第十一話:里長の存在価値
「落ち込むことはないさ」
「やっぱり」
「えぇ? 慰めたのに開口一番がそれなのかい?」
黒の里。屋敷なのだがご令嬢のものと比べるとずいぶん慎ましい。
縁側に隣接する奥の間で里長に任務のあらましを伝えて、予想通りの労いを受けてしまった。
かつてご令嬢から依頼を受けたその場所で失敗の報告をするとは、当然なのだが皮肉なものだ。ちなみに床に開いた大穴はダンボールで隠している。逆に危ない。
「命を捨てて任務を果たすなんて下策も下策だ。だって、その死体は誰が処理するのさ。死んだら成功とはいえない」
「ごもっともです」
「どうでもいい任務なんて失敗して構わないんだよ。命を懸けるのは、懸けるべき時だけでいい」
「どうでもいい任務があるかどうかはさておいて、その通りですね」
「そして、命を懸けるべき時は思う存分、己の全てを出さなければならない」
「分かり……うん?」
里長を見た。
面頬から覗く目を細めている。
「ご令嬢のために戦いたいんだろう。なら、行っておいで」
「里長」
「協力できることは協力しよう。まずはどこに渡りをつけたらいい?」
里長に頭を下げる。
「感謝します」
「いいんだよ。なにせ里の有望株だからね。それで、僕にできることはなにかな」
「では遠慮なく。神主さんとお坊さん、ご令嬢のご実家にアポを取っていただけますか。それと農家さんと書道家、それとは別に芸術系の大家はお知り合いにいると助かるのですが」
「本当に遠慮ないね!? いないよそんなすごい人なんか!」
「あと女性の髪も欲しいですね」
「何気に要求レベルが高い!」
ご令嬢の悪霊は強大すぎて、俺では太刀打ちできない。とても祓うことなどできないだろう。
だが、陰陽師という存在は神職や山伏とは少しばかりわけが違う。
そもそも陰陽道とはなにか?
風水や星辰、密教や五行思想、陰陽に卜占、神道も仏法も問わず、ただひたすらに吉兆……「良い結果を得る」ことに特化し、邁進して積み重ねられた技術だと、俺は考えている。
忍者の精神が"撒き菱と刀"……手段を選ばないことに本質があるとすれば。
陰陽師もまた、悪霊に抗するためなら手段を選ばない存在だ。
「ん。……来た」
森を吹き抜ける夜風に着信音が混じった。
鬼火のように輝くスマホを、懐から取り出して受ける。
『やあもしもし。久しぶり、修行以来だね』
「ご無沙汰しております。急なお願いで申し訳ありません」
『いやいやいいんだ。もう神社は娘に継いで、儂は隠居する身だから。女の子を助けるためとあれば助力は惜しまないとも。こちらは準備できた、いつでも構わないよ』
夜空を見上げる。
ちょうど満月、森の木々に抱かれるようにして中天に金環が据えられている。
『ん? いやごめん、今どこにいるんだい? すごい音が入り込んでくるけど』
「失礼しました。いえ、今は川です」
『川……ってきみ、まさか』
「ええ、水垢離です。夏とはいえ、夜の湧水は冷えますね」
ざばりと立ち上がる。襦袢が肌に張り付き、ぱたぱたとしずくが垂れた。
水垢離とは禊ぎのひとつで、要するに川の水に体を浸して穢れを落とすことだ。神道でも仏教でも、重要な行事に臨む前に体を清める思想は変わらない。
こういう仕事柄、防水耐衝撃スマホにしてあるのだがたいへん便利だ。
『ところでだ。少年、ひとつ確認しておきたいんだが』
「なんでしょうか?」
『きみ、そのご令嬢が好きなのかい?』
むせた。
スマホを顔から離して咳をマイクに噴き込まないようにしてから、呼吸を整える。
「どうしてそうなるんです?」
『そりゃ、体を張って助けると主張するんだから思うだろうさ。若い男女の恋路を応援するとなれば、気合いの入り方も違うしね』
「微妙な野次馬根性ですね……」
『この年になると、後進が未来をつかむところが見たくて仕方がなくなるのさ』
「それは前向きで素晴らしいと思いますが」
『で、好きなのかい?』
単刀直入に問い直される。はぐらかされるつもりはないらしい。
「そういう感情はありません。ただ、困難に正面から立ち向かう人を応援したいだけです」
俺も霊感に昔から苦しめられ、惑わされ、忍者の修行を阻まれてきた。
彼女に、彼女自身がやりたいことを諦めてほしくない。これはそんな、俺の勝手な願望だ。
『ほおう? ……なるほどね』
「なんですか?」
『いや、なんでもないよ。それじゃあ、いつでもできるようにしておく』
通話が切られた。
ふうと息をついて月を見上げる。縁起がいい、と笑った。
月がこっちを向いている。
深呼吸して気合いを入れた。
「――では、参りましょう」
ご令嬢を、呪縛から解放するために。