最終話A 愛はまだ遠く
「だってアンドレスが来てくれなかったから!」
護衛の兵士と浮気している現場を見つかったとき、ソレダはそう叫んだ。
彼女のことを思い出しながら、アンドレスはぼんやりと思う。
(結局彼女は寂しがり屋だっただけなのだろう)
裕福な商家の娘だったソレダの家族は、みんな多忙だった。
それが彼女の心の組み立てに大きな影響を与えたことは間違いない。
いつでもだれかが側にいてくれることを望んだ。寂しいとき人恋しいときに一緒にいてくれる人が好きな人──だがそれは愛だったのだろうか。
学園を卒業してから彼女を愛妾として迎えるまで一年ほどだったろうか。
そのわずかな間にソレダは信じられない数の男達と関係を持っていた。
なにしろ寂しさを感じるとすぐに、近くにいる男に笑いかけるのだ。彼女は美人で体つきも魅惑的だった。奔放な彼女に誘われて拒む男などいなかった。
その場の寂しさを紛らわせれば、彼女は一度だけの関係でも気にしなかった。相手に恋人や妻がいるかどうかだなんて、頭を過ぎったこともなかっただろう。
真面目に長く付き合おうとした男も、自分が仕事や用事で離れている間に浮気されてしまえば心も離れる。
ソレダと一番長く付き合った男はアンドレスで間違いない。心が通じ合っていた、なんて美談ではない。同じ学園同じ教室で勉強していたから、彼女が寂しさを感じるほど離れることがなかったからだ。
愛妾として王宮に入れてからは、かつて彼女の魅力だと思っていた部分がすべて反転した。
学園で通りすがりの生徒に命じてアンドレスを呼びつけていたように、メイドや兵士に命じてアンドレスを呼ぶ。商家の当主の末っ子だった彼女は、人に命令することになれていた。
寂しくてもひとりで耐え、お互いに時間があるとわかっているときだけ会いに来るイザベリータとはまるで違う。だが学園時代のアンドレスは、そんなソレダの我儘を自分への愛だと勘違いしていた。
「どうしてすぐに来てくれないの?」
「私には仕事があるんだ」
そうかと思えば、自分が楽しいと思うことがあればアンドレスの存在を無視する。
ソレダはアンドレスに執着していない。独占したいとも思っていない。
自分が寂しいとき人恋しいときに一緒にいてくれれば、だれでも良かったのだ。
(それは、愛じゃない)
だれでも良いのなら、たったひとりのだれかを求めていないのなら、それは愛ではない。
家族愛や人間愛の範疇には入るかもしれないが、それはそれで自分の感情を満たすことしか考えていないソレダには当てはまらない。
彼女は他人の幸せよりも自分の幸せのほうが大切だった。他人に心があることにも気がついていなかったかもしれない。
(だが、他人にも心があることに気づいていなかったのは私も同じだ)
イザベリータが好きだった。
幼いころから一緒にいた大切な存在だった。
多忙な両親に変わって、アンドレスの心の弱い部分を支えてくれた少女だった。早く結婚してずっと一緒にいたいと望んで、妃教育を過酷にしたのはアンドレス自身だった。
アンドレスの我儘でイザベリータの人生を捻じ曲げておきながら、今度は学園で会えないことを不満に思った。
そして、学園での無聊を慰める存在としてソレダを求め、嫉妬する言葉すら飲み込んで耐えていたイザベリータの視線に罪悪感を覚えて酷い言葉をかけた。
ソレダよりも害悪だ。
(それでも……)
「イザベリータ」
「アンドレス殿下」
「だっ」
「……大きくなったね」
「ええ! 首も座ったんですのよ」
「だっだっ」
ソレダの産んだアンバルを抱いて王宮の中庭を散策していたイザベリータは、アンドレスの言葉に公務の笑みで振り向いた。
最近のイザベリータは、アンバルの話をするとアンドレス相手であっても素の表情を見せてくれる。
アンバルは、イザベリータのメイドが産んだ子どもだということになっている。メイドは亡くなっていて父親はわからない。ジャウハラ帝国との国交が再開される前に諦めた恋の形見なのではないか、と噂を流している。出来るだけ帝国の機嫌を損なわないよう美談に仕立て上げられていた。実際は国交再開後に出来た子どもなのだが、もう少し成長したら数ヶ月の誤差は誤魔化せるだろう。
「だっだっだ!」
「うーん。アンバルは私のことが嫌いなようだね」
「そんなことありませんわ」
「あー」
「そうだな。君のことが好きなだけだ」
アンバルを抱こうとしたアンドレスは、彼から激しい抵抗を受けた。
諦めてイザベリータへ戻すと、赤ん坊は満ち足りた顔で笑みを浮かべる。
アンバルに好かれていると言われて、イザベリータも幸せそうな表情になる。
(砕けた愛は戻らない。だけど、いつか……)
彼女の心に新しい愛が芽生えてくれれば良いのに、とアンドレスは願った。
アンドレスはイザベリータを愛している。
ずっと彼女を見つめていたいと思う。ずっと側にいたいと執着し、本当はその腕の中の赤ん坊にさえ嫉妬心を抱くほど独占したいと感じている。間違った愛だ。──でも、愛に正解などない。