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第三章 3「サヨナラ」 下

     **


 エヴァンスについて教会を出た直後、急な悪寒にウラルははっと顔をあげた。

「どうした?」

 南で大きな火が燃えているような感じがある。頬を炙る熱い風、そして生き物が燃えているような嫌なにおいと禍々しい気配。故郷の村が丸ごと燃えるのを陶芸窯から見ていたときとそっくりの感覚に全身が総毛立った。

「ウラル、聞こえるか! どうした!」

 エヴァンスの手が肩を揺さぶっている。教会の外で待っていたらしいシャルトルがベンベル語で主君に何かを問いかけた。

「南で、なにか……」

 だが、うめきながら見あげた空には炎どころか煙の一筋さえ見えなかった。

 悲鳴が聞こえる。狂気の雄叫びが聞こえる。ウラルの目からひとりでに涙が流れ始めた。

 エヴァンスとシャルトルが困惑の視線を交わす。二人はこの襲撃の気配を感じていないのだ。とうとう本当に頭がいかれてしまったらしい。

「(エヴァンス卿!)」

 突然の声にベンベル人二人が顔をあげる。ゴーランに乗った兵士が数人駆けてくるところだ。先頭の兵士がぱっと鞍を降り、エヴァンスの前に膝をついた。

「(客人にこんなことを申しあげるのは心苦しいのですが、剣の勇士と名高いあなた様にお願い申しあげます。どうぞ我々にご助力ください!)」

「(何があった)」

「(南門でリーグ人の男が暴れているのです。相手はたった一人、しかも隻腕なのですが、悪魔が乗り移っているとしか思えません。既に死者数十名、負傷者は数えきれぬほど出ております。お助けください!)」

 「隻腕のリーグ人」と言ったところでエヴァンスの視線がウラルに向く。無言の問いかけ。「お前の連れか?」。ウラルもまた無言の返事をした――凍りついた顔で。

 悪魔が乗り移っているとしか思えない。

「(ゴーランを借りられるか? シャルトル、ウラルを頼む)」

 エヴァンスはすぐさまゴーランにまたがり、ウラルにしか感じられない炎の中へと消えていく。

(とうとう起きてしまったな)

 耳の奥に戻ったジンの声に、ウラルは目を見開いた。

「やっぱりフギンなの?」

(ああ。本当はまだこんなことはしたくなかったんだが……体をしばらく借りる。フギンを止めんとならん)

「それはどういう」

(すまない。事情はこれがひと段落してから話す)

 ふっと体に力が入らなくなった。よろけたウラルをシャルトルが慌てて支える。ウラルは戸惑い、もがいた。いや、もがいたつもりだったが、体がまったく動かない。

(本当にすまない……)

「ウラルさん? だ、だいじょうぶですか?」

 ウラルはシャルトルにほほえみかけた――ウラルの意思とは無関係に。ウラルの顔をのぞきこんだシャルトルが熱いものに触れたかのようにビクリと体を震わせた。

 南を見つめる。襲撃の気配はジンの声が聞こえる前に比べ、圧倒的に強い。

 ウラルは炎の中心に向かって歩きはじめる。町の外から同じ方向へ矢のように駆ける森の気配を感じ、ウラルは目を細めた。

「地神の忠実なる僕、森の守護者アラーハ。この声が聞こえるならば、どうか私に力を貸してください」

 凛とした声。決して大きな声ではない、しかし声には力がこもっていた。矢のように鋭く、標的に向かってまっすぐ飛ぶ声は、巨獣にぶつかり、その頭の奥を震わせる。

 息をきらし全身汗だくになったアラーハが現れるまでさほど時間はかからなかった。アラーハは今度も全てを承知しているようだ。ウラルがウラルでないことを知り、その体を動かしているのが誰かを知っている。信じられないとばかり目をむきながらもうやうやしく顔を寄せるアラーハ、その額をウラルはなでた。

「ありがとう」

 助走もなしにイッペルスの背をまたぐ。普段のウラルには、いや常人にはありえぬほどの身軽さだ。

「セテーダン町の魔女だ……」

 武器を向けたベンベル兵をアラーハがねめつける。シャルトルが「かなう相手ではない、やめなさい」と同胞を制した。ウラルに向けて何か言いたげな顔をしたが言葉がでてこないらしい。立ちつくしている。

 アラーハの蹄が石畳を激しく打った。道は拓けている。リーグ人は「人には慣れぬ獣を従えた神の使者」のために道を開け、ベンベル人は南門で暴れる狂人の相手で手一杯だ。

 疾駆する先、大通りの南の果てに人だかりが見える。ベンベル人の人垣の中で戦う二人の男の姿があった。一方はゴーランにまたがったエヴァンス、もう一方は馬に乗った、赤い、小柄な、片腕のリーグ人。

 背格好はたしかにフギンだが、にわかには認められないほどフギンは変わり果てていた。返り血に重く塗れたボロ服、憎悪にぎらぎら光る狂気の瞳。人垣の外には死傷者の山、かなり暴れたはずなのにまったくの疲れ知らずで戦い続けている。

(……殺せ。殺せ!)

 その内から響く亡霊の声に導かれるまま、すさまじい勢いで剣を振るい、振り下ろす。二人の力量差がどれだけあったか、フギンと共に長い間逃げまわっていたウラルは知っている――が、今の二人は対等に戦っていた。いや、むしろエヴァンスが押されている。見開かれた青い瞳には戸惑いの色。

(ちがう、前のこの男ではない!)

「アラーハ!」

 ベンベル語の悲鳴があがった。アラーハは駆ける勢いをそのままに人垣を飛び越えるや、二人の男の間に割り込み、双方の剣をツノでがっちりからめとった。

「双方、剣を収めてください。私、〈風神の墓守〉が調停します」

 アラーハのツノから剣を取り返そうともがいていたフギンの動きが止まった。とたん、その剣の刃先がぼろぼろにこぼれ、ヒビが入り、四つに砕ける。フギンの周りに渦巻いていた襲撃の気配、禍々しい炎の気配も薄れて消えた。

 エヴァンスは険しい目でウラルとフギンを交互に見つめている。

「〈戦場の悪魔〉」

 フギンの狂気の瞳をまっすぐ見つめたウラルは、何事かを続けようとして、口をつぐんだ。フギンの目を見つめながらかたわらの南門をまっすぐ指し示す。とたん、フギンは視線を断ち切り町の外へ突進した。

 止める者は誰もいない。赤い男はすぐに見えなくなった。

「ウラル。あれは、何者だ?」

 ウラルは答えない。否、今まで体を動かしていた人物がそれを聞いている気配さえない。

 ウラルは体の自由が戻ったことに気づき、そろりそろりと両手を目の前にかざした。声にならない悲鳴をあげ頭を腕で覆う。アラーハの背から落ちた。アラーハがあわてて鼻先を伸ばしたが間にあわず、背中をしたたか打ったが痛みは感じない。

「ウラル」

 ゴーランの背から降りたエヴァンスが手を伸ばした。ジンの手とよく似た手。ウラルは再び悲鳴をあげ、振り払おうと必死になった。

 気がつくとエヴァンスに羽交い絞めにされ、悲鳴をあげながら暴れていた。体の自由がきかない恐怖と、あの襲撃の恐怖、突然変わってしまったフギンへの恐怖、とうとう狂ってしまった自分への恐怖。ないまぜになったいろんなものから逃れようとして、けれど、力の限りもがき、暴れても、その腕からも胸からも逃れられない。

「ジン、ジン……いや、離して。やめて!」

 ずいぶん長く暴れていたはずだが、エヴァンスはただウラルを後ろから羽交い絞めにして耐えているだけ、それ以外には何もしなかった。やがてウラルが疲れ果て、暴れたくとも動けない状態になると、エヴァンスはウラルを抱えあげてアラーハの背に乗せた。

「休める場所へ連れていきたい。ついてきてくれ」

 アラーハはおとなしくエヴァンスの後についていった。ウラルはただアラーハの背でぶるぶる震えていた。

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