第六話:霊能は右目に宿る
ぶよぶよした悪霊が膨れている。
そう見えるだけで、彷徨っていた野良の怨念を取り込んでいるのだ。
映画館といえばデートスポット。嫉妬のあまり引き寄せられた間抜けがいたらしい。
(まずい……まずいぞ!)
怨念は怨念を呼び、上映室は瞬く間に負の気配で満たされていく。非常にマズイ展開だ。このままでは、怨念に当てられて凶行に出る人間や、養成された厄による不幸な事故が起こりかねない。
人の密集する暗がりだ。起こる事件がなんであれ、簡単に上映中止してしまう。
隣を見た。
怨霊に囚われたご令嬢は変わらず全神経をスクリーンに注いでいる。
上映中止。それは、それだけは避けねばならなかった。
「ちィッ!」
俺は蝋燭を口にくわえ、ありったけの護符とタリスマンと式札を取り出す。
「あとでブルーレイ買おう!」
音もなく座席を立つと、人目をかいくぐって天井に跳ぶ。
その後の戦いは語るだけ野暮というものだろう。なぜなら、ただただ数が多いだけの地味な調伏作業だから……。
「よかったぞ!」
退場の列で、鼻息も荒くご令嬢が端的に感想を述べた。
「それは……幸甚の至りです」
青息吐息で相槌を打つ。
本当、楽しんでもらえたなら苦労した甲斐があるってものだ。
「次はどこに行く? いや先に昼食か」
「あ、少し待ってください」
俺は行列を作る売店を指差す。
「ブルーレイ予約してきます」
さて。
昼食の場所は予約を取ってある。別に三ツ星レストランだとか高級フレンチだとか、そういう立派な店ではないのだが、美味しいと評判だと口コミサイトに書いてあった。
「というわけで、その洋食屋に行きましょ、ウッ!」
「どうした? おい大丈夫か」
思わず右目を押さえてしゃがみ込んでしまった。
目がズキズキと痛む。手を離しても、右目は手のひらがぼんやりとしか見えない。眩んでいた。頭が刺すように痛い。
「すみません、大丈夫です。お気になさらないでください」
「そうはいかない。右目ってことはなにか、よくないことでも見えるのか?」
ご令嬢は不安げに辺りを見渡す。
デパートの入り口は昼の明るい日差しに輝いている。
「これは霊能じゃありません」
「じゃあなんだ?」
「俺、オッドアイで右目だけ色素がなくて……要するに、光にめちゃ弱いんです」
サングラスをかける。カラコンの上からサングラスをかけると暗すぎて見えにくい。
暗く感じるのに目が負けるというのは理不尽すぎて腹が立つが、体質に文句を言っても時間の無駄だ。
不幸中の幸いは、亡霊と明かりは関係ないことだろう。交通事故で死んだと思しき亡霊が道路の真ん中に佇んでいる。悪さをする霊じゃない。
「もう大丈夫です、失礼しまし……ウッ!?」
今度は光じゃない。
爛れ尽くした薄汚い悪霊が鼻先に迫ってきたからだ。黒い左目は、心配そうに俺を覗き込むご令嬢の面差しを捉えている。
「色が違うようには見えないな」
「え、ええ。カラコンを入れていますから」
あるとないでは全く違う。
特に俺は、左目にはなんの異常もないからなおさらだ。
「利き目は右だな。そういうのは、やっぱり生まれつきのものなのか」
「そ、そうですね。先天性が多いんじゃないでしょうか」
オッドアイ自体多くはない。他の患者に会ったことはなかった。
少なくとも俺は生まれつきだ。
「そうか……」
ご令嬢は小さく息をつくと、俺の手を引いた。
「え」
「明るくてつらいんだろう? 目を閉じていて構わない。私が引いていこう」
「いっ、いえ! 大丈夫です」
「遠慮するな。私なら平気だ」
「いや、あのっ!」
ご令嬢は俺の手を引いて歩き始めてしまう。
自分の右手を見る。
三か月交換せず生ごみを溜め続けた三角コーナーみたいな黒カビの塊が俺の手を包んでいる。
ぞわぞわっと悪寒が走った。
さすがに、華の十六歳女子に「生理的に無理なんで手を離してください」とは言えない。
空から降ってきた植木鉢を受け止めて塀に置く。
俺、祟られて死ぬんじゃなかろうか。