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第一章 4「火神祭」 上

 町をぐるりと取り囲む城壁が見えてきた。ウラルたちが歩いている街道を中央にして、右手は一面の小麦畑。左手には大きな森が広がっている。

「ヒュガルト町だよ。左の森は、ヒュグル森。俺たちの隠れ家がある森だ」

 フギンが教えてくれる。もうここまで帰ってきたのか、と、ウラルはほっと息をついた。こんなに長い旅をしたのは初めてだ。アラス地区での戦いを終え〈アスコウラ〉と別れてから、丸三日は経っているはずだった。

 先頭をいくジンは馬の足を止め、全員を振り返った。

「ここから先はいつも通り自由行動だ。明日の夜まではみんな、たっぷり羽のばしてきてくれ。イズン、たのむ」

 イズンがふところから小さな袋をいくつか出し、全員に配っていく。どうやら、今回の戦場の報酬のようだ。

「これはウラルさんの分です」

 ウラルの手に置かれた袋はずしりと重かった。ほかの男らの報酬と入っている額は変わりがないように見える。

「こんなに。私、何もしていないのに」

「報酬は均等に配るのが〈スヴェル〉の掟です。どうぞ」

 イズンは紳士的にほほえみ、袋をウラルの手に置いた。でも、と袋を返そうとするウラルの手を隣で馬に乗っていたフギンが押し戻す。

「いいからもらっとけって。服でも何でも買ってゆっくりするといいさ。女の子なんだから、もっと着飾ったところも見せてくれよ」

 頬を朱に染めながらウラルはおずおずと袋をふところにしまった。フギンが人懐っこい笑みを浮かべた。

 その目が「あれ?」というものに変わる。

「どうしたの?」

 フギンは目を細めて城壁を見つめた。

「旗だ」

 顔をほころばせて、まだまだ遠い城壁の上を指す。ウラルの目にはぼんやりとぼやけて見えるが、言われてみれば赤い旗が城壁の上に何本かはためいているのがわかった。

「赤い雄牛の旗だ。よっしゃ、祭りだ!」

 赤い雄牛の旗は火神の象徴、夏祭りのしるしだ。ジンとイズンが、アキナスとコウがそれぞれ顔を見あわせて、城壁の赤い旗に目をこらす。

 ジンが、ふっとどこか寂しげな笑顔を見せた。そのかげりはすぐに消え、かわりに祭りの日の子どもと変わりのない楽しげな光が、その目に浮かんだ。

「いい時に帰ってきたな。よし、解散。明日の夜までには隠れ家に戻れよ。たっぷり遊んでこい!」

 ジンの宣言と同時に、歓声をあげたフギンとその愛馬ステラが、土煙をもうもうとまきあげながら、ものすごい勢いで駆だした。それを合図としたようで、上空でムールに乗っていたリゼも旋回するのをやめ、町へむかって猛スピードで飛んでゆく。

「元気なやつらだな」

「俺らも行くか。貸し馬屋まで競走だ。勝ったやつにはビール一瓶」

「よし、乗った!」

 ネザ、サイフォス、マライが馬を駆けさせていく。アラーハはさっさと背を向けて、森へ歩いていってしまった。アラーハだけはどうやら祭が好きではないようだ。

「ウラルは行かないのか?」

 後に残ったのはジンとイズン、ウラルの三人だけだった。

「ぼうっとしちゃって。みんな、すごい勢いだね」

「筋金入りの祭り好きだからな」

 ジンが苦笑する。

「ジンとイズンは? 祭り好きじゃないの?」

「好きさ。ただ、あいつらほどじゃない。そういうウラルはどうなんだ?」

「お祭りは好きなんだけど。こんな大きな町、初めて」

 小さな村でずっと暮らしてきたウラルだ。祭りのときは近くの町まで村総出で出かけていったものだが、その町よりも、ヒュガルト町はずっと大きい。

「私、迷っちゃうかもしれない」

 ましてや、初めて来る町なのだ。祭りの人ごみもあることだし、迷うのはむしろ当然だった。

「じゃあ、一緒に来ますか?」

 イズンがまた、にこりとほほえみかけてきた。その堅苦しい口調も、いくらか弾んでいる。

「いいの?」

「大歓迎だ」

 馬腹を軽く蹴る。馬がゆっくりと進み始めた。

 町へ近づいていく。背の高い立派な城壁には警護の兵が何人も配置されていて、近づくとかなり圧迫感があった。その石壁にあいた大きな門からは、祭りであるせいか、ひっきりなしに人や馬車が出入りしている。中には四頭立ての幌つき馬車まであり、その中には、生きた牛が何頭か入っているようだった。

 火祭りは、戦争の神である火神の祭りだ。立派な角をもつ雄牛は火神の乗り物といわれている。火祭りの旗が赤い雄牛であるのは、そのためだ。

「おやじさん、今日は火祭りの何日目だね?」

 城門前にある貸し馬屋のおやじは馬を若い者に任せると、「早く祭りに参加したい」とばかりにソワソワしながら城門をのぞいた。

「八日目、最終日です。今年のパレードはなかなかいい踊り子がそろっとりますよ。闘牛も、最高の暴れ牛と闘牛士がわざわざコーリタラ地区からやってくるんですわ。さぁさぁ、もう始まります。早くお行きなさい」

「最終日か。本当にいい時に来た」

 ジンは顔いっぱいに笑みを浮かべて、行こうか、とウラルとイズンをうながした。

 城壁をくぐる。レンガの石壁の厚さは、ゆうに二十歩分をこえていた。城壁を警備するたくさんの兵士の、熱っぽい目。

 火神は戦の神。夏祭りは、兵士や騎士など、戦うことを生業にしている者が主役の祭りだ。催し物も、全部、戦を模している。もう、兵士たちの頭の中は、今日の祭りでいっぱいなのだろう。

 町の広場では、トランペットやホルン、トロンボーンが高らかにファンファーレを奏でている。鼓笛隊のみがきあげられた甲冑が太陽を反射してまばゆいばかりだ。鼓笛隊の演奏にあわせ、踊り子たちが赤い旗をぐるり、ぐるりと回し、空に投げあげて、かっさいを受けている。

「ウラルさん、見てください」

 笑うイズンの指す方をみると、赤いハチマキを頭に巻いたフギンが槍を持って舞台にあがるところだった。腕まくりをすると、左肩に刻まれた雄牛の刺青があらわれる。それを観衆にずいっと見せつけた。二の腕の筋肉がぐいっともりあがる。

 舞台の反対側からは、同じく槍を持った大男があがってくる。フギンが小柄なだけに、ひげをたっぷりたくわえた男はかなり背が高く、屈強に見えた。

 どうやら、これから模擬戦闘をやるようだ。どこの町でもやる、火祭りの人気イベント。先に安全具をつけた槍で、ふたりの男がやりあうのだ。

「元気な奴だ」

 つぶやいたジンは、不敵な笑みを浮かべている。その右手はしっかりと剣の柄をにぎっていた。

「頭目も行きたいんじゃないですか?」

「いや。俺が出たらほかの奴に勝ち目がなくなるからな」

 うそぶいて、剣から離した右手をひらひらと振った。

「始めっ!」

 審判の鋭い声が響きわたる。

「さ、行くか」

 さっさとジンが歩き出してしまった。

「フギンの試合、見ないの?」

「見なくとも結果はわかるからな。見たいか?」

「フギン、一本!」

 ジンの言葉尻を追うように、審判のよくとおる声が響いた。

 ジンのほうに注意をむけていたウラルは、不意をつかれた気分で舞台のほうを眺めた。ひげ男が体をふたつに折って苦しんでいる。あまりの早業に驚くウラルの目の端で、ジンの口元がちらりと笑っていた。喜んでいるというよりはむしろ、面白がっている笑い方だった。

 フギンが左手であごの下をつまむしぐさをする。それから、右手の二本の指で、勢いよくそれを切ってみせた。「お前が負けたら、自慢のひげを切ってやる」という挑発だ。

 ひげ男がうなりながら槍を構える。すっとフギンが腰を落とした。

「開始!」

 ひげ男の突き。フギンは身軽に跳ねあがると、あっというまに間合いをつめ、相手の後ろにまわりこんだ。ひげ男がぐぅんと槍を大きく振る。頭を殴られる! とウラルは悲鳴をあげかけたが、フギンは危なげなく、さっとひげ男の足元にかがんでいた。ひげ男のがら空きになった胴を槍の石突が突きあげる。

「フギン、一本! 勝負あり!」

 観客の歓声があがる。

「ああ見えても、腕は確かだ。小柄で肉がついていないように見えるが、あれは馬の負担を減らすためだな。使う筋肉は、ちゃんとついている」

 解説してくれるジンに、イズンが穏やかな笑みを向けている。ジンはその視線に気づくと、照れたように笑った。

「行こう。おっ、面白そうだな」

 ジンの視線の先には、少年たちの一団。この子たちも甲冑をつけ、武装していた。よく見ると少女もまじっている。

 ジンはウラルにむかって、片目をつぶってみせた。

「ちょっと行ってくる」

 と、いきなり腰にはいていた剣を抜いた。そのまま劇の練習をしている少年たちに突っこんでいく。ジンは劇の練習の舞台とされている中央ですっくと立ち、剣を空高くかかげた。女の子たちが悲鳴をあげる。少年たちもあぜんとして、ジンをながめていた。

「我こそ火神、戦神なるぞ!」

 芝居がかったしぐさで、朗々と宣言する。少年少女たちの反応など気にする様子もない。

「この雄牛の角に、今日こそ山羊くさい蛮族どもの血を吸わせてやろう!」

 口々に「何なの、あの人!」やらなんやら叫ぶ少女たちの間をぬって、驚きの表情を浮かべた少年が舞台袖から出てきた。

「ジンさん!」

 火神の衣装、ほかの少年少女よりもずっと豪華な武装を身につけている。

「僕の役とらないでよ!」

 声変わりしたての少年は武装をガチャガチャ鳴らしながらジンに駆け寄った。ジンは剣をおさめ、少年の頭をくしゃっとなでる。知りあいらしい。

「そう言うからには、俺よりうまく火神の役ができるってことだな?」

「ジンさんは身振りがおおげさすぎるんだよ!」

 ジンは声をあげて笑った。いかめしい顔をしていればともかく、普段のジンはとうてい火神役に向かない。なにせ目じりの笑いジワがとほうもなくマヌケに見えてしまうのだ。

「楽しみにしてるぞ、舞台。いつだ?」

「ナタ草が青くなったら。夕方だよ」

「わかった、必ず行く。しっかり練習しておくんたぞ」

 少年はうなずいて、さっきジンが芝居がかったしぐさで言ったのと同じ台詞を宣言した。ジンはほほえみ、少年の肩を叩いてウラルたちのほうへ帰ってくる。

「好かれているのね」

「意外と子ども好きなんですよ」

 茶々を入れるイズンにジンは「余計なお世話だ」と一言、大通りの方へさっさと歩いていってしまった。イズンも肩をすくめ、あとに続く。

 大通りではパレードをやっていた。これも戦争行進を模している。甲冑を着こんだ隊列。騎兵に軽装の歩兵。歩兵が持っていた袋を高々と投げあげた。子どもも大人も押しあいへしあいその袋を受け止める。中につまっているのは砂糖菓子だ。大人げなくジンも群集の中に走りこんでしまった。

「いるか?」

 しばらくして戻ってきたジンの手には、袋がいくつもぶらぶらしている。

「こんなに食べきれる?」

 あきれるウラルにジンは笑って、適当な子どもに全部あげてしまった。

 兵団の次はアクロバット・ダンサーときらびやかな衣装をまとった踊り子たちだ。馬から人へ、人からトランポリンへと空中を飛び回るダンサーたち。空へ舞いあがるたび、別のダンサーと模造の剣を突きあわせる。踊り子たちは観客をかたっぱしからダンスに誘い、ちゃくちゃくとパレードの派手さを増していく。

 ど迫力の演技に夢中で拍手をしていたら、肩を叩かれた。ジンがにやにやしながらダンスを踊っている一団を指す。

「マームさん!」

 いつ来たのか、マームがいた。夫サイフォスと一緒に仲むつまじく踊っている。

「俺らも行くぞ」

 ぐっと腕を引っぱられた。はずかしいからとウラルは抵抗したが、ジンの腕力にかなうはずがない。強引に引っぱりこまれてしまった。

「イズンは?」

 ぎこちなくステップを踏みながら視線をめぐらせると、飲み物屋台の前で笑みを浮かべたイズンが手を振っている。あっという間に人波にのまれ、見えなくなってしまった。

 空から無数の布きれが落ちてくる。どうやら出し物のチラシらしい。踊りながら上を見あげると、見覚えのあるムールが旋回していた。

「あれ、リゼじゃない?」

「ああ。祭りのたびに、ああやってアルバイトをしてるんだ」

 前のほうで歓声があがった。どうやら、アクロバット・ダンスが佳境に入ったらしい。

「そろそろナタ草が青になるな」

 ジンの声に適当な店先に飾ってあるナタ草を見ると、青みの強い緑色の花が咲いていた。

 パレードの列からそっと抜け出し、イズンを探す。イズンはさっきの飲み物屋台の前で待っていた。

「どうでした?」

「びっくり。あんなにすごいんだね」

 イズンがおかしそうに笑う。

「僕にとっては、ここも田舎の祭りですけどね。王都の祭りは、すごいですよ」

「さ、行こうか。フルクの劇に遅れる」

 フルクはジンの知り合いの少年だった。火神劇で主役を演じる少年だ。甲冑姿の少年少女が隊列を組み、肩を組んで、火神をたたえる歌を歌う。列が割れ、赤い雄牛の皮をかぶった少年が出てきて、その後ろから火神の衣装を身につけたフルクが現れた。

「我こそ火神、戦神なるぞ」

 ジンほど堂々とはしていないが、厳かな声で朗々と宣言する。

「声が小さい! もっと胸を張れ、胸を!」

 突然、ウラルの真横で大声がした。肩をすくめて横を見ると、ジンが盛大に野次を飛ばしている。観客からどっと笑いがあがった。

 フルクはむっとした顔を一瞬見せたが、野次を飛ばしたのがジンだとわかると顔いっぱいに笑みを浮かべた。姿勢を正し、胸を思いきり張って、次のせりふを堂々と言う。

「さっきまでの厳かな態度はどこへ行った! 元気よく言えばいいってもんじゃないぞ!」

 ジンの野次に、いちいち観客が笑う。ウラルは恥ずかしさに顔を赤く染めながら、助けを求めてイズンを見た。イズンはイズンで、観客と一緒になって笑っている。

 劇が終わると、ウラルは心の底からほっとした。

「なぜ、そんな顔をしているんだ」

 ジンがからかうようにウラルの顔をのぞきこんでくる。

「だって、あんな大声で」

「なに、劇なんざ、ああやって野次を飛ばすのが醍醐味さ」

 ジンは大口を開けて笑う。なぜか、ウラルの目にはその笑顔が、どこか悲しげに見えた。

「喉が渇いたな。酒場へ行こうか」

 イズンも笑って、そうしましょうか、と相槌を打つ。

「あの、ごめん。私、お酒、飲めないの」

 ジンがなぜか、笑みをおさめた。

「酒が飲めなくても、ジンジャーエールくらい置いているさ。酔っ払いがからんできても、俺らがいれば大丈夫だろう。行こう」

 大股で歩きだしたジンの後を、小走りにウラルは追いかけた。



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