンと張った耳まで震えが止まらない。
それでも……ガルタに、トモダチに、任せられたんだ。
「キィィ!!」
「うあぁ!!」
俺は半ば悲鳴に近い雄叫びを上げながらキールに正面から突進。
それを迎え撃つため、キールの斧のように湾曲した鋭い腕が俺の正中線目掛けて振り下ろされる。
俺はそれを横に飛んで躱すが、瓦礫が崩れたかと錯覚するような轟音が隣から聞こえ、そちらに視線を向ける。
俺がいたはずの地面には波打った歪な亀裂が残り、深々とキールの腕がめり込んでいる。
辺りに弾け飛んでいるのは土の粒だが、もしかしたら俺の肉片だったかもしれない。
想像したくない、それなのに目に浮かぶその光景に口からヒュッと息が漏れ、冷たい汗が額を伝った。
キールのサイドをとって絶好の攻撃チャンスを得ていた俺だが、後ろに跳んで距離をとってしまう。
「今のが、当たってたら……」
頭の中に真っ二つに割れて断面を晒した自分だったものが浮かんでくる。
勝手に回転する頭に逆らえない。
また、胃の底から込み上げてくる。
けど、それに阻まれている場合ではない。
既にキールは地面から腕を引き抜いて振りかぶっている。
しかし距離が離れている。
そこから振りかぶっても俺には当たらな……
「キー!」
その鳴き声の直後、キールの腕が光り、白い三日月のような真空の斬撃が飛んでくる。
あれは、スキル……!
次は俺を横方向に切断しようと飛んできた斬撃を、俺は直上に跳んで躱す。
俺がまだ空中にいる間に、ミシッという音が聞こえた。
それは考えずとも本能的に、後方にある木にヒビが入った音だと分かった。
あの硬い木に、傷をつけた。
それなら無論、俺の身体は……
「あ」
そんなことを考えていたせいか、着地の時に足がもつれた。
分かりやすく体勢を崩し、腹と地面がくっつく。
顔を正面に向けると、もうキールが目の前まで迫ってきていた。
世界が恐ろしい人面樹で埋め尽くされる。
地べたに張り付いた俺に、斧のような腕を振りかぶっている。
俺にはそれが、ギラリと光って見えた。
ゆっくりと、それが振り下ろされる。
「ふふ」
なぜか、俺は笑っていた。
さっきまであんなに、死に抗っていたのに。
ここまでどうしようもないと、受け入れるしかないと悟ったのかな。
……もう、別に死んでもいいや。
なんかもう、どうでもいい。
この世に未練だって……ないことはないけど、別に晴らす必要もない。
死んだら、無になるだけ。
これまでの俺の人生はむしろ負だった。
それが無になるんだったら……そっちの方がいいじゃないか。
むしろ俺は、心のどこかで死を求めていたのかもしれない。
……あぁ、それでも、最期に……
「友達になろうって、言いたかったな」
俺はそう呟いて、自らの視界に幕を下ろした。