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第一章 2「孤児院の母」 中

     **


 どれくらいそうしてマームを抱きしめていたのだろう。はっと我に返り背後を振り返れば、エヴァンスはまださっきの川辺に立っていた。

「エヴァンス、あの……」

「明日の朝、迎えに来る」

 それだけ言ってきびすを返すと、ゴーランを引いて去っていった。

「ウラル、あれはベンベル人じゃないの? どういうこと?」

 再び顔色を変えたマームにがしりと肩を捕まれる。どう説明したものかとウラルは内心頭を抱えた。

「その、すごく複雑な事情があって」

「そうでしょうとも。あなたがフギンでもアラーハでもなく、よりにもよってベンベル人と一緒にいるんですもの。理由によってはあなたをここで門前払いしなきゃならないわ。わけはわかるでしょう? ここはベンベル人の圧力が強い土地なの」

 当然といえば当然だ。けれど命を狙われているとは言えない。せっかく再会できたマームに心配はかけたくなかった。通訳、メイド、適当な嘘が出てこないかと考えるのだが、マームに納得してもらえそうな理由が出てこない。

「話せないようなことなの?」

「おおざっぱに言うと、目的は違うけど目的地が同じだから一緒に行くことになった、ってことになるのかな」

 マームは「なぜベンベル人と一緒にいるのか」を聞きたがっているのだ。答えになっていない。マームの視線が痛かった。

「目的地は〈ジュルコンラ〉。〈ジュルコンラ〉ってこの近くよね? 前とは違う位置みたいだけど」

「すぐそこよ。南部を乗っ取ろうとするベンベル人ににらみをきかせるために移動してきたんですって。どうして?」

「そこに最近フギンが来たって話、聞かない?」

 マームは目をしばたいた。なんとなくその目が揺れたように見えたのは気のせいだろうか。

「ええ、何日か前にフギンって人が来たわよ。もとリーグ国兵を何人か連れて。ここに泊まっていったわ」

「ここに?」

「ウラル、まさかあの人が〈スヴェル〉のフギンだなんて言い出さないわよね?」

 ウラルは言葉を失った。

「たしかに背格好も顔もフギンに似ていたけど、性格も話し方も完全に別人だったわよ? それに片腕を失ってたし」

 ウラルは目を伏せた。長年一緒に暮らしていたマームでさえ別人だと思うほど変わってしまったフギン。いくら中身が別人とはいえ、ここまでとは。

「ウラル? まさかよね?」

「マームさん、信じられないかもしれないけど今のフギンは二重人格なの。心は完全に別人だけど、体は間違いなくフギンよ」

「うそでしょ?」

「私は彼、フギンじゃないフギンを追ってる。喧嘩別れしちゃったし、フギンが二重人格になるきっかけを作ったのは私だから、どうしてももう一度会って話がしたいの。あのベンベル人ふたりは何かフギンに恨みがあるみたい。それでフギンをよく知っていて、居場所を知っている私についてきた」

「逃げられなかったの? あの二人からは」

「あのゴーランが私のにおいを覚えているの。何度か逃げたんだけど追いつかれちゃって。でもあの二人は紳士的だし、私が少しくらい勝手してもこうして許してくれから。大丈夫」

 マームは真っ青になっていた。これだけ伏せて話してもマームにこんな顔をさせてしまうのだ。ウラルがいつ殺されてもおかしくないこと、風神の使者になったこと、フギンの「もうひとりの人格」が火神であること――ここまで話せばマームは卒倒するかもしれない。けれどこれは伏せるにしても、話さなくてはならない大切なことは山ほどある。サイフォスの死に顔を脳裏に浮かべ、ウラルはもう一度目を伏せた。マームと別れてからの時の重さに押しつぶされる思いだった。

「その顔、何か隠してるでしょ?」

 ウラルは思わず苦笑した。

「ごめんなさい、でも嘘はつきたくないから。とりあえずあの二人にとって用があるのはフギンだけ、この孤児院には何をする気もないから心配しないでね」

 マームがふんと鼻を鳴らした。

「気に入らないわね。でも嘘は言ってないみたいだから、これであなたを門前払いする理由はなくなったわ。入りなさい。こんなところにいちゃ風邪ひいちゃうでしょ」

 たしかに日が沈んでだいぶ冷えてきた。マームが後ろ手にドアを開ける。

 とたんドアによりかかって聞き耳を立てていたらしい子どもらが「わわわ」とか何とか言いながら何人も倒れかかってきた。ウラルは反射的にふたりを両腕で受け止め、ぽかんとその子供らの顔を見つめた。

「いや、その、エリスさんがマームさんの隠し子見てこいって言うもんだから……」

 子供の一人がぼそぼそ弁解し、それからにやっとウラルに笑いかける。思わず吹き出すウラル、マームの顔が急に血の気を取り戻した。

「だれが隠し子ですか、お客さんに失礼でしょご飯のしたくに戻りなさい!」

「隠し子じゃないんだ?」

「こんな大きな子供いないわよ! さ、戻った戻った!」

 子供らがばたばた駆けていく。しょうがない子ね、と腕を組んでからマームはしみじみウラルを見つめた。

「ウラルくらいだったら私の子供でもおかしくないかしらねぇ。ま、とりあえず早く入りなさいよ。あの分じゃ夕飯のしたくは全然できてないんでしょうけど」

 腰に手をあて、わざとらしくため息ひとつ。ウラルはほっとほほえんだ。やっぱりマームは変わっていない。この動乱だ、何もなかったわけはないけれど。

 ウラルはうながされるまま廊下の先、にぎやかな声のする方へと歩いていった。食堂らしい部屋のドアを開けると、中で食器を並べたりサラダを盛り付けたりしている子供らが手を止め、好奇心むきだしの目でウラルを見つめた。

「こんばんは、今夜一晩お世話になります。マームさんの古い知り合いのウラルといいます」

 軽く挨拶をすると、奥でオーブンの様子を見ていた女がエプロンで手をぬぐいながらウラルに歩み寄ってきた。

「ただの知り合いなの? なんだ、生き別れの娘さんじゃないんだ。さすがに血を分けた娘ならほっぽりだすのは気の毒だと思ってたけど。ベンベル人に尻尾ふってる雌犬をここに入れてどうする気なの、マーム?」

 警戒心をむきだしにされ、ウラルはたじろいだ。マームがウラルをかばう形でずいと前へ出る。

「ひとの友人を雌犬よばわりとは勇気が有り余ってるみたいね、エリス」

「有り余ってるのは勇気じゃなくてベンベル人への敵意よ、正当でしょ?」

「私はあなたの言い方を問題にしてるのよ。だいたいあなたはね……」

「おやめ。子供たちの前だよ」

 第三者の声が割って入ったのに驚き振り向くと、廊下の脇にあったドアから一人の老婆が出てくるところだ。老婆の顔。ウラルは驚きに目を見張った。

「まさか隠れ里の長老、ですか?」

 老婆はおかしそうに笑ってみせた。

「おや、わたしの姉をご存知か。これは珍しい、あれは簡単に行ける村ではないからね。姉は元気だったかね?」

 隠れ里の長老はめしいていた。彼女は歳のせいか角膜がほんのり白く濁っているものの、ウラルとしっかり目を合わせている。別人なのはわかったが、こんなに似ているとは。もしかすると双子なのかもしれなかった。

「はい、私が隠れ里に行ったのは少し前ですが、お元気そうでした」

「遠いところからよくいらした。何か事情を抱えておられるようだ、ひとまずここではゆっくりお休みくだされ。よければ子供らと一緒に食事のしたくを手伝ってくださらんか」

 老婆の微笑。全てを、マームに隠したことはもちろんウラルの知らないことまで見透かされた気がして、ウラルは思わずたじろいだ。それをこらえて「ありがとうございます」と頭を下げる。彼女も予言の力を持っているのだろうか。

「エリス、そろそろオーブンの中身を出さんと焦げてしまうぞ。子供たちも休んでいないで準備をなさい。腹が減ったろう」

 ちらりとウラルに苦々しげな一瞥を投げかけ、エリスがオーブンの方へ歩いていく。

「じゃあウラルはスープを配って」

 マームがぽんとウラルの背を叩いた。

「悪い人じゃないのよ、ただあの口の悪さだけはどうにかならないかしらねぇ。さ、動いた動いた!」

 つまみ食いをしようとしていた男の子の頭を小突き、マームはスープ皿をぐいとウラルへ押しやった。


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