とくべつな味
少女にはきょうだいと呼べる存在が二つあった。
五つ上の兄と、三つ上の姉のような人。
性別や血のつながりなど関係なく、ずっと家族だと信じていた。
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目を開けると、わずかな熱が残っているのを感じ、茜はため息をついた。
昔から体調を崩すことはよくあるが、この特別な日にどうしてと思うのは止められない。
本当ならば、今日は朝早くから街に出かける予定だった。
(あと三日、ううん、一日生まれるのが遅かったらなぁ)
今回はかれこれ、一ヶ月近く体調が一進一退を繰り返している。
そのせいで友人と月祭りにいく約束も果たせなかったし、大好きな栗ごはんも食べ損ねた。
月祭りはもともと収穫を祝う年中行事だったため、秋の味覚である芋や栗を使った料理がよく食べられる。
栗自体のあの控えめな甘味や、それを損なわないように食事にしてしまう栗ごはんが茜は好きだったが、それ以上に祭りの思い出がよりいっそう好きにさせていた。
けれどもその大好物も、今年はまだ一回も口にしていない。
こう何日も寝込んでいると時間の感覚も薄れていき、今が何時かわからなくなる。障子戸の向こうが明るいから、昼には間違いないだろうが。
枕元の水差しを見ると、中身がほとんどない。
寝ることにも飽きてしまったところだし、と茜は布団から身を起こした。
立ち上がろうとした茜の耳に、楽しげな女性の声が耳に届いた。かすかだけれど、誰のものなのかはすぐわかった。
だって、今一番聞きたくなかった声だったのだから。
茜は布団から出るのをやめ、代わりに書棚にある本を手に取った。
本は好きだ。
あまり外に出られない自分を色々な世界に連れて行ってくれるし、登場人物たちに励まされたりもする。
それにこんな気持ちの時も、本を読んでいると不思議と落ち着くのだ。
「なんだ。起きてたのか」
兄が部屋に食事を運んできたのは、物語の主人公が運命の出会いを迎えた頃だった。
せっかく気持ちが高まっていたところを中断させられ、茜は眉を寄せる。
「起きてたならいってくれればいいのに。おなかすいただろ」
「別に。いつも同じようなものばかりだし」
「そんなに文句があるなら早く治すことだな。あと、本を読むのに夢中になって具合悪くするなよ」
「うるさいなぁ」
不機嫌な妹に、兄はあからさまなため息をつく。そうしながらも、散らばっているちり紙を片づけていく。
茜は粥をくちに運びながらそっと兄を伺った。
「ねぇ、由比姉ぇが来てるの?」
「ん? ああ、うん」
「そう」
「……なぁ、お前ら何かあったのか? 最近、ぎくしゃくしてるけど」
「べつに」
「由比はああいう性格だから、気に障るようなこと言ったかもしれないけど。あまり気にするなよ」
その言葉は、なぜだか茜を苛立たせた。
「兄さんはいつも由比姉ぇの肩をもつよね」
「そういう意味じゃなくてな」
「じゃあなんなの」
「……もういい。食べ終わったら盆、外に出しておけよ」
部屋を出る兄から目をそむけながら、茜は心の中でため息をつく。
また、こうなってしまった。
最近、兄とうまくいかない。
いつのまにか嫌な言い方をしてしまう。
由比がいるときは特にそうだ。
本当は仲良くやりたいのにどうしたらいいか分からず、それが悔しくて、茜の目に涙がにじんだ。
由比は、血のつながった姉ではない。
茜の母が彼女の教育係だったため、自然と岩槻家にいることが多くなった。
茜が産まれたころには由比が側にいるのが当たり前で、家族のような存在だと思っていた。
けれどある日突然、二人が自分とは遠い位置にいるように感じた。
兄と血がつながっているのは自分のはずなのに、由比の方が本物の妹に見えた。
ううん。もしかしたら、それ以上の関係なのかもしれない。
兄と由比には共通した趣味もあった。おまけに年頃の男女だ。いつしかそういう仲になってもおかしくない。
その時、自分は邪魔な存在となるのだろうか。
一度頭をもたげた疑念は簡単には消えてくれず、由比と顔を合わせると不安に襲われるようになった。
誕生日に何が欲しいと兄にきかれ、兄と二人っきりで出かけたいと言ったのはそういう気持ちからだ。
けれど現実はこうして布団の中でひとり。反対に、由比は兄と一緒に過ごしている。
結局のところ、自分はどこまでいってもあの二人とは一緒にいられない、ということなのだろう。
いつの間にか眠ってしまったらしく、目を空けると暗闇が広がっていた。
身体も心なしか軽い。だいぶよくなったようだ。
少女は行燈に火をともした。
元気になると食欲もわくらしく、誰か起きていないかと居間に向かおうとした。
「あ」
障子戸を空けたところで、廊下に座り込んでいた人物と目があった。
色の薄い瞳と、後頭部で一つに結ばれた緩く波打った髪。生まれたころからそばにあった少女のもの。
茜はとっさに扉を閉めようとしたが、その前に由比の妨害に合ってしまう。
力勝負では勝てるわけがなく、茜は大人しく手を放した。
「なに」
「お誕生日おめでとう、茜。見せたいものがあるからちょっと来てよ」
この人は、こちらが避けようとしても気にせず馴れ馴れしく接してくる。
そういうところが、茜は気に入らなかった。
とはいえ、おなかがすいたことだし、喉も乾いた。どうせ居間にはいかざるを得ないのだ。
茜はしぶしぶといったかたちで由比についていった。
居間には兄もいた。
ちょうど夕飯の片づけが終わったところらしい。
由比は茜を残し、いそいそと炊事場へ向かった。
しばらくして盆に載せた何かを体に隠しながらもってくる。
「茜の誕生日だから、作ってみたの。はい、これ」
卓袱台に乗せられた物体はなんとも形容し難かった。
黒と小麦色のまざった下地に砂糖を練り固めたようなものが乗っかっている。
これを食べろというのだろうか。
助けを求めて兄をみると、苦笑いを浮かべていた。
「茜が食べたがってたって聞いたから、作ってみたの」
「こんなおなか壊しそうなものを食べたいと言った覚えはないんだけど」
「違う? 一応作り方を見ながら作ったんだけどね」
由比が戸棚の上からとってきたのは、茜が持っている外国の焼き菓子の作り方が載っている本だった。
昔、祭りの時に出店する売り本屋から買ったものだ。
憧れから何度も眺めはするが、材料が簡単に手に入らないものばかりで作ったことはなかった。
それでもいつか作れる日を夢見て大切にしている、茜の宝物だ。
どうしてそれを、と言いかけて、母親に貸していたことを思い出した。
「家から材料をそろえてきたし、和真にも手伝ってもらったんだけどなぁ。何がいけなかったんだろう」
そういえば、この姉と兄は、料理に対する感覚が致命的であることを思い出した。
「じゃあ、こっち。これは和菜母さんと作ったから大丈夫」
そろそろ普通にごはんが食べたいと思い始めた茜の目に飛び込んできたのは、茶碗に盛られた炊き込みご飯だった。
茶色く色づいた米の間から、黄色い固形物が顔を覗かせている。
「今年の月祭りは寝込んでいたから、きっと食べたいだろうなぁって」
おいしいものは得てして苦労を伴うことが多い。
栗ごはんの場合、炊くときの水具合、塩加減といった繊細さの他に、栗の皮むきの難しさが伴う。あの小さなつるつるとしたものを包丁を使いながらひとつひとつ皮を切り落としていくのは骨が折れる作業だ。
由比は不器用なりに一生懸命無剥いていったのだろう。心なしかいつもより小さい気がする。
こみあげてくる気持ちを伝えるのが癪で、返答の代わりに、いただきますと手を合わせる。
ずっと欲しかった味が口の中で広がる。いつもより少しだけしょっぱく感じるのは、由比が手伝ったからだろうか。
「どう? おいしい?」
わくわくしながら聞いてくる由比から顔をそむけ、「うん」とつぶやく。
きっと、自分が思っているよりずっと、由比は”姉”だったのだ。
この特別な味を忘れないよう、茜はゆっくりとかみしめた。
和モノ布教企画!なにそれ素敵!!
という勢いでつくりました。
間に合ってよかった。閏年でよかった。
テーマである和食のもと
いつもの和洋折衷なよくわからん世界観のキャラを絡めてみました。
(新しくキャラとか作れなかったよ)
いろいろいい加減だったり、調べ足りてないところもありますが、ご愛嬌……。