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いきなり視点が変わりますが、お付き合いください。
国の中でも特に大事な役割を備える役所の内部で、傍目から見て至極危ないものを一人の青年が棒切れか何かのように振り回していた。廊下をすれ違うそれぞれの役目を持った公務員たちはある種何時もの事のようにその見慣れた光景を受け入れていた。
青年に至っては危ないものを振り回していることにさほど興味を持っていない。
その凶器は、日本人らしいともいえる日本刀。鞘も何もない上にレプリカでもないので当たった時点で怪我をすることは間違いなしだ。
「おい、四季。何やってんだよ」
「あ、水都じゃん。約一週間ぶりだなー、やくざ同士の喧嘩はどうだった?ナイフが刺さった脇腹の傷は治ったんでしょ」
「相変わらずテンションが無駄に高いな。お前みたくテンションが高い奴うちの部署でもお前くらいだ。大体、喧嘩じゃなくてあれは戦争っていうんだ」
水都は呆れたように溜め息を吐いた。部署の中でも新人で、同僚である四季のテンションは常時的に高い。本人は気分によってという割に低い時がない。常時これで疲れないのかと疑うくらいだ。そうはいっても所属する部署が部署なので、いつも会っているわけではないのだが。
「最年少だしねぇ。どしたん、上司に始末書でも提出しにでもいくのー?」
「正解。一緒に行くか?というかそれ鞘におさめろよな。危ないっていうか証拠品が日本刀とか今回はどんな会社に行ったんだ」
「鞘はない。後訂正すると会社じゃない。やくざ達の本拠地だよー」
あっけからんという四季に水都の顔が引きつった。
普通そんなことは簡単に言うような事じゃない。よく怪我もなく帰ってこれたものだと感心するレベルだろう。
水都の場合確かに基本的には外に行くことが多いが四季はまだ新米と言える立場だ。普通は事務の仕事の方を任せられるはずで、ましてや一人で行かせるなどいくら万年人手不足の部署だといってもそんな危ない所に行かせるわけがない。
と、そこまで考えたところで水都の上司の顔を思い浮かべてあの人ならやりかねないと心のどこかで納得してしまった。
「銃刀法違反に麻薬取締。その他諸々、見た感じではそれくらいで証拠品もとってきたから明日には警察が乗り込むんじゃない?今頃大慌てだろーよ」
「笑いごとで済まないレベルの事を笑うな。あー、これで俺は明日も休めないこと確定だ」
「水都がーんばって。オレは今日めちゃくちゃやったから」
「めちゃくちゃやった?何を」
水都が尋ねると、四季が普段の温かく純粋な笑みとは違う種類の笑みを浮かべた。その時点で水都は聞かなきゃよかったと後悔した。だがもう遅い。
「この奪った日本刀でそこらに会った銃をたたききってきた」
「…そんなことできるのか?」
「抜刀術の応用編?やったらできた。日本刀は剣なんかと違ってきり味がいいんだよ」
「バカなことを……。恨まれても知らねーぞ」
「公務員を、しかも会社および物事取締り管理部の公務員相手に何か何てできないと思うけどなー。疲れたからさっさと帰りたい」
欠伸をするその姿には悪意や害、ましてや殺意なんかは微塵もない。
だって仕事だし。四季がいつもそれですべてを済ませてしまうのはいかがなものかと思うが、この純粋な面がなくなると思うと怖いものがある。
水都と四季が所属する部署は主に会社ややくざ、または揉め事の事前調査。まあ、簡単に言えば監査と同じようなものでその派生型かつさまざまなものが混じって混沌とした部署だ。警察は基本事が起きてからしか調査をしないせいでこんな部署が出来上がった。
一般的には非公開でもないのに一般の人間は全然知らないという恐ろしさ。会社に行って怪しい所がないかの調査をし、やくざとの命がけの取引、揉め事の火種があれば証拠品の押収をして警察に提出しその重い腰を蹴るのが主な仕事だ。
そしてその役割はかなりきついものがある。しかも万年人手不足なので余計に仕事は倍増だ。というか人手不足の原因がそのハードさにあり、すぐに辞表を出してしまうからだという悪循環。大体、所属している部署の名前が意味不明で浅しい事極まりない。
「帰るって、お前の事は一年前から知ってるけど一体どこで寝起きしてるんだよ」
「あー、花街だけど?」
「は?ちょ、おま、それどういう意味で言ってるんだ!?」
「冗談だって。ふつーにアパート暮らし。大体、花街行けるほどの金ないし」
「びっくりした。まあそこまで給料ないしな」
だろー、と言いながらははっと笑う四季の笑みはいつも通り。
公務員で、ほとんど同じ給料をもらっているのだから毎日花街にいける金が支給されているはずがない。それに新人なのだから当たり前だ。
「にしても九十九さん、この証拠品ちゃんと提出するかなー」
「……どうだろうな。怪しい所だ」
「あの人面倒事大っ嫌いだしなぁ」
「心底同意するが一応言っとく。それ本人の前で言うなよ」
「分かってる。あの人の蹴りはかなり痛いし、俺もマゾヒストじゃないって」
若干青い顔をしているように見えたのは気のせいじゃないだろう。四季が一番の被害者のようなものだから仕方がないと思うが。
「でもお前馬鹿だから口滑らしそう」
「バカゆうな。お前まで」
「お前まで?」
「九十九さんに馬鹿って毎度言われるんだよなー、あとガキとかも」
ガキという暴言は確かに的を射ている。もう十九歳のはずなのにどう考えても高校生にしか見えない。高校生というのもおこがましいくらいだ。
「何か失礼なこと考えてねーか?」
「よくわかったな」
「同意すんな!!せめて狼狽えるとか否定とかして見せろよ!!」
「だって四季の人の考えを何となくで当ててみせる能力は慣れた。それに本当の事だから狼狽えようがないし否定できないだろ」
そこまで言って水都は能力と言う言葉の使い道が少し違うかもしれないと気付いた。
人の考えを、しかも悪い方面でのみ言い当ててみせるのは能力というよりは短所に近い気がする。これでいい方面だけに働くのなら長所……とも言い難いかもしれない。どちらにせよ詳しいことは知らないので何とも言えないのだが。
「まあそーだけど。あ、そういやーこの日本刀なんかすっごい高いってさ」
「え?マジでか」
「そ。本気と書いてマジ。妙に凝った造りしてるなと思ったらこれだけは止めてくれって頼まれて。だから多分高い。でも今更他のに変えるの面倒だから盗んできた」
「盗むとかいうな。国家公務員」
「いいじゃんこれくらいはさー」
にっこりと笑う姿に、呆れとも何ともつかない感情が水都の思考の内を支配していく。
そこまでぐだぐだと無駄話をしたところで、この階で働く人と監査の人間以外の誰も寄りつこうとしない水都と四季が働く部署の扉の前に到着した。自動で動くドアなので、何かの書類を持っている時にはかなり便利だ。
「失礼します」
「失礼しまーす」
適当で心の籠っていない言葉の羅列を口にして、二人は中に入った。その一番奥に水都が目をやると、上司でありここの部署を取り締まる男が書類とにらめっこしている姿があった。
「九十九さん、これ始末書です」
「おー、それ其処置いとけ」
適当に指を刺された机の上には多分まだ見ていないのだろう書類が五つ。見られるのはいつのことになるかが不安だが忙しい業務の割に現場やどっかに行くことが主な仕事なので書類はそれほど溜まらない。
とりあえずそこに手に持っていた紙を置くと四季が上司である九十九に日本刀の刃を向けていた。
(……ん?は?葉?歯?……刃?)
「おいちょっと待て四季!何やってるんだよ」
「何って九十九さんの喉元に日本刀の先端当ててるけど、如何したー?」
「如何したもこうしたもないだろうよ、危ないっていうかまず自分の上司に刃をむけるなよ」
「放っておけ。ただの悪ふざけだ」
「九十九さん反応悪いしつまんないんだよなー。銃むけるてもナイフむけても剣むけてもビビんないし。日本刀もダメか」
カラン、とそこら辺に証拠品を放り投げ、四季は溜め息を吐いた。動じない九十九も九十九だが水都はやっぱりこの部署はいろいろと危ないんじゃないかと水都は呆れた。
大体、銃やナイフ、剣の類を人に向けるということに躊躇いは無いのか。
「それで?それはなんだ。何処で手に入れた」
「仕事で七派組に潜入調査しに行ったら麻薬が出てきたんですよ。刀とか類なら慈悲と寛容で赦そうかも思ったけど、それはさすがにだめでしょうし、だからとりあえず頭が一人の時に背後から襲って話聞きだして証拠品貰ってきましたー。あ、こっちは没収した麻薬の一部ね」
四季がポケットから取り出して机の上に薬が入った袋を置く。銃や刀という単語、襲うという単語はここの部署内では特に珍しい事ではないので水都は気にも止めない。
相手が抵抗、または襲ってくるといった行為に及んだ場合は実力行使もいとわない。これが労働監査部との大きな違いだとも思う。法で取り締まる立場なのに法を無視するのもいかがなものかと思うが、水都にとってそんなことを気にしていたらきりがない。
「ふーん、これまた面倒なもん引っ張ってきやがって」
「面倒って言わないでくださいよー。これでも頑張ったんですよ?それにこれが仕事じゃないですか」
「はっ、こんなもんサツがやりゃいいんだよ。なんで役所の人間がやんなきゃいけねぇんだ」
「知りませんって」
放り投げた日本刀を検分する横で、四季が机の上に散らばるようにおいてある書類を見ている。
水都にとってこの件は今のところ関係がないので余計な口を挟まないように放置されたままの書類を盗み見た。緊急な案件がないようなので密かに安堵する。
「はーあ、明日にでも証拠品として出してこりゃいーんだろ?それでこの仕事は終わりだ。うちでは無理だな。公安にでも連絡するか」
「え?公安?マジですか!?」
「おーマジ。これ盗品だな。確かどっかの将軍様か武士が使ってたんじゃねーか?レプリカでなく本物だろ。いーもん持ってくるじゃねーか」
「あー、だから蔵に入ってたのか。どーりで」
納得したように笑う四季とは違い、水都はどんどん面倒臭くなっていく気配に眉を寄せた。このままだと巻き込まれるか厄介事が舞い込んできそうな気配に視線に見えないような視角に移動する。
そしてそれは当たるのだ。悪い意味で。
「おい、これ四季が持ってけよ」
「えー、何でですか!九十九さんが行ってください!オレ明日も仕事があるんですよー」
「……はぁー。じゃ、水都。お前がこれ持ってけ。今の話聞いてたろ?」
「え!?何でですか!?」
いやだとは言えずそういいかえすと九十九はあまりに分かり易いあくどそうな顔で笑った。
その笑みに水都の顔がほとんど無意識に引き攣る。
「俺は明日他の役場に行かなきゃなんねぇんだ。お前は確か怪我で明日も非番だろ?人手がないのは知ってんだろ。行・け」
「ちょ……。まだ怪我が痛むんですけど」
「知ったことか。ここまで来れんならいけるだろ」
「……魔王」
「おー、ぴったりじゃん」
小さく呟いた水都の言葉は四季にばっちり聞かれていたらしくけらけらと笑って同意された。意味が分からないという顔をしている九十九には幸いにして聞かれていなかったのだろう。水都はその事実だけで安心した。
「あー、今日は飲むぞ。酒だ、酒」
返事を確認しないということは水都の意見は無視するという意思表示なのだろう。明日の怒涛の苦労に思いを馳せれば地獄の日々が待っているということだけに思い至った。
どうせ断れないのだろうと上着を羽織る九十九に言葉を吐いた。
「お供します。明日の分、奢ってください」
「ちっ、しょうがねぇな。奢ってやる」
「ありがとーございます」
九十九の言葉に水都はこういうところのギャップがいいといっていたこの職場の女子の一人の言葉を思い出した。確かに女の人にとって普段は厳しいがこうしてたまに見せる優しさのギャップはたまらないのかもしれない。
だが生憎水都は男だ。厳しい所が無くなせばいいのにと願ってしまうのは仕方がないのだろうか。それともこれは個人差で男も女も関係などないのかもしれない。
「ちょ、オレはいかねーよ?言っとくけど」
「は?何でだよ。酒は……あー、でも別に食うだけでもいいだろ?」
「それ以前の問題なんだよなー。水都の知らないことでやんなきゃなけねーことが。今確か十時だろ?行かねーと」
「またアイツか?いーかげん止めろよ」
水都の知らないこと。という言葉が水都にとって引っかかったが、九十九はそれを知っているのか眉を寄せ、不機嫌そうな顔をすると、それとは相反するかのような太陽のように明るい笑顔を四季は九十九に向けた。
「いーんだよ。アイツはオレにとって弟みたいなもんだし。それにオレの家に帰るだけじゃん」
「深入りするなって言ってんだ」
「するに決まってる。可哀想だとは思わないし救えないけど、それでもオレみたいなのが側にいないとアイツの心が壊れる」
「さっきから何をとんでもない事言ってるんだよ。四季」
「いーのいーの、んじゃまたな!」
ひらひらと手を振ってドアから出ていくのを見計らってか九十九は煙草に火をつけた。
「はー、……あいつもバカだな」
「九十九さんは知ってるんですか?アイツて言ってた人の事」
「仕事でちょっとあったんだよ。四季なら言いたきゃ言うだろ。俺に振るな」
煙を吐き出す九十九を見て、水都は疲れた様に目を閉じた。
(どいつもこいつも、面倒な奴ばっかりだ)