太陽
細い電線の向こうに、大きく広い空
黒い電線に重なる、眩しい太陽
それが炎のようで、胸が焼け焦がされそうで、惹きつけられてしまう
掴み取って、この拳の中にしまいたい
空から奪って、この掌で握っていたい
その明るさを、眩しさを、美しさを、
私一人のものにしたい
きっとそれが炎のようだから
私の心は求めてしまうのだろうか
そう思わずにはいられない
この心に、欲という炎を移されたのだから
周りの空も燃えていくのに
どうしても、太陽のような美しさにはならない
どうしても、あの宝石にはならない
あの太陽の炎は移っていくのに、あの太陽の美しさは決して広がらない
ああ、あの太陽が欲しい
私だけのものにしたい
いつも持ち歩くなんてできないだろうから、
宝箱に鍵をかけて隠せばいい
太陽を独り占めしていたトリンギットの大族長のように
私だけのものにしたらいい
ああ、なんでそんなに美しいの
血の色より深くて、炎のように焼き焦がしてくる
私の目と心を奪い、叫ぶようにあの空に存在する
どこまでも明るくて、どこまでも私の胸を焼き焦がす
ああ、あの太陽が欲しい
あの太陽が欲しいの――
拙作をお読みくださり、ありがとうございます。
先日図書館へ行ったところ、無駄話の大切さを説く本を見つけました。貸し出し上限数を超えそうだったので借りることができなかったのですが、少し読み、私も最近起こったことや感じたことを書いてみようと思いました。
拙い日記になりそうなのですが、よろしくお願い致します。
ご指摘をいただいたのですが、まだ作品をうまく修正できそうにないので、こちらで捕捉させていただきます。
トリンギットの民話で、太陽に関する面白い話があるのです。
『昔、空には太陽も月も星もなく、世界は常に夜でした。ある日一羽のカラスが、大族長が娘に宝物を見せているのを見ました。三つの袋の中にそれぞれ、星、月、太陽があり、大族長はそれを独り占めしていました。
そこでカラスはそれを盗み出すため、娘の体に入り小さな赤子に化け大族長の孫息子になることにしました。作戦は成功し、大族長はかわいい孫にもうメロメロ。孫がほしがったので、大族長は星の袋を孫にやりますが、孫に扮したカラスはわざと星を空に逃がします。次に月の袋からも、月を空へと逃がします。
最後に太陽の入った袋をねだられ、大族長は渋りますが、かわいい孫の泣き声に負け袋を渡します。
袋を受け取った孫はカラスの姿へと戻り、自ら太陽を空へと持っていきました。こうして、世界は明るくなりました』
真っ赤な太陽を見てほしくてたまらなく感じたとき、このお話を思い出しました。それで、詩にトリンギットの族長、と入れさせてもらいました。
読んでくださる方々のことを考えず、申し訳ありませんでした。
批評批判大歓迎です。もっと私自身の思い描く世界を表現したいので、感想酷評、友人への紹介も期待しています。
長編の作品を幾つか載せる予定ですが、いずれもまだ修正中ですので先は長そうです。
少なくとも月に一度は、短編や童話や詩を載せるつもりなので、気が向いたらお読みください。
繰り返しますが、本当にありがとうございます。