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第一章 4「火神祭」 中

     *


 ついた先は「大鹿亭」という名前の酒場だった。こぎれいな店だ。かなり広いが、席の半分は埋まっている。まだ酒を飲むには少し早い時間だから、もうしばらくすれば酒場から人があふれんばかりの大にぎわいになるのだろうと想像できた。

「あ、頭目」

 カウンター席で先客が手を振っていた。マライと、その横にいるのはネザだ。

「テーブルに移動しないか?」

 ジンが奥まった席にある六人がけのテーブルを指す。ふたりはそれぞれ自分の酒と肴を持ってテーブルに移動した。

 ぴしりとエプロンをつけた若い店員が寄ってくる。

「ご注文は?」

「ピルスナービア(黒ビール)」

「僕はエグリ・ビカヴェール(白ワイン)で。それから、パンとチーズ、サラミを五人前いただきましょうか」

「かしこまりました。お嬢さんは?」

 ウラルは酒が飲めないどころか、酒場に入るのも初めてだった。おどおどと視線をさまよわせるウラルの肩に、そっとイズンが手を置いた。

「彼女にはジンジャーエールを。種類は何がありますか?」

「エルクとディーア、ムースがご用意できます」

「ウラルさん、どれがいいですか?」

 イズンの助け舟に感謝しつつ、ウラルは困ってうつむいた。

「どう違うのかな」

 酒場に不慣れな客だ、と店員はわかってくれたらしい。にこりと愛想のいい笑みを浮かべ、ウラルの顔をのぞきこんだ。

「初めてですか? それなら、ディーアをおすすめしますよ。他のものに比べて癖がなく、さっぱりした後味です」

「じゃあ、ディーアで」

「かしこまりました。すぐにお持ちします」

 きびきびとした仕草で店員が下がる。マライとネザが好奇の視線をウラルに向けていた。

「ウラルの酒場記念日に、乾杯」

 マライがおどけてグラスをかたむけた。ネザも笑いながらマライにグラスをあわせる。

「あいかわらずの酒豪だな、ふたりとも」

 ジンの声にマライがほほえみ、ぐいっと一息でグラスを開けた。ネザも負けじといい飲みっぷりを見せる。

 マライは女性だが、背も高く大柄で筋骨隆々としている。胸もほとんどが筋肉になってしまい、女らしいふくらみがない。髪は短く、頬に目立つ傷があり、そのうえ男装しているので、マライのことをまったく知らない人はまず間違いなく男だと思ってしまう。ただ声だけは女らしい、落ちついた低さだった。

 痩せたヘビ顔の軍医、ネザは四十代後半くらいの歳の男だ。一見小柄に見えるが、そうではない。馬に乗ったり、弓を構えたりすると自然にぴんと伸びるのだが、普段は極端な猫背なのだ。いつもギラギラした目をしていて近づきがたい印象なのだが、酒がまわっているせいだろうか。表情がやわらかく顔の血色もよいので、普段のようなとっつきにくさが消えている。

 ウラルもこの二人とはあまり話したことがない。ウラルの方も興味しんしんで、酒を酌みかわす二人をながめていた。

「飲んでみるか?」

 ネザがのんびりとした口調でウラルに酒をすすめてきた。ネザの酒からは、いかにも「強い酒です」とばかりのにおいがする。ウラルは思いきり首を振って、拒否の意を示した。

「指をグラスにつけて、それをなめればいい。たいしたことはないよ」

 マライも面白がってウラルに酒をすすめる。それくらいなら大丈夫かもしれない、とウラルは興味本位でネザのグラスに指をつけ、なめてみた。

 なめた瞬間、口の中と喉がただれたように熱くなった。思いきりむせる。まるで炎のかたまりを吐き出すような、おそろしく熱い咳だった。

「水を!」

 イズンがさっきの店員を呼びつけ、水を持ってこさせる。店員のほうも慌てたらしく、大急ぎで水をくみ、走ってテーブルまで来てくれた。

 ウラルは水を一気に飲みほし、大きく息をついた。涙目になっている。

「よく、こんなの平気で飲めるね」

 ネザとマライは顔をみあわせ、困ったように苦笑をかわした。

 店員はほっとしたような笑みを浮かべながら一度カウンターへ戻って、酒と肴を運んできた。

「お待たせしました、ピルスナービア、エグリ・ビカヴェール、ディーアと軽食です」

「ウォッカ、一瓶追加」

「俺にもラムを一瓶、もらえるか」

「かしこまりました」

 店員はすぐにウォッカとラムの瓶を運んできた。どうやら、ふたりが酒豪なのを見てとって、取りやすい場所に瓶を移動させていたらしい。

「とりあえず、乾杯といくか」

 ジンがグラスを持ちあげた。イズン、マライ、ネザ、ウラルも、それぞれ飲み物を手に取る。

「火神のご加護を願って。今回の戦が無事に終わったことに、乾杯」

 ジンの音頭に、五人はグラスをあわせた。

 ウラル用に用意されたジンジャーエール、ディーアは、店員の説明通りすっきりとした後味で、飲みやすかった。慣れない炭酸が喉を焼いたが、もう一度飲んでもいいな、と素直に思える味だ。

 酒豪マライとネザは、さっさとグラスを空けて次の酒をついでいる。ジンとイズンはグラスを半分ほど空にして、パンやサラミに手を伸ばした。ウラルもふたりにならってパンを取る。

「ワインをいかがですか? さっきのラムよりはずいぶん飲みやすいですよ」

 イズンがすすめてきた。とんでもない、とウラルは首を振る。あんなものを飲むなんてまっぴらだ。四人が顔を見あわせて笑った。ウラルも照れ隠しにエールをあおる。

「ふたりとも、今日はどこへ行ってたんだ?」

「最初はパレードを見ていたんですが、マームさんに会って。そこまではサイフォスも一緒だったんですが、夫婦仲良くやれ、と送り出してやったんです。それからは、ネザとふたりでずっと闘牛を見ていました。最強の暴れ牛〈黒い稲妻〉、対するは白装束の女闘牛士〈銀翼〉。すさまじい演技でしたよ。今年の闘牛はよかった」

 熱をこめて話すマライ。ネザは黙って、酒をあおりながら横でうなずいている。

「ビールをかけたレースはどうだったんだ?」

「ああ、勝ったのはサイフォスですよ。ふたりでおごる前にマームさんに会ったので、賞品は渡してませんがね。そういう頭目たちは、どこへ行っていたんですか?」

「フギンの模擬戦闘と、パレードと、青少年火神劇へ」

「青少年火神劇か。フルク君が主役じゃなかったですか?」

「ああ。がんばっていた」

 ジンが深い笑みを浮かべた。

「最後に主役が張れて、本当によかった」

「最後?」

 思わずウラルは聞き返した。主役をおろされるようなひどい演技ではなかったし、また機会があるのではないだろうか。

「フルクは、十六歳なんだ。ああ見えてもな」

 ジンの声が低くなり、憂いを帯びた。

 この国、リーグ国の男子は、十七歳になると徴兵をうける。十年前までは二十歳からだったが、五年前に十八歳、最近十七歳に引き下げられた。ウラルの兄も、いいなづけもこの徴兵に応じて以来、帰ってきていない。

 居心地の悪い沈黙がおりかけたが、隣のテーブルでの大爆笑がその雰囲気をやぶった。

「でよぉ、うちの姪っ子のかわいいのなんのって! 踊り子一年目にしては上出来よぉ!」

 上機嫌の酔客が、ほかの連中に酒をつぎながらまくしたてている。姪っ子自慢か、と思いつつ、あまりにも嬉しそうな口調にウラルも頬がゆるんだ。

 マライやネザはパレードの話で盛りあがっている。ウラルは頬杖をついて、隣テーブルの話に聞き耳をたてた。

 男ばかり四人連れの客だ。外見からして、昼間城壁を守っていた警備兵なのだろう。ひとりはどうやら足が悪いようで、商人風の格好をしている。夜がふけるにしたがって客も増えてきたが、警備兵や戦士風の服装をした者が多い。ジンがこの店を選んだのは、それが理由のようだった。こぢんまりした老人ばかりの店では、どうしたって目立ってしまうだろう。

「でもなぁ、クセイの姪っ子、どこにいるか、俺、正直わからなかったなぁ」

 クセイと呼ばれた中年男の肩を隣の客が叩く。

「なにぃ? あの一番目立ってたうちの姪っ子がよぉ?」

「一番目立ってたって、後ろのほうで旗、回してた青服の姉ちゃんだろ?」

 と、別の酔客。ウラルも「クセイの姪っ子」がどんな踊り子だったか、よく思い出せない。

「でもよぉ、なんつうか、華やかさに欠けてなかったか? 今年のパレード」

「なんだとぉ!」

 四人目の声に、クセイが真っ赤になって立ちあがる。

「いや、お前の姪っ子が目立たなかったのも、それが一因だぞ。なんつうか、衣装が薄汚れてた。普通、一年目の踊り子って新品ぴかぴかの衣装つけてるもんだろうが。ありゃ、どう見ても中古品だった」

 商人風の男の声に、たしかに、とその場のほとんどがうなずいた。

「助成金が出なかったんだろうか。祭りのときくらい、パーッとやらにゃ、パーッと」

「このごろ、物騒な話が多いからな。北の村がいくつも襲われて、ゴーストタウンになっちまったとか何とか」

 声をひそめる酔客。ウラルの村や隣村のことを言っているのだ、と背筋が冷たくなった。

「なんでも、その村を襲ったのはリーグの国軍だって噂だ。この国はどうなっちまうのやら」

「おい、祭りの席でこんなシケたことを言うのはやめようや」

「だけんども、このごろコーリラヤギの織物が入ってこなくなってよぅ。そりゃあ、五年前からぷっつり普通の輸入は途切れてたけど、密輸のやつまで入ってこなくなった。やっぱり、北で何かあったんじゃねぇのか」

 ウラルはジンの顔をちらっと横目で見た。ジンも視線に気づいたらしく、見返してくる。どうやらジンも話を聞いていたらしい。

「次は北へ行くの?」

 ジンは「いや」と首を振った。

「確かな情報が入ってから動こう。どうやら、リーグ国内だけの話ではなさそうだ。だが、かなり有力な情報だろうな」

 ウラルはうなずき、小瓶をとった。ジンジャーエールを自分の杯につぐ。ジンも黒ビールをあおった。

 玄関のドアが開いた。生ぬるい風が吹く。

「来たな」

 ジンが呟いて、ビールを置いた。

 ランタンを持った汗だくの男が入ってくる。伝令のいでたちだ。店主らしい中年男が汗だくの男の手をとり、店の中央まで進み出た。

「お客様がた、ただいま、夏祭りの聖火が到着いたしました。お手元の火消し棒で、テーブルの灯をお消しください」

 ジンが火消し棒を取る。テーブルに灯されていたロウソクの火を消した。次々とほかのテーブルでともされていたロウソクの火も消えていく。

 真っ暗になっていく。ただ一点、聖火の使者が持っているランタンの中にだけ、明かりが灯っている。

 店主がロウソクを出し、使者から火を受け取った。拍手があがる。

 店主の手からウェイターのロウソクに火が移された。ウェイターは客のテーブルをひとつひとつ回り、火と、赤ワインの小瓶と、小さな壷を置いていく。

「いつもお世話になっております」

 ウラルらのテーブルにも店員が来た。火と、赤ワインと、小さな壷。壷には白い粉が入っている。聖火の灰だ。

 ジンがグラスにワインをついだ。その中に灰をひとつまみ落とす。ワインの小瓶はイズン、マライ、ネザをめぐって、ウラルに渡された。

「飲めなくても、飲むふりだけはしてくれ」

 ジンの声にうなずき、ウラルもほんの少しグラスに赤ワインをついだ。灰を落とす。灰は一度ぱっと広がり、すぐに沈んでいった。

 赤ワインは戦で流された血の象徴。これは、弔いの儀式なのだ。

「皆様、ワインをお持ちでしょうか。このワインは当店からのサービスとなっております。遠慮なくお飲みください」

 酒場は、静まりかえっている。

「不肖ながら、わたくし大鹿亭店主が乾杯の音頭をとらせていただきます。戦で仲間や友人、家族を失った方、この場のほとんどがそうでしょう。今年の戦で亡くなられたかたがたの冥福を、この場を借りてお祈り申しあげます」

 店主は一度言葉を切り、大きく息を吸いこんだ。

「死者に風神の祝福を。皆様に火神のご加護を。乾杯!」

「乾杯!」

 声を張りあげた店主に、客の全員が唱和する。グラスが勢いよく打ち鳴らされ、一気に喧騒が戻ってきた。

 ウラルも四人とグラスをあわせ、飲むまねだけはした。

「お客様」

 呼ばれて振り返ると、何度もこのテーブルに来てくれているウェイターが立っていた。小瓶を持っている。

「お酒がだめでしたら、こちらをどうぞ。ぶどうのジュースです。もちろん、お代金は結構ですよ」

 すっかり覚えられてしまった、とウラルは苦笑いしながらジュースを受け取った。店員も笑っている。

「もう一度、乾杯といくか」

 ジンが笑い混じりに言う。ウラルもほほえんで、グラスを持ちあげた。イズン、コウ、マライも笑っている。

「乾杯!」

 グラスを打ち鳴らす。それから、一気に飲みほした。妙に甘ったるいうえ、灰のじゃりじゃりした感じが口に残る。おいしいとはとても言えなかったが、飲めてよかった、と心からウラルは思った。やっと四人の仲間入りができた気がする。

「ねぇちゃん」

 隣のテーブルから手が伸びてきて、ウラルの肩をつかんだ。あわてて振り返ると、さっき踊り子の話をしていた四人組のひとりだった。商人風の男だ。

「酒も入ったところで、何か余興でもやってくれよ」

 すっかりできあがっているらしい。目は充血し、とろんとしている。ろれつも回っていないので、何を言っているか聞き取るのが難しかった。ほかの三人も、あの話のあと強い酒でも立て続けに飲んだようだ。この男と一緒になってウラルに何かやらせようとしている。

 固まっているウラルの横で、ジンが小さくうなずいた。それを合図に、テーブルを挟んでウラルの正面に座っていたマライが立ちあがる。男の正面に立った。

「おっと、男連れか。こりゃあ、悪いことをしたねぇ」

「悪かったね。私も女だよ」

 冷たく、鋭い目をしたマライの右手がうなった。男の顔面中央をぶん殴る。男は文字通り吹っ飛び、後ろの客の椅子に頭をぶつけた。さいわい座っていた男は騒ぎに気づいて移動していたが、椅子は派手な音をたてて折れ、崩れ、分解してしまう。

 そこまでしなくてもいいのに、とウラルはマライの右手を見る。マライは革の手袋をつけていた。ごていねいにも鋲までついている。

 ネザとイズンが立ちあがって、男を引き起こした。鼻血まみれだ。イズンがどこからかロープをだして男を後ろ手に縛り、ネザが男のふところをさぐって財布を出した。

「そろそろ帰るか」

「そうですね」

 立ちあがったジンの声に、イズンが相槌を打つ。イズンとネザが男を引き起こし、カウンターまで連れていった。

 立ちあがった四人をならべて見ると、四人が四人とも体格のいい男だった。いや、そのうちひとりは女なのだが。全員上背があり、腕も驚くほど太い。イズンだけはひょろりとして見えるが、うかつに手を出したら手痛いしっぺ返しにあうことは、一分の隙もない動きから容易に想像できる。 よく自分に手を出そうと思ったものだ、とウラルはあきれて男を見やった。

「思う存分こき使ってやってくれ。これは修理代だ。いい椅子でも買うといい」

 ネザの言葉に近くの客らが笑った。口笛を吹いたり手を叩く者までいる。 酒場や市場で問題を起こした客は、その店で何日か無給同然でこき使われるのがこの国のならわしなのだ。修理代はもちろん客の財布だった。どころか、五人で飲んだ酒代までこの中から払われる。

「よろしくおねがいしますわぁ、だんな」

 ろれつのまわらない酔客がのびた口調で言う。また客から笑いが起こった。


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