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第十四話:尽きぬ憎悪の悪徳

 忍者刀を逆手に引き抜く。

 蜘蛛の足をアンカーのように打ちつけた牛鬼が、筋骨隆々の双腕で悪霊の塊をご令嬢から遠ざけていく。

 悪霊の群れは無数の手足が重なり、まるで脳みその「ひだ」のように絡み合ってうごめいていた。あちこちの口から声のない絶叫があふれている。

 悪霊との間合いを詰めながら撒き菱を指弾の要領で撃ち込んだ。人を傷つける以外の役に立たない凶器に宿った殺意が穿ち、悪霊を悶えさせる。

 だがさほど堪えた様子はない。歌って踊るご令嬢に幾対もの腕が伸ばされる。

 紙束を取り出す。人形の切り紙だ。


「やらせてたまるかッ!」


 広げて放つと、イナゴの群れのように飛翔する。

 書道家に呪文を書いてもらい、神主に神憑りしてもらってドーピングした謹製の式札だ。宿る霊威が並みとは違う。

 人形たちは悪霊に殺到し、ご令嬢を求める腕を阻んだ。


「観念しろ!」


 忍者刀を悪霊に突き立てた。ぶよぶよした腕だか足だかに取りついて、ぐっと刀をねじり込む。

 宙に浮いたように見えるのだろう。ご令嬢は目を見張った。


「わっ。だ、大丈夫なのか?」

「歌って! ぶ、ぐあ」


 振り回された悪霊の腕に殴られ、さらに無数の腕に突き飛ばされた。

 宙を舞った体が枯山水の砂利を蹴散らしてさらに弾み、屋敷の柱にかろうじて足をついて止まる。


「ワイヤーアクションかよ……」


 水平方向にありえない距離を飛んだ。

 分かってはいたが、力の働き方が力学的じゃない。尋常な力ではなかった。


「ぼ~くの知らない~じぶんになるの~」


 ご令嬢の歌に気が削がれるように、怨霊の動きが鈍る。

 それでもご令嬢を求めて無数の腕が狂奔していた。


「させるか! 急急如律令!」


 御札を投げる。

 磁石に弾かれるように、怨霊はご令嬢から離れて浮き上がった。


「牛鬼、庇え!」


 牛鬼がご令嬢を包むように立つ。

 呪法と神憑りで霊威を高めに高めた式神だ。宿った膂力は怨霊も近づかせない。

 もはや怨霊はご令嬢から離れた。

 たとえ一時のことであれ、ご令嬢から引き剥がされた怨霊は、ただでたらめに強力なだけの野良亡霊だ。

 このまま滅ぼすことができれば、すべて解決する――。


【――貴様】


 声さえ威力を持つような。

 強烈な威圧感に膝が笑った。走れない、立ち止まる。

 悪寒がひどい。背中も腰も気味の悪い震えが止まらない。

 懐に忍ばせる退魔の縁起物が乾いて硬質な異物感を放つ。

 利得をもがれた。


【貴様は何故邪魔をする? 我らが願い、我が望み、我が求める麗しき君を、何故貴様ごときに阻まれる道理がある?】


 空気が重い。月明かりすら澱む。

 夜が暗くなったような気がした。


「なんてやつだ……!」


 欲望の顕在化した醜さは、そのまま怨念の強さといえる。

 あの狂った執着心は紛れもなく怨霊のそれだ。


【――失せよ】


 悪霊から放たれた欠片が、横殴りの豪雨のように迫ってきた。

 鈍い足を引きずって走る。

 黒い霧になって足元で弾けると同時。蹴り足をなめるように瓦や礫が降り注ぐ。痛ッてぇ!


【口惜しや】


 陽炎のように揺れながら、水死体を()り集めたような怨霊が嘆いた。

 湿った音を立てて母屋が傾ぐ。マジかよ。木片が顔にかかる。倒れ掛かってきた屋根を避けて転がった。

 風圧を足に感じる。


【おお、口惜しや……!】

「――っっ」


 鮮烈な痛みに喉が引きつって、悲鳴すら出ない。

 ふくらはぎが燃えるように熱い。

 足に折れた柱の欠片が刺さっていた。


「くそ……九字を」


 井の字を切る途中で腕が痙攣して札を落とした。

 腕に力が入らない。

 ひどすぎる筋肉痛のように、鈍痛で指が震えていた。

 唖然とする。

 祟りがまっすぐこっちに向かうと、ここまでの威力になるのか。


「っあ」


 怨霊が眼前に立っていた。

 しゅっと喉が干上がる。無数の手が首に食い込み、吊り上げられた。

 どんな力が働いているのか、枯れ枝のような腕は俺を吊り上げて揺るがない。

 蹴ってももがいても、手ごたえがなにもない。地面が消えたかのようだった。

 ただ首だけが絞められている。


「……かっ……!」


 服の裾が破れていた。

 がらがらと陰陽師の道具がこぼれ落ちて、足に当たって激痛に焼ける。脚が痙攣した。


【おお、おお。口惜しや……】


 悪寒さえもう感じない。

 違う。全身が冒されている。五感が鈍い。


(抜けられない)


 諦念がぞろりと這い上がる。

 その病毒はあっという間に手足に絡みついて重たく力を奪い去った。


(ダメだ、ここまでだ。限界だ)


 もともと、俺は専門家じゃない。最初に断ったはずだ。俺では祓うことなどできないと。

 歯が立たない。

 耳鳴りがひどい。僧侶が遠くで叫んでいる声がかすかに耳に引っかかる。もう何も見えない。分からない。

 ふいに苦痛が消える。

 吸い込む血の匂いと、喉でざらつく砂の感触で自分が倒れていることに気づいた。耳鳴りに合わせて頭痛がする。

 赤黒くちらつく視界の中で、


「無理をするな、まったく」


 ご令嬢の面影が、右目に映った。


「な、んで……?」


 方陣を見た。牛鬼が所在無げに立ち尽くしている。

 ご令嬢は俺の目の前にいた。


「きみはよくやってくれた」

「なにを、言って……?」


 ご令嬢の細面に記した経文が崩れていく。

 右目に見えるご令嬢の姿が、腐肉のような悪霊にゆっくりと呑み込まれた。

 吞まれつつある美貌が、雪花のように優しく微笑む、


「……ありがとう、もう充分だ」


 腐肉が閉じる。

 歓喜に打ち震えるように、変色した怪異は顫動した。

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