一話 プロローグ
新規入所者が来るらしい。
刑務作業間の昼休み、噂の新規入所者を見ようと囚人たちはロビーにたむろしていた。
なんでも、昨晩、海条唯恒所長がシャバへ出かけたまま帰っていないというのだ。入所者を確保するために所長自らシャバへ赴くことはそうそうあるものではない。もし海条が今日新規入所者を連れて帰るというのなら、それは所長自身でなければ手に負えないほどの強者である可能性が高いということだ。
そのままシャバで殺されてしまえ、という呟きがあちこちから漏れ、悠人も心の中で同意した。
関東第一特異者刑務所。特異者とは世間で言う超能力者。古来、超能力者は魔術師によってその存在を隠匿されてきた。魔術師にとって世間から身を隠すことは美徳であり伝統だからだ。超能力者という「非常識」な存在が表世界に露呈した場合、世間はその「非常識」に注目する。それは同じ「非常識」な存在である魔術師がその姿を暴かれることに繋がる。魔術師はそれを避けたかった。
常識世界で注目を集める行為とは何か? それはマスコミに捕まることだ。マスコミが食いつくネタの一つに犯罪がある。犯罪を犯した超能力者、魔術師にとってそれは目障りなことこの上ない存在だった。魔術師は犯罪を犯した超能力者の身柄を警察よりも先に確保し、存在そのものを隠蔽しようと考えた。そして生まれたのが特異者刑務所だった。裁判など行われず、刑量はすべて所長の判断に一任される。その点、刑務所というよりは収容所に近い。
全国に五十か所ほど存在し、悠人の入所している関東第一特異者刑務所は東京都南部と神奈川全域を守備範囲とした、東日本最大の特異者刑務所である。
そんな関東第一特異者刑務所の入所者たちが今朝から浮足立っているのは無論、海条を引っ張り出すほどの新規入所者の噂だ。
悠人はこういった人の集まりがあまり好きではないのだが、気が付けば友人の灰崎碧に連れられて野次馬の一部と化していた。
「どんな奴か楽しみだね。あの海条を出させたなんて道隆以来らしいよ」
隣に立つ灰崎がニヤニヤ笑った。色白でやや中性的な顔立ちに真っ黒い瞳、肩まで伸ばした髪も同じ色をしている。ドレスでも着せたらどこに出しても恥ずかしくない美少女なのだろうが、いかんせん身に着けているのは女囚用の青い作業服である。
関東第一特異者刑務所は全国で唯一の男女兼用特異者刑務所だ。男囚と女囚は今悠人たちのいるロビーと食堂でのみ顔を合わせることができるため、昼休みには女囚見物の男囚がロビーにたむろすることになる。
「じゃあ道隆並みの筋骨隆々な巨漢かもな」
「さあ? 視線で人を殺せる系のイカレた超能力者かもしれないよ。ボクとしては道隆みたいなむさ苦しい男はこれ以上増えないで欲しいし」
灰崎は嫌そうに顔をしかめる。
どうして灰崎はこんなに美人な女の子なのに一人称がボクなんだろう、と改めて疑問に思いつつ、悠人はぼんやりとその横顔を見る。
「あ、なになにじっと見つめて。ボクの美貌に惚れちゃった? 百円で、ニコって笑ってあげても良いよ」
「……遠慮しとく」
「良いの? 明日には五百円になってるかもよ」
けらけらと笑う碧。口を開けば歪んだ性格がこれでもかと露出するのだ。整いすぎた容姿が可哀想に思えてくる。
「それにしても、藤堂以来か……。そりゃ本当にヤバいやつかもな」
「ボクはむさい奴じゃなかったら何でも良いよ。できれば女囚が良い。ボク友達少ないし」
「女囚で海条が直々に迎えに行ったやつっているのか?」
「いないと思うよ。そもそも、道隆が最後ってことはボクが入所してからは一人もいないってことだしね。詳しくは知らないよ」
藤堂が入所したのは三年前、灰崎が入所したのは二年前らしい。所内では最近な方だが、悠人なんかは半年前である。まだまだ所内では「新参者」のラベルが剥がれない。
その時、悠人の視界が暗くなった。見上げれば巨大な男が悠人の前に立って影を作っていた。
「なんだこの集まりは。浮かれすぎだろう」
「よう、藤堂」
「遅いよ道隆。もうみんな集まっちゃってるじゃない」
噂をすれば何とやら、藤堂道隆が百九十センチの高みから自分を見下ろしていた。鎧のような筋肉で覆われた長身は十九歳とは思えないほどに逞しい。一見強面だが、話してみると意外と情に厚い善人で、所内でも一目置かれる存在だ。悠人や碧と友人同士でもある。
「俺はこんなことに浮かれて野次馬になんざなりたくないんだがな」
「道隆以来らしいね。みんなは今か今かと待ち構えてるのにさ。道隆以来なんだってね。海条がシャバに行くのって」
「だから何だというんだ。厄介なのが来ないことを願うのが先決だろう。新規入所者を奇異の目で見て何が楽しい? 向こうにしてみればこれから地獄の始まりだ」
「地獄だからこそ、こんなことが楽しみなんだよ。道隆が来た時だってこんな感じだったんじゃない?」
嫌な過去を思い出しているのだろう、眉間に皺を寄せて藤堂は口を噤んだ。
「……ああ、そうだったな。見世物だった」
藤堂は、人狼だ。三年前に入所した、犯罪を犯した人狼だ。
人でないが故に強大な力を持ち、狼でないが故に人間の常識を強要され、社会に拒絶された「特異者」。特異者刑務所が受け入れるのは超能力者と人ならざる者だ。
罪名は聞いたことがないが、悠人には藤堂が犯罪を行う人間には見えなかった。しかし、かつて罪を犯したことは本人も認めている上、その気になれば海条が出向くほどの強力であることも確かだ。
その藤堂以来初めて、海条自ら身柄の確保に乗り出している。
囚人たちが興味を持つのも無理はない。藤堂と同等かそれ以上の強者。そしてそれは藤堂のように落ち着いた心を持った者か、あるいはギラギラと狂気に満ちた目をした殺人鬼か。誰しもそれが気になるのだ。
「ところで秋沢、お前、明日研究の要請が入ってるらしいな」
「……そうだよ。今朝起床点呼に来た看守に言われた」
研究、というのは刑務所側が囚人に課す“能力測定”だ。聞いた話によると、一年ほど前に海条が始めたものらしい。囚人の持つ超能力がどのような能力でどれほどの危険性を孕んでいるかを測定するのだ。
悠人は明日の朝一番にその第一回目が控えていた。
透視能力や予知能力などの能力ならば穏便に済むという話だが、藤堂のように戦闘的な能力を有しているとなると話は違ってくる。手荒なことも覚悟せねばならない。
研究は人体実験に他ならない。人権を無視した施設で人権を無視した人体実験が行われる。今の所死者は出ていないらしいが、それが何の慰めになるというのか。医務室には時折骨折や失神の患者が運ばれる。
「お前の能力だと、まあ、覚悟した方がいいだろうな」
藤堂が重々しく唇を動かす。経験した者の忠告だ。
怖くないわけがない。明日のことを考えると膝はかすかに震える。
「そうだねえ。悠人は危ないかもね。ボクの場合は貧血で倒れたし。まあそれよりさ、今は目の前のイベントを楽しもうよ。楽しくないこと考えてるのは楽しくないよ」
灰崎の言う通りだと思いながら、悠人も扉に視線を戻す。怖いことから逃げるのは得意だ。いや、自分ばかりではなく人間と言うのはそういう生き物なのかも知れない。
ギギギ、と音がして、囚人たちが待ってましたとばかりに一斉に目を向けた。悠人もじっと扉を見つめた。そうだ、今はこのイベントを楽しんでいれば良い。
重々しい音を立ててロビーの扉が薄く開く。それを見た囚人たちがざわざわと噂話をしながら遠巻きに野次馬の態勢をとる。灰崎も藤堂もじっと扉を見つめていた。
ゆっくりと扉が開き、鳶色のローブを身に纏った海条が姿を現す。ロビーに集まった囚人たちを見ても眉ひとつ動かさず、彫の深い顔は能面のように動かない。長く伸ばされた漆黒の髪が不吉に揺れていた。
海条が僅かに振り返る。それは後ろに続く新規入所者を前へ促す視線。
囚人たちが見つめる中、新参者は海条の後ろに続いてロビーに足を踏み入れた。
野次馬たちが沈黙する。
海条の足音が響く。
そして誰かが驚愕の声を上げた。
悠人も目を疑った。
海条の後ろにいるのは、華奢な少女だった。
お読みくださった皆様、本当にありがとうございます。お話も文章も稚拙極まりますが、よろしければ次話もよろしくお願い致します。
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