第18話 突入、キリタチの谷
「これが……キリタチの谷……」
ただ立ち尽くすことしかできない。
周りにあるものが全てこの世のものではないように見えて汗が止まらない。
入口は地獄に繋がる漆黒の門に。
奥に続く真っ暗な空間はどこまでも沈んでいきそうな深淵に。
先程まで見てきた木々も木目が顔のように見え、震えが止まらない。
闇が、今まさに俺を喰らわんと鼻息を鳴らしている。
「ふぅ……ラビリンスに入るのにはやっぱり緊張するね。二匹とも、大丈夫?」
ガルタは準備体操しながら俺たちの方に身体を向ける。
「正直、ラビリンス入るのはこれで二回目になるっすから……怖いっすね……」
「あぁ、俺も……正直、今すぐにでも帰りたいレベルだ……でも、やるしか……ない」
「そう……っすね! 捕まった依頼者の友達を助けるため、がんばるっすよ!」
「うんうん! がんばろー!」
ガルタ、意外と周りを見ているんだな。
緊張すると言いながらもその立ち振る舞いは玄人のようで……正直、頼もしいと思った。
俺と違ってちゃんとリーダーの素質があるな。
「それじゃあ……突入するよ。準備はいい?」
「……俺は、いつでも」
「オイラも行けるっす!」
三人で顔を見合わせ、同時に頷き……俺たちは恐怖への入口に飛び込んだ。
会って一日しか経っていないのに、気持ちはまるで親友気分。
いくらなんでもちょろすぎるだろうか。
たとえそうだとしても……今隣にいる二人が、これ以上なく頼もしく感じる。この気持ちは確かに俺の心に根付いていた。
飛び込んだ直後、真っ暗な視界が徐々に光に包まれ……白く染まる。
足が地面に着いている感じがしない、今俺はどうなってるんだ……?
縋るように隣を見ると、俺と同じく狼狽えているサクラと、目を閉じて深呼吸をするガルタがいる。
こういうの、性格出るんだよな……。
俺の胸は激しく脈打っているものの、頭では呑気にそんなことを考えていた。
こうやって落ち着こうとしているのだろうか。
一人考えている内に……次第に視界に色が押し寄せてきた。
「……おわぁ……」
流石、キリタチの谷という名前なだけはある。
両サイドに見事に垂直な崖……切り立った崖だ。
限りなく青い、雲ひとつない快晴。
ここが死地でなければ、空を見上げてぼーっと散歩でもしたかったな。
「依頼者の友達さんはキリタチの谷の最上階! 張り切っていってみよー!」
「おー! っす!」
……ラビリンスは階層ごとに『フロア』というものがある。
フロアがいくつあるか、それはラビリンスごとに異なっていたが……大抵十フロア以上が相場だったはず。
そして、一フロアごとに一つ存在する『階段』を通ることで一階層上のフロアに移動できる……そんなシステムだっただろうか。
「まずは階段を探すんだよな?」
「うん! そうだよー」
「道中でアイテムを探すのを忘れちゃいけないっすよ」
そう、道中でアイテムを拾うことを忘れてはいけない。
元より道中で集める前提での買い物だったのだ。
今回は初めてということで多めにアイテムを買ったが、毎回そんなことをしていては大赤字もいいところである。
ゲームでは最速で階段を目指していたが……生活することを考えるとそういうわけにもいかないんだな。
「お、銭があるぞ」
ラビリンス内には普通にお金も落ちている。
ゲーム内では受け入れられたが、現実で自分が拾うとなるとどうも犯罪感が拭えない。
逮捕されたりしないよな……。
「あ、あっちにもアイテムがあるっす!」
サクラは目を輝かせてアイテムのある方に進もうとする。
「待って、サクラ。モンスターがいる」
しかし、ガルタがサクラの前に手を出して静止する。
瞳孔が開いて爪が伸び、普段纏うことのない狂気に身を包んでいる。
俺はそれを見て自然と気が引き締まり、サクラの見つけたアイテムの先を注意深く観察する。
「……どうやら寝ているみたいだな」
そこにいたのは岩のモンスター、ゴロック。
名前を聞けば由来がゴロゴロしている岩だということがすぐに分かるし、見た目もまさにそうだ。
ようするにただの人面岩である。
「ここは、ウサミ。スキルの練習がてら不意打ちしよう」
ガルタはゴロックへの視線を途切らせずにそう言う。
「……がんばる」
「それじゃあオイラとガルタ師匠はバレない範囲で近づいて、ウサミ先輩が失敗した時のリカバリーをするっす」
「……了解」
雑魚モンスター一匹相手に作戦会議、ゲームをプレイしていた当時の俺が聞いたら呆れて物も言えなくなっていただろう。
だが、この状況に直面して分かる。
決してこれは無駄な時間ではないということが。
「命大事に、だな」
俺は周囲を囲む岩々を乗り越え、慎重にゴロックの背後に忍び寄る。
小石がパラパラと落ちる音すら鳴らさないよう、静を保って歩を進める。
誰かにバレないように隠れて歩くのは……昔からよくやってきた。
「……この辺でいいか」
俺はゴロックから二mほど離れた場所に位置取り、スキル発動の構えをとる。
モンスターはきっと人間よりも感覚が鋭敏だから……これ以上近づいたら気取られる気がする。
魔素の流れを意識して、人間の手ではなくイッカクウサギの前足をイメージして、魔素の流れから一部を掬い上げる。
掬い上げた魔素を後ろ足と角に集めて、角で相手を貫くイメージ。
ちんたらとスキル発動をしようとしているかのように見えるが、この時間実に三秒に満たない程度。
当たり前だがのんびりスキル発動を待ってくれるモンスターはいない。
今目の前で寝ているゴロックを除いては、だが。
……さて、発動の準備が整った。
俺は物陰に隠れている二匹にアイコンタクトでそれを示し、ゴロックの方へ向き……
「スキル発動! ホーンタックル!!」
一気に地面を蹴り抜く。
飛び出した際に岩は大きな音を立ててひび割れ、ゴロックが目を覚ました。
だが……それでは当然遅い。
「はぁぁぁぁ!!」
「ゴロ!?」
魔素で巨大化、硬質化した角がタックルの勢いとともにゴロック突き刺さる。
ビリビリとした衝撃が全身に伝わり、アドレナリンが巡る。
ラビリンスの外で使った時とは反発の強さが段違いだ……。
それに岩のモンスターだけあって硬い、貫通できなかった……!
俺は反撃を恐れてゴロックから角を抜き、大きく後ろに下がる。
しかしゴロックは丸みを帯びた身体が災いし、スキルの衝撃を逃がすことができずにゴロゴロと地面を転がる。
「あとは任せるっすよ師匠! モチだま!」
サクラがスキルを発動。
口から餅を地面に射出してゴロックの回転を強引に止め、ガルタが予期したかのようなタイミングでゴロックに肉薄した。
「粉々にする!」
ガルタが両手を結び、渾身の力を込めて打ち下ろす。
──────ドガァッ
ガルタの驚異的なパワーは瞬く間にゴロック全体に巡り……「粉々にする」、その宣言通りにゴロックは粉々に砕け散った。
砕けたゴロックの破片は俺の足元にまで飛んできて、ガルタの地力に驚くとともに……また殺してしまったという罪悪感が去来する。
命のない存在だと……分かっていても。
「勝利のぶい!」
ガルタの顔が普段の優しいものに切り替わり、無邪気なピースサインを俺たちに向けた。