2.金曜日、拾われました。【クロ】
2.拾われました。
それは月の出ていない新月の夜。
いつものように仕事をする――はずだった。
……しくじった。
今日のターゲットは贈賄で懐を温める会社の社長。
新月の夜に自殺に見せかけて殺しをするはずだった。
闇夜はこちらの姿を隠す。
いつものような手順で社長を殺したまではよかった。だが、その際に警備に姿を見られたのはまずかった。
撃ち込まれる弾丸。
それを避けるまではよかった。だが、奴が雇っていたのはただの護衛ではなかったようだ。
日本刀を振りかざす護衛。
驚きに体が躊躇してしまった。腹に来る衝撃。
なんとか護衛を殺し、海に捨てるまではできた。
だが、自分の傷も浅くはない。
自分が死んでしまった時のためにディバイスを壊して海に投げ捨てる。
意識が朦朧とする。海沿いにある住宅街まで来ることができたが、体の力が抜ける。
まずい……こんな目立つ場所で倒れては警察を呼ばれる。
だが、ずるずると体が倒れこんでしまう。
ああ、俺も、ここまでか。
自嘲する。人を呪わば穴二つ。惨めに死んでいくなどと、俺にお似合いの最後だ。
薄れゆく意識の中、誰かが近づくのがわかった。
「あ…あの……」
どうやら、少女の声のようだ。
「あの…りますか……救急車……呼ん……ですか……?」
救急車、それは、困る。
「………」
うっすらと瞼をこじ開け、ぎこちなく首を振る。
「こ……私……家……てますか…」
どうやら、この少女の家のようだ。
少女は俺の体の肩の下に腕を入れると、持ち上げようとする。
俺は、少女の家の前に倒れてしまったのか。
最後の力を振り絞って立とうとする。
あまりの身長さに少女がよろける。
ずるずると引きずられるように中に入ると、どさりとベッドに下ろされた。
電球に光がともる。
「これ……怪我!?」
少女はあわてて外に駆け出そうとする。その袖を掴む。
まて、誰にも、誰にも言うな……。
少女は困りきったような顔をして、俺の服を脱がすとタオルで俺の腹部をぬぐってくれた。
傷は浅くない。すぐに血で真っ赤に染まる。
彼女は何度もぬぐうと、最後に包帯を巻いてくれた。
「もっと…応急処……覚えて……だった…」
彼女が服を脱がせてくれたおかげだろう。息がしやすい。
俺は、意識を失ってしまった。
それが、少女――彼女との出会いだった。
どれくらい意識を失っていただろう。
目を開ける。
どうやら、死神は俺を連れていきそびれたようだ。
「あ、起きました?」
少女が俺を覗き込んでいる。
一晩中、俺の看病をしてくれていたようだ。
あわてて起きようとする。
だが、腹部の痛みに再びベッドに沈み込んでしまった。
「あ!傷がひどいんです。いきなり起きるのは難しいかも」
俺は顔だけ浮かすと、自分の腹部をみる。
大分出血している。内臓も少し傷がついているかもしれない。
少女は困ったように聞いてくる。
「言葉は通じますか?日本語伝わりますか?」
どうやら、外国人の可能性があると思ったらしい。
俺はうなずきで返した。偽装だが、国籍は日本でとってある。
喉がからからだった。
喉を押さえ、唇を動かす。
みず…。
気づいてくれるだろうか。
「お水、ですか?今持ってきますね!」
ありがたいことに伝わったようだ。
少女は水の入ったコップを持ってくると、俺の頭を少し持ち上げて、ゆっくりと水を含ませてくれた。
乾いた喉を潤す水が有り難い。
水を飲み干すと、ぺろりと唇を舌で湿らせる。
「おかわりはいりますか?」
その言葉に首を横に振る。
そうだ。この少女に名前を聞かなければ。
普段なら他人に興味がないはずなのだが、助けてくれた稀有な存在に興味がわいた。
な・ま・え
少女は自信満々に答えた。
「なまこは好きでも嫌いでもないです」
このタイミングでなまこのことを聞くやつがあるか!
な・ま・え!
次はようやく伝わったようだ。
「あ、私の名前ですか?」
そうだ。なまこではない。
「あ、私ハルミといいます。春の海で春海。あなたのお名前はなんていうんですか?」
少々困った質問をされた。
俺は名前がない。通り名や偽名はあるが、どれも本物ではない。
だが、答えないわけにはいかないか。
俺は物を書くしぐさをした。
「背中がかゆいんですか!?」
その掻くではない!!なわけあるか!
ぶんぶんと首を横に振る。
だから、手に持ってペンで文字を書くだろう。
「蠅たたきが必要ですか!?でも、なんでそんなもの……」
なわけあるか!!
俺は脱力した。なわけあるか。どうして蠅たたきが必要なんだ。
もう、ジェスチャーでなんとかするしかない。
このぐらいの四角い紙に。
「これっくらいの、お弁当箱に?」
「…………」
どこから突っ込んでいいのかわからない。
なんでいきなり童謡を歌い始めるんだこの女は。
「ペンと紙ですね!すぐに持ってきます!」
やっと、やっと伝わった。傷以上に疲れる……。
さらさらと『好きに呼ぶといい』と書きこむと彼女に見せる。
彼女は難しい顔をして判読しようとする。
……わるかったな。字は、あまり綺麗ではない方なんだ。
ディバイスを壊して捨ててしまったことが悔やまれる。
「わかりました。では、クロと呼びます!」
黒……悪くない。
俺に似合いすぎるほどだ。と自嘲する。
傷、本当にひどいです。病院に行ったほうが…」
『病院には行かない』
「え、でも……」
『熱した針と糸を持ってきてくれないか』
「え、わかり、ました」
少女はやけに素直に応じてくれる。
熱せられた針を持ってきてもらうと、少し起き上がり、自分の腹部を針で縫い始めた。
く…痛い。だが、縫わないと傷の塞がりが悪いだろう。
だが、銃痕が残っているよりはマシだと思おう。
あれだとまず弾が残っていたら取り出さなければならなかったはずだ。
「痛み止め、気休めかもしれませんが、いりますか?」
少女が気を使って痛み止めを持ってきてくれる。
そうだな。ないよりはあったほうがましか。
「お水とお薬です!」
俺は静かにゆっくりと飲み下した。
再び縫い合わせる作業を再開した。
30分ほどだろうか。やっと縫い合わせることができた。
どさりとベッドに沈み込む。
『少し休憩したら出ていく。すまない』
「え!?そんな、その傷では無茶です!!」
『君は小学生だとはいえ、女だ。不用意に不審な人物を家に入れるのは好ましくない』
「………………あの、私。26歳、OLですけど」
俺は人生の中で一番驚愕した。
この少女…いや、女性が26歳、だと!?
身長は140㎝ほど、小さい体に小さい顔。小学生にしては薄く化粧をしているなと思っていたが、まさか成人しているなんて…。
それにしても、私服がTシャツに半ズボンなので小学生だと思っていた。
俺は困った末に、「小学生だとはいえ」の部分に二重線を引いた。
「怪我をした人を放ることはできません!せめて、傷口が塞がって動けるようになるまではここにいてください」
ここまで世話になってしまったのだ。これ以上は世話になれない。
この借りは必ず返す。
再び同じ文章に指をさす。
「クロは不審人物ばりばりですけど!でも放ってはおけません!」
彼女は、そう強く言ってきかなかった。
俺は諦めたように溜息を吐く。
『世話になる』
そう書き残すと、彼女はにこりと笑った。
その笑顔を見るのが先か、どうかわからないが、ふわりと意識が遠のいていく。
こうして、ハルとの奇妙な共同生活がはじまったのだった。