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第三章 4「悪魔の狂気、守人の祈り」 上

 ベンベル式の建物に連れていかれ、どこかの部屋に導かれる。窓からは建物の入り口で別れたアラーハがひょっこりと顔をのぞかせていた。ソファーに座らされ、いつの間にかエヴァンスの後ろに従っていたシャルトルがカップをウラルに手渡す。ホットミルクが入っていた。

「飲みなさい。少しは気分がよくなる」

 ウラルはおずおずと口をつけ、ほんの少しだけ飲んで、カップを両手の間に抱いた。

「誰か人がいたほうがいいか? あいにくだがここには女がいない。わたしたち二人がいることになるが」

 ウラルはただぼんやりしていた。エヴァンスのため息。

「何があったのかは、今は聞かない。隣の部屋にいるから何かあれば呼びなさい。アラーハ、ウラルに何かあれば知らせてもらえるか」

 アラーハがうなずくのを確認し、二人は部屋を出ていった。

(ウラル)

 脳裏に響いた声に身じろぎする。もうジンの声は聞きたくなかった。ウラルは黙ってカップを置き、耳をふさいでうずくまる。

 不意に頭の上に手のひらの感触を感じ、ウラルは顔を跳ね上げた。目の前に体の透けたジンが立っている。ウラルは悲鳴をあげて飛びすさろうとした。だが暴れに暴れて疲れきった体がついてこない。今まで座っていたソファーに再びがくりと座りこんだウラルの顔をジンがのぞきこんだ。

「さっきは本当にすまなかった。怖がらせたな」

 ウラルは震えていたが、静かなジンの目を見ていると気持ちが少し静まった。ウラルはあえぎながらすがるようにジンの目を見つめる。もうエヴァンスの時のようにパニックは起こさなくて済みそうだ。ジンがふっと苦しげな笑みを浮かべた。

「心配するな、幻覚じゃない。お前は夢を見ているんだ。わけあって今回はあの丘に呼べなかった。さっきはろくな説明もせずにすまなかった。だが〈戦場の悪魔〉を止めるにはああするしかなかった。わかってくれ」

 ジンの透けた体が実体になり、あの鼓膜を素通りして脳裏に響くような声も肉声に変わった。

「あなたは誰なの」

 ジンは傷みをこらえるような顔をして、それからウラルの隣に座った。ウラルはジンの目をまっすぐ見つめ、繰り返す。

「あなたは誰なの? フギンはどうしてしまったの? もういい加減教えてくれるんでしょう?」

「俺は、お前にできうるかぎり選択肢を残したいんだ」

「どういうこと?」

「ここで教えることはできる。だが、知ってしまったら、もう後には引けない」

「もう引けないでしょう」

 一瞬黙り込んだジンの目をウラルはまっすぐにらみつける。恐怖はもう消えていた。

 見返した目は不思議なほど静かな色をたたえて、そうだな、とうなずいた。

「わかった。話せるところまで話そう。俺がなぜお前の夢に現れたのか、フギンがどうなってしまったのかは話そう。だが、俺が何者であるかは伏せる。〈戦場の悪魔〉がフギンを選び、俺がお前の体を借りた今、もう隠そうが隠すまいがお前は後に引けないのかもしれないが……俺が名乗ると、そこに力がこもる。その力を受けたら、お前は今のままではいられない」

「はぐらかさないで」

「俺はお前にできうるかぎり選択肢を残したい。それだけだ。悪意はない」

 その瞳と同じく静かな声に、ウラルは息を呑んだ。これだけ怒ってもなじっても乱れない声には迫力がある。少しばかり不安になってウラルは目に込めた力をゆるめた。

「とりあえず、話せること話してよ。ね?」

 ジンの顔がほっとしたようにゆるんだ。

「そもそも俺がお前の夢に現れたのは、〈戦場の悪魔〉からお前とフギンを守るためなんだ」

「〈戦場の悪魔〉って前に私を自殺させようとしたり、フギンを暴走させた?」

「そうだ。あの戦に出た者のうち、かなりの人数が〈戦場の悪魔〉に憑かれた。それが原因で自殺した者、ベンベル人に無謀に食ってかかって殺された者がかなりいる。俺は、そうだな、〈戦場の悪魔〉の対極にいる者だと思ってくれればいいだろう」

「あなたの力を借りれば〈戦場の悪魔〉を退けられる?」

「飲み込みが早いな、そういうことだ。俺はお前のほかにも何人かの夢にその人にとって近しい死者の姿で現れて、その夢を見る人とその周りの人を〈戦場の悪魔〉から守ってきた」

 〈墓守〉がほかにもいた? ウラルは目をしばたいた。

「そのひとりがアラーハ? アラーハはあなたのことを知ってるみたいだったけど」

「いや、アラーハはまた別の者の管轄だ。そうだな、今は〈墓守〉と〈守護者〉には共通するものがあると言っておこう。だから長年守護者の役についていたアラーハは俺のことを知っているし、敬意も払ってくれている」

 ウラルは窓を振り返ったが、そこでじっとウラルの様子をうかがっていたはずのアラーハはいなかった。立ち上がって窓の外を見てみたが、アラーハどころか生き物の気配がまったくない。そこらじゅうにいるはずのベンベル人の気配もなかった。

「〈戦場の悪魔〉に憑かれた人も、〈墓守〉も、お前の周りには意外に多い。代表格が〈エルディタラ〉だな。あの場所には〈戦場の悪魔〉が好む短気な武人が多い。お前が知っているだけでも憑かれた者が十数人はいる」

「そんなに?」

「ああ。だが〈墓守〉になれる者も多いから大事には至っていない。五人に〈墓守〉になってもらった。セラもその一人だ」

「セラが?」

「実はダイオとマルクも〈戦場の悪魔〉に憑かれている。マルクが大丈夫だったのはひとえにセラのお陰だな。ダイオは心がかなり強い。俺が何もしなくとも自分で〈悪魔〉を遠ざけていたんだが、一度だけ、エヴァンスに殺されかけて生死の境をさまよっていた時だけ屈してしまった。〈悪魔〉もその一瞬しかチャンスがないと知っていたから、ほとんど意識のないダイオの口しか使わなかった……『うわごと』の形でエヴァンスにフギンの居場所を教えたんだ。フギンとエヴァンスを戦わせて、いずれフギンを殺すためにな」

 やはりあのときエヴァンスがウラルを追ってきたのは偶然ではなかった。ダイオが熱に浮かされうわごとを言った、その裏にもさらに理由があったのだ。

「ちなみに、前に北へ向かってもらったのはフギンをエヴァンスから遠ざけるためだ。ヒュガルト町に置いておいたら、いつなんどきフギンがエヴァンスの屋敷へ向かうことになるかわかったものじゃなかった。それを知って〈悪魔〉はエヴァンスにフギンを追わせた」

 つまり、あのときウラルらは目の前のこの男と〈戦場の悪魔〉の手の上で踊らされていたわけだ。いや、あの時だけではない。おそらくはその一件から後、逃げまわっていた間もずっと。

「あとは、俺が近々会うだろうと言っていたメイルだ。メイルには〈ジュルコンラ〉で〈戦場の悪魔〉に憑かれていた者を守ってもらっていた。だが、南部の雲行きが怪しくなってきて、〈ジュルコンラ〉の男らは焦っている。普段以上に気が短くなり、メイル一人では守りきれなくなってきた。そこでお前を南へ呼び寄せて、助けてもらおうとしたわけだ」

「どうしてそんな回りくどいことをするの? 直接そう言ってくれれば私はちゃんとフギンに理由を説明して動いたし、フギンもこうして〈悪魔〉に屈することはなかったんじゃない?」

 ジンはすまなそうにしばらく黙りこんだ。

「俺も迷っていたんだ。俺は〈戦場の悪魔〉が誰かに憑いて、こうして現世に出てきてもらわないことには干渉できない。だが〈悪魔〉がそうしてひとたび現れれば大勢の死傷者が出るだろう。もし媒体がダイオだったらこの程度では済まなかった。片腕のフギンだったからこの程度で済んだんだ」

「フギンなら犠牲にしてもよかったというわけね?」

「ほかに方法がなかった。その上、フギンにはお前がついている。ほかの〈墓守〉より頻繁に接しているお前なら俺が干渉しやすい」

「体を乗っ取りやすい?」

「申し訳ないがそういうことだ。俺はお前とフギンを逃がしたいと思いながらも、〈悪魔〉をなんとか止めたいと思い続けてきた。どちらの気持ちも本当だ。だからお前がフギンのもとへ戻らなかったとき、それ以上引き止めなかった」

 だからって、と言いかけて、ウラルは口をつぐんだ。あのときウラルが戻っていればフギンはこんなことにはならなかったのだ。

「自分を責めないでくれ、全部俺のせいだ。お前の怖がることはさせたくないんだが、俺はお前の協力なくしては身動きがとれない。フギンを解放することもできない。もう一度お前の体を借してくれ」

「また?」

「〈戦場の悪魔〉を正気に戻して、フギンを解放する。そのために俺が出る必要があるんだ。

それが終われば〈戦場の悪魔〉は消える。〈墓守〉の役目も終わるはずだ」

「〈戦場の悪魔〉を正気に戻す? 祓うじゃなくて?」

「ああ、あれはもともと悪魔と言われるものじゃない。本当のところはな。俺と同じく人を守るためにいるんだが、ベンベル人に国土をめちゃくちゃにされて、たくさんの人間を失って、悲しみのあまり気が狂ったような状態になっているだけなんだ。俺が声をかければ、やつは正気に戻る。今回見逃したのはフギンが正気に返った途端にベンベル人に串刺しにされてはかなわないと思ったからだ。わかってくれ」

 確かにそれはまずい。

「よし。じゃあ、しばらくエヴァンスらと一緒にいてくれないか。そう日数はかからないだろう。〈戦場の悪魔〉はエヴァンスを狙ってくるはずだ」

「そう言い切れる?」

 ふっとジンが笑う。ああ、と答えた声がぼやけているのに気づき、ウラルは慌てて呼び止めた。

「待って。あなたのことを何て呼べばいい? 今まで通りジンってわけにはいかないでしょう?」

「ジンでいい。嫌なら『あなた』でも何でも、今日みたいに呼んでくれ。俺は確かにジン本人じゃないが、お前の中のジンの記憶が形をとったものであることも間違いない。つまりはお前がジンならこうするだろうと思ったことをする」

 ウラルは目をしばたいた。

「あんまり心配するな。大丈夫だ」

 ジンはほほえみ、黒衣のすそをひるがえして立ちあがるとドアの方へ歩いていった。歩いていく後姿がだんだん薄れていき、ドアの前でふっと消えた。



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