第十三話:ご令嬢オンステージ
ぽかん、とご令嬢の口が開いたのが、焼けた野グソとダブって見える。
「……は?」
「歌謡は退魔の基本です」
「いや待て、待ってくれ!」ご令嬢は額に指を添えて叫ぶ。「これはアレだろ? 今昔物語で触れられる、和歌の名手が鬼を感動させて退散させたヤツだろう? そんな真似事が素人芸にできるか!」
「だから歌謡曲なんです。リズムは心を強くします。大丈夫、あなたの歌なら必ずや悪霊を魅了できますよ」
「無茶苦茶言ってるぞお前! それにしたってほら、伝統的な曲のほうが!」
「音楽の拍子と生活リズムは関わりがあります。現代感覚には現代の曲でなければ合いません」
「それ本気で言ってるのか!? 真面目な話なんだよな!?」
「いえまあ、別にノれる曲ならなんでもいいんですが」
「おいっ!?」
ご令嬢に首を振って応じる。からかっているわけではない。
「リコピンとの思い出の曲なんでしょう? なら、そのほうが適しています」
むぐっとご令嬢は口ごもった。
ぐぐと色々な言葉を飲み込んで、顎を引く。
「分かった」
「では、始めましょう」
俺は手早く方陣を引いて禹歩を踏み、注連縄をかけて、香をたいて蝋燭を立て、御札を敷いていく。お坊さんには小声で読経と木魚を打ってもらう。
「ではご令嬢で『恋のコギトエルゴスム』。どうぞ!」
「歌番組のノリはやめろっ! くそぅ……あとでセカンドオピニオンに行ってやる」
ボヤきながらカチッとしたラジカセから、夜の枯山水庭園に似合わない明るくポップなメロディが流れ始めた。スポーツドリンクのCMで聞いたことあるな。
「く、恋する……の……れで」
「声が小さいですよ! 踊って!」
「怒るぞ!?」
「怒るのはこっちですよ! 苦痛に耐えられると仰ったのはあなたですよ!」
「あっ苦痛ってそういう!? ええい、分かった、歌えばいいんだろ! きみの~ひとみにう~つる~!」
「もっと心を込めて! いてっ!!」
クナイを投げつけられた。柄が頭に当たるように投げるとはさすがご令嬢。しかも本当に熱唱してくれてる。
「恋ごこ~ろは~どこにあ~るの~!」
きゅんきゅんと腕を振って軽やかにステップを踏んでいる。
アイドル曲とは予想外だったけど、真面目な話、最も目的に向いている。踊っているうちに照れも薄れていくし、なにより明るい歌詞がいい。あくまでも心を強く持つことが目的なのだ。
ご令嬢アイドルショーを打って終わりではない。
俺も膝をついて短刀を握る。とっておきの式札を取り出した。一枚限りの虎の子だ。
人型の紙ごと刃を握る。
一気に、引いた。
「……っつ!」
ぱたたっ、と血が滴る。
退魔の場で陰の気である血を出すなど本来ならご法度だが、触媒として使うときだけは別だ。
血の染みた式神を高く投げる。
「式神、牛鬼!」
紙に宿った霊威が解放された。
牛の頭を持ち、筋骨隆々な大男の体をして、脇から蜘蛛の足を生やす怪物。牛鬼の気配に右目が軋む。
「臨兵闘者皆陣列在前……悪霊退散!」
九字を切って御札を掲げる。
ご令嬢の悪霊がずむずむと蠢いた。輪郭を濃くしたそれらは、密集する悪霊となって立ち現れる。
『……ァア……』
声が聴こえた気がした。
ご令嬢との同調が剥がれ始めたのだ。このまま両者を剥がしていく。
「急急如律令」
摂理に準ぜよ、の呪文を朱墨で描いた御札をご令嬢の足元に投げつける。
両者の間に、御札の長さという距離を与えた瞬間。
紫煙は剥がれた。
『イ……ウト……』
「よし!」
ふいにチャンネルが此岸と通じた。
声が聞こえる。
『尊い……尊い……』
『L! O! V! E! お姫ちゃぁあーん!!』
『んはぁーマッマ。くんかくんか……マッマペロペロ……』
気持ちわりい。
なんだこれ。わだかまる怨霊がよってたかってご令嬢にまとわりついている。牛鬼が一歩後じさりした。
「めにうつるたび~、たかなるむねーが~」
『尊い……尊い……』
『んほぉ! お姫ちゃんの高鳴るお胸! 高まる!!』
『マッマ、マッマ……ウッ! ふぅ……』
「とりあえず最後のは殺そう」
牛鬼でふんづかまえて御札パンチ。
びちびちと粘液が潰れるような音を立てて怨霊は消滅した。
『ギギッ』
ぞろりと怨霊の敵意が俺を向く。
あまりの圧力にふらついた。悪寒で足元の平衡感覚が覚束ない。
確かに、悪霊の破片を削ることはできる。
しかし、それは台所用スポンジで池の水を涸らそうと試みるようなものだ。叶う前に力尽きる。とてもではないが、俺に祓うことなどできやしない。
だが。
神酒を取り出し、忍者刀を突き刺す。濡らした刀身を逆手に構えた。
「一番の病毒を削ぎ取ることができれば、池の水が腐るのを遅らせることはできる。腐ってさえいなければ、循環させて害を限定することだって望める」
悪霊とは即ち澱み。
僧侶や地脈が作る流れに乗った霊はもはや悪霊ではなく、血脈に乗った先祖の霊は有益でさえある。流れは清浄に通じるのだ。
そして何よりも。
「ぼくの知らない~じぶ~んが~」
顔を真っ赤にしながらも、きゅんきゅんとアイドルステップで舞う。
ご令嬢の心の清らかさをならば、並大抵の悪霊では害を為せない。
ほんの少し、手に負える程度まで弱めることができればいい。
「牛鬼! ご令嬢を守れ!」
米、炒り豆、桃と退魔のご利益を撒いた。
そして俺は刀を構え、撒き菱を手に含む。
「俺はあいつらの相手をする……!」
調伏とは元来、道理と執念の殴り合いだということを思い出させてやる。