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第一章 4「〈ジュルコンラ〉の灯火」 下

     **


「来たか。イーライ、ご苦労。下がって構わん」

 イーライが礼をして下がる。ウラルはフギンと二人、深夜の部屋に取り残された。

「マライのことを話したのか」

「はい。ご家族三人に」

「そうか。あとはムール部隊にリゼの兄がいる。ラザという男だ。マルクと面識があるはずだから紹介してもらうといい」

 リゼの家族もいたとは。彼にリゼの最期を話せば、〈スヴェル〉は生きていることが確認できたか家族や知人にその最期を話せたかになった。サイフォスの最期を〈エルディタラ〉団長とマームに話し、ネザの故郷である隠れ里にも行った。マライの最期も家族に話せた。ジンは――もう多くの人がその死を知っている。

 部屋の奥で座っていたフギンが不意に立ち上がり、ゆっくりとウラルの目の前まで歩いてきた。ぶわりと熱波が頬をかすめる。これが火神の神気というものだろうか。そういえば〈戦場の悪魔〉が現れたときも似た気配がした。あのときはもっと禍々しかったけれど。ウラルは思わず一歩後ずさった。

「俺がおそろしいか」

 フギンが低く笑った。

「当然の反応だが、我慢してもらうほかないな。風神と代わってもらえるか」

 とたん、ふっと後ろから抱きしめられるような感覚がした。背中に突風を受けたような、けれどもっと優しいそよかぜの気配。風神が来た。

(ウラル、いいか)

 耳の奥にジンの声がして、ウラルはフギンを見た。うなずいてくれたフギンにうなずき返し、ウラルは「はい」と声に返事した。

(意識は残しておくか?)

「お二人が私に聞かれたくない話をされるなら。意識がなくなるのは怖いですが……」

(気を使うことはない。それなら聞いているといい)

 体から力が抜ける。大きくふらついたウラルをフギンの左腕ががっしり支えた。

 脱力したウラルの体にふっとウラルのものでない力がこもる。しっかりと自分の両足で立ち直したウラルをフギンがぎゅっと胸に抱いた。

「久しいな、風神。人の姿でこうして抱き合うのは何年ぶりだ」

「やめてください、ウラルが怯えますから」

「先に俺の胸へ倒れこんできたのはお前の方だろう。本当はキスのひとつでもしてやりたいところだが」

 けれどフギンとあんな別れ方をしたのに、不思議と嫌な感じはしなかった。抱きしめられているのが「自分」ではないからだろうか。ウラルの気持ちを感じたのか、ウラルの体はそっと体重をフギンの胸に預けた。

 神話では火神は父神、風神は母神と呼ばれることも多い。地神と水神も男神だが、この二神はどちらかといえば中性的に描写される。だからなのか火神と風神は神話でもセットで登場することが多く、考え方や司るものが真逆なせいか反発することも多いが、おおむね仲むつまじく描かれている。

「お前によく似た娘だな」

「あなたはまったく違いますね」

 ようやく腕を放してくれたフギンにウラルは微笑で応じ、ゆっくりと体を離した。

「火神。私の言いたいことは重々承知していると思いますが……」

「俺の言いたいこともわかっているようだな、風神」

 ウラルは沈黙した。

「やはりいつものように言い争っても埒が明きそうにないですね」

「俺もそう思う。言い争いが無駄だとは思わないが、今回は時間をかけるわけにいかない。状況は悪くなるばかりだ。風神、風の眼をもつお前に尋ねたい。〈壁〉の内側はどうなっている」

 ふっとウラルは目を閉ざす。まぶたの奥に風神の記憶であろう風景が広がった。

 鳥になって飛んでいるかのような光景。壁を飛び越え木々をすりぬけて町へ入りこむ。祈りの時間を告げる鐘が鳴る。鐘の響きに呼応して視界が震える。ひざまずきベンベル語で祈るリーグ人たち。教会の前には子供たちが集められ、祈りを捧げている。教会の中にはやや年長の子供たちがベンベル語を習っている。祈りの文句の読み方を。視界一面に広がる赤い花。葉や種子を乾燥させたものをベンベル人が高額で買っていく。ベンベル人がリーグ人農夫の目の前でキセルに詰め、吸って、吐く。農夫がまねをする。咳き込む。ベンベル人が笑って農夫の肩を叩き、キセルを農夫に握らせて去っていく。農夫は一応ベンベル人を憎んでいるとみえ地面に唾を吐くが、金とキセルを大事に抱えて家へ帰っていく。

「コーリラ国はどうだ」

 こちらでも祈りの鐘が鳴っている。同じように教会に集められた子供たちが食事をとっていた。肉と乳とスパイスたっぷりの食事。コーヒー。ひき肉を詰めた無発酵のパンを子供たちが頬張っている。たっぷり、お腹いっぱい。ベンベル人の兵士は嫌われているが、神官たちは慕われている。ここに連れてこれば子供は飢えずに済む。風は教会を抜けて郊外に出る。山へ。ベンベル人に気炎をあげつつ何もできずに山野に隠れ暮らす遊牧民。俺たちの故郷に、ディスティア荒原に戻りたい。風は荒原に出る。ゴーランとベンベル馬の群れが占拠している――

「これを見てなおお前は戦いを拒むのか。俺たちはこの世界の父と母。なんとしてでも家を、子等を守らなければならん」

「何人もの我が子を犠牲にしてもですか」

「そうしなくては全てを滅ぼすことになる」

「滅びるわけではありません、形を変えるだけ。けれど……」

「人は死なずとも、この〈家〉は滅びる」

「人が生きていればいいではありませんか」

「生きているとも言いがたい、それは緩慢な死だ。〈家〉は人々の基盤、それを失えば人は揺らぐ」

「戦ってどうこうできる時期はとうに過ぎているのです。軍神であるあなたにこれを言うのは酷でしょうが」

 フギンが口を閉ざした。

「南部の人々があなたを心の拠り所にしているのはわかります。あなたへの賞賛や祈りを私はたくさん耳にしてきました。けれど、ここも時間稼ぎでしかありません。この国に次から次へと移住してくるベンベル人を止めることはできない。リーグが、コーリラが滅んだときよりも多いベンベル人を相手に、あなたはどう戦うおつもりですか?」

「ひとまずはこの町を守る。リーグ、コーリラの全ては守れないにせよ〈エルディタラ〉や〈ナヴァイオラ〉にも協力を申し出て、ベンベル人に屈せず生きられる場所を守るつもりだ。不本意だが仕方あるまい。戦わずして全てをベンベルに委ねるよりはいい。お前はもう誰ひとり殺しも殺されもしないことを願うが、そのために何をするというのだ?」

「話し合いです」

「リーグ人、コーリラ人が圧倒的に不利な状況でか? 聞き入れられるとはとても思えん」

 次はウラルが口を閉ざす番だった。

「地神、水神は何と言っている?」

「地神はもともと人のことにはあまり関心がありませんから。森を守るので手一杯のようです。水神はベンベルの神に会いに行っています」

「ベンベルの神に? それは本当か」

「ええ。でもかなり高圧的な神のようですし、状況は私たちの方が圧倒的に不利なので、交渉に応じてくれるわからないんですが」

「何を交渉するつもりだ」

「ふたつの世界の分断を受け入れてもらうことが目標です」

 ふたつの世界の分断? どういうことだろう。

「それができれば世話はないが。交渉はどんな具合だ?」

「水神はなかなか帰ってこないので。ですが、あなたが帰ったことを海の守護者に伝えさせると、また守護者の体を借りて話し合おうと返事をくれました。あなたの都合がいいなら明日の夜、四人で話しましょう」

 ぱっとフギンの顔が輝いた。

「大歓迎だ。フェラスルト川の大魚は健在だな? だが、地神の器になれる守護者はこのあたりにはいないはずだ。守護者争いが絶えず、任期が短いものばかりと聞く」

「大丈夫、イッペルスのアラーハがいます」

「アラーハは守護者の任を降りたはずだ」

「アラーハが二度目に守護者になり、その任を再び解かれたとき、私が地神に頼んだのです。ウラルにはアラーハの力が必要だと。地神も三十年も仕えてきた守護者をこの非常時に失うのは痛いと、アラーハにある程度の力を残してくれたのです」

「それは珍しい。法の神がよくぞ宗旨替えしたものだ」

 本来のフギンに似た無邪気な笑顔に笑い返し、ウラルは「じゃあそろそろ夜も遅いし、戻ります」と告げた。

「その前に風神、〈壁〉の向こうのことをもう少し教えてはもらえないか。そろそろ〈壁〉が完成するはずだ、何か動きがありそうだろうか」

「話し合いはやはり建物の中でされるので。夏のさかりなら窓から入りこめるでしょうが、今は何も聞き取れていません。ただ、橋の近くに人が集まっているようですよ」

 どうやら風神の力にも限りがあるようだ。風が通れなければ風神の目は届かない。

「ベンベル人か?」

「いえ、リーグ人です。でも何か異様な雰囲気で。みんな押し黙って橋の向こう、つまり川のこちら側を見ていました」

「リーグ人が? 念のため聞いておくが、武器は」

「持っている様子はなかったですよ。ベンベル人は別段集まるでもなく、普段とそれほど変わらない状態でしたが。また何かあれば伝えます」

「頼む」

 うなずき、「ではまた明日」とウラルは部屋を立ち去った。



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