鬱の始まり
会社からは三月の半ば頃から研修として入ってほしいと言われた。卒業式から一週間ほど経ったくらいだ。その時は何も思っていなかったから別に早かろうが遅かろうが働くことに変わりはないのだからどうでもいいと思った。
そしてスーツやビジネスバッグを用意して慣れない道を通って会社に行った。階段を上がると事務所に入る。挨拶をして一日の仕事の流れを教えてもらった。
それから社長にこの会社がしている業務内容の説明を受けた。緊張のあまりか腹痛が酷く汗が止まらなかった。それでも口には出せず必死に堪えてメモを取った。
私はメモを取るのが苦手だった。今まで授業は板書、ノートをまとめることもなかった。
だから要点をまとめる事をしたことがそもそもなかったのだ。そして私は自他共に認める程の字の汚さで読み返しても何を書いているのかいまいちよくわからないのだ。
丁寧に書けないこともないが、そうすれば話を聞き逃してしまう為出来なかった。
そしてもう一つ、社長の説明の中にお客様に対して専門用語を使わずなるべくわかりやすい説明をするというのがあった。それを言っている本人が全く知識が皆無な私に対して専門用語を連発するのだ。
どういう意味なのか聞こうと思っても腹痛のせいで歯を食いしばっているしかないしメモは何の役にも立たないしで最悪だった。そして社長の説明が終わり業務の説明に移った。
さっきのは会社の業務内容だから私には一応直接的な関わりはない為まだ取り戻せる範囲だっただろう。
そう自分に言い聞かせた。次の業務はとりあえず書類整理だと言われた。なんでも整理整頓するのが苦手な人ばかりで書類が日付順どころか会社別にすらなっていないとのことだった。
封筒何袋かももう覚えていないがファイルが何十冊となるほどの書類を順番に並べた。ただそれだけを二日ほどした。整理する書類もなくなったとの事で他の人と同じ業務に移る事になった。
電話、FAXでの在庫確認や受発注、伝票の記入、請求書と領収書の印刷、みんながしている業務を一気に教えられた。急いでメモを取ったがやはり何が重要なのかわからず、自分の字の汚さに嫌気がさした。
そして頭がパンクした。仕事量が多いわけではないと思う。けれど体が追い付かないし頭も真っ白でとにかく一人で勝手にパニック状態になったのだ。そもそも自社商品をいまいち理解していないまま言われた通りの番号を口にして在庫確認をしたり、聞いた事もない単語を聞き取りずらい電話越しの声で聴いて合っているかもわからないまま「なんて言われた?」と聞かれても自信をもって「はい、○○と言われました!」なんて事になるはずがないのだ。私はただでさえ電話が苦手なのだ。すぐにできるはずもなかった。それなのに隣では電話が鳴ると「はい神崎さん出てみて。」と言われて電話が終わると「なんて言われた?紙に電話番号の下四桁控えてって言ったよね?どこからかかってきたか確認できないでしょ」と怒鳴られるのだ。私だって頭では理解していた。けど電話が鳴るとどうしても「電話に出たらまず株式会社○○の神崎が承ります」と脳内で連呼され先程まで覚えていた「下四桁を控える」という行動を忘れてしまうのだった。そして電話が終わると出来ていないと怒鳴られるのが苦痛だった。その分かっているのに出来ないというのはとても辛かった。そしてその苦痛を倍増させたのがその人の貧乏ゆすりとボールペンのカチカチという音だった。急かされているような責められているような感覚に襲われたのだ。
なんとか一日が終わり家に帰るとどっと疲れて自分の時間なんて一分たりとも無かった。
ご飯を食べてお風呂に入ればもう眠くて仕方がなかった。大好きなことを一つも出来ずにいるのはそれもまた苦痛だった。そして布団に入って明日も仕事だと思うと早く寝なきゃな……と思うのだが、そう思えば思うほど眠気は消えていきあっという間に眼が冴えてしまう。そして眠れないまま朝を迎えて寝不足のまま仕事に向かうのだった。
そんな体に異変が起きたのは入社五日後の事だ。書類整理から本格的な業務に入って三日目。
自分でも堪え性のないやつだと思う。これを読んで甘えだ、慣れていないからだと思う人は五万といるだろう。私もそうだ。家族もそうだ。でも私は耐えられなかったんだ。
寝不足の朝は酷くイライラした。朝から泣いた。そしてご飯を食べた後吐き気に襲われ食べたものを全て戻してしまった。腹痛も毎日のように続いた。朝からトイレにゴミ箱を持って籠り、仕事に行く時間になったら泣きながら家を出た。
会社に着く頃にはなんとか平然を装っていた。そして仕事を始めるのだ。
けど不調は一向によくならず、仕事中でも吐き気は止まないし腹痛も収まらない。何度もお手洗いにと席を外した。そのお手洗いもまた苦痛で駐車場に設置されているそれは季節的にも肌寒いうえに和式だった。踵の上がった靴では辛いし、腹痛だからと言って仕事中に籠るわけにもいかない。そもそも洋式と違って長時間籠れる体制ではない。極めつけに天井が低くパンプスを履いている状態だと余裕で頭が当たるのだ。何から何まで落ち着かないそのトイレに何度も行きたくはないし、そもそも体調不良は自己管理が出来ていないと社会では怒られる要素の一つだと思い込んでいる私は体調不良を悟られたくなかった。そうして堪えているとどんどん悪化していった。椅子に座って説明を聞いているのに声は遠いし目は回るし地面が歪んで斜めになっているように感じ始めたのだ。それでも「体調が悪いです」とは言えなかった。治しようがないのだ。帰って休もうが明日になろうが恐らく治らないだろうと思っていた。
そしてそれは間違いではなかった。六日目、とうとう幻聴が聞こえだしたのだ。鳴ってもいない電話が四六時中聞こえだした。それは会社だけでなく家でも聞こえていた。本当に苦痛だった。私はこの時点で何度か親に相談したが、上記にもあるように「慣れていないからだ。やめるな。三か月経てば変わる」としか言われなかった。朝嘔吐する事も「会社に行きたくないからわざと指突っ込んで吐いてるんでしょ?」と言われていた。誰も仲間がいないと夜な夜な泣きじゃくった。誰もわかってくれない。なんでなんだろう、どうして誰もこの気持ちを辛さを分かってくれないんだろう、そう思った。それと同時にどうして私はみんなと同じ様に出来ないんだろうと自分を責めた。今でもこの時の事を思い出すと自然と涙が出てくる。この時の私は「仕事を辞めて生きるか、仕事を続けて死ぬか」しか頭になかった。今まで強欲と呼べるほど強かった物欲も零になりこんな辛い思いをしてまでお金を稼いで生きていく意味があるのだろうか?という考えだけが頭を占めるようになった。それから死ぬ事しか考えられずにいた。
どうしたらいいかわからずにいた私は高校の時少し話していた女子に連絡を取った。仕事はどうだと聞けばもうやめたと言われた。先生に一度相談すればいいと言われ相談すれば社長に相談してみろと言われた。もう卒業したから関係ないとは言え投げやりだなと思いながら七日目の朝、覚悟を決めて相談した。
そんな私の冷や汗が流れる程の覚悟はあっさりと、そしてバッサリと終わった。
「無理して働かなくていいよ。寧ろ研修期間中に気付けて良かった!昼まででいいから」
そうして私はたった一週間で無職になった。昼家に帰れば母が「お腹痛くて早退したの?」と聞いてきた。冗談交じりの声だった。
正直に社長との会話を話せば母はものすごく怒った。そして最後に「私は悲しいです」と言われた。
涙が止まらなかった。今までも散々母を呆れさせてきたが敬語で改まって言われたのは初めてだった。
どうして出来ないのか、何度考えても答えは出なかった。私はみんなと何が違うのかわからなかった。
今まで散々人を見下してきた。頭が悪くても常識があればそれでいいと思っていた。他人に迷惑をかける馬鹿とは違うと思っていた。けど身内を失望させる子供の方が最低だと思った。
私はずっと私を責めた。そしてこんな死ぬほど辛いのに理解してくれない家族も責めた。そして私は死ぬ事を決意した。それからどうせ死ぬなら未練をなくそうと思い立ったのだ。
未練、それはくだらない事だった。
「一度でいいから性行為をしてみたい」
とてもくだらない。けれど思春期に興味を持ってから一度は経験してみたかったのだ。
それはある意味私の自殺を手助けしてくれるものだと信じていた。
もし仮にお腹に新しい命が芽吹いてしまったらそれはきっと親に言えずに隠し通すだろう。
でもいつかはバレる。そうなれば私は死を選ぶはずだ。そう思った。
もう一つ、もし相手が危険な人だったとして殺されたとしてもそれは私の望んだ結果になるという事だ。
私は結局何の理由もなしにただ辛い、苦しい、生きていけないという感情だけでは死に伴う痛みの恐怖に勝てなかった。弱い人間だと思う。そしてそのあと一押しの理由を求めて知らない男に抱かれることになるのだ。