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第三章 3「サヨナラ」 上

 ウラルとフギンはその日の夕方、オーランド町にたどり着いた。すぐさまロクを連れて泊まれそうな大きな宿を探したが、シガルとマルクは見つからない。もう少しわかりづらいところで息をひそめているのだろう。

 どうやら仲間はまだこの町に着いていないようだったし、ウラルは昼間の追走劇で疲れきっている。今日のところは適当に宿をとり、朝になったらまた探そうということになった。アラーハはいつものように町の外で待機している。

「また追われるハメになっちまったな」

 宿で重い荷物をおろしながらフギンがぼやいた。普段は一階が酒場か小料理店、二階が客間になっている宿に泊まっていたのだが、今回は一階に客間がある宿をフギンはわざわざ探していた。部屋に入るときも出口をしっかり確認していたところを見ると、どうやら襲撃を覚悟しているようだ。

「心配するなよ、念のためだ。ただ今回は味方の誰かがとっつかまってこの町で待ち合わせなの吐いちまうかもしれないからな。襲われた場所から距離もあんまりないし。ま、そんな簡単に捕まる連中じゃないし、大丈夫さ。あー、イズンがさらわれてないかだけ心配だな。美女と思ってさらってみたら男だった、なんてコント以外の何者でもないぞ」

 言いながらフギンは夕食の包みを開けた。さっき物乞いの子どもに小遣いをやって買いに行ってもらったものだ。

「なんだ、妙に重いと思ったら。あいつちょっと前までいいとこの坊ちゃんだったんだな、ビールの瓶までついてるよ。その分の小銭、ポケットに入れちまえばいいのにさ」

 歯でビールの栓を抜く。しゅぽっと軽快な音がした。

「ウラルも飲むか?」

「ううん、私はいい」

「そっか、酒はあんまり好きじゃないんだったな」

「フギンは強いからいいけど、私はすごくお酒に弱いのよ? 酔っぱらって逃げられなくなったら」

「そんな心配するなよ、大丈夫だから。いざとなったら逃げられるようにちゃんと準備してあるだろ?」

 穏やかに笑いながらビールをあおり、「食えよ」と言いたげに袋の中からパンをとってウラルに渡す。自身は羊の骨付き肉にかじりついた。もう一度ビールをあおり、「足りないな」と言いたげに瓶を振ってみせる。

「そうはいっても、あいつらはやっぱり心配だな。ウラルお前、あの金髪男の居場所とかわからないのか? あの隠れ里の長老みたいにさ」

 ウラルの「妙な力」を嫌っているはずのフギンからの予想外のセリフにウラルは驚き目を見張った。フギンは名案だとばかり一人でうなずいている。

 酒に強いはずのフギンだが、すきっ腹に一気にビールを流し込んで少し酔ったのかもしれない。ウラルは困って肩をすくめた。

「そうだ、マームさんや会ってもいないメイルのことだってわかるんだ。金髪男やダイオの居場所くらいすぐわかるんじゃないか? 試してみてくれよ」

「だめなの。前にも言ったでしょ? きれいな石の棺がたくさん並んでいて、ジンのいる場所、あれから読み取れることしか私にはわからないの」

「じゃ、その〈墓〉とやらに自分から行ってみればいい。ちゃんとコントロールできれば問題なくなるさ」

 フギンの優しい笑顔にウラルはきょとんとした。随分変わったものだ。アラーハを認められたことで、ウラルの予言も認められるようになったのだろうか。

「さ、やってみろよ」

 ウラルはうなずき、目を閉じた。

 真鍮色に輝く丘を思い浮かべる。水晶の棺。ツタのからみついた陶芸窯。揺れる青いナタ草。ウラルは心の中でため息をついた。ここはいつもの墓ではない。ただのイメージ、ウラルが心の中で思い浮かべている映像にすぎない。けれど。

 南へ。

 あの〈墓〉を思い浮かべたせいだろうか。聞こえないふりをしていた南からの呼び声がもろにウラルを打った。

「どうだ? 何か見えたか?」

 フギンの声にウラルは目を開き、無理に笑みを作って首を振ってみせた。

「そんな変なもの、こうやって笑ってやりすごしてりゃいいのに」

 フギンは笑っている。が、ウラルが何かを隠したのは察したようだ。

「ウラル……」

 ふっと真顔になって、フギンは片方しかない腕をウラルに伸ばした。空っぽになったビール瓶がごとんと倒れる。

「忘れちまえよ。な?」

 突然の抱擁にウラルは驚き、何もできずフギンを見あげた。とろんとしたフギンの瞳が文字通りの目の前にある。

「ずっと、こうしてお前を抱きたかった。ずっとずっと我慢してたんだからな」

 鼻と鼻がぶつかりそうな距離。アルコールを含んだ甘い吐息が耳にかかる。

 フギンは男だ。当たり前のことを今さら思い出し、ウラルは震えた。

「知らなかったとは言わせねぇぞ」

 フギンが耳元で甘くささやく。

「ウラル、おまえのこと、ずっと好きだった。だからここまで一緒に来たんだ。でも、もう限界だ。片思いじゃ、俺、もうお前についていけない」

 わかっていた――たしかにわかっていた気がする。フギンのウラルへの執着は異常だった。あきらかに友人の域を超えていた。けれどウラルは黙ってやり過ごすだけだった。見えてはいた、フギンの気持ちもおそらく知っていた。けれど無意識に重い蓋を被せていた……。

「お前は頭目が好きだったんだよな。わかってるよ、頭目の次でいい。でも今、生きている人の中では俺が一番だって、そう言ってくれないか?」

「ちょっと、フギン」

「キスしていいか?」

 名残惜しそうにウラルの体に回した腕に力をこめ、するりとほどいて、ウラルの頬を手のひらで覆った。親指がそっとウラルの唇をなぞる。その手がウラルの側頭部の傷跡をなで、後頭部へ回った。熱い吐息が顔にかかる。

 唇と唇が重なり合う寸前。

「……なんでだ?」

 ウラルは自身の手のひらをじっと見つめた。フギンの頬を力の限りひっぱたいた手のひらを。呆然としているフギンの隻腕の隙間から抜け出し、ドアの方へ後ずさる。

「なんでだ、ウラル?」

 フギンの顔が紅潮している。反対にウラルは青ざめて、後ろ手にドアノブをにぎった。

「お前も俺のこと、受け入れてくれてると思ってた。違うのか?」

 ウラルは恐怖と混乱で何も答えられなかった。フギンが唇を噛み締める。

「じゃ、これにてお別れだな。俺は勝手にやるよ。お前はお前で好きにしてくれ」

 静かな声だった。怒りっぽいフギンの声とはとても思えない、静かな、感情のこもらない声。床に座りこみ、うつむくフギンの目は見えない。

 ふっと嫌な気配を感じ、ウラルはドアノブに手をかけたまま、まじまじとフギンを見つめた。フギンの、感情を失ったフギンの内側から声がする。低い低い男の声。少年から老人まで、何人もの男が同時に呟いているような。

(……殺せ!)

 ぎょっとドアを開け逃げだそうとした瞬間。

(だめだ、フギンから離れるな!)

 突然脳裏に響いたジンの声にウラルは全身を震わせた。なぜここでジンの声が。ウラルは唇を噛みしめる。

「あなたのせいでしょ、ジン!」

 叫んでドアの向こう、真紅の夕暮れの街に飛び出した。

「サヨナラ、ウラル」



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