2023年3月16日木曜日 14時59分 エンカウンターワールド内リビングルーム
目が落ち着いて周りが見えてくる。
先ほどいた1階のリビングルームがそこにはある。4匹の猫が思い思いに散らばって丸くなって寝ている。
ご主人の登場に少しだけ頭を上げるが、猫達は何事もなかったようにまた微睡みにつく。
ただ、さっきと違うのは画面の中のハチニャンがここでは立体になって足下に居た。
そしてカプセルの中に入った時のTシャツとレディースオムツ姿が、ここではパリッとしたビジネススーツ姿になっている。
「おはようございますニャン。ルキノ様」
「おはよう。今日もよろしくね。ハチニャン」
「15時から会議室です。16時58分には退室して新人さんに打ち合わせが残っていれば、このリビングルームでお願いするニャン」
「了解、ハチニャン」
「いってらっしゃいニャン」
立体のハチニャンは手を振って見送る。
塚田ルキノはリビングの扉を開けた。
そこはバスルームに繋がる廊下ではなく、広いオフィスに左右に机を構えて頭にはヘッドセットを付けて画面を見ながら忙しなくキーボードを叩く250人のコールセンター職員達が居た。
そこをルキノは小走りに駆け抜けていくと奥に会議室の扉があった。
「お待たせ」
「常務が一番です」
一番の年配者風のリーダーの黒田が言った。
「新人さんは?」
「まだ、来ていませんね」
「逃げましたか」
眼鏡を掛けた神経質そうな柴田が言った。
「うーん、そんなことはないと思うんだけどねぇ」
「それだと、常務の立場はすごく悪くなるっス」
「うーん、確かに……」
ルキノが会議テーブルに着くと、会議室の扉が勢いよく開いて息が上がっている武笠ひまりが飛び込んできた。
浅野はその様子を見て、小走りで近づいて水のペットボトルをサッと差し出した。
「はい、水。まずは水を飲んで落ち着いて下さいね」
「あっ、ありがとうございます」
ペットボトルを受け取ると武笠ひまりは一気に飲み干した。
「ごめんなさい。皆さん、遅くなりました」
武笠ひまりは深々と頭を下げた。
「家、中野だろ。先に着いていなきゃいけないだろ」
ルキノはひまりをたしなめた。
「それがですね。中央線の上りも下りも人身事故で、しかも山の手線まで止まって、それでやっとの事でタクシーを捕まえて、なんとか中野の自宅に辿り着きました」
「そりゃ、災難。どうしてこうも東京の人間は死にたがり屋が多いのかねぇ」
「聞いて下さい。今週はこれで毎日です」
「これから世界が大きく変わって住みやすくなるのにね」
「こほん!?」
黒田が話を止める合図をした。
「ああ、ごめん。彼女が新しく面接してスカウトした武笠ひまりちゃん。ここの引継ぎをして私の代わりになってもらう……予定のスーパーバイザー」
「武笠ひまりです。どうぞ、よろしくお願いします」
「ここの統括リーダーをやっている黒田です」
「分析、及びスクリプト制作担当のの浅野です。よろしく、ひまりさん」
「インバウンド班、アウトバウンド班担当の柴田です」
「テキスト班の木下ッス、よろしくッス」
会議テーブルに付いている全員が挨拶した。
「ここのリソースは彼ら4人と250人のAIコールセンター職員で構成している。AI職員は見た?」
「はい、ここに来る途中、マネキンのように目がなくて顔がのっぺりしている人達ですよね」
「うん、顔は後で自由に変えられるからね。私は無機質な感じにした方が仕事しやすいと思ってそうしているけど、もっと人間ぽくも、全員個性的にも自由に変えられるから、ひまりちゃんがここを受け持つときにそのあたりは黒田と相談して。ここはタイムシェアリングで3シフト制でやっているの。私たち日本チームが9時から5時までの8時間を使用して、次の国に引き継ぐの。そして次の国のコールセンタースタッフとスーパーバイザーが8時間仕事して、また次の国に引き継いで、16時間後にまた日本に戻ってくるのよ。その間、メンバーの名前も格好も職員の姿も担当者、スーパーバイザーの好みに変えて使っているのよ」
「はぁ、はい」
「僕らは塚田ルキノさん、スーパーバイザーのことを常務って言うように言われているッス」
ひょうきんな顔の木下が答えた。
「私はここで何をすればいいんですか?」
「今後、私に代わってスーパーバイザーになってもらうんだけど、基本何もしなくていいです。気になった部分、わからない部分を質問して、そしてここで解決できないことを東京の連中と話し合う、AIと東京の連中の交渉人です」
「そう……なんですか」
「オリンピックが始まる前まで『ディープラーニング』を勉強すればというAI技術者は食いっぱぐれることはないとか言われていたけど、オリンピック直前で『ランドスケープラーニング』が登場して多くのAI技術者が職を失ってしまった。いま本当に欲しいのはAI技術者ではなくAIとの交渉人なんだ。そして私はたくさんの応募者の中からその適性があるとひまりちゃんを選んだ訳だ」
「そうなんですか。適正……あるのかな」
「じゃ、まず、普段通りに定期報告からいこうか」
ルキノはテーブルのペットボトルを取って飲み出し、黒田に振った。
「今日の配置ですが、インバウンドが14%、アウトバンドが68%、テキストが8%、スクリプトが4%、分析に4%と予備が2%の配置です。武笠さんは初めてなので説明するとインバウンドというのは相手から掛かってくるのを待つ、相談窓口とか、解約手続きとかですね。アウトバウンドというのはこちらからリストにもとづいて電話を掛ける方ですね。テキストはメールやSNSを使ってダイレクトメールを出したりする仕事です。分析は結果の集計や予測、リストの信頼性チェックなどをします。スクリプトはインバウンド班、アウトバウンド班の会話用の台本を作るチームです。予備はチームが足りないときに入ったり、途中引継ぎをする予備要員です」
「はい、わかります」
緊張が伝わるくらい堅くなってひまりは答えた。
「インバウンドとテキストの要員がいつもより少ないようだが……」
「あぁ、それは私から説明します。今日は木曜日で化粧品と健康食品が多いんです。しかも、外部の短時間集中系で増員です。コマーシャルでいまから30分間テレホンスタッフを増員してお電話対応しますというやつです。実際はこちらで1時間枠を取って対応します。この1時間だけインバウンド班とアウトバウンド班を入れ替えます。黒田さんとは了承済みです」
「テキスト班は先週の100万通メール送り祭りが済んだのでのんびり作業中ッス」
木下が答える。
「アウトバウンド班はリストの消化に対して応答が41%、悪くはないです。そのうち、Kが52件です」
「Kって、なんですか?」
「あぁ、そうですね。Kは『くたばれコールセンター』の略です。ここではそう言っています。コールセンター職員が『くたばれコールセンター』と言われたのが心に傷になってと掛けた人を訴えたんですね。しかし、その情報はコールセンターの個人情報を勝手に持ち出して訴えたとして逆に訴えられたんです。それがしばらく週刊誌を賑わらせて『くたばれコールセンター』という撃退法を世に広めてしまったんです」
「『くたばれコールセンター』は呟きなのか。中傷なのかという記事読んだことがあります。そう言われたときから仕事から個人に戻されて傷つくというような内容でした」
「ここは全部AIだから誰も傷つきませんがね」
柴田がぼそっと発言した。
「でも、最近AIのコールセンターのことも週刊誌で言われていますよね」
「『おまえAIだろ』と言われる人は増えてきています」
「ひまりちゃん、ここでは独自の対処法をやっているのだよ」
「どんな」
浅野が手を上げて答えた。
「私が説明します。AIコールセンター職員は感情面を緩くしています。お客さまに責められると泣き出したり、どもり出したりと和えて設定しています。それはその後、自己対応が出来なくなり、そこで上司なり、隣の席の同僚がバトンタッチするという設定をひいています。不思議なことにバトンタッチすると誰もAIだとは言わないどころか、かえって恐縮して物を買ってくれたり、その後の交渉が上手くいくのですね。それはたぶんね。AIの存在が今までの映画やドラマやアニメの中で一人称でしか存在してこなかったからだと私は思っているのね。AIだからと泣くように設定されているんだと思ってパワハラまがいにコールセンター職員を責める。そこに上司が登場する。AIだと思っていたのが上司が登場して、あり得ないと思うと同時にバツの悪さを感じて、その後の交渉に有利に働くので予備の要員を常に用意してあるんです」
「その方法は常務が考えたッス。ここのコールセンター独自のモノッス」
「予備の要員は話の流れからストーリーを考えて、男性になったり女性になったり、上司になったり、隣の席の同僚になったりします。そうすることにより、ここではトラブルをチャンスに変えています」
「すごいですね」
武笠ひまりはちょっと感激した。
浅野がテーブルの画面に新しい情報を表示した。
「これは来週からインバウンド班で始まる新しい電子マネーの説明です。それについてなんですが、6月からベーシックインカムの導入が始まりますよね。いまはこの1社から依頼ですが、政府がベーシックインカムの受取りはすべて電子マネーとすると言っているので、今後、電子マネーを一度も使ったことのない人、一度も電子マネーを作ったことのない人の問い合わせの依頼が増えてくると思うのです。このことを考えると政府からの依頼、もしくは電子マネーの会社からの依頼が今後発生すると思うのですが、常務はどう考えますか?」
「浅野の言う通りだね。ベーシックインカムがスタートしたら確実に増えてくるね。現物のお金を使わないというところで政府としては現実的だけど、まだまだ国民が対応出来ていないから、うちらの仕事になりそうだ。出来るだけ推測してスクリプトを組み立ててくれ」
「了解です。常務」
柴田が発言に手を上げた。
「アウトバウンド班はメインが補助金のがらみなので好調な伸びを示しています」
「PSDR2の補助金がらみだったっけ」
「はい、常務。政府がPSDR2の本体の購入に1/2の補助金を出している件です。高い確率で購入まで持って行っていますし、資料請求も話を聞いてくれた人はほぼ全員請求しています。補助金の終了までには時間がありますが、他を減らしてももう少し力を入れてもいいと思います」
「うーん、利益になるのはわかるが目立って標的になるのはヤダからなぁ。検討だけする」
ルキノは考えるポーズをした。
「あと、こういう情報が入っています」
黒田がテーブルの上にニュースを表示した。
『六本木の現場です。二度の爆発音の後、出火した模様です。現在確認しているところでは死傷者は居ないようです』
ニュースの映像が流れて消えた。
「ここは知っている。商売敵のオフィスだな」
「はい、仕事を奪われて自暴自棄系のTCのようです」
「TCって何ですか?」
武笠ひまりが質問した。
「TCはトランセンデンス・クライシスの略で私たちはTCと呼んでいる」
「超越的な危機?」
ひまりは頭をひねる。
「2014年に作られたジョニー・デップの主演の映画で『トランセンデンス』という映画がある。そこから名前を取ってアンチAI過激派の活動をTCと呼んでいる。いま映像で見た。六本木のライバルコールセンターがTCの被害にあったということさ」
「うちの会社も対象ですか?」
「見つかればここも攻撃の対象だろうね」
武笠ひまりはちょっと青ざめた。
「大丈夫、ここは幾十にもセキュリティ対策しているから……大丈夫よ。ひまりさん」
浅田が慰める。
「そろそろ次のシフトの時間のようです。常務」
「そうか、ひまりちゃん、場所を移そう」
「あっ、はい」
黒田に言われてルキノが立ち上がって扉を目指す。
ひまりも慌てて後を追いかける。
「では、また明日」
「常務、お疲れ様です」
二人は急いでコールセンター職員のいるオフィスを抜けて「ルキノの部屋」と書かれた扉に飛び込んだ。