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 欠伸を零し、低血圧でもないので特にぼんやりとすらすることも無く、青年は自らのぬくもりが残った布団から肌寒い外の事を気にもせずに立ち上がった。寝巻の着物の帯をほどき、側に置いてある質素な着物に手を掛けて手早く着付けていく。

 前はこの作業を少なからず面倒だと思っていたが、それが今は生活の一部として体に染みついている。たった一年。されど一年という言葉が身に染みる瞬間だ。

「はー、さってと。腹も減ったし食堂にでもいこーかねー」

 軽い調子でまだ周りで青年以外が起きていないこと確認することも無く、いつも通りの調子で謳うように告げた。




 朝独特のさわやかな空気に晒され、青年は急ぐこともせずとことこと素足で廊下を歩いていた。寝起きで火照った体にひんやりとした床や少し寒いともいえる空気はちょうどよく、心地いい。

 花街と言われるここは、今では主に芸を披露する人間の方が多いというのも真実だが、法が改訂されても今もなおこうして女や男が自らを売るこの館のような店がなくなったわけではない。こういう汚いものに目をそむけ、綺麗なものばかりに目を向ける政府は狡いけれど、それは正しいと同時にとても人間らしい。

しれに、もしそれをなくそうとしたところで、こうした行為はどうしたって陰で行われる。規制してもそれはどうにもならないしこうして堂々とされる方が監視が行き届きやすいともいえる。

 ここで花ではなく花の、しかもこの館で一番と言われる白花の世話役という顔を持つ青年は馬鹿馬鹿しいと思いながらもこの館の事を否定も肯定もしていない。

 いつものように食堂への道をのんびりと進んでいると、後ろから大きな足音が聞こえてきた。

「寿!!助けてくれ!マジで!!もう寿が身長低いからとか気にせんからかくまってくれ!!」

「う、わぁって……いきなり抱きついて一番気にしてることを言ってくるなぁ!!誰がかくまうかコノヤロー!!」

「なんでだよ!?ありえねー!困った子供を助けるのが大人の役目だろ!?」

「おい、いつもいつも逃げるな。それでも十三歳か、織」

 さっきまで静かだった廊下でわいわいぎゃいぎゃいと騒ぎまくる青年と少年に後ろからほとほと呆れたような声が響いた。髪をゴムか何かでひとくくりにした後で、青年に抱き着いている織と呼ばれた少年を引きはがす。

「うっさい。毎朝毎朝俺が脱走するのを朔が止めるのが悪いんだろ」

「いつもいつも織が脱走しようとするから駄目なんだろう。いい加減逃げ出すのを諦めればいいんじゃないか?」

「わりーな。そればっかりはお断りだ。こんなとこに居たら腐っちまう」

「……否定はしないがそういうことを俺以外の前では言わないほうがいい」

「言ってるじゃん。オレの前でねー」

 暴れる織を無理矢理抑える朔の言葉の掛け合いを暇つぶしに観察していた寿は、織の言葉と朔の言葉にけらけらと笑った。

「寿、毎朝こいつの襲撃を受けさせて悪い。やんちゃなのはいいがこういうことの加減がつかないのは駄目だな」

「いーよいーよ。オレの花だってやんちゃでこそないにすれオレを無視するわ暴言はくわ辛辣だわだしねぇ。やっぱ子供がこういう花街にいることで教育上良くないって点はどーも無視できないなー」

「あの白花がか?」

「まーね。あれはあれで普通かもしれないけどさ」

 にっこりと笑って見せる寿に朔はそうか。と一言だけ言って織の口を押さえていた手を離した。

 電池切れでも起こしたのかその場で崩れ落ち、必死で呼吸を繰り返す織を朔は冷淡に見つめていた。寿のとってその関係は面白いの一言だが、それに関しての感想を織に言えば顔面パンチが返ってくる事は容易に想像がつく。

「げほっ、ごほっ……寿って世話係なんだろ?白花様の」

「様ってつけるような奴じゃないんじゃないかなー。ものすごく性格良いってわけじゃないし」

「でもここでの実質トップなんだろ?どんな奴?」

「優のこと気になるのか?」

「当たり前だろ!?ここの館って結構な高級娼館だし!それに加えてここでの最年少だっつって聞くし!」

 興奮したように目をキラキラと輝かせるさまは子供っぽい。十三歳という年齢に会った瞳をしている。寿から見て、優と比べるとその差は歴然だ。

 それより、この年の織が高級娼館という言葉が合わない。だがしかし、これが織ではなく普通のそこら辺にいるガキが言ったらきっともっと衝撃的な言葉になるに違いない。

「どんな奴っつっても。さっき言った通り辛辣で、子供っぽくないくらいに落ち着いてて、オレの事を無視するわ平気で毒はくわ、文句だって言うしなー。あー、後、無表情で滅多に笑わないけど笑った時の破壊力がえげつない。後分かりにくいけど何だかんだで優しいとか?」

「あの優がか?人形が、客以外の前で笑う?」

「人形じゃねーよ。アイツは生きてるんだ。喋るし自分の意志で笑うし喋る。そうやって偏見に満ちた見方してるから滅多に部屋から出てこねーんじゃないか?」

 辛辣な言葉を口にした当の本人である寿はふああ、と欠伸をし、生理的にうるんだ瞳を手で拭った。

 寿にとってそれは只の明白な真実であるが、大体の人間はこの館の花のトップである白花として、男娼としてとしか優を見ない。これらの事を通してとしか優を見ないせいで、寿以外の人間は皆、優というたった一人の人間の存在を見ているようで見てなどいないのだ。

 とは言っても、当の優本人はそれについては毛ほども気にしてなどいないのだが。

「よくわかんねーけど面白そうな奴だな。なあ、話してみたい!寿、どうやったら話せるんだ?」

「普段は世話役か本人、客くらいしか出入りできねーけど。確か一週間後には空いてるはずだから食堂にでも連れてくるなー」

「マジ!?俺未だ遠目からしか見たことねーんだよなー」

「……織」

「……?どした」

「織、朔、オレ腹減ったからもう行くわ。そんじゃ」

 ひらひらと手だけを振り、後ろにいる二人を見ずに寿は立ち去った。




「こーとーぶーきくん」

「ん?お雪さん、どーしたの?」

「ふふ、四日前みたいにおにぎり作ってあげないの?お姫様に」

「姫って柄じゃないってー。優は」

 つまらないわ。とぼやき、目の前でご飯を口に入れる女性を横目で見た。男である優の次に指名率が高いこの人は、女の白花ともいえる。この館の中でも見えないが一番の年長者であり、包容力があるせいか、よくモテる。客からも、もちろん花、世話係も含めてだ。

 だが、人間とはやはり欠点がどこかしらにあるものなのだ。それが彼女の場合はここの花同士、または仲の良い客をくっつけだがるのである。しかも男と女、だけならまだしも男と男、女と女とそれこそ色々と節操なしに。

 これがおせっかい焼き、というだけならいいのだが、くっつけようとしている人間達で彼女はきゃっきゃうふふな妄想を脳内で繰り広げるのだ。一口で厄介というには、ましてや変人で片づけるにはルックスやそれ以外の性格が邪魔をして誰も悪口も暴言もはけないという、些かどころじゃないかなり厄介な相手だ。

 それを巷では腐女子、またはオタクと呼ぶのだが、ここの人たちは俗世と一切断絶されているのでそれらの単語を言っても通じるのは花街へ成人してからか、中学校以上になってから売られてきた花、または世話役のみだ。ちなみに彼女には通じる。

「大体、優とオレはそんな関係じゃないってー。兄と弟。十歳も離れた子供に、ましてや男に欲情するわけねーじゃん。無理無理」

「優君がどうかわからないじゃない。私のサンクチュアリを汚さないでよ」

「サンクチュアリって妄想じゃん。ただの」

「いいじゃない、娯楽の少ない館で娯楽を考えてるのよ、私は」

 豊かな胸を張って威張るが、どういじくったってただの妄想だ。しかも今回の場合男同士の妄想。サンクチュアリという言葉を考えだした人に謝ってほしいくらいだ。

 むしろ寿と優に謝らなくてはいけないレベルだろう。

「というか別に寿君は欲情しなくてもいいのよ」

「はい?」

「だって受けだもの」

 真顔で言い切る女性に寿は項垂れた。もう反論する度胸も気力もなかった。KO負けだ、白旗を振る。現実逃避などしない主義である寿の意識が一瞬飛びかけた。

 この館の人間ははっきり言ってキャラが濃すぎなんじゃないのか?

「キャラが濃いねー、ほんっとここの人たちは」

「そうかしら?普通よ、普通。学校でもこれくらいの変人はいくらでもいるわよ。皆が皆隠してるだけ」

「納得いかなーい。断然変人の巣窟じゃん」

「寿君もよ?君だってこの館に一年前突然現れたようなものじゃない。あの方の許しだって驚くほどすんなり出たときは私たちは随分驚いたもの。寿君のその純粋な性格だってここでは貴重よ」

 フーフー、と熱いのか息を吹きかけながら口に米を次々と入れていくお雪さんと呼ばれた女性に、寿はにっこりと笑った。

 雪や他の人間は寿の事を純粋というが、彼は決して無垢ではない。一見憎悪や憎しみ、殺意とは無関係そうに見えるものの、あらかたの光、あらかたの闇をその幼い体でほとんど体感してきている。今こうして普通にしているのも色々あったが故だともいえるのだ。

「そーでもないって。オレだって隠し事もあるし嘘もつくよ」

「嘘はみんなついてるわ。まず、花はみんな源氏名でしょう。私の雪だってそうよ。寿君はお雪さんなんて江戸時代にいた人の名前みたいに呼ぶけどね。寿君みたいな世話役は本名が多いけど、寿君のは偽名じゃないの?」

「さー?どーでしょーね」

 誤魔化すように笑って見せる寿に、雪は苦笑した。

「……そうね、寿君のそういうところ嫌いじゃないわよ。でも、優君にはちゃんと言いなさいね」

 ご飯と食べ終え、汁物に手を付けた雪を見ながらおかずを箸でとり、寿は口の中に入れた。今日のメニューは目玉焼き。優は卵焼きよりも目玉焼きの方が好きだと前にこぼしていたから喜ぶだろーなーと寿は今までの会話とは関係ないことを考えていた。

「それって、妄想の為?」

「サンクチュアリって言って欲しいわ。まあ、それもあるわよ。でも第一に優君の為よ」

「ふーん。というか、妄想の為でもあるのかよ」

「そこには普通触れないわよ。寿君、あの子を大切に思っているのなら見てあげて。貴方は優君にとってきっと大切な存在なのよ。私じゃなれない、あの子は人形じゃないし白花という名前でもないわ。あの子はもう借金と名のついたお金はとっくに全部なくなってる。それでも行くところがないからここにいるのよ。あの子にとって、生きる世界は狭いわ、外に出て行ったって覚悟がなくちゃのたれ死ぬだけ。あの子には希望希望を植え付けてあげて、ここから解放してあげないとね。立つことが出来なくちゃ縛られたままよ。きっと寿君は私達の白花、優君のいいきっかけになってくれると私は思ってるのよ」

 愛しみの籠った眼差しに声は、裏でマリア様と評されることはある。

 それに寿は暖かい日だまりのような笑みを返した。

「そのためにはまず助けを自分から求めなきゃねぇ。それじゃ人から施してもらうだけじゃん。オレは求めてくれるのを待ってんの。勝手に助けてもらってるようじゃ甘えちゃうじゃん。自分から行動しないと。天は自ら頑張るものしか助けてくれないし」

「結構辛辣ね。無償の愛は確かに重いから厳しいとは言えないわ。寿君はそのままでいいのよ」

「どーいたしまして」

 そう言ってお茶に口をつけると、何かを考えるようにお雪さんが俯いた。

「一つ、今まで聞けなかったことを聞いていいかしら」

「どーぞ。聞くだけならタダだしさ」

「ありがとう。それじゃあ二つ聞くわ」

「多くなってない?」

 首をかしげ、不思議そうな顔をする寿に、雪はつめていた息を吐いた。自然体でいる相手に対して根を詰めることが嫌だったのか、単に話しにくかったのかと寿は見当をつけたが、それが真実かどうか、それについて深く問い詰めることはしない。

 ただいつも通りにお茶を呑気に啜っていた。

「そうね、じゃあ、あれから聞こうかしら」

「……無視かよ」

「無視してる訳じゃないわよ、聞いていないふりをしているだけよ」

「余計質が悪いわ!!」

 ふーっと溜め息を吐き、鋭い瞳で寿は雪を見据えた。それと同時に身にまとう空気が一変し、それと同時にさっきまでの生ぬるい周囲の空気が張り詰めた糸のように鋭くなる。

 その空気を察したのか雪は笑みを消し、口を開いた。

「……あなたは、寿は一体何者なの?朝と夜、優君の世話役としての業務だけを済ませてさっさと出て行っているみたいだけど」

「ふーん、成程ねぇ。そんなことまで知ってたの」

「答えて。場合によっては優君に話すわ」

「別に?というか何をいう訳?それに別に何者とか言われたってオレはなんでもないし。ただの世話役の寿。それだけじゃんか。マフィアでも怪しい組織に属してもいない、清廉潔白だ。それに、もしそうなら今頃とっくになんかしてるしさ」

 面白げに笑う寿の言葉に嘘はない。それは事実だろう。だが、肝心の何者なのかという質問に対しては曖昧にぼかしている。そのことに気付かないわけでもないが、それをちゃんと話してもらえるとも追っていなかった雪は内心溜め息を吐いて諦めた。

「それじゃあ二つ目。なんで貴方はここにいるの?」

「……それは」

「寿さん!この館の領主様、瑠璃様がお呼びですよ~~~~!!」

 答えようとしたところで、まさにベストタイミングと言えるタイミングで二人の間に甲高いソプラノ声が、会話に割って入った。

「あー、呼ばれちゃったじゃん」

「そうね。この問いの答えはまた後でにしましょうか」

「ああ、良いよ。今ここで言うし」

「え?」

 瞳を瞬かせた雪に、寿はその場から立ってゆっくりと微笑んだ。

「ここにいるのが優が心配だから。それ以上でもそれ以下でもないの。それじゃあまたね、雪さん」

 手を振ることもせずにその場を去って行く自分よりも年下の少年に、お雪さんという呼び方が寿のせいで定着してしまった女性はその後ろ姿を静かに見つめていた。



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