思い出の向こうで
思い出の向こうでか……。私は一体何を思い出すのだろう。
今日はとっても暖かい日で、本を読むのに絶好の日だった。昨日の国語の授業で感想文を書くという宿題が出された。授業後、早速、図書館に行き本を探した。
だいたい、大学受験の私に宿題を出されるのはきついことなのだ。と、言っても私以外の人も同じ境遇だと思うけどね。
それにしてもこの学校の図書館って広いわー。本を読むのが好きな私であるが、これだけ広いとねー。
「蛍夏ぁー、どの本にするか決まった? 私はねー、この本に決めた」
「……」
「蛍夏! 聞いてるの?」
「あっ、ごめん、春美。まだ決まってないの。先に帰っててもいいけど……」
「ふーん。蛍夏はやっぱり本が好きなのね。で、その手に何冊か持っているのは全部、読む気? はぁー。あのね、私たちは高校三年生なのよ。受験勉強があるのよ。本をそれだけ読む時間があるなら勉強したほうがマシよ」
「や、やっぱりそう思うよね……」
「それじゃあ、私はこれから塾があるから先に帰るね。蛍夏も今日あるんでしょ?」
「うん、あるけど……。あんまり行きたくない」
私たちは、このまま別れて私は結局、五冊も借りたい所を二冊にして家に帰った。
今日は塾がある日。でも行きたくない。
私、桐生蛍夏。高校三年生の受験生。
家族は五人で、兄・妹がいる。兄はこの春めでたく結婚して新婚生活を送っている。
両親は病院勤務で、家に帰ると妹しかいない。出来のいい兄、妹に挟まれて、私は居場所がない。土日は本屋でアルバイトで、週三日の塾通い。
「おかえり、お姉ちゃん。あのね、今日学校で……」
「ごめん、私、塾に行く準備があるからまた今度ね」
「あっ、今日は塾がある日なんだ。大変だねー」
何が大変だねーなのよ! 妹は中学三年生で同じ受験生といってもおかしくないと思うが、妹は兄と一緒でかなりの秀才で国立学校に通っている。あーなんで、私だけがこんな目にあわなくてはいけないのだろう……。
塾までに行く道のりは短くてラクなわけで自転車で十五分。でもペダルをこぐのはとても重く途中でどこかへ逃げ出したいくらいに塾がイヤだ。また今日も怒られて周りの人から文句を言われるのに決まっているのだから。
塾に着くと、私が部屋の戸を開けただけでシーンとなってしまう。そしてまた騒ぎだす。英語・数学・国語を勉強するわけで一番大嫌いなのが数学。先生も大嫌い。その先生が塾長であるからイヤなんだよね。
一時間目から悪夢の数学だった。宿題はやってきているのだが、当てられて答えが違うと真っ先に怒られるのだ。最悪なパターンが宿題を忘れてきたときである。
そして私が当てられた。運がよく正解だったのでよかった。授業が始まるとみんな緊張気味になる。一人ずつ順番に当てていくのだが頭がいい人はわかりませんと答えても怒られない。しかし、逆に私みたいなバカな人間が同じように言うと、
「こんな問題も分からないのか!」
と、一言で終わり、次の人に当てると思ってみたら怒りながら問題を読み、
「式を答えろ。……違うだろ! もう一度自分で問題を口に出して読め。声が小さい。もう一回初めから」
と、教卓を叩くか黒板を叩くかのどちらかである。
そして、周囲の反応はまたこいつが怒られている。お前のせいで私たちまで怒られるし、いい加減答えてくれよという顔つきなのである。ようやく、答えを言うと、また次の問題も解くというバッシングがくるのである。私のせいで今日の範囲が終わらず、休憩十分も数学の授業ということになった。
次は英語でしかも単語のテストである。ギリギリ二分前に数学が終わり、慌てて英語の勉強をするのである。こういうことが週三日もあるのだ。ひどいときは、数学が最後で二十分以上も延長という日も多いのである。
家に帰れば、どうして遅くなるのかと聞かれるし、一階で少しでもくつろいでいると、
「早く勉強してきなさい。また寝たら叩き起こすからね!」
と、母が言えば、今度は妹が、
「そうよ。あんたは早く二階に行きなよ。ここにいるだけでも腹が立つ!」
とても妹だとは思えないような言葉であり、私も頭にきて
「てめぇに、言われなくても行くわ」
と、私も人格が変わってさっさと二階の自分の部屋に閉じこもってしまう。
そして、学校の宿題をやっとやることに、ついでに塾の宿題も少しは終わらせるようにしておく。夜中の十二時過ぎになると、うとうとと眠気が襲ってくる。眠気が起こらないようにガムをかむのだが、私には全く効果がなく三十分もしたら机の上で眠ってしまい一階から母が何度も私の名前を呼ぶが、返事がないので階段を上り私の部屋を開け、
「また寝てるの!いい加減にしなさい。寝るんだったら風呂を先に入りなさい。それか洗面所で顔を洗ってきなさい」
と、怒り私はビックリして頭がボォッーとしている。一応、眠気は冷めるのだが、手がしびれており訳の分からない行動をとったり、また母のいる前で机の上で眠ってしまい母が無理矢理に起こすのである。
そして私は風呂に入り、目が覚めて宿題に追われる毎日が続くのである。
本当、実のところ勉強するどころか、宿題の多さに圧倒されて何もしていなくて、学校では周囲から何かと言われ家に帰れば邪魔者扱い。塾に行けば、怒られての日々。第一にテレビとお菓子は禁止であった。それでも親に内緒で、妹の部屋にこっそり入ってはボリュームを下げてテレビをみていた。しかも、そのテレビは古くて画面が映らず叩くと直るという。だいたい、なぜ妹の部屋にテレビがあって私にはないの? と思うが私には一切必要なしという親からの言葉。
こうやって周りからクドクドと文句を言われるせいか、学校での私はとても暗く怒りっぽい性格となってしまう。学校の先生からも、
「何か怒ってるの?」
との一言で、私はもちろんノーと答えるが、どうやら私の顔が怒っている風にみえてしまうのであった。
親友と呼べれる人はいなくて放課中は必死に塾の宿題と塾のテスト勉強。移動授業の時は急いで行かなくてはならない。たまに暇が出来ると少しだけ友達としゃべるぐらいである。
夏休み前でジリジリと暑い。今度の期末テストで全てが決まるようなものの、私はまだのんびりとしている。周りは緊張気味。女子高なのでそのままエスカレーター式で大学へ行けれるが私の場合は……。みんなが羨ましいと言いたいところだが我慢している。
明日は土曜でアルバイトの日だ。しっかり稼いで進学金貯めなくちゃ。
と、まあ忙しい私なのである。
塾が終わり直帰で帰るとなぜか兄夫婦が家に遊びに来ていたのである。私はまた邪魔者扱いされると思い、すぐに自分の部屋に閉じこもった。するとしばらくしてからドアがノックされた。返事をしたら兄の嫁の弥鈴さんだった。
弥鈴さんはベッドの上に座り、私に話し掛けてくる。
「蛍夏ちゃん、勉強がんばっているのね。アルバイトもしながら生活していくのって、ずいぶんと大変じゃないの? それに塾もあるんでしょ?」
「もう、慣れてますから」
と、ぶっきらぼうに言う私。
「そうだ今晩からここで泊まることになったの。月曜日の朝、マンションに戻って、惇志はそのまま病院へ行くの。結婚して以来、初めてここに来るから少し緊張しちゃった。秋穂ちゃんって彼氏いるのかなあ?」
はぁ? 泊まるのー! 嘘でしょ……。だいたいお兄ちゃんは週末には実家に帰ってきて、すぐマンションの方に戻るのになぜまた今日に限って嫁が来るのよ! それに、妹の秋穂に彼氏だと? それは私に対する嫌味ね。もう部屋から出て行ってよ。
「この間、秋穂ちゃんを見かけたのよ。そしたら男の子と帰っていてね。びっくりしちゃった。他に友達とかもいろいろといたけど。秋穂ちゃんかわいいせいか数人の男の子がもめていたみたいなのよ。中学三年生でしょ? やっぱり好きな人とかできて彼氏も作らなくちゃって思う年頃よね。蛍夏ちゃんは?」
「私は別に……。今は彼氏なんて欲しくないです」
「そうなの? もし欲しくなったらいつでも私に言ってね。それじゃあ、リビングに戻るわ。勉強がんばってね」
「……」
言いたいことだけ言ってそのまま去っていくなんて……。私のこの大切な時間を返せ! と言いたい。まあ、とりあえず学校の宿題でもやろうっと。
その頃、リビングでは私を除いた家族が騒いでいた。
「秋穂は惇志と一緒で手のかからない子だからうれしいけど、蛍夏だけはねー。どうしようもないわよね」
「そんなお義母さん。蛍夏ちゃんだって必死に勉強がんばっているのよ。応援しなくちゃいけないのに」
「応援かぁ。蛍夏には応援したってムリだぞ。テストも悪いし勉強してるつもりで寝てたりとか。まあ、所詮あの女子高だし。蛍夏が通っている学校はかなりヤバクないか? もしかしたら浪人する……」
「お兄ちゃん。それってひどすぎだよ~! いくらお姉ちゃんでも浪人するかはどうか……。だって、そのままエスカレーターで進学できるんでしょ? だったらそれでいいじゃない? ねえ、お父さん?」
「うん、まあ……。浪人さえしなければな。ただあの大学に進学するわけだろ? あそこは他大学と違って、費用がたくさんかかるんだ。だからこそ塾に行かして惇志や秋穂が行っていた国立学校に入学させたいのだ。今だってアルバイトしてるのだろ? 時間がもったいないのになぜやるんだ?」
「無理なんじゃねえの? 国立学校なんて。蛍夏は中学受験のとき落ちたし、そのせいで高校受験はあの女子高だろ? また落ちたら秋穂が恥をかくぞ。それに母さんだってそう思うだろ?」
「そうよねー。秋穂に迷惑かけちゃうわね。やっぱり辞めさせた方がいいわね。本屋でのアルバイト」
と、まあ私の話題しかなく、私も以前にこういう話を立ち聞きした。でもいくらなんでも嫁の目の前で言うなんて……。私がホントにバカじゃない。あーあ、早く大人になって自立したい。こんな家族から離れたいわ。そうしたら自由になれる。誰からも文句を言われなくてすむ。
翌日、朝の十時に起きて朝食を食べて本屋のアルバイトへ行った。
そういえば、今日から新人が来るって店長が言ってたような……。まぁ、すぐにでも慣れてくれるとうれしいんだけどね。そろそろ期末テストが近いからアルバイトを休まなくちゃいけない。今日、店長に許可をもらわなくちゃ。
本屋の場所は割と近く、駅前通にある。いつも見慣れた風景。土曜日なので人通りが多い。そこへふと目がとまった。本屋の出入り口でうろうろとしている男の人に。
あのー、それだとお客さんが入りづらいのでは……。と、思う私なのだが、なんだか私自身も入りづらい。まあ、いつも正面から入ってるから今日は裏のほうから、入ろうっと。
「おはようございます。店長」
「おはよう。もう十一時よね? 遅いわね。今日から来るはずなんだけど……」
「あっ、まだ来てないんですか? 初日から遅刻するなんてどういう人なんですか?」
「大学生なのよ。近頃の大学生は時間を守らないのよねー。その点、桐生さんは、時間通りに来てくれるから助かるのよね」
と、店長。
店長は、三十代半ばの女の人で、二児の母でもある。とっても親切で親しみやすい店長だから私としてもうれしい。学校や家、塾での居場所がないのでここは天国。
と、そこへ元気のいい男の声がした。
「遅くなってすみませんでした。今日からここの本屋でアルバイトをします、西田玲駒です。よろしくお願いします!」
と、頭を下げて顔を見てみるとなんとさっき本屋の出入り口でうろうろとしていた人だった。まさか、アルバイトをする人だったとは……。
「えーと、西田くん。もう少し遅く来るところだったらクビにしようかと思ったけど、まず先に謝ってくれたので研修として今日から仕事をしてください。私が、店長で隣の子が、桐生蛍夏さん。高校生よ。じゃあ、早速、倉庫に行って本調べでもしてもらおうかしら。桐生さん、レジのほうよろしくね」
「はい、わかりました」
ここの本屋は、十時半から二十二時までの時間。ただし、平日は九時からなので少し早い。私は、土日と学校の春・夏・冬休みだけ働いている。私の時間帯は、十一時から十八時までの七時間。途中一時間は休憩があるので六時間。
私は中学の頃からここの本屋に通いつめ、本が大好きとなり、店長とも仲良しになり、高校一年生の時からアルバイトをしている。平日は学校と塾があるので行けないが暇があったら帰りに寄っている。
昼も過ぎた頃、店長と西田さんが戻ってきた。そこで私は来週からテストが終わるまでの二週間は休ませてもらうことになった。その代わり、西田さんが入ることになり西田さんも戸惑っていた。西田さんは大学の講義のない日と土日で時間帯は、十時半から十八時と私とあまり変わらない。他の時間帯は他の人がやってくれている。
そして、私と西田さんは近くのコンビニに行き、昼食を買うことになった。私は、おにぎり三個で西田さんはからあげ弁当。私たちはなにもしゃべらないまま本屋へ戻った。食べている間も沈黙で私は今すぐにでも逃げ出したかった。沈黙が苦手な私。
その後、店長と交替になりレジのほうに行く私。
あーあ。あと三時間もしたら家にいるのよね。はぁー。家に帰ると弥鈴さんがいるしぎゃあぎゃあ騒いでいて、イヤなんだよね。早く月曜日にならないかなぁ……。
でも、塾がある日だから最悪……。テスト勉強もして受験勉強もしなくちゃいけない。
「おい、客がきたぞ」
と、いつのまに私の隣に来たのか西田さんが慌てて言う。
私もボォっとしていたので、気づかなかった。とにかく急いで対処し、何事もなかった。はぁー。
西田さんは私の仕事の助手みたいなもので、いろいろとメモをして覚えていた。
十八時になったので私と西田さんは帰ることになった。
「お疲れさまでした」
と、お互いに言い、本屋を出た。
しかし、私の足取りは重く、このまま誰もいないところへ行きたいと思った。ふと気がつくと私の名前を呼ぶ声がした。振り返ってみると西田さんだった。
「桐生さん、今日はいろいろとありがとうございました」
と、丁寧に言うのでびっくりしちゃった。この人、私よりも年上なのに……。
「いえ、こちらこそ。来週から二週間、代わりですいません」
「あー、別に気にしてない。そっちのほうが早く覚えられるから俺にとってはいいかも。歩いてここに来てるということは近いの?」
「はい、そうですけど」
「ふーん。高校生でしょ? バイトやってもいいの? 俺が高校生の時は内緒でやってたけどさ」
「学校がアルバイトは自由になっているから。あの、私こっち方面なので……」
と、家の方向を指で指しながら言った。
「あーそうなの。じゃあ、二週間後、またよろしく」
と、言いそのまま自転車に乗って走り去って行った。
大学生か……。私も無事に大学に入れるのだろうか……。
「蛍夏、話があるの。和室の部屋に行きなさい」
帰るなり、母が突然言い出した。
「結論から言うとアルバイト辞めなさい。分かってるわ、あんたが言いたいことは……。でも、アルバイトをして勉強が出来るわけ? だいたい、ただでさえ成績が悪いのにおまけにあの高校で大学がいいところへ進めると思っているの?」
何よ、それ……ひどい。アルバイトをしているのは大学への資金なのにそれを辞めるなんて……ダメ!
「私が決めたんだから別にどこの大学へ行こうが勝手でしょ。お母さんがそう言っても私は辞めるつもりなんて全くないからね!」
「でも、現に成績が悪いじゃない。塾に行っておきながらなんで毎回ひどい点数を取ってくるの? 恥ずかしい点数なんてこれ以上取らないで」
私が毎回悪い点数を取ってくるのは塾があるからよ。塾のせいで全く同じ問題すら出ないし、宿題だけで追われているし、テスト範囲も広いし……。
塾を辞めるならのならうれしいけど……。そんな恐ろしいことはできない。
「蛍夏、今度のテストが全て平均点以上より上まっていて順位を四分の一以内に入らないとアルバイトは辞めさせるからね。でも、アルバイトは夏休みまでよ。それ以上続けることもできない。いいわね?」
「ひどいよ。アルバイトだけは辞めない。でも塾は辞める。だって塾のせいなのよ。私は塾に行ってない方が成績がいいってことは知っているでしょ? だったら辞めさせてよ」
「そんなことは認めません」
母はそれだけ言うと部屋の戸を思いっきり閉めて廊下を歩いて行った。
そして、遠くのほうから母たちの声がした。多分、私のことだろう……。
部屋に戻った私は明日の準備と、テスト勉強の計画を立てた。
好きな音楽を聴きながら私は、今日からアルバイトに入ってきた西田さんのことを思い出した。あの人、大学何年生なのだろう? もしかしたら、大学受験の勉強の仕方を教えてくれるかも……。
「蛍夏、勉強してるのか?」
と、ノックもせずに入ってくる兄だった。
「また、音楽を聴いているのか……。それだと覚えたって頭に入らないぞ。だいたいお前、緊張感が全くないじゃないか。そんな風だととうてい他の大学はムリだな」
「どうせ、私は秋穂やお兄ちゃんと違ってバカだわよ!」
「おー、開き直ったのか? アルバイトは辞めろ。たとえ、今度のテストが良かったにしろ、アルバイトだけは辞めさせるつもりだから……と、父さんが言ってた。まあ、俺も賛成してるけど。どうするつもりなんだ?」
「そんなこと、お兄ちゃんには関係ないでしょ!」
「お前なぁ、そうやって毎日イライラしているからムリなんだぞ。少しはリラックスしたらどうだ?」
「大きなお世話です! 用がないならさっさと出て行ってよ!」
ふぅー。やっと落ち着いて計画を立てることが出来た。時計を見るともう十二時を過ぎていた。なんか眠くなってきちゃった。やばい。今日こそは頑張って起きていようと思っていたのに……。あー、計画立てているだけでこんな状態。
もう、限界! 明日は日曜だしバイトも休ませてもらったから早く寝よう。
「あら、珍しいわね。まだ一時前よ。明日晴れとか言ってたけど、多分、大雨ね。あーあ、イヤだわね」
と、言う母。早く寝ようとすれば文句を言われ逆だとものすごく怒る……。いったい、どうすればいいのよ! ムカツク!
「あれ? お姉ちゃん、もうお風呂に入ったの? 先に入りたかったのにな」
と、風呂に出てから突然、妹に言われた。
「文句でもあるわけ?」
「別にぃ~。あ~あ、でも、サ・イ・ア・ク」
ムカッ! わざと怒らせているに決まっている。
兄妹なんていらないのに! だいたい、こんな家に生まれてきたのが地獄の運命なのよ。いろいろ考えながら、計画通り勉強をしようとノートを開けてみると、急に眠気が襲ってきた。お風呂からあがったばかりなのに……。やめよう! 図書館で借りてきた本でも読もう。
しかし、一時間ぐらい経った頃、布団に横になりすやすやと眠りについた。
はっ、と気がついたらまぶしい光が差し込んできた。もう朝なの? と思い起き上がると、なんと電気がついている。あー、またやってしまった!
と、心の中で思い、壁にかけてある時計を見ると明け方の四時頃だった。
あんまり眠ってなかったみたいね。電気を消し、私は深い眠りについたのである。
翌朝、下の階から私を叫ぶ声に飛び起きた。
「蛍夏! 何時だと思っているの? もうお昼の十二時よ!」
と、母の声。しかし、私は頭がぼんやりで生返事。
仕方なく起き上がって、あ~眠い。日曜日なんだからゆっくり寝かせてよ。一階に下りていくと、両親が昼食を食べていた。
「いったい、何時まで寝てるんだ。夜遅くまで起きているからこんな不規則な生活になるんだ」
「そうよ、もうじき期末テストなんでしょ。そのテストでだいたいの大学が決まっちゃうのよ。ただでさえ、悪い高校なんだから次の大学だけは必ず、国立を受けるのよ」
うるさいなあ……。起きた早々、説教なんてよけいやる気がなくなるんだけどな。
「聞いているの、蛍夏?」
「聞いています。地声が大きいんだからもう少し声のトーンを下げてよね」
この場から早く脱出したいから、さっさとご飯を食べて自分の部屋にこもった。
その後、両親の会話は……というと。
「アルバイトは辞めさせたのか?」
「いいえ。どうしてもアルバイトを続けて、塾は辞めたいなんて言うのよ。あきれたものだわ。でも、アルバイトは夏休みまでとキツク言っておいたから大丈夫だとは思うのよ」
「お前はどうして、すぐ甘やかすんだ? アルバイト先はこの近くの駅前だったな。電話番号は?」
「え? まさか電話するつもり?」
「決まっているだろ。そうでもしなきゃ、蛍夏は続けるつもりだぞ」
「そんな……。今はテスト期間中だし、余計なことをすると……」
この会話を立ち聞きしていた妹が、
「ねえ、外まで丸聞こえよ。お姉ちゃんのことばっかりでケンカしてて、
イヤにならないの?」
「……」
「最近、お父さんたち、お兄ちゃんのことや弥鈴さんのこと、それとお姉ちゃんのことばっかに目を向けててさ、私のことはどうでもいいわけ?」
「秋穂。急に何を言い出すのかと思ったら、そんなことか。お前は、惇志と同じくらい成績が優秀で母さんの手伝いもよくする。それで満足なんだ。確かに、今年はお前も受験生だ。だがな、蛍夏は中学・高校と失敗している。今度こそは、大丈夫だと思うんだ。だから、アルバイトを辞めさせ塾に通いながらという、勉強を熱心にしてほしいんだ。それなのに、お前が甘やかすから!」
と、父は母の方を睨みつけるのであった。
妹の秋穂はというと、
「あっ、そう。でもね、お姉ちゃんのことでケンカするのはやめてよね」
「おいおい、いったい、何の騒ぎなんだ?」
と、兄がリビングに入ってくる。
「別にぃ~。いつもの話に決まっているでしょ」
と、妹は話をたぶらかせて、自分の部屋に戻っていくのであった。
「父さんも母さんも、蛍夏に熱中しすぎなんだよ。だいたいあいつは二度も落ちているんだぞ。今回だってムリに決まっているだろ? あの高校じゃ、ろくな短大や大学に行けないことくらい父さんだって知ってるくせに。かと言って、そのままエスカレーター式で大学に入ったって、お金を溝に落としたようなものなんだぜ。蛍夏だってそのことぐらい分かってるだろうし。この話をするのはいったい、いつまで続くんだよ。部外者までもが被害を受けるんだ。そんなことぐらい理解しろよな」
「そんなことだと? 蛍夏はなあ……」
と、父は私の何を言いだしたかったのだろうか……。
それに対し、兄は、
「父さんたちがそんな考えをしているから、蛍夏はいつだって自立しないんだ」
それっきり、兄は家を飛び出した。
日曜日という日は一日が早く過ぎるものだ。もう、夜になってしまった。
結局、計画通りにいかず、明日にしようということになるが、それもまた次の日次の日へとずるずると引きずっていくのが私の性格。今回のテストは……。範囲が広すぎるぅー。みんなは夜遅くまで勉強していて、私は……。毎日、塾の宿題に追われ、授業の課題提出もまだ半分以上も残っている。これをどううまくこなすのが悩みなのである。あー、あの頃に戻りたいなあとふと、中学時代の思い出を……。
でも、その思い出も運が悪く、
「蛍夏お姉ちゃん。この問題、分からないの。教えてくれる?」
と、ずかずかと私の部屋に入ってくる妹だった。
「お兄ちゃんの方に教えてもらったらいいんじゃないの?」
「えー、お兄ちゃんに~? いやだ。私は、お姉ちゃんに教えてもらいたいの」
「あーそう、どの問題?」
秋穂は、毎回私がテスト前になると必ずこうやって問題を教えてと言い出す。でも結局は、私の解き方と違っていて逆に秋穂が怒って部屋を出て家族に言いふらすのである。だったら、最初から私に聞くな! と言いたい。
「ねぇー、お姉ちゃん。お姉ちゃんは好きな人とかいないの?」
突然変なことを言うものだから、手が止まってしまった。
「いると思うの? 女子高だよ?」
と、私が言えば、
「女子高だとしても近くに高校があるんでしょ? だったら校門で待っていたりとか先生だとか。それに、電車通いなら出会いはたくさんあるんじゃないの?」
「今の私に好きな人とか出会いは全く関係ないの」
「本当にそうなの? もしかしてお姉ちゃん、中学の頃好きな人がいてそれを忘れられないかもっていうやつなの?」
「はあ!? 何言ってるのよ。それより、この問題……」
「あー出来たんだ。ありがとう、お姉ちゃん。それじゃあ、またねー」
と、強引にノートをとり、私の部屋から出て行った。
説明を全くしていないのに。さては、口実で本当は好きな人のことだったんだ、と思った。好きな人か……。別にそんな人いないし。
さっ、早く宿題を終わらなきゃ……と思ったが、また中学時代の思い出を思い出してしまった。あの頃は、すごく楽しかった。嫌なことも全部忘れることができた。それなのに今は……。天国から地獄へ落ちている毎日。月日が経つにつれ、私の日々は、ストレスがたまり、最低最悪の日となる。部活はあまり楽しくなかったが、ある人を見つめているのが唯一の救いだった。
戻れるものなら戻りたい。でも、戻ることは絶対に出来ない。もう、あの頃から三年が経っているのだから……。つい最近までは私は中学生だった。みんなからも認められ、友達ともうまくいっていて帰りも楽しかった。家族ともうまくいっていた。なのに、今は……。原因は全て私なのである。兄と妹は小学校から国立学校に通っている。だが、私は小学校は公立に通い、中学から国立に入ろうと受験をした。結果は案の定、失敗。続いて、高校受験。絶対に受かると言う周囲からの励ましの言葉。でも、期待は……落ちたのである。それからというもの家族は何かと勉強しろの毎日。好きなこともできず、友達とも遊ぶことは禁止。何しろ高校が公立まで落ち、私立の田舎のバカな女子高に通っているからなのである。お金も他の私立よりも高く規制が多く、強制的指示が多いのである。
両親は何としてでも国立学校に行かせたいのである。それもそうなのかもしれない。私の家系は、代々病院関係であり、父は某有名病院の医者で、母もまた某有名大学病院の栄養士。そして、兄は県立病院の薬剤師なのである。妹も将来はおなじふうになるのでは……と思う。ここで一人だけがズレている。別に家系が病院関係だからと言ってムリになろうとしているわけでもない。むしろイヤなんだよね。私の気持ちも知らずにいる両親が憎い。
翌日、私は寝坊をしてしまった。
「どうして、起こしてくれなかったのよ!」
と、言うけれど返事はナシ。妹が、
「朝からうるさいわねぇ~。静かにしてよ」
と、睨みつけてくるのであった。
朝から文句を言われ、私の気分はブルーになる。
毎日、満員電車に乗り、途中で乗り換えをするが人は少ない。
「おはよう、蛍夏」
「あ、おはよう」
「珍しいわね。寝坊でもしたの? 髪が乱れてるよ? あ、そうだ。蛍夏さぁ~、彼氏
欲しくない?」
「あのねー、律子。私は受験生。そして律子、あなたもそうでしょ」
「受験生だと言っても、私はそのままエスカレーター式で大学に行くからいいの。それで、欲しい? いい人いるんだよねえ。ねえ、蛍夏~」
私の腕を揺すりながら言うが、それもすぐおさまった。それは……。
「あっ、リョウ? おっはー! どうしたの? ……うん、今日? うーん。何時頃なの? うん。分かった。じゃあ、いつものところでね、バイバイ」
そうなのである。律子は彼氏のリョウ君と携帯で話していたのである。授業中も堂々と話したりしている。
「リョウ君と待ち合わせ?」
「そうなの♪ よかった。メイク道具持ってきていて。うれしいな。ねえ、久しぶりにリョウと話してみない? リョウも蛍夏と話したいって言ってるし。いいでしょ?」
「でも……。今日、塾があるから。それに期末テストも近づいているし。また、今度にして」
「え~!! いいじゃん。蛍夏は頭が良いんだからさ~」
「律子、駅に着いたよ」
学校に着くと、まじめに勉強している人と遊んでいる人との見分けがすぐに分かる。律子とも同じクラスであるが、あんまり話さない。
律子は誰彼構わず、いろんな人と話をする。私は反対で、人見知りをする。律子が彼氏のリョウ君を会わすときも、ムリヤリだった。リョウ君は私たちと同い年。共学の高校に通っている。律子は合コンやカラオケが大好きなので、そこでリョウ君と知り合って付き合いだしたのである。律子はリョウ君と付き合う前にも別の彼氏がいたが、律子は振られたという。
「蛍夏、期末テストの勉強進んでる?」
「全然よ。春美は?」
「まぁまぁかな。ねえ、国語の感想文完成した? 私、まだなのよ。どうしよう?!」
「あ~。あれね、帰ってからすぐに書いたよ。そういえば春美って受験勉強はりきって
やってるけど、難しい大学でも狙ってるの?」
「実はそうなのよ。中学の時、お世話になった先輩が文化大学に入っていて私も頑張ろうかなぁ……なんて。そういう蛍夏はどうなのよ!」
「え~、私?」
「でも、大丈夫よね蛍夏なら。センター試験も楽々とクリアしそうで。ちなみに志望大学はどこなのよ?」
あ~。やばいな。聞かなきゃよかった。ここで国立のしかも難関だと言う大学名を言ってしまったら……。
「まさか、まだ決めていないわけ? 本当に大丈夫なの?」
「大丈夫よ。なんとかなるし。夏休みもあることだしね……」
そういえば、私って……。第二志望のことすっかり忘れていたわ。こんな状態ってかなりピンチよね。しかも親が決めた学校だなんて。でも、中学から国立学校に入学してたら私はどうなっていたのだろう……。考えるだけでも恐ろしい。
帰りのホームタイムで、先生が、
「期末テストが近づいてきたが、テスト終了後の翌日に大学模試試験を行う。みんな志望大学のために必死で勉強しろよ。以上」
そ、そんなぁ……! 模試なんて受けたくないよ~。あれって判定が出るんでしょ。私の場合、Eじゃない? どう考えたって無理に決まっているのよ。あ~絶望すぎる。
期末テストの次の日だなんて……。
私は家に帰る途中、ぼんやりとしたまま帰った。気がつくと塾へ行く時間になっていた。はぁ~。
「お姉ちゃん、顔色悪いよ。大丈夫?」
と、秋穂が心配? そうで言ったが私は気にもとめなかった。
塾に着いて、模試のことは忘れて集中! しようとするが、すればするほど、ひどくなり先生から、
「桐生さん! 何をぼんやりとしている。この問題を早くやれ」
と、いつもどおり怒鳴られた。
しかし、焦りすぎて答えがうまく出てこなくてやっと答えが出た頃には先生が目の前にきていた。
「やればできるじゃないか。しかし、問題を解くスピードを上げなくてはセンターでも全て答えが埋まらないぞ」
と、珍しく答えが合っていて先生も満足気味?!
な~んて思っていたのも束の間に英語のテスト……。あ~ダメだ。このままだと居残り?! になるかも。と、思いきやギリギリで居残りすることはなくなった。とにかく一安心。
「ただいま」
と、玄関で言うが誰も返事はしてこない。
「あ、お姉ちゃん! さっき電話があったよ。でも、お父さんが出たから……」
電話? しかも父親が出たなんて最低!
「蛍夏、一時間くらい前に名前も名乗らない奴から電話がかかってきた。夜遅くに電話をかけてくるなど言語道断だ! おまえはそんな奴と友達なのか? 今後一切そいつとは関わるな。いいな、蛍夏!!」
「ひどい、そんな。何か用事で電話をかけてきてくれたんでしょ?」
「用件も何も向こうが名乗らないから切った」
「お父さん! それでも医者なの? 患者さんが急病で運ばれてきて苦しんでいて言葉がしゃべれずに自分の名前を言えなかったら処置しないんだ?」
「それとこれとは別問題だ」
「何が別よ! いっしょのことじゃない」
「おまえとは、話にならん。いいか、一切関わるな。学校の友達ともな!」
「ひどい! お父さんひどすぎる。何も友達まで……」
「っもう、いい加減にしてよ! お姉ちゃんもお父さんもケンカするなら外でやってきてよね。私のことも考えてよね!」
いい加減にして欲しいのは私のほうだ。なんで親に友達のことまで決められなくちゃいけないの? ひどすぎるよ。お兄ちゃんと妹は頭ができるから怒られなくて、出来の悪い私に八つ当たりされるなんてまっぴら。早く大きくなってこの家を出て行きたい。
私、一人っ子がよかったなあ。それか生まれてこなければこんな最悪な人生送らなかったのにね。何が悪いんだろう? 誰か教えてよ。そして私をここから助け出してくれる人がいたらどれだけいいことなのだろう……。
期末テストがいよいよ始まった。なんとか無理矢理全部答えを埋めたけど、結果は惨敗だろうな。特に数学なんてサッパリだもん。
テスト期間中というのは早く過ぎ去り、そして、ついに模試を受けることになった。模試も惨敗だった。こんなの期末テスト以下なのかもしれない。
翌日、学校に着くと、私の机が倒されてあった。いじめ? なのか、これは……。とりあえず直して用具を出してみると、クラスの女の子たちが笑いながら私の顔を見てきた。
なんだろう? と思いふと黒板の文字に目が留まった。
黒板には大きく、
桐生蛍夏、中学・高校受験失敗でこの学校にいる!
と……。だ、誰がこんなこと知ってるの? だって誰が? このクラスには知り合いなんて……。あっ、一人いた。昔からあの人きらいなんだよね。何かと私に答えをしつこく聞いてくるし。間違ってたらあとで逆に怒られて最悪な人なんだよね。
それよりも、授業始まる前に黒板の文字消さなくちゃいけない。慌てて黒板消しで消している間に、私の大嫌いな女が入ってくるなり、
「桐生さん。顔と制服真っ白よ。アハハ。おもしろぉ~い」
と、大きな声で言うものだからみんなが口々に笑い出した。これだから女子高って大嫌い! 早く卒業して家を出て自由になりたいよ。私は急いで、手洗い場に行き、ハンカチを水でぬらし白くなっている制服の汚れを落とした。あ~、取れない! 顔も洗ってふと思った。なんで私だけがこんな辛い目にあわなくちゃいけないの? 受験失敗……これが私の不幸の始まりだったのだろうか……。
教室に戻るとまた机が倒されていた。机を元に戻すと机の上にも白いチョークで受験失敗! と大きく書かれてあった。騒いでいる教室の中で私は一人ポツンとイスに座っていた。
授業が始まるが、私のほうへ消しゴムのかすを丸めた物が次々と飛んでくる。そして私以外の人に小さく折りたたんでいるメモ用紙が次々と回されていた。
以前、私は偶然にもこのメモ用紙をゴミ箱で見てしまったことがあった。
“桐生蛍夏の私服って百円っぽくない? 今時じゃないし、ブサイクだし、親の顔が見てみたいよね~!”
という内容だったのを覚えている。
確かに私は校則違反などしていない。ルーズソックスは嫌いだし、制服のスカートの丈の長さだって長い。マニキュアも塗っていないし、ピアスもしていない。髪の毛も真っ黒。どこから見ても今時の女子高校生ではない。
地味な私は、クラスの中でもかなり浮いている存在。勉強面では、周囲からデキルというレッテルを貼られている。だからテスト間近になるとノートを貸してや、宿題できた?などそのときだけクラスの人たちから頼りにされている。というか、都合のいいときだけ注目を浴びているだけなのである。
お昼時は、みんなお弁当か学食。私はお弁当のにおいが嫌いなため、学校の購買のパンなどを買って一人で食べていることが多い。読書好きな私にとっては、毎日図書館で本を読みながら食べている。たまに熱中しすぎて予鈴の音を聞き逃すことがある。
「ねえ、蛍夏。相談に乗ってほしいことがあるの」
突然、上から声がしたのでビックリした。声がしたほうに振り向くと春美がいた。
「どうしたのよ、急に……。まさか春美、好きな人でもできたの?」
「え~! なんで分かるの? 顔に出ちゃってるのかなあ」
と同時に顔色がパッと赤く染まった。
「あのね、塾で知り合った男の子なんだけどね。私達と同じ受験生なのよ。でも、私は本当は受験する気がないの。このまま上の大学へ行こうかなって思ってるんだけど、親が外部受験したほうがいいって言うから、塾に通わされているんだ」
「え? だってこの間、文化大学に行くって言ってなかったっけ? 先輩はどうしたのよ」
「先輩ね、彼女がいるんだってさ。だから失恋しちゃったわけ。そんな頃に、塾で知り合った男の子から突然告白されちゃって。その人、うちらの大学に入学するみたいなの。ここってさ、大学だけはなぜか共学じゃんか。だから、ムリして外部受験しなくてもいいかなって思ってさ。蛍夏、どうしよう!」
「その塾で知り合った男の子ってどこの高校なの?」
「あ~、それが律子の彼氏と同じ高校みたい」
「東山高校か。あそこの学校って工業科とかじゃない?」
「そうみたい。二年生になってから工業科に進んだみたいで。うちの大学にもさ、工学部あるじゃん。だから受験するって言うのよ」
「まあ、いいんじゃないの。春美、受験しなくてすむわけだしさ」
「でもさ、さっきも言ったけど親がうるさくてさ。ここの授業料って他より高いでしょ?うちは蛍夏の家みたいに金持ちじゃないし」
「私は、他の大学受けるから。それに大学費用は私が払うと思うし」
「え? なんで? 親、病院やってるのに経営苦しいの?」
「違うよ。私、高校卒業したら大学の寮に入るか、もしくは大学の近くにアパートでも借りて一人暮らしするつもりなの。家に居たくないし」
と、ここでタイミングよく予鈴が鳴り響いて教室に戻った。
授業が始まると、私は塾の宿題をしている。追いつけないからだ。すると頭の後ろに何かが当たった。振りかえるがいつもと変わらない授業風景だった。宿題に取り掛かろうとすると机の上に画鋲がたくさん散りばめられていた。まただ。また、あの嫌いな女が指示したに違いない。
学校が終わると、みんなすぐに帰る。でも、今日は違った。
「桐生さん。授業中に他ごとしないでくれる?」
と嫌いな女が言ってきた。名前は恵。
「私たち、まじめに授業聞いているのよ。あなたみたいに受験する人あんまりいないのよ。でも、あなたは次も失敗するんでしょうね」
恵が嫌味たっぷりに言う。そこへ入り込んできたのは、
「蛍夏。リョウが校門にいるみたいだから早く行こうよ」
「う、うん……」
律子に腕を引っ張られながら、教室の中から、
「ちょっと、待ちなさいよ! 次、授業中に他ごとやったら先生に言いつけるから」
廊下に響き渡る声で恵が言う。
「律子。助けてくれてありがとうね」
「恵なんて、ムシするのが一番よ。恵は先生に媚びたりするし、みんながやりたくもない学級委員もやってるし。あれって実は内申のためみたいよ」
「じゃあ、恵も他の大学受験するってこと?」
「そうだと思うよ」
校門の目の前にリョウ君が待ちくたびれたかのような顔で立っていた。
「ごめ~ん。待った?」
「だいぶ待った。けいちゃん、久しぶりだな」
リョウ君は、私のことをけいちゃんと呼ぶ。初対面のときからそうだった。たぶん、律子が毎日のように私の話をしていたからだと思うけど。
「リョウ君、久しぶりだね」
私たち三人は、駅の近くの喫茶店に入った。
「けいちゃんさぁ、彼氏欲しくない?」
イスに座るなり、リョウ君が私に言う。
「ちょっと、律子! リョウ君に何か言ったの?」
「だって、蛍夏、彼氏欲しいとかだいぶ前に言ってたじゃん」
「そうだけど……でも、最近ね彼氏とかそういう余裕がないのよ。受験勉強でいっぱいいっぱいだし」
「そっかあ。けいちゃんは外部受験するんだね。まあ、受験半年後だしな。そんな余裕ないよな。ごめん。じゃあさ、大学に入学してから俺の友達紹介するよ。それならいいだろ?」
「う~ん。考えとく。ごめん、リョウ君」
その後、律子とリョウ君だけで話し合っていた。
私は時計を見てハッとした。だって、家に帰らなくちゃ怒られるからだ。
「ごめん、律子。もう帰らなきゃ」
「あ、もう6時か。明日は土曜日だけど、蛍夏はバイト?」
「うん、土日と学校の休みはバイトに当ててるから」
「大丈夫なのか? だって塾とバイトの両立の上に学校だろ?」
と私の体を気遣ってくれるリョウ君。
「私、昔から体だけは頑丈にできているから大丈夫だよ。心配してくれてありがと。それじゃあ、またね」
家に帰ると、兄の惇司がソファーでくつろいでいた。週末になるといつも実家に帰ってきてるじゃんか。ってことは弥鈴さんもいるんだよね?
「おかえり~。蛍夏ちゃん。夕飯もうじきできるからね」
とすっかり居座っている。
「蛍夏、遅いじゃないの。どこで何してたの?」
と母親が言う。
「まあ、いいじゃないですか、お義母さん。蛍夏ちゃんだっていろいろ大変な時期なんですから」
なぜかフォローに周る弥鈴さん。母も弥鈴さんの一言でしつこく聞いてはこなかった。
夕飯は週末になると大人数で食べることになってるのが最近の習慣。父親はたまに病院にいるときがあるけど。特に何もなければ家で食事を食べている。
翌日、バイト先の本屋に行った。すでに、西田さんはほぼ毎日のように本屋でバイトしているせいなのか手慣れてきた。
「おはようございます、西田さん。すいません、この間、家に電話してきてくれたんですよね?」
「あ~、ビックリしたよ。いきなり桐生さんのお父さんが出たからさ。別に特にこれといった用事じゃなかったんだけど、店長に桐生さんのこと聞いてさ。桐生さん、半年後に受験するんでしょ? バイトしていて大丈夫なのかな? って思ってさ。俺、今ちょうど二十歳で大学生だし、何か役に立てることないかな? 大学受験はけっこう厳しいからさ」
「ありがとうございます。西田さんはどこの大学に通っているんですか?」
「俺は、中央国立大学の法学部。将来、弁護士を目指しているんだよ」
中央国立大学って……。お兄ちゃんが通っていた大学じゃん。めっちゃ頭いいじゃん。私はその大学に入るために必死で勉強しているのに。私は、文系しか受験しないけどね。だって、理系なんて絶対に合格できないから。
「弁護士目指しているなんてすごいですね。それこそ本屋でのバイト大丈夫なんですか?」
「まあ、弁護士目指しているしいろいろと社会勉強しようと思ってね」
そこへ店長が、
「二人とも、しゃべってないできちんと仕事してね」
と注意されてしまった。
「そうそう、桐生さんちょっと話があるんだけど」
店長に休憩室へ呼び出されてしまった。あまりにバイト中にしゃべりすぎちゃったから怒られるのかな? と思っていたら、
「桐生さん、バイト無理してない?」
「大丈夫ですよ」
「あのね、だいぶ前に桐生さんのご両親から電話かかってきたのよ。ご両親からバイトしていること反対されているんでしょ? それに今は受験生なんだし。こっちとしては、バイトがいるほうが安心なんだけど、受験生なのにもしも……のことを考えたら雇っている私のほうが悪くなってしまうからね。今すぐに辞めてくださいとは言ってないのよ。でも、桐生さん、一度考えてみたほうがいいと思うのよ。大学に合格してからでもバイトに復帰してもいいのよ」
やっぱり、父親が母親に指示してバイト先に電話させたんだ。私がいつになってもバイトを辞めないもんだからだ。どうしよう! 今バイト辞めちゃったら、大学への資金がなくなってしまう。
その後のバイトは仕事になかなか集中できずで終わってしまった。
「桐生さん、今日、店長に何か言われたの?」
と、帰るところへ西田さんが言ってきた。
「私……。もうどうすればいいのか分からない」
とポツリ呟いた。
「桐生さん、こういうときは何かおいしいものを食べたほうが気が楽になるよ。さあ行こう」
いきなり、腕をつかまれた。
「西田さん、どこへ行くんですか?」
「ラーメン屋。あそこのラーメン人気でめちゃくちゃ美味しいから」
「で、でも私、家で夕飯食べなくちゃ……」
「たまには家で食べないのも楽だよ」
「それじゃあ、家へ夕飯いらないこと電話します」
カバンの中から携帯電話を取り出すと、西田さんが取り上げた。
「ちょっと、西田さん! 家に電話しないとうるさいんです。だから返してください」
「高校生でしょ? ちょっと夕飯食べるくらいで怒られるの? 桐生さん、過保護に育てられたの?」
「うちは、ほかの家庭と違う環境なので……」
うつむき加減で私が言うと、西田さんが目の前に携帯をさしだしてくれた。
「悪かったよ。強引に誘っちゃって。俺も最近、嫌なことというか、なんというか…・・・。じゃあ、明日のお昼、ラーメン食べに行こうよ。明日もバイトあるでしょ?」
「いえ、私こそ親がうるさいせいでせっかく誘ってくれたのにすいません。明日のお昼なら大丈夫ですよ。休憩中に連れて行ってください」
「オッケー。それじゃあ、明日のお昼な」
そう言って私たちはそのまま別れた。
家に帰ると、夕飯を食べている最中だった。楽しい会話が弾んでいる中に帰ってきた私は、急いで自分の部屋に荷物を置き着替えて、食卓についた。すると秋穂が、
「あ~あ。誰かさんのせいで食事がまずくなった。ウザイし、キモイしこんな奴が本当に私の姉なの、お母さん。だって、おかしいでしょ。お兄ちゃんも頭良いし、私もお兄ちゃんと同じ学校なんだし。この人だけでしょ、失敗しているのは。私、友達にはお姉ちゃんがいること内緒にしているんだよ。こんな人と血がつながっているだけでも嫌気がさすのに、友達には恥ずかしくて言えない」
「秋穂の言い分は分かるけど、蛍夏だってそれなりに頑張っているんだから。半年後には受験だし、合格すればお兄ちゃんや秋穂たちと同じ学校には入れるでしょ。それなら恥ずかしくないでしょ」
「でもさ~、仮に合格したとして、今更友達に、実はお姉ちゃんがいるんだって告白するわけ? 友達だってなんで? って思うでしょ。イヤだよそんなのは。私は一生、お姉ちゃんがいること自体、内緒にするね」
「蛍夏、最近帰りが遅いけど、きちんと勉強しているの? 学校の先生にもきちんと分からないところは質問しているんでしょうね?」
いきなり母親が私に振ってくるからビックリした。でも、私はそれには何も答えず、ただ黙々とご飯を食べた。
自分の部屋に戻ると、携帯電話のランプが点滅していた。律子からかな? って思って携帯を開けると、ビックリして携帯電話と落としてしまった。な、なんで? なんで、入ってるの? まさか、あの時……。そうだそれしか見つからない。電話帳を見ると、やっぱり私の予想は当たっていた。西田さんの名前とメアドと携帯電話の番号がすでに登録されていた。ランプの点滅は西田さんからの着信からだった。でも、なんでなの? なんで西田さんはわざわざ私の携帯電話の中に自分のメアドとかを登録したの? それに今日のあの強引に夕飯を連れて行く行動。おかしい。まさかとは思うけど、西田さん私のことが好きなの? と自意識過剰気味に考えてしまった。
その後、宿題や受験勉強をしている最中に、西田さんからのメールや着信はなかった。私からも一切、連絡はしようとは思わなかった。携帯代は、私がバイトしだしてからは私自身で支払いをしているのだから親に文句とか言われることはない。ただ、たまに明細書を見られることがあるので、用心のために私からは家族以外には電話をかけない。それに友達からも電話はほとんどかかってこない。律子や春美からの連絡もメールが基本。メールのほうが電話代より断然お得だしね。
明日はバイトか。バイトの件のことも考えなくちゃいけないし。やっぱり一時的に辞めるべきだよね? そうじゃないとあの父親のことだ。殴りこみに来るのかもしれないし。それだけは勘弁して欲しいので明日、店長に受験が終わるまでは休むことを伝えよう。大学への資金がないけど、しょうがないよね。ここは頑張って、国立大学に合格できるように必死で勉強するしかないね。
翌日、バイトへ行き、早速店長に話す。
「店長、受験が終わるまで、バイトお休みします。ご迷惑をかけてすいません」
「そうね。そのほうが受験に専念できるものね。大学に入学してからでもここは大丈夫だから。じゃあ、ひとまず今日で最後でいいかしら?」
「はい、そうします。いろいろとありがとうございました」
「それじゃあ、最後の仕事、頑張ってね」
「はい!」
お昼までの間、日曜日のせいか混雑していた。レジにも列ができたりして、受験勉強のことを考えている余裕すらなかったし、それに西田さんとラーメン食べに行く約束すら忘れていたのであった。気づいたのは、休憩室に入ってからだった。西田さんから、
「さあ、行こうか」
って言われたものだから、
「なんですか?」
と普通に言ってしまった。
「まさか昨日のこと忘れちゃったの? ラーメンだよ」
「あ~!」
と大きな声で叫んでしまったものだから店長が慌てて休憩室に入ってきた。
「なに、どうしたの?」
「いえ、なんでもないです。すいません」
「店長、桐生さん、俺とラーメン食べに行くこと忘れていたんですよ。ひどいと思いませんか?」
「あらまあ。桐生さん、最後だし西田君とゆっくりと休憩とってらっしゃいよ」
「最後? 桐生さん、バイト辞めちゃうの?」
「桐生さんは、受験が終わるまで一時的にお休みすることにしたのよ。その後は復帰するから安心して」
と、店長が言って休憩室を出て行った。その後、私と西田さんも休憩室を出て、ラーメン屋に向かった。
ラーメン屋はそんなに混雑はしていなく、カウンターに座れた。
「昨日、なんで連絡してくれなかったの?」
ラーメンを注文してから西田さんが聞いてきた。
「西田さん、昨日携帯電話取り上げたときに、ちゃっかり自分のメアドなど登録したんですよね? 携帯は家の中では身につけていないので。それに私から連絡する必要なんてないと思ったからです」
「俺、ずっと蛍夏ちゃんからの連絡待ってたんだよ」
連絡待ってるくらいなら、自分から連絡しろよ! と思った。あえて言わなかったけど。ん? 蛍夏ちゃん? ちゃんづけで私の名前呼んだ。今まではずっと桐生さんだったのに。じゃあ、やっぱり西田さん私のこと好きなの? そう思ってしまったので、顔が火照ってきた。慌てて水を飲むけど、手が震えちゃってうまく飲めなかった。
「蛍夏ちゃん、ラーメンきたよ。スープのだしがきいていてかなり美味しいよ」
醤油ベースのラーメンだった。スープはアッサリとしていて美味しかった。
「西田さん、受験の勉強ってどういう風に勉強していたんですか?」
「ん~、塾に通ってたからなぁ。あとは自分なりに工夫して勉強していたかな。特に俺は法学部の受験だったしかなり勉強した覚えがあるよ。ま、今でも必死で弁護士の勉強しているけどさ。そういえば、蛍夏ちゃんはどこの大学受験するの?」
「そ、それは……。え~と、西田さんと同じ大学の文学部です」
今まで学校の友達でも大学の名前は伏せていたのに、なぜだか西田さんには言ってしまった。
「へぇ~、蛍夏ちゃんも頭いいんだね。文学部なら法学部よりも入りやすいから大丈夫だよ。なんなら、教えてあげようか?」
「私、塾にも通っているんですけど、全然ダメなんです。塾の宿題だけで精一杯で。学校の授業中にも塾の宿題したりしてなんとか追いつけている感じなんです。怒られてばっかりだし、西田さんもいらついてくると思いますよ?」
「先生の教え方とかもあるしね。塾は週何日通い?」
「週三日です。でも、テスト間近になると土日も朝から夜まで塾で缶詰です」
「缶詰かぁ。それはけっこう辛いな」
「できないと塾長から、暴力振るわれるんです。私、何度か頭げんこつで殴られました。今じゃ、体罰ですよね。でも、みんな同じ目にあっているし、誰も言わないので。いっつもビクビクしながら塾に通っています」
「うわぁ、ひどい塾長だな。いっそのこと塾変えたほうがいいんじゃないの?」
「前から変わろうと思っているんですけど、怖くて。それに塾に行きたくないんです」
「まあ気持ちは分かるけど、塾に行ってなくて独学で俺の大学入った奴もいるしな」
「塾やめて、俺とマンツーマンのほうがいい?」
えぇ! マンツーマンって……。やば。顔がまた火照ってきた。ばれないようにしなきゃ。ちょうどカウンター席だし、真正面からは顔の表情とか見れないからよかった。
「冗談だよ。まさか本気にしたの?」
「西田さんって人をからかうの大好きなんですね」
私たちは、食べ終わり席を立ってお財布をカバンの中から取り出したら、
「いいよ。今日が最後なんでしょ? 俺がおごるよ。昨日、強引に誘って悪かったと思うから」
「でも、そんな……」
「俺に払わせてよ。俺のほうが年上なんだから」
「はい。でわ、美味しいラーメンごちそうさまでした。ありがとうございます」
勘定を済ませラーメン屋を出た。何気なく腕時計を見ると、休憩時間がとっくに過ぎていることに気がついた。
「ごめんなさい、西田さん。私、しゃべってばっかりでラーメン食べるの遅くなってしまって。休憩時間終わっちゃいました」
「店長にも今日はゆっくりしてって言われたんでしょ? いいじゃん」
「でも、西田さんの休憩時間とっくに終わっているのに」
「アハハ。まあたまにはいいじゃん。午後からも頑張ろうね」
こうして、午後からのバイト勤務はシャキシャキと店内を動き回っていた。なんだか心のもやがちょっと取れたような感じ。西田さんに相談してよかったなぁ。あ、でも私、今日で最後だしもう会わないじゃん。とたんに私のテンションは下がってしまった。あれ? なんで私、西田さんに会えなくなるの寂しいんだろう? 来週から私は、家で勉強か。家にいると、秋穂やお兄ちゃんがうるさいし。それに父親も母親もだ。私の居場所がない。自分の部屋で引きこもっているしかないな。バイト一時的に休むことも言わなくちゃいけないし。あ~あ。私の人生これからどうなるんだろう? 西田さんに志望校暴露したものの、これで受験またも失敗したら親になんて言われるんだろう。救いようのないバカだよね。塾にも行きたくないし。塾さえ行ってなければどれだけ幸せなんだろう。律子がうらやましいくらいだ。律子はそのままエスカレーター式で大学にあがると言っていたし。
バイトが終わり、帰ろうとしたらまた西田さんに声をかけられた。
「蛍夏ちゃん。明日、学校何時に終わるの?」
「三時半くらいですけど。夕方から塾です。どうしてですか?」
「明日は塾の日なんだね。学校帰りに俺が使っていた参考書や塾のテキストとか渡そうかなって思っていたんだけど。塾が終わるのは何時?」
「延長さえしなければ十時前には終わると思いますけど」
「じゃあさ、塾の前で待ってるよ。それならいいでしょ?」
「かまいませんけど、いいんですか?」
「いいよいいよ。もう使わないし。今は弁護士の勉強のほうが大事だからね」
「助かります。それでは、もう帰ります。お疲れ様でした」
私、今思い出したんだけど、期末テストと模試の結果が明日発表じゃん。どうしよう! 明日はめちゃくちゃブルーな日になるんだろうな。しかも、塾もあるし。テスト結果と模試判定も提出だし。ヤバイ。やばすぎる。親にも見せられない。こういう時って、家にも帰りたくないんだよね。結果も見たくないというか、破り捨てたいくらいだ。明日なんてこなければいいのに!
翌日、私はすっごく眠たかった。なぜなら結果が気になって眠れなかったからだ。今日という日はイヤでもくる。
テスト結果は、良くも悪くもない微妙な点数だった。ただ一つ数学を除いてはね。数学だけは世にも恐ろしいような点数を取ってしまった。いわゆる赤点。中間と期末を合わせての追試があるけど、私は何とかギリギリのラインを上回ったのでよかったといえばよかった。でも、こんな赤っ恥の点数を親と塾長に見せるのかと思うとホントに嫌気がさして、このまま失踪したくなるような勢いだった。学校の屋上から飛び降りたらどんだけ楽になれることだろう。よくテレビドラマとかに屋上のシーンが出てくるけど、実際にこの学校の屋上には上がることができない。屋上への階段はあるものの、鍵で頑丈に施錠されている。
模試の判定は、Cだった。中央国立大学への合格率は五〇%以上らしい。前の結果よりかはだいぶ良くなった気がする。でも、合格率は半分しかない。つまり落ちることが前提である。私は頭が真っ白になってしまい、何も考えられなくなった。
どれだけ席にいたのだろうか。気がつくと、教室には私一人だけがポツンと座っていた。みんな帰ってしまったのである。イスから立ち上がれない私はただひたすらボォッ~と窓の外を眺めていた。太陽が段々と沈んでゆく。今日も一日が終わってしまったのだ。私、なんでこの学校にいるんだろう? そっか、高校受験も失敗したんだった。レベルの低いこの学校に入れたことはいいが、ここから外部大学受験する人は少ないのが特徴。みんなエスカレーター式で共学の大学へそのままいくのだから。
カバンをやっと手に取り、用具をしまいだした。すると携帯電話がブーブーと鳴っていた。家からだった。でも、私は通話ボタンを押さずに留守電にした。出たくない。こんな気持ちで家族の人と話したくない。着信履歴を見ると、家から五回以上かかっていた。なんとなく西田さんに電話をかけてみた。三回呼び出し音がしてから、
「蛍夏ちゃん? どうしたの?」
と西田さんの声が聞こえた。
「西田さん、今から会えますか?」
何も考えもしないまま突如発した言葉がそれだった。
「塾もう終わったの?」
と驚きの声。
「あぁ、そういえば今日は塾の日でしたね」
私は他人事のように言う。
塾があることをすでに忘れていた。と思うかもしれないが、実際、わざと無断欠席をした。教室に私だけ残っていたときに、塾へ行く時間は迫っていた。教室にある壁時計をじ~っと見ながら時間が過ぎ去っていったのを私はかすかに覚えていた。遅刻してまで、塾へ行く気にはなれなかった。あんなヒドイ点数をみんなの目の前で公表されるのがイヤだったから。家から何度も電話がかかってきているのは、塾から家へ連絡があったからだと思う。無断で欠席しているから「どうしてですか?」みたいな……。家にも帰りたくない。私の居場所がない。
「蛍夏ちゃん、今どこにいるの?」
「学校の教室です」
「校門前まで出てこれる? というか学校の中に閉じ込められているわけじゃないんだよね?」
「ずっと自分の席に座っていたんです。気がついたらこんな時間になりました。今から学校を出ます」
「蛍夏ちゃん。中央駅のベンチに座って待っていて。俺、すぐにそっちに向かうから」
「わかりました。待ってますね」
真夏だから、まだ外はほんのりと明るい。太陽は沈んだものの、そんなに真っ暗じゃない。だから誰もいない学校の中も全然怖くなかった。先生たちはまだ職員室に残っているんだろう。校門を出て、中央駅へ歩いて行った。電車で行けばいいのに、私は歩きたい気分だった。だから三十分もかけてようやく中央駅へたどり着いた。
「蛍夏ちゃん!」
走って私を抱きしめる西田さん。
「心配したんだよ。ベンチにも座っていなかったから。学校から歩いてきたの?」
「……」
私は涙がこぼれだしていた。西田さんからハンカチを手渡され、涙を拭く私。でも、次から次へと流れていく涙。西田さんは、私の手を握り、歩き出した。
私たちは近くの公園のベンチに座った。
「何があったのかは知らないけど、塾さぼっちゃってよかったの?」
「もういいんです。私、バカだから塾に行ってもみんなのお荷物なんです。邪魔なんです。今日、期末テストの結果と模試の判定結果が分かりました。この結果を家族や塾長に見せたくないんです。誰かの結果とすり替えて欲しいくらいです」
「結果がどうであろうと見せなくちゃいけないものは見せちゃったほうが楽になるよ。後回しにすればするほど余計に精神的に自分の首をしめることになるんだよ」
「わかってます。今でも塾に行ってないことが罪悪感です。でも、行きたくないんです。今日だけは勘弁してください」
「蛍夏ちゃん、その結果、俺に見せてくれない?」
ビックリして、涙が止まってしまった。現役の大学生にこの結果を見られるとは思いもしなかったからだ。結果を見て西田さんは、
「まだ半年もあるんだよ! 希望を持とうよ。五十%以上は合格する確立なんだよ。ここで諦めちゃってどうするんだよ。これから夏休みなんだよ。その間に成長するよ。俺だって、模試の判定結果は蛍夏ちゃんのようにCだったよ。今の蛍夏ちゃんのようにどん底に落ちていたよ。それでも俺は必死で頑張った。希望を捨てないでね。だから蛍夏ちゃんだって頑張ることができるんだよ。俺も蛍夏ちゃんの勉強教えるから、一緒に頑張ろうよ」
「この夏休みで挽回できますか?」
「もちろんできるよ」
「なんか少しだけ勉強する気がしてきました。西田さんに相談してよかったです。ありがとうございました」
「それより、家のほうは大丈夫なの? 塾サボってること知っているんでしょ?」
「体調が悪くなったと嘘をついてなんとか乗り切ります」
「蛍夏ちゃんがそういうなら大丈夫か。そうだ、これ俺が使っていた参考書や模擬問題だから役に立つと思うよ」
「いろいろとありがとうございます! 助かります。それではそろそろ家に帰りますね」
「近くまで送っていこうか?」
「大丈夫です。おやすみなさい」
「また何かあったら連絡してよ。おやすみ」
私は浮かれ気分で家へ帰った。玄関を開けると、母親が仁王立ちしていた。
「蛍夏! 塾をサボってどこに行ってたの!」
「体調が悪かったから、学校でしばらく休んでたの」
「学校なんてだいぶ前に終わってるでしょ! こんな塾の終わる時間帯までどこにいたの? それに体調が悪いのならなんで電話ぐらいしてこないの!」
「学校の近くの図書館にいたの。体調が悪くて電話して迎えに来てくれたわけ? そんな余裕のある時間ないくせに。もう私、寝るから」
「待ちなさい、蛍夏! 話はまだ終わってないのよ。期末テストの結果と模試判定の結果はどうだったの?」
「数学以外なら平均点以上だったから。模試は合格率五十%以上だって」
「合格率、五十%しかないの? いったいどういう勉強の仕方をしているのよ!」
「うるさいなぁ。前に比べればいい結果じゃないの。この夏休みに挽回するから。それにバイトも一時的に休むから。これで満足なんでしょ?」
「……」
何も言い返せない母を見て、私は自分の部屋に戻った。
制服のまま、ベッドに横たわった。あ~、なんか疲れた。今日一日がめちゃくちゃ長かった。でも、西田さんに会えて嬉しかった。西田さんにもらった参考書など役に立つといいな。今度はいつ会えるのかな? 目をつぶりながら、西田さんに抱きつかれたときのことを思い出した。
夏休みに入り、私は自分なりに受験勉強を頑張っていた。塾には、きちんと今のところ行っている。西田さんにはあれからまだ会っていない。会いたいけど、西田さんも弁護士の勉強やバイトで忙しいだろうし。でも、たまには連絡入れたほうがいいのかな。あ~、ダメだ。西田さんのことが気になって勉強に集中できないや。ちょっと気分転換に、散歩でもしてこようっと。
陽射しがジリジリと暑い。セミが近くの公園でミーンミーンと鳴いている。気がつくと、私は駅前通まで来てしまっていた。
「蛍夏ちゃん?」
「西田さん! お久しぶりです。西田さんの参考書など役に立っていますよ」
「どこかに出かけるの?」
「いえ、気分転換に散歩しているんです。でも、気がついたらバイト先まで来ちゃいました。西田さんはバイト中ですか?」
「今日は午前中で終わったよ」
「午後から何か用事でもあるんですか?」
「まあ、ちょっとね……」
私は何を思ったのか、突如、口に出して言い出してしまった。
「西田さんが好きです」
「蛍夏ちゃん、急にどうしたの?」
「え? 私、今何か言いましたか?」
「いや、別に……。それじゃあ、急いでるからまたね」
西田さんはそのまま走って駅のほうまで行ってしまった。私、今、西田さんに対して何を言ってしまったんだろう? 分からない。何か西田さんに不可解な思いをさせちゃったのかな? う~ん……。思い出せない。まあいいか。西田さんにも会えたことだし、帰ろうっと。今度はいつ西田さんとばったり会えるのかなぁ。あれ? 私なんでこんなにも西田さんのことが気になるんだろう? 好きなのかな? なんか今頃になって心臓がバクバクしてきちゃった。それにやけに顔付近が熱くなってきたし。
あ~! 思い出した! 私、どさくさまぎれに西田さんに告白しちゃったんだ。ど、どうしよう? 西田さん変に思ったから帰っちゃったんだよね。あれ? でも待てよ。西田さんなんで私ばかりに……。西田さんも私のことが好きなのかなあ。そうじゃなきゃ、こんな私にいろいろとアドバイスしてくれないよね。じゃあ、今度会ったときに、もう一度告白してみようっと。
ルンルン気分で家に帰ってきた私は、勉強に手が追えなくなってしまった。西田さんのことが気になって気になってしょうがなくて、勉強に身が入らない。そうだ。西田さんは、マンツーマンで教えてくれるって前に言ったんだよね。じゃあ、お言葉に甘えて教えてもらおうかな。西田さんなら丁寧に教えてくれそうだし。なんせ現役の大学生なんだもの。
翌日も私はバイト先へ自然と足が動いてしまった。バイト先に行けば、西田さんに会える可能性が大きいんだもん。
「あら、桐生さん。受験勉強のほうははかどっている?」
店長が話しかけてきた。
「夏休み入りたての頃は、順調だったんですけど、最近なんか身に入らなくて……。店長、西田さん今日いますか?」
「西田君なら、今日から一週間ほどお休みよ。なんか地元の友達が遊びに来ているとかで観光案内するって言ってたわよ。なに、桐生さん、西田君のこと気になってるの?」
「西田さんってここが地元じゃないんですね。初めて知りました。西田さんに勉強教わろうと思ってきてみたんですけど……あ、携帯に電話してみます。店長ありがとうございました」
私は本屋を出て、早速、西田さんの携帯に電話をかけてみた。何度かコール音が鳴ったけど出る気配はなかった。地元の友達と久しぶりに会えて楽しいのかな。留守電に、今日の夕方六時に中央公園で待ってますというメッセージを残した。夕方までまだ時間はたっぷりある。なので図書館に行ってみた。夏休みの図書館は満員。宿題やら、勉強やらで学生がうじゃうじゃ。そういえば最近、小説読んでなかったなあ。受験勉強の息抜きとして小説でも読もう。三時間くらいで読めれる本を探し出して、空いてるイスに座った。でも、物語に集中できなかった。西田さんに会ったらまずこの間のことを謝ってそれから、もう一度告白するにはどうすればいいのか考えていた。結局、考えすぎて結論は出なかった。でも、きちんと告白することだけは言わなくちゃ。
早めに中央公園のベンチで待っていた私は、胸がドキドキしていた。六時過ぎになってから西田さんがやってきた。
「ごめん、待った? 電話に出れなくてごめん」
「いいえ、私こそ急に呼び出したりしてごめんなさい。お友達は家にいるんですか?」
「あ? 友達? あ、あぁ。家にいるよ。ちょっとの間だけ抜けてきたからさ。でも、なんで俺の家に友達がいるの知ってるの?」
「今日、バイト先に行ったら店長が話してくれて。あの、私、西田さんに受験勉強教えてもらいたくて……。忙しいことは重々分かってます。あとそれに、この間私が言ったこと、ごめんなさい。もう一度今、正直に言います。私、西田さんのことが好きです!」
「……」
しばらく沈黙が流れた。私も何か言えばいいのに、次の言葉がなかなか出てこなかった。「教えることはできるけど、ごめん」
「え? だ、だって西田さん私のこと好きなんじゃないんですか?」
「俺、彼女いるんだ。だからごめん。蛍夏ちゃんにそういう態度を見せたのかもしれないけど俺には彼女がいるんだ。今、こっちに来ているのも彼女なんだよ」
「彼女いたんですね……。でも、どうして私に優しくしてくれたんですか? それに私のこと蛍夏ちゃんって呼んでくれているし、てっきり西田さんも私のこと好きなんだって思っていました。私の勘違いってことなんですね。ごめんなさい、彼女いること知らなくて……。彼女いるのなら、私に受験勉強教えてくれるのはムリなんじゃないんですか?」
「彼女は、地元にいるんだよ。俺がこっちの大学に入ったから、遠距離恋愛なんだよ。今日は久しぶりに会えたんだよ」
「そうなんですね。遠距離恋愛って大変じゃないんですか?」
「大変だよ。お互いに今の環境がどうなっているのか把握していないし。ごめん、そろそろ帰るよ」
「西田さん、ひとつ聞きたいことがあります。西田さんは彼女がいるから、私の気持ちには答えられないということですか?」
「彼女のことを愛しているからね」
「わかりました。お時間取らせてしまってすいません」
私は、西田さんに彼女がいることに驚いてしまって自分の頭の中には、想定外のことが起きてしまった。私はこれからどうすればいいんだろう? 受験勉強、教えてもらうことなんてできるはずないじゃない。しばらくすると涙が頬を伝わってきた。
なんで? どうして? 西田さん、どうして私に気を持たせるようなことしたの? 私一人だけ空回りしてバカみたいじゃない。気があったから、携帯に登録したんじゃないの? だったら最初から彼女がいるからって言えばいいじゃない。どうして今更になって言うの? 私何か悪いことでもした? もう、分からない。西田さんのこと信じていたのに……。
その頃、西田さんの家では、彼女である野崎寛那さんが今日の昼から地元からこっちへ遊びに来ていた。
自分のマンションに帰ってきた西田さんは、帰るなり寛那さんから攻められていた。
「遅いじゃないの。夕飯冷めちゃっているわよ。ねえ、どこに行ってたの?」
「ちょっと、バイト先に忘れ物しちゃってさ。ごめん、寛那」
「バイト先に女でもいるんじゃないでしょうね?」
「いるわけないじゃんかよ。俺は寛那一筋だから。そういう寛那だっていきなりこっちへ連絡もなしに来るなんてどうしたんだよ?」
「別に。ただ半年以上会ってないなあって思ってさ。メールしても返事くれないし。電話にだっていつも留守電だし心配してたのよ。おばさんがお盆には帰省するのか? って聞いてきてって言われちゃったし」
「弁護士の勉強で忙しいんだよ。おふくろもいちいちうるさいな」
「ねえ、弁護士って地元に戻ってきてから働くんでしょ?」
「俺はここで働きたいと思ってるんだけど」
「じゃあ、実家に帰らないってこと? おばさんたちはどうするのよ! それに、私はどうすればいいのよ!」
「おふくろたちなんか俺がいなくたって別にかまわんし。時々なら帰るけど」
「玲駒、家を出た頃は寂しいって言ってたじゃないの」
「今でも寂しいよ。寛那とは全然会えないしな。寛那の親父さん怖いし。寛那、どうやって家を出てきたんだ?」
「夏休みだし。観光がてらに来てみただけ。明日の朝一には帰るから気にしないで」
「え? もう帰るのか? 俺、てっきり一週間くらいいると思ってバイト休みにしたんだぞ」
「じゃあ、その一週間で実家に帰ったら?」
「なんか寛那、冷たいな。それが恋人に対しての言葉なのか?」
「そうさせたのは誰なのよ?」
夕飯を食べながら二人は口げんかをしていた。
寛那さんは、一晩だけ西田さんのマンションで泊まり、朝一の電車に乗って実家へ帰って行った。西田さんは結局、実家には帰省しなかった。半年以上も会っていなかった恋人、寛那さんの行動が奇妙に思えた西田さんだったがそう対して気にも留めなかった。次に会えるのはいつなのだろうか? 実家に帰省したいのはやまやま。だが、寛那さんは大企業の社長の娘であり必ずしも会えるとは限らない。高校からの付き合いだが、寛那さんの父親が交際にうるさくまともにデートもしたことがない。ボディガードが常にいるため、西田さんは会いたくても会えない寂しさがあった。こっちへ来てからというもの、弁護士の勉強の忙しさで彼女に会えない寂しさを埋めていたが、すでに限界だった。昨日、久しぶりに会えて一安心したのも束の間、彼女はすぐに帰っていってしまった。メールも電話も毎日じゃないが、大学の講義、弁護士の勉強、バイトということになれば、する暇もなくなってしまう。確かにこっちへ上京してからの一ヶ月間は寂しく、彼女へ毎日電話をしていたが、忙しくなるにつれ連絡も少なくなっていた。
そんな矢先に、私と出会うことに。寂しさがゆえに、西田さんは私を彼女と見せかけていたのである。だから、私の携帯に勝手に登録したり、受験勉強教えるとか言うのも、寂しいからだったのである。このことを知るのはもっと先の話であるけど。
私は、自分の部屋でカレンダーをぼんやりと眺めていた。もうじき、お盆がやってくる。お盆が過ぎてしまえば、夏休みも終わってしまう。この夏休みで挽回をしようとしたのに失恋だなんて……。勉強する気が一気に失せてしまった。一緒に頑張ろうと言い出したのは、西田さんなのに。その当の本人は、彼女と今頃、イチャイチャしているんだろうなぁって思っていた。携帯を片手に、私は西田さんの登録を削除した。もう、二度と会わないだろう。バイトも受験が終われば復帰するといっていたが、やりづらくて仕事にならないだろうし辞めよう。あぁ、好きな本屋なのに。受験が終わってから、新しいバイト先も決めなくちゃいけない。その前に、無事に大学に合格できるかが問題だけど。こんな状態で本当に受かるのだろうか?
失恋の打撃から、一週間後、私はバイト先へ完全に辞めることを伝えてきた。そして、なんとなくスッキリした面持ちで残り少ない夏休みを宿題と受験勉強に備えた。
家の中では、相変わらず母親と父親がうるさく私の受験が失敗するんじゃないかと言い合っていた。妹の秋穂も私に対しての意地悪は続いていた。私はまともに相手していると思う壺になるから、ほとんど無視をしていた。兄の惇志は最近になってようやく、週末は自分のマンションにいるようになった。
夏休みが終盤に入りかけてきた頃、何度も見慣れない着信があったが、ワンギリだと思って無視していた。
長かった夏休みが終わり、またいつもの日常の生活に戻った。学校へ行くと、律子が、
「蛍夏、夏休み楽しかった?」
日焼け顔でにっこりと言う。
「私は、受験勉強で忙しかったけどね」
と正直に言う。
夏休み直後に、また模試試験がある。私は精一杯頑張って空欄を埋めた。今までの努力が水の泡とならないように慎重に試験に望んだ。結果はどうであれ、この模試の判定でほぼ決まるのも当然なのである。失恋の上に、模試判定も前回より悪かったら最悪だ。帰り間際に、
「蛍夏、校門前で蛍夏のこと待ってる人がいるんだけど、彼氏?」
と走ってきて言ったのは律子だった。
「え? 私、彼氏なんていないよ」
「でも、蛍夏のこと待ってるみたいよ」
しょうがなく、私は校門前まで行ってみたが、途中で足を止めてしまった。だって、西田さんだったから。なんでここにいるの? 今更、何の用事があって私に会いに来ているわけ? あ! そっか。西田さんに借りていた参考書などを返してくれという文句かも。
「蛍夏ちゃん、何度も電話したんだけどいつも話中で……」
「参考書のことですよね? 今から返却するので駅で待っていてくれませんか?」
「違う違う。参考書は蛍夏ちゃんにあげたんだから、気にしないでよ。これからなんか用事ある?」
「今日は塾もない日ですけど、なにか?」
「蛍夏ちゃんに約束していたのに、まだ一度も勉強教えていないと思ってさ。これから俺のマンションで教えるけど時間大丈夫?」
「お断りします。私自分の力で合格したいので。それと、参考書お返ししますので」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何か俺のこと避けてる?」
「避けてるも何も、西田さん彼女いるんでしょ? 彼女いる人に、マンツーマンで教えるのは彼女に対して失礼だと思います」
「彼女とは別れたよ」
「え? それってもしかして私が原因なんですか?」
「違うよ。彼女、他に男ができたらしい」
そういうと、西田さんは私の手を引っ張りマンションまで来てしまった。
「西田さん!」
「蛍夏ちゃん、俺と付き合って欲しい」
突然、頭を下げて言われた私はビックリした。
「私のこと振っておいてそれはないですよね? 生殺しですか?」
「この間のことは本当に悪かったと思う。でも、あの時は寛那が突然来て……。でも、蛍夏ちゃんに告白されて自分の気持ち分かったんだよ。俺も蛍夏ちゃんのことが好きなんだって改めて思った。蛍夏ちゃん、俺と本気で付き合って欲しい。もちろん、受験勉強だって教えるよ」
「……」
「蛍夏ちゃん、もう俺のこと嫌いになった?」
「嫌いも何も呆れちゃって……」
「そうだよな」
しばらく私たちは沈黙になってしまった。ここはすでに西田さんのマンションであって、玄関で立ち話を繰り広げていた。
私、失恋したのに今更、本気で付き合って欲しいと言われても困るんだけど。彼女と別れたからといって私のことをすぐに好きになるわけ? あ~もうわかんない。でも、受験勉強のこと教えてくれるみたいだし。どうしようかな?
「私、西田さんが携帯登録してから気になっていたんですよ。だから知らずに西田さんのこと好きになっていてこの間、思い切って告白したんです。まさか西田さんに彼女がいるとは知らなくてすごくショックを受けました。しばらく私、何も手がつけれなかったんですよ。だから今更そういうこと言われても正直にいって困ります」
「じゃあ、もう一度友達から始めるっていうのはどう?」
「友達としてならいいですけど……」
最後のほうは言葉を濁してしまった。
そして、私は西田さんのマンションの玄関から出てまっすぐに家へ帰った。私は悪くない。西田さんが気づくのが遅いだけなんだ。だから友達からでもいいんだと割り切った。
翌日から、塾のない日は西田さんのマンションで受験勉強を教えてもらった。男の一人暮らししている人の部屋に入るのはかなり勇気がいったけど、これも大学受験のためだと思い必死で勉強に集中した。でも、集中すればするほど、西田さんのことがまた気になり始め思うように進まなかった。
模試の結果は前回よりよくなりBになった。これには家族も驚いて、
「蛍夏はやっぱりやればできるんだよな」
と父親から言われた。
私は、西田さんから勉強を教わっていることは家族には内緒にしていた。だってバレたら大変なことになると思うから。日が経つにつれ、私はどんどんと西田さんのことを意識し始めてしまった。
「西田さん、私限界です」
「え? これからが本番だというのに、なに言っちゃってるの」
「いえ、受験勉強じゃなくて……その、西田さんのことがまた好きになり始めちゃっていて勉強に集中できないんです」
「一度俺のこと好きになったんだからそりゃ、気になるよな。俺だって蛍夏ちゃんのこと好きだよ」
そういうと、西田さんは私の唇にキスをしてきた。初めてのキスだったけど私は別に拒まなかった。彼女とは別れているんだし、好き同士こういうことやるのは当然だと思っていた。その後、私たちは会うたびにキスを何度も重ねていた。
私は、西田さんのことを『りょうちゃん』と呼ぶようになった。同じく、西田さんも私のことを呼び捨てで呼ぶようになった。
「ねえ、りょうちゃん。今度のテストは大丈夫かな?」
「う~ん、蛍夏なら大丈夫でしょ。俺がみっちり教えているし。家でも勉強しているんだろ?」
「家では、塾の宿題に追われてるよ。学校ではあんまり塾の宿題できない状況だからさ」
「塾、まだ辞めれないの?」
「西田さんのおかげで、怒られることは少なくなりました。辞めたいです。でも、親がそう簡単に許すはずもないので。ここで逃げたらこの先の人生も逃げるだけになってしまうと思うので、なんとか受験が終わるまで乗り切ろうと思います」
「もう冬本番になるし、風邪引かないように注意しろよ」
「はい。りょうちゃんも風邪引かないように気をつけてくださいね。それじゃあ、おやすみなさい」
季節は巡って、もう冬になっていた。寒いから朝は特に布団から出たくない。夜は夜で、学校の宿題や塾の宿題に追われて、夜中までかかる。眠気には勝てず、何度も母親に起こされては寝ての繰り返しは相変わらず多い。それでも、だんだんと成績が良くなってきているのでそんなに文句は言われない。ただ一人を除いては。
妹の秋穂からは、私の成績が良くなってきているのが気に食わないらしい。
「まだ判定Bなんでしょ? 実際の試験ではどうなるか分かんないのに、お母さんたち浮かれちゃってバッカみたい。私、この人と一緒の学校に通うのイヤなんですけども!」
「私だって、好きで中央国立大学に入るわけじゃないんだからね」
「じゃあ、そのままバカな大学へあがればいいじゃん」
「そうすれば、秋穂はまた私のことをバカにするんでしょ?」
「当たり前じゃない。こんな頭がおかしい人と一緒に生活しているだけでも吐き気がするのに学校が同じなんて……」
「秋穂、秋穂は次は高校生なのよ。校舎は全然違うところにあるんだから少しくらい我慢したっていいじゃない!」
「あんたたち、いい加減にしなさい!」
と母親が怒鳴りつけるとケンカはおさまる。
どうしてこんなに憎たらしい妹がいるんだろう。早く受験が終わりたい。そうしたら私は家を出ることができる。でも、両親には家を出ることはまだ内緒にしている。一応、合格したらりょうちゃんのマンションで同棲しようと考えている。りょうちゃんもそのことに関しては賛成しているので嬉しいんだけども。ただ、もし万が一、不合格だった場合は、りょうちゃんとは同棲ができないという条件付きなのである。だから今、必死で勉強しているんだけども、りょうちゃんのマンションに行くとどうしても手を抜いてしまっている。もうじきクリスマスだ。今年のクリスマスは、りょうちゃんのマンションで二人きりで過ごすことになっている。親には、嘘ついて、律子の家で泊まることになっている。今からワクワクだ。クリスマスプレゼントはなにがいいのかなあ? 男の人にプレゼント買ったことなんて父親とお兄ちゃん以外はないから全然分からない。それに女子高だし。律子に言わせれば、
「私がプレゼントです」
と言えば男なんてイチコロだと言う。私がそんな恥ずかしい言葉言えるわけがなく、だから塾のある日に街中のショーウインドウでプレゼントを探し回っている。でも、なかなか決めれなくて優柔不断な性格が邪魔をしている。一番喜ぶものといえば、手料理なんだよね。私、普段から家の手伝いしていないから料理全くダメだし。だから家庭科も成績が悪い。こんなんじゃ嫁にいけないという状態。だから合格したら料理を徹底的に覚えるつもり。最初は、りょうちゃんのことなんて考えてもいなかったから完全なる一人暮らしを想像していたけど、りょうちゃんがいるとなるとどうしても手料理を食べさせてあげたいし。クリスマスケーキはスポンジ買ってきてホイップとイチゴだけにする予定。これなら私にでもできるから。
そして、クリスマスイブの日になった。私は迷いに迷った挙句、腕時計をりょうちゃんにプレゼントすることになった。
「それじゃ、お母さん。律子の家へ行ってくるね」
「失礼のないようにしなさいよ。それに受験勉強もきちんとするのよ」
「は~い」
元気な声で家を出てきた私。律子にもきちんと裏あわせをしていて安心。りょうちゃんのことを打ち明けたとき、律子はかなりビックリしていたけどね。
スーパーに寄って必要な材料を購入。りょうちゃんが迎えに来てくれた。
「ホワイトクリスマスになるといいね」
と私が言うと、
「そうだよなぁ~。今日の天気は晴れのち雪だからな。夜になれば雪が降るよ」
手をつなぎながら、りょうちゃんが彼氏でよかったなぁって思った。今日はりょうちゃんと初めて一緒に過ごす日。どんな一日になるのか今から楽しみ。ふと、りょうちゃんの顔のほうを見上げると曇りがちな顔だった。
「りょうちゃんどうかしたの?」
「ん? いや、別になんでもない」
とパッとつないでいた手を離して携帯電話を片手に取った。
「蛍夏、悪いけど先に帰っていて。俺、買い忘れたものあるから」
そういうと、りょうちゃんは私に鍵を渡してくれた。
私、まだりょうちゃんから合鍵もらってないんだよね。大学生になったらもらえるのかなあ。塾のない日はほぼりょうちゃんのマンションにいるんだけどなあ。
りょうちゃんのマンションに着くと、早速、ケーキをデコレーションしてみた。ろうそくも買ってあるし夜は雰囲気でちゃうね。オードブルもテーブルに並べてみた。小さいミニツリーも買ってきてあるので、それの飾り付けをしていた。でも、りょうちゃんはなかなか帰ってこなかった。買い忘れたものってなんだろう? 私へのクリスマスプレゼントなのかなあ? そういえば分かれたとき、携帯電話を持ってたよなぁ。誰かと待ち合わせでもしていたのかな。それなら事前に私に言うはずだし。
夕方の七時頃、やっとりょうちゃんが帰ってきた。玄関まで迎えに行くと、いきなりりょうちゃんが抱きついてきた。
「遅かったけど、どうかしたの?」
「……」
りょうちゃんは何も返事をせずに私の体をきつく抱きしめてきた。
「痛いよ、りょうちゃん」
そういうと、りょうちゃんは私の体をさっと持ち上げたからビックリした。
「りょうちゃん! 降ろしてよ」
私はベッドの上で降ろされて、りょうちゃんから何度もキスをされた。
「りょうちゃん!」
と大きな声で叫んだら、ベッドからりょうちゃんは離れた。私は起き上がると、
「りょうちゃん、何があったの?」
「ごめん、蛍夏。さてと、食べようか」
と笑顔になりリビングのほうに行った。
何事もなかったかのように、りょうちゃんはシャンパンをグラスに注ぎ、乾杯をした。私はちょっと気になったけども、せっかくのイブだし雰囲気が台無しになったらイヤだったからりょうちゃんと楽しくご馳走を食べた。クリスマスケーキは二人で食べるには多いので残した。生クリームもちょうどよかったしお腹いっぱいになった。
片づけを済ますとりょうちゃんは奥の部屋から、なにやら持ってきた。
「蛍夏、クリスマスプレゼントだよ」
「わぁ~。ありがとう。私もりょうちゃんにクリスマスプレゼントあるんだよ」
お互いに中身を開けてみた。りょうちゃんからのクリスマスプレゼントは、ネックレスだった。
「蛍夏、そのネックレス俺とペアだから」
「あ、ほんとだ。りょうちゃんが今つけてるのと同じだ」
「この腕時計高かったんじゃないのか?」
「バイトの貯金あったし、大丈夫だよ」
ふと、窓の外を見ると雪が降っていた。
「ほんとにホワイトクリスマスになったね」
「そうだな」
その後私たちは、りょうちゃんのベッドの中で何度もキスをしながら、抱き寄せ合いながら眠った。だけど、りょうちゃんの携帯電話が鳴り響いた。りょうちゃんはちっとも電話に出なかった。
「りょうちゃん、電話鳴ってるけどいいの?」
「いいよ。せっかくの二人きりなのに邪魔されたくないしね。留守電に設定してあるから大丈夫だよ」
私はちょっと不安になりながらも眠りに陥っていった。
翌朝、玄関のほうで物音がして私は起きた。りょうちゃんはまだ眠っていた。起こさないように部屋から出てみると、ビックリした。だって知らない女の人が上がりこんできていたから。
「あなた誰ですか?」
と恐る恐る聞いてみた。
「あなたこそいったい誰よ! 玲駒はどこにいるの?」
「りょうちゃんの知り合いですか?」
「知り合いも何も私は、れっきとした玲駒の彼女よ。あなたこそ玲駒のマンションで何してるの?」
「彼女? だってりょうちゃんは彼女とは別れたって……」
「別れるなんて一言も言ってないわよ。あなた玲駒のなんなの?」
「私? 私はりょうちゃんの彼女です」
私たち二人が言いあってるところへ、りょうちゃんが起きてきた。
「蛍夏、騒がしいけど誰か来たのか?」
あくびをしながら私たちのほうへ来た。
「玲駒! なんなのよこの女は!」
「か、寛那? お前なんだってここにいるんだよ!」
「質問に答えてよ。この女は誰なの?」
「俺の彼女……」
「私が見ていない隙に勝手に彼女を作ったのね。どういうわけよ!」
「りょうちゃん、りょうちゃん私に言ってくれたよね。彼女とは別れたって、これどういうこと? 私にも分かるように説明して」
私はりょうちゃんの体を揺さぶりながら必死で言った。でも、りょうちゃんはすぐには答えなかった。
「あなた名前は? 年齢は?」
と聞かれた。
「桐生蛍夏です。十八です。あなたは?」
「私は、野崎寛那。玲駒と同じ年齢よ。まさかあなた女子高生じゃないでしょうね?」
「高校生ですけど?」
「玲駒、高校生と付き合っているなんてどういうつもり! はっきりと答えなさいよ」
「寛那が悪いんだろ。俺のことほったらかしにしているから」
私たち三人は、リビングのソファに座って言い合うことになった。
「私のせいなの? 玲駒がこっちになかなか帰ってこないのが悪いんでしょ! 昨日だって電話しても弁護士の勉強が忙しいって言うから会えないって言うし。あれから何度も電話しても出てくれないし。だから心配してこうして玲駒に会いに来ているんじゃない。それをなに? クリスマスイブの日にこの女子高校生を連れ込んだってわけ? まさか肉体関係があるわけじゃないでしょうね?」
「……」
私とりょうちゃんは答えなかった。だって、昨日初めてりょうちゃんと結ばれたのだから。いきなり夢から現実へと落とされた。彼女ってなに? だって、りょうちゃんあの時、彼女とは別れたってハッキリと言ったじゃないの。それがいきなりなに? 突然マンションに現れて勝手に上がりこんできて……。鍵? 合鍵持っていたってこと? りょうちゃんがなかなか私に合鍵を渡してくれなかったのは彼女に渡しているからなの? りょうちゃんがなにを考えているのか分からない。私は泣くのを我慢して、
「りょうちゃん、どうしてあのとき彼女と別れたなんて嘘をついたの? 私に二度もこういう不幸な目に合わせたいの? 本気で私と付き合って欲しいって言ってくれたよね? あの言葉は嘘なの? 私、りょうちゃんの彼女じゃなくて愛人なの? 寛那さんとは遠距離でなかなか会えないから寂しくて私と付き合って欲しいなんて言ったの? ねえ、りょうちゃん分かるように説明してよ!」
「桐生さんだったわね? 悪いけど、今すぐに玲駒と別れてくれない? 私と玲駒は結婚する仲なのよ。あなたみたいな女子高校生がそう簡単に入ってこれる仲じゃないのよ。玲駒も分かっているでしょうね。寂しい思いをしているのは玲駒だけじゃないのよ。私も寂しい思いをしているのよ。なんでそれが分からないの? 私たちもう大人なのよ」
「すまない、寛那」
ソファから立ち上がり、突然土下座をしたりょうちゃん。私はその姿をみて何も言えなくなった。りょうちゃんは私とは遊びだったんだ。やっぱり寂しい思いをしているから私と付き合うことになったんだ。本気じゃないんだ。
「りょうちゃん、私のことどうでもいいんだね」
それだけ言うと、私はマンションから自分の荷物を持ち自分の家へ走って帰った。
ひどい、りょうちゃん。私には一言も謝らなかった。彼女の寛那さんだけにしか謝らなかった。しかも土下座。二人は結婚する仲なの? そんな話聞いてない。私、昨日、初めてりょうちゃんと結ばれたと思ったのにそれも見事に粉々に砕け散った。私の初体験。彼女もちの人としちゃったんだ。なにもクリスマスの日にこんな思いをするなんて最低。私、この先どうすればいいの? 私は激しく泣き出した。頭の中に浮かぶのはりょうちゃんの顔。りょうちゃんと楽しく過ごした日々。そんな思いが今日になって突然、壊れるなんて思ってもみなかった。
自分の家に着いた。家の中はシーンとして静まり返っていた。その静けさが何よりも怖くてさらに私は泣き出した。泣いても泣いても涙は溢れんばかりだった。その後、りょうちゃんからの電話を心待ちにしていたが、ずっとかかってこなかった。しばらくしてから私は体調を壊し嘔吐の繰り返しだった。
年末になり、部屋中大掃除をして気を紛らわせていた。あれ以来りょうちゃんからは一切電話はかかってきていない。私から連絡しても音沙汰なしだった。体調は良くなったり悪くなったりとよく分からない。携帯から思い切ってりょうちゃんの登録を削除した。そして、りょうちゃんからもらった参考書なども捨ててしまった。クリスマスプレゼントにもらったペアのネックレスも捨てた。スッキリとした気分で年を越したかったから。
そして年が明けお正月がきてしまった。毎年、神社で初詣をする。今年は絵馬も書いて合格祈願。
「蛍夏、とうとう正月も明けてしまったんだから、あとは残りわずか。必死で勉強するのよ」
と母親から言われた。
父親からは合格のお守りをもらった。
家の中はあっという間ににぎやかになった。お正月だから、お兄ちゃんと弥鈴さんも来ていた。私は元旦だけしか塾の休みがなくて、午後からは塾の宿題に追われていた。去年は嫌なことがあったけど、今年はどうなるのかな? りょうちゃんのことを考えると、体調が悪化して、吐いてばかりだった。りょうちゃんにもう一度会いたい。会ってもう一度抱きしめて欲しい。携帯から削除はしたけれど、りょうちゃんの携帯番号は頭の中にインプットされている。何度もりょうちゃんに電話しようとした。でも、途中でいつも押すのをやめる。りょうちゃんのマンションにも行ってみたけど、居留守なのかどうなのかわからないけど、出てこなかった。
その頃、リビングでは私の話がでていた。
「蛍夏って最近、よく吐いているけど大丈夫なのか?」
とお兄ちゃんから言い始めた。
「そういえばそうなのよね。夕飯食べてからよく吐いているみたいよ。受験のプレッシャーじゃないのかしら?」
「受験のプレッシャーね。まあ蛍夏らしいといえばそうだけど。受験当日になって体調壊して受けれなかったらそれこそ最悪だな。父さんのほうから何かいい処方箋出してくれよ」
「受験のプレッシャーは誰にでもある。薬で頼るよりも自分の体のことなんだ。蛍夏が一番分かっているはずだ。惇志、お前薬剤師なんだから、吐き気止めの薬を飲ませてやれ」
「お姉ちゃんはプレッシャーに弱いんじゃなくて、勉強不足なんじゃないの?」
あくまでも妹は私を悪く言う。
「まあ、一応吐き気止め出しておくよ」
お兄ちゃんから吐き気止めを出してもらったが、一向に私の体はよくならなかった。むしろひどくなったほうだ。学校に行っても、保健室で休むことが多くなった。受験シーズンなので学校に来ている人も少し少なくなっている。私の受験本番も、一ヶ月後に迫った。なんとか気を紛らわせようといろいろと試してみるが全然効果がない。けれども受験本番は迫ってくる。
そして、受験当日。天気は曇りがちで気温はそんなに寒くない。体調は、吐き気はしないものの胃の調子が悪かった。受験票を忘れずにカバンの中に入れ、必要な参考書なども入れて受験会場へ向かった。受験会場はもちろん中央国立大学。たくさんの受験生がぞろぞろと校門の中へ入っていく。私も他の人に負けまいと誓って校門をくぐった。
試験時間が始まり、一斉に問題用紙に集中する。解ける問題から順番に解いていった。そのほうがあとあと困らないし。分からないものはムリに考えたって時間のロスになる。解答用紙へ記入すると手が震えてしまう。今日のこの受験結果で私の未来が決まってしまうのかと思うとちょっとぞっとした。今まで中学・高校受験と失敗し続けた私。もうこれ以上失敗はしないと頭の中に焼付けて最後まで諦めずに必死で頑張った。
時間になりすべての教科の受験が終わった。これでしばらく勉強から解放される。体調もたぶんよくなると思う。受験のプレッシャーで体調が悪かったんだよねと自分に言い聞かせた。明日からのんびりとできる。大嫌いな塾にも行かなくてすむと思いたいが、合格発表になるまでは通い続けなくてはいけない。家に帰るまでの道のりは、軽やかになっていた。
「ただいま~」
玄関の扉を開けると、両親が出迎えてくれた。
「蛍夏、試験はどうだったんだ?」
「全力で埋めたよ。合格発表は二週間後だし、それまでのんびりしてもいいでしょ?」
「まあ、そうねぇ~。結果が分からない限り勉強してもね。ただ蛍夏、中央国立大学一本にしたんだから、もし落ちていたらエスカレーター式で大学か浪人のどちらかになるのよ。そのこともふまえなさいよ」
「分かってるよ。お母さんたちの期待に副えなかったときはごめんね。私、疲れたからちょっと人寝入りしてくるよ」
「夕飯になったら起こすからね」
階段をのぼって自分の部屋に入ったら秋穂がいた。
「秋穂。私の部屋で何してるの?」
「お姉ちゃん、携帯電話忘れて行ったでしょ? ずっと鳴ってたよ」
と携帯電話を渡された。そういえば朝、受験票のことばかり気にしていたから携帯電話のことをすっかりと忘れていた。
「ありがとう、秋穂。秋穂は無事に中央国立高校に入学?」
「そりゃ、もちろん。私首席で卒業するんだもん。お姉ちゃんこそ、私の心配より合格発表のこと気にしていたら?」
「そうだね」
と、ここで私は携帯電話の履歴に見覚えのある番号が十件以上も入っていたことに気がついた。最後に留守電が入れてあった。恐る恐る、留守電を聞くと、
『蛍夏、何度も電話したのになんで出てくれないんだ? 今日が受験当日だろ? 全力で頑張れよ』
と、りょうちゃんからのメッセージを聞き取った。そのとたんに私は突然吐き気を催しトイレへ駆け込んだ。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん、大丈夫?」
と私の背中をさすりながら秋穂が言う。
「なんだろう? 受験終わったのにね。なんか気持ち悪くて」
私は何度も吐き続けた。
「お兄ちゃんからもらった吐き気止めの薬飲んだら?」
「あの薬飲んでも余計にひどくなるのよ。秋穂、ありがとう。私、横になるから」
「お父さんの病院で検査してもらったら?」
「合格発表日になったら治ると思うし、検査なんてしなくても大丈夫だよ」
私はトイレから戻り自分のベッドで横になった。留守電なんか聞かなきゃよかった。りょうちゃん……。彼女がいるのになんで私に電話してくるの? 私またりょうちゃんに会いたくなっちゃうじゃない。
その後、合格発表日までの二週間は体調がよくなったり悪くなったりの繰り返しだった。学校に行っても、午後から早退したり休みがちになった。塾にも体調が悪いということで休んでいた。
運命の合格発表日がやってきた。私は受験票を握り締めて、中央国立大学の合格掲示板へと向かった。たくさんの受験生が喜んだり泣いたりしていた。私はどっちになるんだろう? 順番に番号を見ていく。
「五〇一……。うそ! 夢じゃないよね? 受かった。合格したよ」
と私は、嬉し泣きをしてしまった。
「蛍夏!」
と遠くのほうから私の名前を呼ぶ声がした。
「りょうちゃん! 私、私、合格したよ。りょうちゃんのおかげだね」
私はそのままりょうちゃんに抱きついた。
「会いたかったよ、りょうちゃん。りょうちゃんに会えてすごく嬉しい」
りょうちゃんも私の体を抱きしめた。
「蛍夏、合格おめでとう。それと今までごめん」
「ありがとう、りょうちゃん。私はりょうちゃんに会えただけでもすごく嬉しいよ。四月からは一緒にりょうちゃんと学校に通えるね」
「そうだな。俺も嬉しいよ。蛍夏……」
「ん? なに?」
「いや、なんでもない。早く家に電話しろよ」
私は嬉しさのあまり、家に電話することを忘れていた。携帯から家の電話にかけると、すぐに母親が出た。
「お母さん。私、中央国立大学に合格したよ!」
「ほんとに?」
「だって私、あまりにも嬉しくて涙がさっきまで出ていたんだよ」
「おめでとう、蛍夏。じゃあ、早く帰ってらっしゃい。今日の夕飯はお祝いだから」
私は合格書類をもらってきて、家に帰った。りょうちゃんとはあの後すぐに分かれた。
玄関の扉を開けると、家族全員がそろって私を出迎えてくれた。
「おめでとう、蛍夏!」
「おめでとう、お姉ちゃん!」
「おめでとう、蛍夏ちゃん」
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、弥鈴さん、秋穂ありがとう! 私、これで恥をかかなくてすむんだね」
テーブルの上には、ご馳走がたくさんのっていた。
「秋穂、今までごめんね。お姉ちゃんやっと国立大学に入学できるよ」
「ほんとやっとだよね~。でも、大学で留年しないでよね! 私、お姉ちゃんが無事に大学卒業するまでみんなにはお姉ちゃんのこと内緒にしておくからね」
「蛍夏、体調が悪かったのによく頑張ったな」
「これで体調も元通りになると思うよ、お父さん」
「蛍夏ちゃんは、将来何を目指しているの?」
「私、文系だから特に目指しているものはないけど、普通のOLになりたいです」
「蛍夏ちゃん、なにも文系だからってこだわらなくてもいいのよ。蛍夏ちゃんがなりたいものになればいいのよ」
「弥鈴さん、ありがとうございます。でも、私にはいたって普通の会社で働くのがいいんです」
久しぶりに家族で美味しくご飯を食べた。私も自然と笑顔になり、四月からりょうちゃんと一緒に学校へ通えることで嬉しくてたまらなかった。
塾にも堂々と合格したことを報告し辞めることになった。これで私は自由になれる。あのイヤな塾長からも解放される。一人暮らしをしたいが、途中でバイトを辞めちゃったからその資金もない。なので当分は家から通うことに決めた。新しいバイト先も見つけてきた。今度は、雑貨屋さんで働くことにした。
高校の卒業式がやってきた。律子はそのままエスカレーター式で上の大学へ。春美もなんだかんだで上の大学へ進学することになった。うちの高校で国立大学に合格したのは私一人だけだった。まあ、あの高校レベルで国公立大学受験したのは私だけだったんだけどね。かつてないことで私は、卒業式の答辞を初めて読んだ。
私の体調は、元通りに戻り、毎日が嬉しくてしょうがなかった。そんな頃に、突然、りょうちゃんの彼女である寛那さんに呼び出された。寛那さんはわざわざ地元から来たらしい。
「あの~、用件ってなんですか?」
「玲駒から聞いたわ。あなたが玲駒と同じ大学へ行くって。私のいないところで、密会しないでくれる?」
「密会だなんて……。合格発表日に偶然、りょうちゃんに会っただけですよ」
「気安く、りょうちゃんって呼ばないでくれる? あなた彼女じゃないんだから。偶然じゃないでしょ? ずっと毎日会っているんでしょ? じゃなきゃ、玲駒が結婚しないなんて言わないし」
「合格発表日しか会ってません。りょうちゃん結婚するの?」
「玲駒から聞いてないのね。私と玲駒はね、正式に結婚することになったの。でも、最近になって玲駒は私と結婚したくないと言い出すのよ。私は問い詰めたわよ。まだ桐生さんと付き合っているのかって。玲駒はハッキリと私に言ってくれたわ。『俺は、寛那とは結婚できない。ふさわしくない』ってね。玲駒はあなたのこと忘れられないのよ。困ったものだわ。あなたは玲駒のことまだ好きなの?」
「りょうちゃんのこと好きです。りょうちゃんに二度も振られましたが、それでも私はりょうちゃんのことが好きです。でも、寛那さんが彼女である以上、私はりょうちゃんとは付き合いません。それだけは言えます」
「じゃあ、なによ。私と玲駒は別れろとでも言いたいの?」
「そんなこと言っていません。りょうちゃんに彼女がいるのなら、私は身を引きます。でも、私は心の中でりょうちゃんのことを好きでいます。好きでいさせてください」
「あなたがそういう考えだから玲駒は私と結婚したくないとか言い出すのよ。この際だからスッパリと諦めてちょうだい! 心の中で好きでいさせてくださいって、あなた何言っているのか分かっているの? 本命の彼女である私に向かって言うなんて。じゃあ、諦められないって言うのね。それならいくら欲しいの? 百万?」
「お金で解決させようとするんですか? 醜くないですか?」
「あなた一人暮らししたいんでしょ? だったらのどから手が出るほどお金が欲しいはずよね」
「お金なんて要りません。私は自分の力で一人暮らしするんです!」
「あなたさえいなければ今頃、私と玲駒は幸せになれたのに。あんたなんか死んでしまえ! 地獄へ堕ちろ! 玲駒の目の前に二度と現れないで。消え去って」
そういうと、カバンの中から二百万の現金を私の顔に投げつけてきた。寛那さんはそのままどこかへ行ってしまった。
地面に落ちている二百万の束を拾い上げた。こんな大金要らないのに。なんでお金持ちは物事をお金で解決させようとするんだろう。
りょうちゃんが寛那さんと結婚する。でも、りょうちゃんは渋っている。それはなんで? 私のせいなの? りょうちゃんのことを好きでいさせてもくれないの? 私はまた吐き気を催してきた。りょうちゃんのことこんなにも好きなのに。私、死んじゃえばいいの? そうしたらりょうちゃんは寛那さんと結婚してくれる? ねえ、りょうちゃんどこにいるの? 私はりょうちゃんの携帯に電話をかけた。
「りょうちゃん、今どこにいるの?」
「マンションだけど? どうかしたのか?」
「寛那さんと一緒にいるの?」
「寛那? 寛那なら地元にいるはずだけど? 蛍夏、寛那に会ったのか?」
「うん……」
私たちは、中央駅で落ち合った。
「蛍夏、寛那に何を言われたんだ?」
「りょうちゃん、寛那さんと結婚しないの?」
「令嬢とは結婚できないよ。不釣合いだ。それにこの結婚は政略結婚だ。だからイヤなんだよ。蛍夏、このまま二人でどこかへ行こう。そうだ、誰も知らないところへ行こう」
「りょうちゃん、お金ならここに二百万あるよ」
「どうしたんだ、そんな大金? まさか寛那か?」
「手切れ金だって。笑っちゃうよね。お金もらっておきながら、またこうしてりょうちゃんと会ってるなんて」
「お金は寛那に返そう。さあ、行こう蛍夏」
「どこに行くの?」
「分からない。とにかく逃げ切れるところまで。お金はどうするの?」
「そんな心配はするな。寛那からのお金は今から振り込んでおくから」
私たちは、銀行で寛那さんの口座へ振込みをし、駅のホームで電車を待っていた。どこへ行くのかまだ分からない。行き着けるところまで。
「私、バカかな? せっかく中央国立大学に合格したのに」
「いいさ。俺だって同じだぜ」
「蛍夏!」
と父親の声が聞こえた。
「何してるんだ、蛍夏? 隣は?」
私は父の答えに答えようとせず、何を思ったのか駅のホーム下へ飛び降りた。りょうちゃんが慌てて、私を駅のホームへ戻そうとする。電車がホームの中へ入ろうとしてきたのでりょうちゃんは逃げようとした。だけど、私がりょうちゃんの腕を引っ張った。
「りょうちゃん!」
「なにしてるんだ、蛍夏!」
「りょうちゃん、今から一緒に死のうよ。二人で天国で幸せになろうよ」
涙を流しながら私は叫んだ。
「俺のこと好きなんだろう?」
「りょうちゃんは、私のこと愛してる?」
電車が汽笛を鳴らす。もう間に合わない! と思った瞬間、父親がホームから降りて私たちを吹っ飛ばせた。
その後の記憶は曖昧だった。気がついたら、父親の病院のベッドで横になっていた。どうやら私は生きているようだ。私は擦り傷程度の怪我だった。父親は無傷だった。りょうちゃんは、軽い打撲をしているようだった。
「蛍夏! なんてバカなことをしでかしているんだ」
と怒鳴り声の父親だ。
「ごめんなさい。私、そういうつもりじゃなかったのに……」
「蛍夏、あの男は誰なんだ?」
「好きな人。でも、違う人と結婚するの」
「やけになって一緒に自殺しようとしたのか?」
「駆け落ちするつもりだったの。私が、中央国立大学に無事に合格できたのも、りょうちゃんのおかげなの」
「やっていいことと悪いことがある」
「分かってるよ。もう二度とあんな真似はしないから心配しないで、お父さん」
「ったく。バカな蛍夏だ。明後日は大学の入学式だろう」
嘔吐の繰り返しで私はまともに食事が取れていなかったので、栄養剤の点滴をしてからそのまま家へ帰った。久しぶりに体重計にのってみたら、元の体重よりも一〇キログラムも減っていたことにビックリした。明後日はもう、大学の入学式だ。りょうちゃん、なんで私と一緒に死のうとしなかったの? 死んだら寛那さんに怒られるからなの? 分かった。りょうちゃんの気持ちはやっぱり寛那さんだけなんだね。私のことはもうどうでもいいんだね。私がいなくなればいいのよ。私さえ、死んじゃえばみんな幸せになれるのよ。両親から文句言われるのももうイヤだし、秋穂からも悪口言われるのも。周囲にクドクドと言われるのも。もう、限界。こんな苦しい思いをしたくない。だから私は、大学には行かない。せっかく大学に合格したのに、ホントバカだよね。今までの努力が水の泡となって消えていくんだね。りょうちゃんに会うたびに、体調が悪くなるのもなんかイヤだし。嘔吐の繰り返しも原因が分からないまま。合格してからも私は何度か嘔吐をした。りょうちゃんと一緒に死にたかった。でも私一人だけが犠牲になればいい。そうすれば、りょうちゃんは無事に寛那さんと結婚ができる。私がこの世に生きている限り、りょうちゃんはずっと悩むだろう。だから、りょうちゃん、私が死んでも悲しまないでね。りょうちゃんと出会えたことに感謝をします。
私は入学式の朝、病院から盗み出した、睡眠薬を大量に飲んで自殺をした。苦労の思いで入学できる大学なのに、なかなか下へ降りてこない私を母は不審に思い、私の部屋に入ってビックリしたのであった。手には睡眠薬の瓶を……。救急車で父親の病院へ運ばれたが、すでに私の息は止まっており、父親が必死で私の蘇生をするが二度と私は目を覚まさなかった。私の机には、遺書として、
このような結果になったことを許してください
愛するみんなへ
永遠に変わることのない
私の愛を
りょうちゃんに全部
捧げます
ありがとう
そして
さようなら
さようなら 友達
さようなら りょうちゃん
さようなら 支えてくれた人
さようなら お父さん
さようなら お母さん
さようなら お兄ちゃん
さようなら 秋穂
さようなら 弥鈴さん
すべてのものに
さようなら さようなら
また会う日まで
涙が枯れるまで
永遠のお別れ
私は
空へ旅立ちます