ナナのカルテ
ルルーの事はよく知らないけれど、この人はソウスケが昔から世話になっている人らしい。
ソウスケが留守にする時は、こうして私とコーヒーを飲んでくれる。四季折々の花が咲く園庭モードの中で、ぼんやり陽を眺める毎日。
「静かだね。
わたしに会う前は、ソウスケと穏やかな日々を送る事は少なかったのだろう?」
かちゃりと小さな金属音、駆け抜ける静かな風。
「そうですね、だいたいいつも爆発音がしてました。
ゆっくり食事をすることもなかった気がします。
なかなか、刺激的でしたよ」
くすくすと笑うルルー。茶色の髪が陽に透けて、金髪のよう。私と違って肩までと短い。
「それにしても、ソウスケはこの組織で役に立っているんですか?」
ルルーはコーヒーだけれど、私は苦手。なので紅茶を飲んでいる。でもミルクは一緒だ。
「もちろんだ。それに彼が来てくれたおかげで、飛躍的にココは注目をされているよ。
かつて我々の業界で話題になった『あの』彼だからね。
こちらも機嫌を損ねないように、好待遇でもてなしているつもりさ」
そう、こうして私の事も気にかけてくれるくらいに。
「ふふ、不安になる必要はないよ。
どちらかと言うとココで大事にしているのは、むしろ君の方さ」
「私、ですか?
どうして、なんの力もないのに?」
ソウスケは先天性異常体質保持者の特Aクラス。
今のところ世の中で数えられる、特殊な力を持つ者の中で上から三番目くらいに危険らしい。
何に対して危険かと言うと、『人類全滅』。
あんまりピンと来ないけれど、ソウスケは私と出会う前は、それはそれは大変な存在だったと、会う人はみんな口を揃えて言っていた。
私の前では年相応のふざけた男の子なんだけれど。
「そうだね、ソウスケに比べれば君はただの一般人に過ぎない」
そう、私は一般人だ。
普通に生まれて、学生をやっていて、そしてソウスケに出会って、『こういう世界』を知った。
いや、巻き込まれたというか。もう元の世界に戻れなくなったし。
「まぁ君は『使用目的』が違うからね。この世界の『対応設定』もされてないし。
こちら側のモノなんて、それこそゴミみたいに消費されてるからね。不安になるのは分かる。
でも、我々は君を大事にしている。
どちらかと言えば、ソウスケよりもね」
ルルーは焦らすように、コーヒーを口に含む。
「ただの一般大衆使用の君だとしても、
間違いなく、君はソウスケを『この世界』に繋ぎ止めている唯一の存在なのさ。
君がいなければ、彼自身は火のついた爆竹のような『どうしようもない』存在に過ぎない。
ただの災厄だ。それを君がいる事で、我々は武器として制御できている。
君の存在は貴重だよ、なによりもね」
火のついた爆竹。例えにしては、『そのまま』だ。
ルルーはお代わりのコーヒーを注ぎながら続けた。
「そんなどうしようもない存在を、『ヒト』としてなんとか留めている。
君に出会えて、彼は幸せだったと思うよ。
君にとってはどうだったか分からないけれど、少なくともココにいるうちは、彼よりも君を優先的にと考えている。
誰に反対されてもね」
「私にそんな価値があるかは分かりませんけれど。
ただソウスケと一緒にいるだけで、好待遇なんてありがたい話です」
ソウスケと出会って、この組織に身を寄せて、静かな毎日を過ごしている。この毎日が、夢のようだったので不安になった。
ルルーはそんな私の気持ちを見越して、少し大げさに話をしてくれたのかもしれない。
それもまた、ありがたい話だ。
突然、奥からガラスが割れるような大きな衝撃音。
思わず声を上げてしまったけれど、隣に座っていたルルーはため息をつくだけ。
その態度に、思いつく存在は一人。
「ナナー!!!」
天蓋の窓ガラスが落ちると共に人が落ちてきて、私の足元に転がってきた。
傷ひとつないソウスケだった。
「会いたかった会いたかった会いたかったよー!!
今日も頑張ってきたけど何してんのお茶ー?!」
私の膝にひしっと抱きついて離れない。
じゃれついている犬みたい。
「もうソウスケ、窓ガラス割っちゃダメじゃない」
「お前は扉を開けるという概念を持たずに育ってきたのかな?」
ルルーも私も口を揃えて叱るけれど、ソウスケはどこ吹く風。
「ねーねー、オレもお茶する!ナナといる!」
べったり私にくっついて離れない。
私の前ではいつもこんな感じだ。
彼が世界にとって脅威だなんて、実は私にとってはあんまり現実的じゃない。
会った時から、犬みたいにベタベタしてきてひっついてきて、明るいストーカーみたいな。
「さて、じゃあナナ。
ソウスケが帰ってきたから、わたしは失礼するよ。
また日を見てお邪魔する」
「あ、はい。
ありがとうございました」
カラカラと静かに音を立てて、車輪が回る。
ルルーの乗った車椅子は自動で出口に向かった。
彼女は供も付けず、一人で私のいる部屋にいたけれど、いつもなら何人も黒服の護衛をつけているような立場の人だ。
まぁ、ソウスケの前では護衛の数なんて関係ないからだろうし、この部屋にはセキュリティが付いているし。色々あって、私のところに来るときは気軽な感じで来てくれるから緊張しなくて済むのだけど。
「ねえねえ、何話してたの?
今日は何してたの?
オレがいない間、どうしてたの?」
ベタベタとくっつきながら話すソウスケ。
いつもの事だけど、距離が近い。私が今まで接してきた人間関係の中で一番近いんだけど。
「大した話じゃないよ。最近のテレビの話とか、昔読んだ本の事とか。いつもの世間話」
テーブルの上にある空間モードを調整して、いつもの部屋に戻す。お茶を飲む時は外が一番だよねとルルーは言うけど、本当の外なんて行けないので、VRで調整。こんなに良くしてもらってるし、私ごときが贅沢は言えない。
「そーかそーか。
ナナが幸せならオレはなんだっていいんだ。
今日が楽しかったんなら良かったんだよ」
ソウスケは赤茶色の目をまっすぐこちらに向けて、嬉しそうに微笑む。普通の人間みたいに。
このまま、こうして日常が続けばいいな。
いつもの幸せが積み重なっていく度に、心の奥で小さな不安のカケラが音を立てる。
その感覚は、私の悪い癖なのかもしれないけれど。
「よろしいので?」
「ふふ、納得いかないか?
お前と同じなのに待遇が違うからな。嫉妬の感情があっても、わたしはお前を責められない」
「まぁ待遇は羨ましいですが。
個人的な感想としてはあの個体はかわいそうだと感じます」
「そうだな、私もそう思う。
あの特A級に魅入られてしまったのが、彼女の運の尽きなんだろう」
「、、、、」
「誰かに解放してもらいたいと思ったとしても、世界の誰も彼には敵わない。
そしてこの世界にあの特A級を人間に留めているのが、彼女への愛情だけ。
彼らを引き離すことは、世界の誰も認めないだろうね。彼女がいつかどんなに願っても。
それくらい、、正直同じ生物種とは思えないよ。
見たことがあるだろう、あの力を」
「危険度は間違いなく上位ですね」
「ふふ、まぁ危険度で言うなら、彼女の方が脅威だよ。
言うなれば『リセットのスイッチ』を直接握っているようなものだ。人類の要とさせざるを得ない。
しかし、皮肉なものだな。
ヒトを捨てたわたし達が、最後にしがみついているのが人間の感情だなんて」
「、、、、」
「だからこそ、彼女には嫌われるわけにはいかない。
人類のためにもね」
「人類の平和の為ですか」
「そうさ。平和は作れる。
みんなで力を合わせればね。
レイも手伝ってくれるんだろう?」
「もちろん。我々は人間と共に生きるモノですから」