内心を語ろうか
「……手紙が無い」
翌朝。その日も良介と遊人は揃って登校していたが、しかしそこで異常が起きていた。
ここ最近日常の一コマになりつつあったあの封筒たちが、ただの一通さえ出てこない。
「お前心当たりないか。あの人がなんか別のこと企んでるとか」
「いやあ……分からんな」
良介の質問を遊人は自然を装って流す。良介が気付かぬところで、密かに唾を呑み込んだ。
「……あのさ、ちょっと聞いていいか」
一時生まれた沈黙の間に、遊人は切り出す。
「結局お前は、篠部さんのことどう思ってるんだ?」
良介はしばらく黙ったままだった。話すことを考えているというよりは、遊人の真意を測っているように感じられた。
「……言いたくない、けど」
言葉尻を濁した物言いに、遊人はすぐ気付く。
「なんか、こう……モヤモヤしてしょうがないんだ」
少々苛立ったように、それ以上に悩ましげに、良介は言う。
「言ってみろよ」
半ば強制するかのように、遊人はすぐ返す。
「お前がどうしてあの人を拒絶したのか、どうしてそのくせに一連のやり取りを楽しんでたのか、どうしてそんなに悩んでるのか――理解できんことだらけなんだ」
いつになく、真面目な表情で。その普段と違う空気を感じて、良介は思案する。手を頭にやって、面倒そうに掻きながら。秒針は一秒を正確に刻みながら歩き続けている。
「分かったよ。話すよ」
内心――ガッツポーズをしたくなったのは遊人であった。
「けど変な想像はするなよ。面白い事なんかない。むしろつまらない、恥ずかしいだけの話だ」
念押しが為されて、遊人は無言で頷く。
「僕が情けなくて、意地を張ってただけだ」
*
「メイちゃん何持ってるんだい?」
夕菜は隣に座る明花に聞いた。
「最初の方に渡した、二つのラブレターです」
「ああ、突き返されちゃったやつと口げんかになったやつか」
その二つは多少シワが付いているものの、まだ綺麗な形を保っていた。
「中身はともかく……私が一番勇気出したのって、この二つで挑んだときだったので」
「お守りみたいな感じかな?」
明花は無言で頷く。
「お前――避けたのか――やり取り――理解――」
丁度その時、男子の声が聞こえた。状況が進んでいることを察し、慌てて気を向ける。
「メイちゃん」
そうしながら夕菜は明花に、小声で呼びかける。優しい声だった。
「あの子は確かに無愛想で、面倒だけど……あと口下手で意地っ張りで、変なとこもあるけど」
「せ、先輩言いすぎじゃ……」
明花もまた小声で返す。
「それでも、良いところが沢山あるんだぜ」
言い聞かせるような、語って覚えさせるような、途切れぬ言葉だった。
「本当は、シャイなだけで――不器用なりに優しくて、いろんなことを考えてて……」
それでいて、誠実な――正直な子なんだよ。
度が過ぎるくらいに。
*
「篠部さんを嫌ったことなんかない」
良介は言い切った。対面の遊人は、言葉を聞き漏らすまいと身を乗り出して聞く。
「あんな風に、僕を好いてくれたっていうのは嬉しかった」
「……てっきり、あの人に興味が無いもんかと思ってた」
「よく知ってたって訳じゃないけど、寧ろ逆だな。良い人だと思ってたよ。真面目そうで」
変わらぬ無表情から、遊人は確かに良介の感情を感じとる。遊人は理解しつつある。この友人は、あくまで表現が下手なだけで――内で、人一倍色々なことを考えるのだ。
「……それだけに、あの手紙攻勢は驚いた……というか、率直に言って迷惑な時もあったけど」
遊人は苦笑いを返すことしかできなかった。
「でもあれだって、なんか途中から楽しくなってきたというか」
そこまで聞いて、改めてあの一連の攻防を思い返す。ただの推測でしかないが、良介があれほど周囲と交わり、豊かに感情を表した時は、高校入学以降無かったのではなかろうか。
「未知の体験だった。色んな意味で。けど本当に、嫌だったってことは無い」
今の語りもまた、遊人にとっては未知のことだ。
「そんなに良く思ってるなら……なんで応えてやらなかったんだよ?」
良介が目を背けた。聞かれたくない、そんな雰囲気を垂れ流す。また一瞬、場は静まり返る。
「……誰が相手でも、同じ対応をしてたよ」
「は?」
一際小さくも目立つ声と、無意識の声とが連続した。
「……僕じゃ、きっと駄目だと思った。誰かを楽しませることなんか、できないって」
その顔に汗を流していたのは決して暑さのせいだけではなかった。
「唯でさえ無表情な上に、緊張するともっと酷いんだよ。楽しくても嬉しくても、伝わらない」
そのことは、遊人とて知っていた。ともすれば仮面とも形容できる、表情の薄さ。実際、手紙攻勢を楽しんでいると気づくまでにも、結構な時間がかかっているのだ。
「僕みたいなのとそういう関係になったって絶対続かない。最後は不幸になる。そうなるって分かってる、それなら、そんな関係になっちゃいけない。そういう関係にならないなら、もらった手紙だって読まないで、そのまま拒絶した方が彼女のためだって……そう思ったんだ」
良介が一気に話し切って、遊人は呆れたような顔をした。
「え……つまり何、自分は恋愛向きじゃないと? そういう人間じゃないと? 要は、勇気が出ないから、お互い憎からず思ってる人のアプローチを拒否したと?」
「……端的に言えば」
「理由を言わんかったのは何故……」
「それは……その、正直にそんなこと言ったら、どうなるか分からなかったし」
「どうなるか分からんて、お前……」
「かと言って、嘘を吐くことはできなかった。嘘なんて苦手で、とても突き通せやしない」
つらつらと話す。数秒経って、大きな、本当に大きなため息が遊人の口から漏れた。
「お前、想像以上にチキンっつーか活力が無いっつーか、ネガティブっつーか……」
わしゃわしゃと癖毛を引っ掻く。苛立ちを隠そうともしない。一度それを落ち着ける。
「それはなんつーか、間接的に篠部さんを貶してることにならねーか?」
良介は、驚いたように目を見開いて黙っている。
「無愛想でも不器用でも、あの人はそれを承知の上で――覚悟した上で、お前のことを好きになってくれてるんだろ? なのにお前が自分をそんなに貶してどうするんだよ」
遊人は深く考えている訳ではなかった。反射的に言葉が続いた。
「『絶対続かない』なんてのもお前の勘違いだ。ここ最近の、あのやり取り」
良介のバッグから、封筒を掴んで取り出す。今日もまた、荷物は膨れ上がっていた。
「すっげーヘンな、恥ずいやり取りかもしれんけど。あれを楽しんでたのはお前だけじゃない」
先日の話を思い返す。勢いのまま、正しいかも分からぬまま明花はあれを始めた。それでも。
「お前だって篠部さんだって、周りの奴までうまくやってたじゃねえか。確かにそういう関係になったら、同じようにはいかねえだろうけど……だからって、何で失敗するって言い切れる?」
返事は無かった。
「……それにこれは、俺の個人的な意見だけどもさ」
一度咳払いを挟んでから言う。
「中途半端にフラれてそのままって、付き合って失敗するのと同じくらい不幸だと思うのよな」
「おっ、そうだな!」
いきなり現れた客に二人は大いにビビる。しかも声の位置がおかしい。
「このタイミングでか! つーか窓から入るんじゃねえ!」
「夕姉、何やってるん!」
肩ほどの高さの窓から、颯爽と夕菜が登場した。足を窓枠に掛け、飛び越えようとしている。
「話は聞かせてもらったぞ!」
「話を聞け、窓から入るな! そこには――」
遊人が叫ぶと、乾いた音が響いた。直後、夕菜がスローで廊下の方に落ちていく。
「前セットして不発だったラブレター・トラップが……って……」
窓を開けると手紙付きの缶が飛んでくるトラップ。以前、良介が容易く見抜いた逸品である。
「先輩、すいません! 完全に忘れてました、本当に……」
良介の顔が強張った。同時に遊人が、あちゃあと小さく呟く。慣れた人間が、夕菜の隣にいた。彼女自身も、発覚に気付いて声を上げた。
「いや、この大事な時に騒がしくしてすまんかった……」
数秒後、今度は大人しくドアから入ってきた夕菜――と、その後ろに、
「し、篠部さん……」
「あ、えっと、その……」
一回り小さい、少女――篠部明花がいた。