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第十話:まだ鬱回かい

 手汗をこっそり拭う。

 めちゃくちゃ緊張する。あの名門伊賀の一門、その里を俺が歩いていると思うと否が応でも心拍数があがるというものだ。新興宗教みたいな忍者衆がいていい場所じゃない。

 板張りの廊下を和服スマートなイケメンお兄さんに案内されて歩く。なんでも和風の豪邸がそのまま拠点になっているそうだ。

 葉が丸く刈られた植木や枯山水の砂利など、和風の上にも和風を重ねた大層な趣味がうかがえる。ある意味、忍者らしい忍者でいようという逆命題のようだ。


「驚きました。喜び勇んでお出かけになられたご令嬢が、飛んで帰ってきたのですから」


 静かな低い声でイケメンお兄さんが言った。


「面目次第もございません」

「いえ。依頼の内容が内容です。やむを得ないでしょう」


 感情の見えない声で応じられる。

 忍者としての不明を蔑まれているように思えた。黒の里はこの程度、と品定めされてしまったような。

 恥じ入っても悔やみきれないし、ご令嬢が傷ついた結果も変わらない。

 そして俺はぬけぬけとここにいる。


 俺は任務を果たせなかった。


 忍びとは任務に命懸けで臨むものだが、命を懸ける間もなくそれは過ぎ去っていってしまったのだ。

 ふいに立ち止まったお兄さんに、襖の前で一礼される。


「こちらです」

「は、痛み入ります」


 お兄さんはしずしずと音もなく立ち去っていく。

 手元の紙袋を確かめる。

 浴衣のお買い上げは済んでいた。店員の無事と赤子の不在を説明しなければならない。


「ご令嬢」

「その声は……来たのか、わざわざ」


 ご令嬢はすぐに返事をしてくれた。

 心なしか声が枯れているように感じた。重たくなる口を動かす。


「力不足を、申し訳ございません」

「謝ることはない。私が軽率だった。忠告は受けていたのにな」

「忠告……?」

「『今すぐ頭を丸めて、仏門に引きこもるべきだ』」


 ぐっと息を呑んだ。


「それは……!」

「気にするな。ああ、襖を開けるのは勘弁してくれ、見せられる状態じゃない。それで、きみはなにをしに来たんだ?」


 無力感を握りつぶして手を下げる。乞われてもいないことを口にするべきじゃない。

 うなだれて、報告すべきことをだけを告げた。


「あの店員は、無事でした。念のため病院で見てもらいますが、すぐ回復する見立てだそうです。それと、妊婦ではありませんでした」

「違ったのか」

「違いました」

「……マジで?」

「はい」


 そうか……と小さい声。


「それと、浴衣です。お忘れになられたので」

「そういえばそうか。ありがとう。置いていってくれ」


 襖の脇に添え置く。

 何か言うべきだと思った。言わなければならないことがあると思った。

 けれど、どんな言葉で言えばいいのか、分からなかった。

 彼女の苦難に俺は力が及ばない。忍者にとってそれは万死に値する罪だ。


「またな。縁があったらまた会おう」


 辞せ、と言外に言われてしまった。

 この期に及んで何も言葉を見つけられない。

 頭を下げて、立ち去る。

 屋敷は物音ひとつしない。まだ夏だというのに、まるで雪の夜のような静けさが忍者屋敷に降り積もっている。

 音を殺して板張りの廊下を歩いていると、ばたどたと複数の足音が聞こえてきた。角の向こうから女子高生が三人も出てくる。


「あ、こんにちは」

「こんにちは」


 会釈する。

 べつに騒いでいたわけではなかった。屋敷が静かすぎるせいで、彼女たちの殺し損ねた足音が響いていたのだ。

 制服姿のまま忍者屋敷を訪れ、人懐っこそうな顔をしている少女たちという場違いに内心で首を傾げる。忍者の心得はなさそうだ。

 彼女たちは洋服姿の俺を珍しそうに見ると、一番元気のよさそうなショートヘアの少女が口を開く。


「あの。お客さんですか?」

「いえ、客ではありません」


 単なる同業他社なんだが、そう説明しても忍者衆の緩やかな連帯は伝わらないだろう。例えるなら親戚筋あたりだろうか。


「じゃあ使用人さんですか? お姫ちゃんの部屋を探してるんですけど、どこでしょう」

「お姫……?」


 ティンときた。

 高校生の彼女たちが知り合えるばかりか、砕けた愛称までつけられる忍者屋敷の住人といえば、一人しかいない。


「ご令嬢のお部屋なら、そちらの角を行って二つ目の部屋ですよ」

「ありがとうございます。……あの、聞いていいか分からないんですけど。お姫ちゃんが学校やめるって本当ですか?」


 驚いた。

 いったいどこから聞き及んだのだろう。まさかご令嬢が漏らすとも思えないが、あるいはそれほどまで彼女たちに心を許しているのかもしれない。

 実質的には部外者である俺が、なんだか騙しているようで心苦しい。


「私からはなんとも」

「あの! なんでも協力するので、学校やめさせないでください!! せっかく仲良くなれたのに、夏祭りに行く約束もしたのに……もうやめちゃうなんて寂しすぎます!! なんならうちに下宿させてもいいですから!」

「ちょっとリコピン」


 体によさそうなあだ名だ。

 深く会釈されて、彼女たちは廊下を歩いていく。

 あの和服スマートイケメンお兄さん、こうやって頼み込まれると分かって逃げたんだな。

 あるいは、あの顔だし彼女らの誰かに惚れられたとかかもしれないけど。

 ……俺にはそんな気配なかったけど。べつに気にしてないけど。


「それにしても夏祭りか」


 ご令嬢が胸に当てていた朝顔柄の浴衣を思い出す。

 暗さも場所も意味を失うほど、艶やかな出で立ちになったことだろう。


「浴衣は、そのためだったんだな」


 わざわざ自分の目で確かめて新調するくらい、楽しみにしていたんだろう。

 そして、目的のもう一つを悟る。

 友達と夜歩きをするにあたって、自分の他者への影響力はどのくらいなのか、そして護衛として役に立つ目算がある俺がどの程度使えるのか、予行演習でもあったのだ。

 俺はそこで他人の怪我を防げなかった。


「……くそ……っ!」


 柱を殴りそうになって危うく避ける。縁側を踏み外して頭から落ちた。


「痛てて」


 ひっくり返って、縁側の下部から角の向こうが見えた。

 少女たちが並んで、襖越しに話をしている。浴衣の紙袋は影も形もなく回収されていた。

 少女たちの肩が下がっていくのが見える。


 きっと、断ったのだろう。


 頭に血が上っていくのを感じながら、屋敷の空を見下ろした。


「くそ……」


 忍者にとって、無力は罪だ。

 きっと、黒の里長はそんなこと言わないけれど。

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