勢いでやるとろくなことにならないのが世の常
「エスカレートしてる……っ!」
「どうした良介……っ!」
喋り方を真似て茶化す遊人に、良介が反応することは無かった。
「増えたよ! 同じ場所に二通も三通も入れてどうするんだ!」
こんな喋り方の良介も初めてだわ、そう思いながら遊人は突き出された封筒の群れを眺める。十は超えていた。今は始業の四十分前、まだ教室に二人以外の人影は無い。良介は生物部の仕事で毎朝登校が早い。遊人は遊人でここ数日は早起きをし、毎朝良介を観察している訳だが、
「期末考査まであと一週間なのに、こんなことする時間あるのかあの人!」
現状、進展はすれど好転しているようには見えない。斜めに真っ直ぐエスカレートしている。
話を聞く限り、明花は毎朝良介よりも早く登校し、一連の封筒をセットし、そのまま生徒会の活動を手伝っているらしい。夕菜と同様、部活動をしながら生徒会の手伝いもしているという。その上でこれだけの手紙を毎日用意している。そのバイタリティは、俄かには信じ難い。
「あの人もお前も成績は良いからなー。強者の余裕ってやつか」
遊人の軽口に良介は応じず、ぶつぶつ不満を呟いている。それを見て、苦笑していた遊人が、
「んごっ」
いきなり異音を放つ。静かな教室の後扉。噂をすれば何とやら、小柄な人間がそこに立っていた。それが誰であるか、二人はアイコンタクトすら無しに同じ結論を導く。
沈黙が場を支配した。良介が明花に目を向ける。明花が視線を合わせる。遊人は興味本位に傍観するだけである。見つめ合う二人が黙り込んだので、遊人としても話す相手がいない。
あの下駄箱の時以来の、緊迫感が空気を染め始めた。黙する。秒針が虚を満たす。雑音は無い。動くものも無い。奇妙な感覚が共有されていく。そうして、秒針がまた音を刻んで――
(……なんかしゃべらないかなー)
遊人は飽きた。時計を見たら一分も経っていない。基本的に黙るより騒ぐ人種の遊人である。
「……あ、あのさ」
思いが通じたのか、最初に口を開いたのは良介だった。
「この手紙のことだけど」
手紙を、そっと差し出す。しかし、二人はそこで気付く。固まった顔をしていた明花が、段々と解れてきた。そして、顔が再びあの時の――手紙攻勢初日の、あの面に変わっていく。
「止めないから!」
それだけだった。それだけ言って明花は、歪み始めていた顔をついっと逸らし元来た方向へ戻っていく。後を追う気も、後ろから何かを言う気も、二人にはなかった。
突如現れて、すぐに去って行った彼女の細い後ろ姿を眺めながら、
「……はぁぁ」
良介は、らしからぬ長い溜息を漏らす。
(……逆に、後退してね?)
斜め方向、それも後ろ斜め方向。予想のつかない、特に良い方向への想像ができそうもない方向に、事は進んでいるように思われた。少なくとも傍観する立場からは。
良介に掛ける言葉にしたって、早くも遊人の引き出しは尽きかけていた。本当にどうしたもんか、そんな気持ちを遊人は持ち始める。この展開を、果たして第三者が捻じ曲げるべきなのか。それとも成り行きを見守るべきか。結論から言って、彼がその判断を下すことは無かった。
何故なら、この後――この翌日に、展開は有らぬ方向へすっ飛んで行くからである。
*
「今日もウサっちのお世話、精が出るねー♪」
早朝の生物室で女子に声を掛けられるのは、良介にとって二回目だ。だが前とは相手が違う。
「夕姉か……」
相も変わらず無愛想に、しかしわずかに安堵したかのように返事をする良介に、夕菜は低く笑う。幼馴染という立場でありながらも高校進学以降面と向かって、増して二人きりで話せたことは数えるほどしかない。それでも、良介の反応は予想通りだった。
「メイちゃん……いや明花ちゃんの方が良かったかい?」
「とんでもない」
「ここ最近のお手紙の噂、色々聞いとるよ。お熱いこっちゃ」
「いや、割と困ってるんだけど」
「あの子のどこが嫌なんさ? 今でこそ奇行に走ってるけど、あんな良い子はそうおらんぜ?」
夕菜の問いに、良介は小さく唸った。それから少し顔を背ける。
「……別に、嫌ってる訳じゃない」
「へ!?」
小さな呟きを、夕菜は欠片ほども逃さない。半分驚いた、半分スクープを見つけた記者のような喜んだ表情を浮かべ、良介に詰め寄る。
「……忘れて」
「いやいや、よく聞こえんかったなあ? 聞こえんかったから忘れようがないしぃ、もっかい言ってくれたら忘れたげるよー?」
「わ・す・れ・ろ」
調子良く畳みかける夕菜に対しての声は、いつにも増して機械的な、しかしそれにしては感情の籠った声であった。ちぇー、と大してひるみもせず、夕菜はがっかりして見せる。
「まあ何か知らんが、頑張ってくれたまえよ。もし女の子関係で相談があれば受け付けるぜ」
「参考にならなさそうだから止めとく」
「賢明だね!」
自虐的で明るい夕菜の声はインコの鳴き声と混ざり合った。
(この弟分に春は来るのかねえ?)
すげない態度にも構わず、そんな風に夕菜は心配するばかりである。
「ところで、今日はウチもちょっと教室まで着いて行かせてもらうよう?」
「却下」
「なんでや!」
発言が一瞬で弾き返され、夕菜は今度こそ不満げに声を上げた。
「どうせ現況を面白がって実地見物するだけだろ」
「うん、面白そうだし」
「僕には面白くないんだよ……勘弁してくれ……」
「分かった分かった、着いては行かんよ」
本気で嫌そうな顔付きの良介を見て、流石に引き下がる。
(バレないように後から追いかけさせてもらうから)
内面では欠片ほどもそう思っちゃいないのだが。
動物の世話を終えた良介は使い古したバッグを手に取る。そのバッグに夕菜は違和感を抱く。
「……なんか膨れてねえ?」
良介のバッグが歪な形をしていた。横に少しばかり突き出ている。男子の荷物としてはごく普通の見た目だが、整理整頓を欠かさない彼の物としては夕菜にはおかしく思われた。
「原因はあの人だよ、分かるだろ」
「え……まさか出された手紙を詰めとんの?」
良介がバッグの中に手を突っ込むと、かさかさと大量の紙が擦れる音がした。夕菜の考えは正しいようだ。訳が分からないよ、と言わんばかりに夕菜は目を見開く。
「なんでこんな持ち運んどるん!? 迷惑がってるくせに……」
「いや、機会があれば一度話し合って解決できないかと……その時必要になるかもと思って」
良介は言い訳をする子供のように下を向いて話す。日頃大人びて見えるだけに、妙に幼く思われたその仕草は夕菜の気を引いた。
「というか、捨てたりせんの?」
「そんなことする訳無いだろ」
冗談半分の質問に、良介は至極真面目な顔で答えた。その反応を見て夕菜は再び笑みを見せる。この幼馴染は、やはり昔から変わっていない――悪い所も良い所も、軒並みそのままだ。
「僕はもう行く」
「うーい、また後でなー」
構わず重たそうなバッグを肩に掛け、良介は生物室を後にしようとする。夕菜はさっき同行を断られた手前、それを一旦見送る。後ろ姿だけ昔と違うな、という感想がふと頭をよぎった。その思いを留めることも無く、夕菜はこっそりと床の鞄を拾い上げて、その背を追い始めた。
*
「これマジ?」
「今朝見つけたんだって! そこに落ちてたん!」
「はぇ~、まさかあの二人がねえ……」
賑やかな男子の声だ。この時間に教室が騒めいていることは稀だ。異常と言えた。
(何かが……起きている……!?)
教室の扉に手を掛けた良介がそれを察知したのは直ぐのことだ。一瞬、感覚が狂った。不安と直感が胸を走った。ざわついた。嫌な、ものすごーく嫌な予感が勢い良く溢れだした。
「これどうする? 黒板に貼り付けとくか、教卓に置いとくか」
「鬼畜過ぎんよ。シャレにならん、ていうかあいつから何されるか分かったもんじゃないぞ」
二人分の声には聞き覚えがあった。クラスのバスケ部男子二人組である。会話の内容と相まって、信じたくなかった想像が、具体化、現実化――逃れられぬ、確固たる事実であることに、否応無しに気付かされてしまう。
「しかしラブレターなー。メールやらSNSやらばっかりの近頃じゃレアだな」
「マジ羨ましいわ、こんなんもらえるとか……しかも篠部さんから」
(待て待て待て待て、どうしてこうなった)
(どっちのミスだ。僕かあの人か)
(落ち着け落ち着け落ち着け)
最大の混乱に苛まれた。一旦教室から見えない位置に移動する。汗を流しながら、マシンガンの如き思考を収めようとする良介はしかし無力であった。この状況をどうすればいい。こんな噂が立つなんて、そんな状況は良介にとって全く好ましくない。さりとて、どうすれば――
「お、おっ? バスケ部早えな」
「え、いやそう言うシマヨコだってこんな早く来ないだろ。悪いもんでも食ったか?」
良介にとって更に想定外なことが起きていた。遊人が、窮地に立たされた友人の存在に気付くことなく、教室へ入っていってしまった。混乱した良介が咄嗟に近くの柱に隠れたためである。あの二人組に対し、遊人がどう対応するのか、良介は改めて耳を凝らし――
「遊人君、そう言えば例の件で……」
「やべっ」
「おえっ」
「ん、お前ら……ちょ、その手紙……まさか…………」
「……へ?」
二つ、慌てた音。一つ、青ざめる何か。そしてもう一つ、固まった人間。
状況に気付かず入ってきた明花。動揺した二人組。手紙を目視し状況を把握した遊人。ワンテンポ遅れて、同様に把握した明花。
酷い沈黙だ。思った。そして良介も固まった。最早機関銃を通り越して、機能停止した。が。
「へいリョー君、どうしたん? さっきから教室に入らず、不審者の真似っこなんかして」
後ろから、声が聞こえた。拒絶した、はずの人間がいる。
良介は唐突に思い出した。この幼馴染は、肝心なところでいまいち空気が読めない!
「何か面白いことでも有ったんかな? どれ」
良介の制止の手は届かない。戸の開く音が、一瞬静寂を壊す。複数の視線が一人の女生徒に集まる。一方の夕菜も、早くに二人組――顔も知らぬ連中が持っている物体に気付く。
「……Oh……」
声というより効果音だった。空気は読めずとも、一度感じ取れれば状況把握は速い。夕菜は口を閉じた。教室内の四人が、夕菜の後ろにいる良介の姿を視認した。いよいよ、場の凍結は果てに達した。夏にしては涼しい風が、窓から吹き込んだ。
「…………うん、その、これが……」
何とかしようと、責任めいたものを感じた夕菜が再び口を開く。
「これが、修羅場ってやつか……!」
ある意味合っていた。しかしフォローにはならなかった。
夕菜以外、全員真顔だった。