(10)「新敢戦――釜山行」
軍事境界線西部を防衛する最精鋭、大韓民国陸軍第3野戦軍が未確認巨大生物と交戦を開始したのは、9月13日午前10時のことであった。
有事の際に南侵を試みる朝鮮人民軍陸軍を迎え撃つために、編成された韓国陸軍第3野戦軍の規模と実力は、東アジア最強と言える。首都防衛軍団、第1軍団、第7機動軍団をはじめとする5個軍団(常備14個師団)を指揮下におき、総動員令が発令されれば、その手持ち兵力は23個師団にもなる。
しかしながらその戦力は、朝鮮人民軍を迎え撃つのには十分でも、未確認巨大生物を阻止するのには不十分であった。155mm榴弾砲と227mmMLRS黒龍による突撃破砕砲撃は巨大生物の進撃を鈍らせはしたが、撃破には届かない。
第3野戦軍司令部の参謀たちの中には、「通常兵器による攻撃は無駄」と広言して憚らない者も現れた。朝鮮人民軍関係者の言が真実だとすれば、巨大生物は核攻撃にさえ耐えたのである。通常兵器で撃破がかなうわけがない。
だが彼ら第3野戦軍は、諦めるわけにはいかなかった。
「第5軍団は東豆川市の防衛に失敗ッ、まもなく揚州市に入ります!」
「目標はKORAIL京元線に沿う形で南侵中。揚州市が陥落すれば、次は議政府市――議政府市が突破されればもうソウルです。目標の進撃速度が緩まなければ、2時間後にはソウルが蹂躙されます!」
「第1軍団、第5軍団司令部にはいかなる犠牲を払ってでも、目標を揚州市内に留めるよう厳命せよ。ソウル市民の避難状況はどうなっている?」
軍事境界線から40㎞程度しか離れていない1000万人都市ソウルでは、市民の避難はまったくもって進んでいなかった。北朝鮮領内での連続核爆発から有事発生の危険性を感じ取った一部の賢い市民は、巨大生物が軍事境界線に現れる前から自主的に避難をしていた。だがしかし一方で、大部分の市民たちは衣食住と仕事を容易に捨てられず、この破滅の瞬間を迎えた。
「市民の避難はまったく進んでいません。幹線道路・一般道を問わず、数百㎞の渋滞が発生、路線バスによる輸送は期待できません」
「頼みの綱のKORAILは、京釜線を使ってソウル市民を天安市(韓国中西部の都市)へと避難させています。ただ世宗特別自治市を初めとする大小都市が攻撃を受けたため、運行状況はかなり不安定です。人身事故も頻発しており、それを無視しながら走行している形です」
「金浦国際空港と仁川国際空港は現在、封鎖中です。搭乗できる見込みがないと分かり、暴徒と化した避難民が滑走路内に殺到したらしく……」
他の大小都市で発生した惨劇をSNSで認知した約900万の市民は狂乱したが、未だソウル市内から脱出出来ていなかった。ソウル近隣の市・郡も合算すれば、避難を要する市民総数は2000万――大韓民国国民の約半数にも及ぶ。軍事境界線至近の距離にある大都市への一極集中、それを是正しなかったツケは大きすぎた。
「現在、航空作戦司令部と大韓民国空軍は協同して、救援航空オペレーションを開始しています」
「陸空軍機など何のアテにもならんぞ」
緊急避難というよりも民族大移動に近しい、2000万名の移動。
だがしかしそれに対して、韓国が持つ輸送能力は貧弱に過ぎた。恐慌状態に陥った避難民と、韓国全土が核攻撃を受けるという非常事態下――民間の交通機関は破綻寸前にまで追い詰められた。
大韓民国陸海空軍の輸送能力は、お寒い限りである。朝鮮人民軍を仮想敵として、正面装備の拡充に力を入れざるを得なかった彼らは、輸送に関する装備が極めて僅少である。避難民の輸送に使えそうな空中機材と言えば、CH-47輸送ヘリが陸空合わせて23機あるだけだ。
「ソウル市民1000万、首都圏住民約2000万が避難する時間を、稼ぎ出すしかない……」
避難が遅々として進まない以上、韓国陸軍第3野戦軍はいかなる犠牲を払ってでも、未確認巨大生物を足止めし、市民のために猶予の時間を稼ぎ出すほかなかった。
そして第3野戦軍司令部と同様の結論に、米韓連合司令部も至ったのであろう。
“いかなる犠牲を払ってでも”、未確認巨大生物の進撃を止める――悲壮な覚悟を固めた彼らは、最終オプションを選択した。
大陸間弾道弾ミニットマンによる核攻撃。
広島型原爆の20倍の威力を持つ300キロトン級熱核弾頭が、揚州市街地一帯を焼き払った。




