バーチャルボーイ
映画を見た。
遠い昔の映画だった。
他国に攻め込まれた国の主人公たちが、追ってくる敵から逃げ延びるというところから話は始まる。
最終的には主人公は死に、主人公が庇ったヒロインだけが生き延びるという涙なくして語れない悲劇のストーリーだった。
この映画の敵側の人物というのは御多分にもれず、民間人の虐殺を楽しむようなろくでなしだった。
よくこの手のストーリーではこういった人物が出てくるが、こんなことをできる人間が現実にはどれだけいるというのだろうか。
敵役の人物が活躍するシーン、つまり民間人を襲われる場面ではぎゅっと手を握られる。
プライベートシアターで一緒に映画を見ているガールフレンドだった。
「ひどいよね、あんなことできるなんて人間とは思えないよね」
目を赤くしながら彼女はそんな感想を言う。
僕もそう思う、とだけ返す。
映画を見終わってこれからの予定をどうするか聞いたところ、とりあえず昼食を取りながら決めようということになった。
僕は手元のコンソールから彼女のお気に入りのレストランを呼び出す。
すると、瞬時にレストランの入り口に到着した。
レストランに入ると丁寧なウェイターが迎えてくれた。
店内の奥にあるテーブル席に腰をかける。もちろんガールフレンドも一緒だ。
いつもと同じく前菜からしてなかなかの味だった。
今日の肉料理は珍しく鳥肉だったが、これもよく味付けされており香りもいい。
飲み物のワインは料理と相まって格別な味わいだった。
「ねえ、今日は仕事ないんでしょ?夜まで一緒にいられる?」
もちろんだ、と僕は答える。
とはいえ、緊急の呼び出しがかかることもある仕事なので、こういうタイミングで呼び出されたりするとまた彼女の機嫌を損ねることになる。
今日こそは呼び出されませんように。
そう思った瞬間に着信音が聞こえた。
思わず舌打ちしてしまう。
着信音は彼女には聞こえないため怪訝な目で見られた。
通話先の相手にどうしたのか聞いてみる。
『ボーナスミッションがあるらしいぜ』
仕事仲間からだった。
だが今はガールフレンドとデートの真っ最中なんだと断りを入れる。
『まあ待てよ。今回はスコアの3倍がマネーとして獲得できるらしいぜ』
思わず息を飲んでしまった。
普通であれば1倍以下であることも珍しくもないというのに、今回は破格のボーナスだ。
『しかも1時間で20万ポイントは稼げる想定だってよ。後悔したくなきゃ行こうぜ』
目の前に座る彼女に視線を向ける。
通話の声は聞こえないはずだが、内容に想像がついたらしくすでに不機嫌になっている。
「行ってくれば?いつもそうなんだから」
1時間だけで戻ってくる、そしたらデートの続きをしよう。
そう言うと、彼女はそっけなく答える。
「もういいよ。今日は気分が乗らなくなっちゃった。あたし帰る」
そう一言だけ言うとコンソールを呼び出して帰宅ボタンを押してしまった。
瞬時に彼女と彼女の荷物が消え去ってしまう。
思わずため息をつく。また彼女を怒らせてしまった。
僕自身ももう食事という気分ではなく、帰宅のためにコンソールを呼び出す。
出てきた食事はだいぶ残っているが、どうせ僕たちに食事なんて必要ない。
食事は娯楽のためのものだし、空腹だって食事のスパイスとしていつでも感じることができる。
そもそもこの食事だってただのデータだ。実際に食材が消費されているわけじゃない。
その代わりにコンテンツ料として消費されるマネーは惜しかったが。
『で、どうするんだ?』
仕事仲間と通話が続いたままだった。
ため息をついたあと、すぐに行くとだけ伝えてコンソールから帰宅を選ぶ。
次の瞬間には自宅のリビングに到着していた。
自らがコーディネートしたリビングは白と黒を基調としたゴシックスタイルで今日も見事だった。
だが彼女を怒らせたという事実に気分は重いままだ。
コンソールを操作して環境設定を夜に変更する。
ゆっくりと昼から夜に切り替わり、サンルーフから見える夜空には大きな満月が輝き出す。
重苦しい気分を癒やすにはちょうどいい風景だった。
これから一仕事なのだが、その前にシャワーを浴びておこうと思った。
さらにコンソールから入浴とシャワーを選択する。
だだっ広いシャワールームに移動した僕は、全自動を指定した。
全身に柔らかい水圧のシャワーが浴びせられ、いい香りのするボディソープで体中が洗浄される。
頭も髪の毛から頭皮の隅々まで洗われて、最後には熱いシャワーで洗い流された。
あとは全身を温風で乾燥されてすっきりとした状態になる。
これももちろん気分だ。
外に出たからって体は汚れたりしないし、洗ったからといって実際に清潔になったりしない。
しょせん僕たちの肉体はデータなのだから、コンテンツ料さえ払えばなんだってできる。
たとえば実際にガールフレンドがいなくなってアダルト・コンテンツだって豊富だ。
ただ僕の好みとして彼女と付き合っているに過ぎない。
シャワーを浴びてすっきりしたところで仕事部屋に向かう。
コンソールから仕事部屋を選択すると、仕事着が装着され同時に目的地に到着した。
SF映画でいうところの操縦席のような空間の中で椅子に腰をかけた状態だった。
仕事着もパイロットスーツと呼ばれるだけあってごてごてとした機械的な服装だ。
『遅かったな』
仕事仲間から通信が入る。
彼女を怒らせてしまって気分転換をしていたと伝える。
『そいつはすまなかったな。せっかくだから今日はがっつり稼ごうぜ』
ああ、よろしく頼むと言い、コンソールから仕事をの開始を選択した。
次の瞬間にはまるで他の星のような岩だらけの風景の中に立っていた。
しかも自分の体は先ほどまでの生身の肉体ではなく、金属製の巨大なロボットに変化している。
バーチャルリアリティのゲーム内だった。
僕の仕事といえば、このゲームの中でスコアを獲得することだ。
人間がデータの中のみで生きるようになったとき、実際の労働はすでに必要なくなっていた。
だがコンテンツデータの作成と、その報酬という関係だけは維持された。
そのため、コンテンツを作成することが不得意な人間が報酬を得るためには、こういったゲームの中でその人物の”性能”を見せることが対価となっていた。
つまり実際の労働そのものではなく、その人物が有能であることに対して報酬が支払われるのだ。
今回はときどき発生するロボットシューティングのゲームだった。
突発的に発生する”ボーナスミッション”ではよく登場する類のゲームだ。
視界の正面に文章と図が表示され、ゲームのルールが説明される。
どうやらビーコンの示す先にあるエイリアンの巣で戦闘を行い、できるだけたくさんのエイリアンを倒すことが今回のゲームのルールのようだ。
『お前の得意なゲームだな。来てよかっただろ?』
仕事仲間が僕と同じようなロボットの肉体でそう声をかけてくる。
ああ。せっかくだし彼女を怒らせた以上の対価はいただこう。
そう返事をして機械の体を動かす。
スラスターで地面を滑っていくと、ほどなく岩の塔のようなものがたくさん生えた地形が見えた。
視界の正面には”ミッション開始”と表示される。
周囲を見渡せば、クロウラーと名称が表示された芋虫のようなエイリアンがこちらに尻尾を向けていた。
しかも1体だけでなく10体以上も並んで近づいてきている。
距離が詰まってきたところで尻尾から毒々しい液体を飛ばしてきた。
いきなりの攻撃でうまく避けられず、毒液が肩をかすめる。
ダメージを受けた分だけスコアが減点される。まだ敵を一体も倒していないためマイナスだった。
舌打ちをして地面を蹴る。
背中に搭載されたブースターで空に舞い上がり、上空から右手のライフルで芋虫共を一気に片付ける。
8体倒しただけでスコアが4万ポイント加算された。さっきの減点なんてどうでもよくなるスコアだった。
『こいつは美味しすぎるな。お前を呼ばなければよかったかな』
仕事仲間が残りの敵を倒しながら声をかけてくる。
ゲームオーバーになってしまったらどうしようもないだろうに、と苦笑する。
ゲームのルールにもよるが、ゲームオーバーになってしまった場合はいくらスコアを稼いでいても獲得できるマネーは大概ゼロになってしまう。
そんなことを話しながらマップに目をやると、エイリアンの巣に接近している他プレイヤーが増えているようだった。
このままではスコアをすべてもっていかれてしまう。
二人して慌ててエイリアンの巣に向かう。
エイリアンの巣の周辺にもスコアになる小さな巣がたくさんあった。
しかも巣からは蟻のような小さなエイリアンがわらわらと逃げていく。
試しに頭部のバルカンで撃ってみると一体につき数百ポイントのスコアが加算された。
一体一体のスコアは少ないようだったが、数をこなせばいいポイントになりそうだった。
動きものろいのであとで片付ければいいだろう。どちらにしたって敵の全滅がクリアの条件だ。
そう考えていると空から蜂のような姿をしたエイリアンが急に近づいてきて小さな針を大量に飛ばしてきた。
慌てて避けながらライフルを撃つが、距離があったせいで大きく外れる。
おまけに相手は大きな毒液まで飛ばしてくるようだった。
毒液は避けてもこちらを追いかけてくる。難易度のためとはいえ変な設定だ。
ライフルで撃ち落としてから、蜂と同じ高度までブースターで飛び上がる。
接近したところでライフルを打ち込むとあっさりと落ちてぐしゃりと潰れた。
芋虫よりスコアが高い。一体で2万ポイント。
もっといないかと周囲を探すが、数そのものが少ない上に他プレイヤーがすでに狙っていた。
見れば、蜂を狙っていたプレイヤーがどこからか飛んできた毒液をまともに浴びている。
あれではかなりスコアが減点されてしまったことだろう。
毒液の飛んできた先を見ると、コウモリのような形をした動きの早いエイリアンが空を飛び回っていた。
一瞬射程に入ったかと思ったらあっという間に飛び去ってしまう。
『あれはポイント高そうだな。どうやって倒す?』
作戦がある、と仕事仲間に伝える。
僕はエイリアンの巣の中央にあるたくさんの岩の塔うち一本の頂上に来ていた。
仕事仲間も隣に立っている。
『ポイントは山分けだぜ?』
『わかっているよ』
そうしているとまたコウモリのエイリアンが遠くから飛んできた。明らかにこちらを狙っている。
僕は肩車のように仕事仲間の操るロボットの肩に飛び乗った。
コウモリ型のエイリアンが近づく直前に仕事仲間がブースターを全開にさせる。
ほぼ同時にコウモリが毒液を撃ってくるが、仕事仲間がライフルで撃ち落としてくれた。
一番高くまで飛び上がったところで僕もブースターを全開にする。
二人がかりで飛び上がるとちょうどコウモリを射程に捉えた。
ライフルとバルカンを一気撃ちまくる。
なんとかコウモリの翼や胴体をかすめ、速度が落ちたところで一気にライフルで撃ち抜いた。
一体だけでなんと10万ポイント。仕事仲間と山分けで5万ポイントだった。
どうやら他のプレイヤー達もあのコウモリには苦戦していたらしく、周囲から歓声が上がる。
いい気分だった。やっぱりロボットシューティングが一番得意だ。
大きな敵を倒したあとは先ほどの蟻のようなエイリアンを片付けていった。
巣を壊した場合でも中のエイリアンが死ねばスコアは加算されるようだった。片っ端から壊す。
蟻が集まっているところを一気にグレネードで倒すのはいいスコア稼ぎになったし爽快感もあったが、それが大体終わると逃げる蟻を一匹一匹潰していく単調な作業になった。
『なんだよこの作業ゲー。いくらスコアよくても飽きるぜ』
レーダーに表示される蟻をバルカンで一匹残らず潰していく。あまりにも単調だったので時々踏み潰したりしたが、それでもスコアは加算されるようだった。
蟻のエイリアンにもそれぞれスコアが決められていた。
動きの早い蟻よりも遅い蟻や、卵を咥えている蟻の方がどちらかというとスコアが高い。
そしてそういうポイントの高い蟻の多く巣はの中に隠れていた。
レーダーを見れば一発で居場所がわかってしまうので建物ごと潰す。
とある小さな巣を壊すと、スコアの少ない動きの早い蟻と、スコアの高い卵を加えた蟻が隠れていた。
大抵はすぐ逃げていくはずの蟻が、そのときだけはスコアの低い方がちょこまかとこちらの周囲を動き回る。
どうやら囮になっている隙に卵を咥えた蟻を逃がそうとしているようだった。
淡々と蟻を潰すよりはこういう動きもあったほうが退屈しなくて済む。
どういう反応が設定されているのか気になったので、卵を咥えた方の蟻を握りこぶしで叩き潰してみた。
ちょこまかと動き回っていた蟻の方が一瞬止まったあとにこちらに向かってくる。
なるほど、こういう動きが設定されているのか。
少しだけ関心しながらバルカンで撃ち抜く。
他の蟻もそれぞれ動きが設定されているのか少し気になった。せっかくだからクリアまでそれで楽しむとしよう。
結局、すべてのエイリアンを倒すのにプレイヤー50名以上で6時間もかかってしまった。
これでは1時間だけプレイして帰るなんてことは元々無理だった。
だがスコアの合計と、獲得できたマネーを見て息を飲んだ。
普段であれば稼ぐのに3~4ヶ月かかるほどのマネーが今のミッションだけで手に入ってしまった。
『やばいなこの稼ぎ。こういうミッションもっとやってくんねえかな』
仕事仲間も息を飲んでいるようだった。
あんまりいつもやられるとインフレが起きるよ、と苦笑する。
『お前はそういうところ細かいよな。ま、ゲーム内だとそういうところも頼りになるんだが』
そうかな、と呟く。
『ああ、そうだぜ。まあいい、せっかく稼いだんだ。怒らせた彼女にプレゼントでも買って機嫌を直してもらうんだな。それじゃ、またよろしくな』
そう言うと仕事仲間はゲームから退出していった。
僕もコンソールを操作して自宅のリビングに戻る。
自宅のリビングに戻ると、怒っていたはずのガールフレンドフレンドからメッセージが届いていた。
『今日はごめんね、ちょっと怒りすぎた』
とんでもない、と思った。彼女を怒らせるようなことをしたのは自分の方だった。
だがもう彼女が怒っていないという事実はに大きな安堵を感じる。
自分が悪かったのだから仕方ない、明日埋め合わせをしよう。そうメッセージを返す。
さて、それでは彼女に渡すお詫びのプレゼントを探さなければ。
コンソールから最近の人気コンテンツを表示させる。
プレゼントを渡した時の彼女の表情が楽しみだった。
『16日未明より、ラトラ共和国の首都アスタンブールにて、アストラル帝国による大規模破壊行動が行われました。ラトラ共和国はかねてよりアストラス帝国と鉱物資源をめぐって対立しておりましたが、その抗争が激化し、アストラル帝国はアスタンブールでの大規模破壊行動に踏み切ったようです』
52型の液晶テレビから日本語吹き替えの海外ニュースが流れている。
『ラトラ共和国は抵抗しましたが、アストラル帝国の無人人型戦闘機 アイオーンによる攻撃で全滅。首都アスタンブールは壊滅的な被害を受けました』
そんな遠い国の悲劇をニュースキャスターは語る。
『現在も生存者の捜索が続けれておりますが、女性や子供を含むすべての市民に対して執拗なホロコーストが行われており、生存者は絶望的とのことです』
そんな悲劇も、映像と音声で世界を巡るただのデータだった。
『アストラル帝国は国民全員が機械化され、その全員が仮想世界の中で生活しており、その肉体は……』
今日も遠くの国の現実味のないデータが流れる。
僕たちがただのデータを現実と同じように感じられるようになるのは、どうやらもう少し先の未来のようだった。