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第二章 4「仇にまで祈られて」 下

     ***


 かくして妙な共同生活が始まった。

 ウラルはベッドからまともに動けない状態、たとえフギンがエヴァンスに殴りかかってもアラーハが再び暴走しても止める力はない。最初はひやひやしながら見守っていたのだが、意外や意外、さして事件は起こらなかった。フギンは敵意をむきだしにしつつも戦闘に発展するほどには殴りかからないし、アラーハも穏やかなものだ。

「だってさ、お前が嫌がるだろ」

 どうしてと聞いてみればフギンの答えはこれだった。ジンが言っていた「メイル」のことはまだ尋ねていない。エヴァンスに聞かれて行き先の手がかりにされては困る。

「それに、悔しいけど俺ひとりじゃかないそうにないしさ。アラーハと二対一なら勝てる見こみあるけど、アラーハにその気はないみたいだし、第一お前を人質にされたらどうしようもないしさ。今は何もしないのが得策みたいだ」

「アラーハはどうしてエヴァンスを襲うの、やめたんだと思う?」

「さあなぁ。お前の命を助けたの、恩に着てるんじゃないか? いや、でもそれだけであの恨みが鎮まるとは思えないよな」

「なんか、正気に返ったって感じよね。獣から人に戻った感じがする」

 ウラルはアラーハが採ってきてくれた果物のカゴに目をやった。

 アラーハにはまた、言葉が通じるようになっていた。何かを話しかければうなずき、首を振ったり嫌そうな顔をしたり何かしらの反応を返してくれる。フギンをせっついてはカゴをツノにかけてくれと頼んで、止血や化膿止めの薬草を大量に採ってきてくれたり、食料を調達してくれたり。むろんフギンが触れても背に乗っても嫌な顔はしない。

 ウラルの血がアラーハを正気に返したのだろうか。それとも、ウラルを守ろうとしたエヴァンスのしぐさや面差しにアラーハもジンの面影を見たのだろうか。アラーハに言葉が話せれば一番に聞いてみたいことだったが、聞いても答えてくれない気がした。

「ね、フギン。どうしてアラーハを、あの姿のアラーハをちゃんと名前で呼ぶようになったの?」

 フギンは居心地悪げに頭をかく。

「なんというか、うまく言えないんだけどな。あいつの戦い方、アラーハそのものだった。余裕があれば腹を狙う、本気で戦うときは首や頭ばっかり狙う。フェイントのかけ方とかもまったく同じだ。それにさ」

 フギンは少し口ごもり、窓から外を見た。アラーハは二頭の馬と共にのんびり草を食んでいるはずだ。

「お前、あの金髪男に報復したくないって言うアラーハを俺がののしったとき、すごい剣幕でアラーハは腰抜けじゃないって言ってたよな。あの理由、アラーハはお頭の父ちゃんだったっていう話も、よくよく思い返してみたら心当たりがないわけじゃなかったし、イズンもそんな感じのこと言ってたし。早い話が、お前の話がやっと腑に落ちたんだよ」

 否定する理由はないのかもしれない、でも心が追いつくまで待ってほしい。隠れ家を出る前、シガルに言われた言葉がウラルの脳裏をよぎった。あれはフギンにも言えるのではなかっただろうか。やっとフギンの心が追いついた。一年をかけて、やっと。

「ごめんな、ずっと気違いよばわりして」

「ううん。私こそ、ごめん」

「なんでお前が謝るんだよ」

 ウラルにも非はある。フギンの心が追いつくのを待たず、ひたすら信じてほしいと押しつけ続けた。だから余計にフギンは反発してしまったのだ。自分のほうがアラーハと知り合ってから長い、自分が知らないのにウラルが知っているはずはないと。

「アラーハにも謝ったらさ、お前とおんなじだ。声が出るわけでもないのに、口だけ動かして『すまなかった』って言うんだよ。でさ、背中に乗れって言うんだ。座りこんで鼻先で自分の背中をつっついて。乗せてもらったら、あいつ、本当に足が速いんだな。すげぇ勢いで川まで走っていくんだ。水汲んで帰ってくるまで、あのベンベル人どもが行く時間の半分もかからなかったぜ」

 傷のせいでベッドにはりつけ状態のウラルは起きている時間の大半、こんな調子で小屋で暮らしている三人と語らって過ごした。特にエヴァンスは「暇だろう、話し相手になろう」と頻繁にウラルの脇に置いてある椅子に座った。どうもエヴァンスの側でもウラルに山ほど尋ねたいことがあるらしい。

「なぜゴーランがにおいを追っていることに気づいた?」

「前の村で泊めてくれた人が、馬やアラーハのいたあたりでゴーランがうろうろしているのを不審に思ったみたいで。家の中に隠れていた私たちに後から教えてくれたんです。その後、私たちはにおいを消しながらここまで来たのにどうして二人とも追ってこられたんですか?」

「お前たちがあの家に隠れていることは察しがついた。地下に隠れていただろう。わたしたちベンベル人も地下室をよく作るし、追われたときはそこに隠れる場合が多い。それを暴くためにわたしたちはゴーランの感覚を利用するのだ。ゴーランは嗅覚だけでなく、獲物の体温も感じることができる。犬はごまかせてもゴーランはごまかせぬ。だから風下に忍んで、お前たちの姿を見ながら跡をつけた。でなければ振り切られていただろう」

「ずいぶん親切に教えてくれるんですね」

「ひとつ教えてもらえれば、ひとつ教え返す。命には命を、情報には情報を」

 おかげさまで随分疑問が晴れた。

 あの仇討ち未遂の後、すぐエヴァンスは教会へ行き、身を清めながら泊まりこみで神官の裁きを待っていた。その「裁き」の結果が、その異教徒三人、つまりはウラル、フギン、ダイオの三人の命を絶ち神に捧げるべし、だったそうだ。その上、その「罪がつぐなわれる」まで騎士権の剥奪、という厳しいものだった。

 門番たちまでいなかったのは、その裁きが重過ぎると総出で減罪嘆願に出かけていたかららしい。だからまるで夜逃げのように屋敷が静まり返っていたのだ。

 エヴァンスがいないときにこっそりシャルトルが話してくれたことによると、エヴァンスはどうもお偉がたからひどく嫌われているそうだ。異例の若さで騎士となった、媚びることを知らず付き合いも非常に悪い、戦うことしか知らない男。十万を統率するだけの力を持ちながら千人の部下しか与えられず、危険な戦場ばかりへ回された。その千人を少数精鋭として育て上げれば、育てるそばから引き抜かれてほかの騎士のもとへ回される。功をあげれば片っ端からかすめ取られる。

 それでもなんとか生き残れば、次は小さな偏狭の町の君主に封じると言われた。実質上の幽閉だ。さすがにエヴァンスが自分は戦うことしか知らないのだと突っぱねれば、屋敷ひとつに五百人の部下だけを与えられてヒュガルト町の警護を任された。とても一国の騎士の仕事ではない、とシャルトルはひどく怒っていた。

 そんな調子だったから、エヴァンスの足元をすくいたがっている連中にとってはいい機会だったのだろう。容赦なくエヴァンスは追い出されてしまった。神の裁きだ、実行できねば死後煉獄へ落とされて永遠の苦しみを与えられるぞ、と言われれば敬虔なウセリメ教徒であるエヴァンスには否の言いようがない。

 そんなわけでエヴァンスはシャルトルと共にウラルとフギンを探し始めたのだが、ヒュガルト町じゅう探しても見つからない。当然だ、エヴァンスがウラルを探し始めたのはウラルの傷がある程度癒え、森の隠れ家へ戻った後だった。

 困ったエヴァンスらは捕らえていたダイオを尋問した。だが、ダイオも決して口を割らない。拷問で無理に聞き出す案も出たが、とても屈する相手ではなかろうし、嘘を吐かれてまんまと踊らされる可能性もあった。

 そこでエヴァンスが教会にいる間も屋敷に残ってダイオの世話をしていたミュシェが言い出したのだ。うわ言でダイオがなにか地名らしいものを言っていた、手がかりではないかと。

 エヴァンスが教会にいる間、囚われのダイオは生死をさまよっていた。エヴァンスに負わされた重傷と、その傷のための高熱がダイオの心をあの戦場に引き戻していたらしい。主君フェイスを逃がせなかったことを嘆き、フェイスの息子たるジンのもとにも行けるものなら助けに行きたかったと、意識のないまま嘆きに嘆いていた。そのなかにルダオ要塞や〈ゴウランラ〉周辺の地名がまじっていたそうだ。

 まったく手がかりもないわけだし、片道四日もあれば着く。行ってみるかとエヴァンスらは北へ向かい、そこでウラルらにばったり出くわしてしまった――。

 ウラルも見返りにエヴァンスを恨む理由やジンとの関係、エヴァンスらが探していたときどうしていたか、〈エルディタラ〉との関係を乞われるまま語った。アラーハがなぜエヴァンスをあれほど恨んでいるかも尋ねられたが、これは答えるに答えられない。守護者でんでんのことは話さず、ただアラーハの息子をエヴァンスが殺したのだ、とだけ話した。イッペルスを殺した覚えはないが、とエヴァンスは不審げにしていたが、話したところで信じてもらえるとも思えないし、信じてもらう必要もない。

 ウラルが意識不明だったのが二日、自力で体を起こせるようになるまでさらに二日。小屋の中なら歩き回れる程度にまで回復するのにもう四日かかった。三人と一頭はよくウラルの世話をしてくれたし、シャルトルが持っていたベンベル国の薬はリーグのものよりよく効いたが、それでもウラルのダメージは重い。

「これでお前が倒れているところを見るのは三度目だな」

 エヴァンスも苦笑していた。

「監獄の拷問を受けてわたしの屋敷へ来たとき、わたしが頭を殴って昏倒させたとき、そして今。わたしの立場だ、心配することはできないが」

 おかげさまでウラルの体は傷だらけだ。特に頭の傷は焼いて止血したものだから見た目も派手だった。包帯がとれても髪が伸びるまで帽子がいりそうだ。


     ****


 そして、イズンと隠れ里で別れてから十二日目の昼前。

 小屋の外で壁にもたれ、座ってエヴァンスと話をしていたウラルは、アラーハが急に空を見上げたのにつられて空を見た。何も見えないが、アラーハには何かが聞こえているらしい。座りこんだ姿勢から立ち上がり、耳をどこかに向けている。

 アラーハが空を見上げたまま高くいなないた。イッペルスのいななきは馬のそれよりはるかに低い独特のものだ。何事かと馬のところにいたフギンとシャルトルがすっ飛んでくるのと同時に、空に鳥影が現れた。誰かを背中に乗せたロク鳥だ。

「シガル?」

 ぽかんと呟き、フギンを見る。シガルだな、とフギンもうなずいた。

「どうしてここに?」

「いい加減遅いから心配したんだろ。まいったなぁ」

 シガルはぐんぐん近づいてきて、小屋の上で旋回を始めた。降りる場所を探しているらしい。

 それから、不意に急降下してきた。

「Lia ieouw. Chartre!(避けろ、シャルトル!)」

 突然のベンベル語にウラルは驚いてエヴァンスを見つめた。エヴァンスは言うなりシャルトルを小屋の方へ突き飛ばしている。瞬間、巨鳥がシャルトルのいた場所のすぐ脇を滑空していった。シャルトルがいたまさにその場所には、投槍がまっすぐに突き立っている。

「次は当てますよ。二人から離れなさい、ベンベル人」

 今まで聞いたこともないほど冷たい声が空から降ってきた。

「シガル、やめて!」

 叫んだが、大きな声を出すのは今のウラルには無理だった。頭に走る激痛。ふらついたウラルをフギンが支えてくれる。エヴァンスは身構え武器をとろうとしたが、武器は全部袋に入れて隠してある。エヴァンスは舌打ちし、シャルトルをうながして小屋の中に入った。

 巨鳥が暴風ともに降りてくる。鋭い目をしたシガルは投槍を油断なく構え、ロク鳥に騎乗したままでウラル、フギン、アラーハのところへ歩み寄ってきた。

「何がどうなっているんですか?」

「その、いろいろわけがあってさ。とりあえずお前、そんないきなり槍ぶん投げることないだろ!」

 シガルは苦笑した。

「襲撃されている真っ最中かと思ったんです。どうやら違うみたいですね」

「休戦中なんだよ、今は平和に話をしてただけさ。で、お前なんでここがわかったんだ? 久しぶりだなぁ」

「本当に久しぶりですね、ダイオ将軍はカンカンですよ。帰ってきたイズンさんが二人は待ち伏せにあったかもしれないと言っていたので、マルクさんと二人で飛び回って探していたんです」

「げ。やっぱりダイオ、怒ってるか? そりゃ怒ってるよなぁ」

 危機感のないフギンの様子に多少安心したのだろう。シガルは槍を下ろし、ロク鳥の鞍に固定された鐙の皮ベルトを解き始めた。

「ウラルさん、その怪我はどうされたんですか? やっぱりあのベンベル人たちに?」

 驚いたのや大声を出したのがいけなかったのだろう。ウラルはずきずきする頭を押さえながらへたりこんだ。アラーハが大きな体で日陰を作ってくれ、心配そうにのぞきこんでくる。

 ウラルはとても事情を説明できる状態ではないと判断、フギンがシガルにかいつまんで状況を話した。ベンベル人二人に襲撃されたこと、ウラルがアラーハの枝角で誤って殴られ重症をおったこと、どういうわけやらベンベル人二人がウラルの手当てをしてその後も居座っていること、ウラルの傷ではしばらく動きがとれそうにないこと。

「そんなに酷いんですか」

 シガルが心配そうにウラルをのぞきこむ。

「動けるようなら、僕が連れて帰るんですが……」

「シガルが? ロク鳥で?」

「ロクは滑空しますからね、揺れは馬よりずっと少ないです。ここでベンベル人たちと一緒にいるよりは、森の隠れ家へ帰れるなら帰ってしまった方がゆっくり休めるでしょう。どうですか?」

 帰れるものなら帰りたいが。アラーハとフギン、そして窓から様子をうかがうエヴァンスとシャルトルを見た。二人もこちらに耳をそばだてている。

「ウラル、それがいい。シガルと一緒に行けよ」

「でも、フギンとアラーハは?」

 大丈夫だ、とばかりフギンはアラーハの肩のあたりを叩いた。

「全速力で俺たちも隠れ家へ向かうよ。なに、やつらの足は捻挫した馬とゴーランだ。俺とアラーハにゃどれだけがんばってもかなわないさ。お前のいないところで向かっていったりはしないからしないから安心しろ。実際、この何日もやつらを殴ったりしてないだろ?」

 任せてくれ、と言いたげにアラーハもうなずく。今のこの二人ならウラルがそばを離れても大丈夫そうだ。もう一度フギン、アラーハ、エヴァンス、シャルトルの顔を見て、最後にシガルと向かい合う。

「じゃあ、シガル。明日の朝に出るってことでいい?」

 了解です、とシガルはうなずいた。


     *****


 具合が悪くなったらすぐに言ってくださいね、とシガルに言われながら命綱がとりつけられる。それで準備は終わりだった。

 馬上のフギンが「また後でな、何もなけりゃ三日かからないから」と言いつつ手をにぎってくる。それを握り返し、ウラルは少し離れたところで見守っているベンベル人二人を見やった。

 この二人は本当に最後まで手を出す気がないようだ。武器入れ袋の鍵は開け、それぞれの武器は取り出したが、それを帯びているのはフギンだけ。二人のものはどうやら、まだ小屋の中にあるらしい。

 別れの言葉を言いたかったが、どう言っていいのやらわからなかった。元気で、とかまた会いましょう、というのも変な話だ。

 ウラルが複雑な顔で見つめているのに気がついたらしい。エヴァンスが無表情に口を開いた。

「また会おう、ウラル。これで借りは返した。次に会うときは容赦しない、覚悟するがいい」

 フギンが鋭い目を向けたが、エヴァンスはむろん動じない。

「さよなら、できるならもう会いませんように。薬、ありがとうございました」

 それがお前の別れの言葉か、と言いたげにエヴァンスは苦笑した。シャルトルはただ微笑っている。

 もういいですかとシガルに尋ねられ、痛みが走らない程度に軽くうなずく。ロク鳥が力強く羽ばたいた。

 旋回しながらフギンとアラーハの出発を見守る。フギンはアラーハに何事か話しかけると、猛スピードで獣道に走りこんでいった。エヴァンスとシャルトルは空を舞うロク鳥を見上げながら何事か話をしている。フギンを追う気はなさそうだ。

 旋回をやめて森の隠れ家へ飛び始めたシガルの背にもたれかかる。帰ったら一番にダイオに謝ろうと思いながら、エヴァンスの視線を背中に感じながら、ウラルはぐったりと目を閉じた。



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