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第十五話:忍び

「なんてことを!」


 痛みも忘れて跳ね起きる。

 怨霊に打ち掛かるも、ご令嬢を包んだ悪霊にあえなく突き飛ばされた。庭園を横断して塀に叩きつけられる。

 咳き込んだ。足の痙攣で怪我を思い出す。痛みがぶり返してきた。


「お、おい馬鹿。よせといっただろう。もう充分だ」


 慌てたようにご令嬢が叫んで、かぶりを振る。

 言い返す声が怒りをはらんで荒くなった。


「でもそれじゃあ! 学校は、夏祭りは。ご友人との約束はどうなるんですか!」

「だから、言っているだろう」


 困ったものだというふうに。

 左目に映るご令嬢は、小さく苦笑している。


「もう、充分だよ」


 まるで背骨が抜かれたように。

 全身から力が抜けた。

 よくやったほうだ。

 できるだけのことはした。

 充分に頑張ったじゃないか。

 相手が悪かった。

 そんな心地いい声が胸の奥で響いている。


「そうじゃない……っ」


 歯を食いしばる。重くなった手足を踏ん張り、もがく。足が震えて体重を支えられない。背中を塀に押し付けて、立ち上がる。

 心だけは、折れるわけにいかない。


「全然、なにひとつ、充分なんかじゃないんですよ。"充分"なんてないんだ」


 忍者も陰陽師も、あらゆる手を尽くす。

 なぜなら、結果以外になにも価値を置かないからだ。

 どんなに頑張ろうとも。

 どれほど思いを懸けようとも、

 ご令嬢が明日も怨霊に苦しむのなら、そこには何の意味もない。


「どうして、そこまで」


 困惑したご令嬢のつぶやきに、笑いがこみあげてくる。

 どうしてだって? 決まっている。


「あなたが忍者だからだ」


 忍者は命を懸けて忠義を尽くす。

 つまり、他人のために己を捧げるものだ。

 ご令嬢はあまりに忍者でありすぎる。俺は及びもつかないほどだ。

 とても、尊敬している。

 憧れている。

 いつ祟りに殺されてもおかしくない身の上で、なおも忍者であり続ける姿を俺は忘れることはできないだろう。そんな彼女に任務を授かったのは光栄極まりない。

 だからこそだ。

 つくづく俺は半端ものだった。自分のわがままのために戦っている。

 忍者が諦める姿を見たくない。


「俺は忍者になりたかったんだ」


 もう無理かもしれないけれど。

 半端ものの真似事に過ぎなくても。

 どんなハンデを負っていても黒の里に居続ける程度には、俺も少しは忍者なのだから。


「まったく。依頼主がもういいと言っているんだぞ。つくづくきみは、未熟者だ」

「ご令嬢」

「あと一度だけだ。そこまでは付き合う」

「っ、ありがとうございます!」


 左目のご令嬢は少し恥ずかしそうに笑っている。

 腐敗物に包まれたままの彼女の体が振り返った。


「しかし、方陣を出てしまったぞ。もう一度やり直すか?」

「いえ。ご令嬢であれば大丈夫でしょう」


 どういう意味か目で問われた。

 突風に吹かれて飛んできた瓦を避けていたから、発声が邪魔されたのだ。


「この儀式の肝はふたつ。ご令嬢が『怨霊に害されることはない』と確信すること。そして怨霊が『この人には害を及ぼせない』と感じること。この合意で作られた無害な関係性を固着させます」


 荒れ狂う呪いから、取り憑いただけの背後霊に変える。それが目的だ。

 本来の調伏は術者が実際に叩きのめすことで、力づくに合意を形成する。当事者の手助けでしかない。


「方陣や経文は、自転車の補助輪みたいなものです。害を受けない感覚で慣らし、大丈夫という確信を育てる」


 そして確信が充分に育ったら、勇気をもって漕ぎ出すだけだ。自転車は走り出す。

 折れた木の枝や弾かれた石を踊るように避けながらご令嬢は頷いた。


「なるほど。それで『ノれる歌』や『約束の歌』なのか」

「そういうことです。熱唱して心が萎える人はあまりいません」


 だから俺の怪我はあまり関係がなく、そして"思い立ったが吉日"だ。決意が瘦せる前に終わらせる。


「うわっ」


 割れた漆喰が降ってきて、手に残った貴重な御札が潰された。描いた五芒星が破け、朱墨の呪文がにじむ。

 ご令嬢のように避けきれない。

 分かっていたことだ。


「俺は弱い……」


 正面からの対決になったら、勝てる道理はなかった。

 八方手を尽くして小細工を打ってみたが、小手先で済む領域を超えていた。

 それだけのことだ。

 俺は忍者でも陰陽師でもない。


「ご令嬢、歌ってください!」

「わかった。怨霊は任せる!」


 未だに流れっぱなしだったラジカセのアイドルソングに合わせて、ご令嬢がゆらゆらとステップを踏んでリズムを取る。


「きみといるとー、ぼくのしらないじーぶんに~なるの~」


 歌い出しに合わせて九字を切る。式札に念を込めた。


「牛鬼!」


 鍛え上げられた筋肉をうならせて、牛頭の怪人が怨霊をつかむ。

 めりめりと引き裂いてご令嬢から引き離していく。


「高鳴るむねーが~」


 怨霊もさるもの。腐汁を散らしながら無数の腕で牛鬼の腕をつかみ、爪を立てて抵抗する。肉片がこぼれてご令嬢にまとわりついていった。

 撒き菱を指弾で放ち、その肉片を撃ち落とした。

 陰気が吹きあがる。


「ぼくはわかーったんだ~」


 突然竜巻が起こり、枯山水の砂利が散弾のように打ち付けてくる。ご令嬢は台風の目のように、風に乗ったステップで砂利嵐から免れていた。

 切り絵の式神を飛ばして、大きくなる竜巻から僧侶を守る。指が打ち据えられて爪が割れた。歯を食いしばる。

 正念場だ。

 勝ったと思った怨霊が、再び追い詰められている。なりふり構わず怪異を振りまいている。

 これでもご令嬢が怯まなければ。怨霊の毒牙はご令嬢に届かないと悟ってしまえば。

 想いの怪物である怨霊は、その力を失う。


「ぼくはぼくでしかなくてー、この気持~ち~はぼくーで~」


 空が曇ってきた。重たい黒雲のなかで雷鳴がうごめいている。

 背筋が冷えた。ご令嬢は言っていた。

――寺に相談に行ったら、山ごと燃えてしまってな。


「くそっ!」


 忍者刀を手繰る。

 これ以上、悪霊の好きにはさせない――!

 ご令嬢が、手を差し伸べてささやく。


「ぼくはきみが……好き――」


 きゅん。

 と、悪霊が身もだえして落ちた。


「……え?」


 風の消えた砂利が一斉に地面に落ちる。

 暗雲は裂けて月明りが戻っていく。

 牛鬼がずりずりとご令嬢からカビた巨大綿埃を引き剥がした。

 びくんびくんと揺れて抵抗しない。何対もの腕が、うっとりと祈るように両手を重ねている。


「……えーと」


 とりあえず勾玉を出して、ぽいっと投げつける。

 怨霊の色合いが一回り薄くなった。

 どういう意味合いかはさておき、敵わないと悟ったのは確かなようだ。


「おい、フルコーラス終わったぞ。どうなったんだ?」


 ご令嬢の声に、戸惑いながらも見たままの事実を答える。


「怨霊が……キュン死しました」

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