第六話A 愛は芽生える
「……」
ソレダ様の子どもはぼんやりと宙を見ています。
彼女が亡くなった後も乳母が乳を与えていました。ほっぺたがぷくぷくしていて健康そうです。
私は、恐る恐る指を伸ばしました。兄弟がいないので、赤ん坊を見るのは結婚して侯爵家を離れたメイドが子どもを連れてきてくれたとき以来です。
「……ふ……」
声を上げたのか、私がほっぺたを突いたせいで空気が漏れたのかはわかりません。
ですがそれを聞いた途端、胸に温かいものが満ちました。
これは愛だと思います。自分の子どもではありません。憎い恋敵が産んだ、愛した人の血すら引いてない子どもです。でも私はこの子が愛しくてなりませんでした。
きっと私の愛は間違っているのでしょう。
こんな人間に愛を向けられても、この子も困るだけかもしれません。
だけど、この子と一緒にいたいと思いました。この子を見つめて、抱き締めて、私だけの存在でいてくれなくていいから幸せにしてあげたいと願いました。
本来は、ソレダ様の産んだ子どもを私の子どもとしてアンドレス王太子殿下の跡取りにする予定でした。
ソレダ様が妊娠したら私も身籠ったふりをして、子どもが生まれた後は産後の肥立ちが悪かったことにして私は実家へ戻り、子どもは実の母親のソレダ様が育てるという計画です。
残念ながら庶民出身のソレダ様を王子妃にするわけにはいきませんが、王子妃代行なら大丈夫だろうという話になったのです。
けれどソレダ様の妊娠がわかる前に、彼女の浮気がわかりました。
この子の父親とのことではありません。彼女は王宮でも護衛の兵士達と関係を持っていたのです。
多忙な殿下とお会い出来ない寂しさを紛らわせるために。
そのため子どもの父親がだれか確認するまで生かされて……おそらく不義の子であることがわかった上で処されたのです。
殿下も女王陛下も国を治めるためなら自分の心も殺す覚悟をなさっています。
彼女を哀れに思っても、いつか不義の子に王家が乗っ取られる危険を冒してまで生かし続けることは出来なかったのです。
ましてソレダ様は学園時代、殿下の恋人として知られていました。未来の国王陛下が愛妾に裏切られたなんて、とんだ醜聞です。
彼女は子どもなんて産みませんでした。
彼女は病気で亡くなりました。──民にはそう伝えることとなるでしょう。
「抱っこしても良いかしら?」
「まだ首が座っていないのでお気を付けくださいませ」
子どもの世話をしてくれている乳母に尋ね、彼女の指示に従って子どもを抱き上げます。
もしかしたら自分の子として発表することになったかもしれない子どもが見たいと、殿下と女王陛下にお願いして自室へ連れてきてもらったのです。
腕の中の子どもは柔らかくて温かくてふにゃふにゃで、愛しいと思う気持ちが胸に満ちます。
「……私、この子を育てたいわ」
私の愛はやはり間違っているのでしょう。
自分で子どもを産んだこともない、弟妹の面倒さえ見たことのない女に、どうして子どもが育てられるというのでしょう。
それでも私はこの子を手放すつもりはありませんでした。乳母をつけているくらいなので、不義の子だからと言って処されるわけではありません。捨て子として、どこかの孤児院に送られるのです。ソレダ様のご実家には子どもの存在も不義のことも伝えないと聞いています。
砕けた愛が戻ることはありません。
ですが、愛がなくなった場所に新しいなにかが芽生えることはあるのでしょう。
私は殿下と女王陛下を説得する方法を考え始めました。ジャウハラ帝国との交流が再開されたことが上手く使えるかもしれません。
私の愛は間違っているかもしれません。
でも間違えたら正せばいいのです。
この腕の中の温もりがその力をくれると、私は感じていました。