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第二章 3「布に覆われた顔の下」 下

     ***


 ウラルは語った。昼にはエヴァンスらが来ることを考慮し、手短に、あの不思議な夢のこと、三人の生死を当てた予言、そして北へ行かなければという強い直感のことを。

 老婆は黙って聞いていたが、最後に「やっぱりねぇ」と小さく呟いた。

「道理であんたたちが並々ならぬ強い光として見えたわけだ」

「強い光で見えるのはどういう時なんですか?」

「四大神の加護を強く受けている人だと、そう見える。あんたと、あのフギンという男、それにあのイッペルスは強い加護を受けているようだ。感謝なさいね」

 自分が神々から特別な加護を受けていると思うと不思議な気分だ。もしかすると危ない目にあいながらもウラルが今まで無事に切り抜けてこられたのは、風神のおかげなのかもしれなかった。

「長老には、どうやって未来が見えるんですか?」

「近い未来は、未来自体を見ているんじゃない。さっきも言った光の点だよ。視界の隅で光の点がちらちらしている時がある。そういう時に意識を集中すれば、その光、つまりはその人が今どのあたりにいるかがわかるのさ。この隠れ里に向かってくるようなら、今の位置と光の近づく速さからあとどれくらいでここに着くかわかるね」

 ウラルがここに来た時や、今回のエヴァンスが昼に来るという予言もそうして出したものなのだろう。

「では、遠い未来は? イズンから、半年後に私たちがこの村へ来ると長老から予言されたとうかがったんですが」

「遠い未来は、そうだねぇ、夢に近い。眠る寸前が多いね。ぱっと映像が見えるんだよ。わたしはめしいているがね、それはそれは鮮やかに見える。だから私はイズン君やあんたの顔をしっかり知っているんだよ。どれくらい先の未来かはわからないことも多いが、大抵は一緒に見える木の葉の色や、子どもたちの背丈で見当がつく。昔はあの鏡もよく使ったが、今はたいていそれで見るね」

 ウラルにはまったく想像もつかない感覚だった。本当に世の中にはいろんな人がいるものだ。

「夢の中に棺と死んだ人が出てきて、棺を指してその人の生死を教えてくれるというわけではないんですね」

「まったく違うね。まぁ、預言者もみんながみんな同じようにして未来を知るわけじゃないよ。むしろ十人十色といっていいくらいだ。あんたのような預言者がいてもまったくおかしくはない。ただし、あんたの例は少しばかり特殊のようだ」

「特殊、ですか」

 老婆はじっとウラルを見つめた。

「あんた、〈墓守〉という言葉を知っているかい」

 ウラルは目をしばたくしかない。

「王様なんかの大きな墓所で、番人をやっている人のことですか?」

「それももちろん墓守なんだが、私が言っているのは別のことだ。夢の中に墓をもつ人のことを墓守と呼ぶ。あんたはその夢の墓の番人なんだよ。番人というより主人かもしれんがね。そして、そんな人は往々にして不思議な力を持つとされる」

「長老もその、墓守なんですか?」

「私は違うね。墓守の知り合いもいない。先代の長老に少し話をうかがっただけだ」

「普通の預言者とは違うんですか?」

「違うようだが、私はどう違うか知らないんだよ。知っているのは、墓守は夢に墓を見ること、そして神々の加護をとりわけ強く受けているということ、この二つだけだ。この村に誰か墓守のことを知っている人がいないか探してもいいが、どうもあんたたちには時間もないようだしねぇ」

 ウラルはうつむいた。それだけでは、わけがわからない。

「私、怖いんです。なんだか自分だけが他の人とは違う、遠い場所に行ってしまうみたいで。長老や預言者の方々にもそういうことって、ありませんか?」

「もちろん、ある。というより、そんなことを感じた人がここに集まって暮らしているんだよ。自分で来たり、不気味がった親が預けに来たり。この村ではそんな人がごろごろしているから、さして気にならなくなったがね。あんたにも時間があるなら、引き取ってあげたいところなんだが」

 老婆は静かにため息をついた。

「でも、あんたが墓守だとすると、ほかの二人、いや一人と一頭だね。あの子らも墓守ということになりそうだねぇ。獣が墓守というのもありえるのかね。ひとまず、あのせっかち男に会ったら墓の夢を見ないか聞いてごらん」

「でも、フギンは予言なんて」

「予言をする墓守もいる、ということらしいからね。みんながみんなというわけではないようだ」

 ウラルはますますわけがわからなくなってしまった。ウラルは三人の生死を言い当てたのが気味悪くて、ここに相談に来たはずなのに。

「さて、あんたもそろそろ行く時間のようだよ。最後にその鏡の前に立ってみなさい」

 ウラルはぎょっと外を見た。気がつけば随分長く話しこんでいたようで、太陽は空高くのぼっている。

「おや、あんたもせっかち者になっちまったのかい? さ、鏡の前へ。それくらいの時間はある」

 ウラルは長老をちらりと振り返り、言われるまま黒曜石の大鏡の前に立った。鏡の中のウラルの肩越しに老婆の姿が見えている。

「一度目を閉じて、深呼吸して。それから目を開いてごらん」

 ウラルは言われたように目を閉じ、深く息を吸いこんだ。とたん、目を開けてもいないのに目の前に光が広がった。強い真っ白な光が視界の中央に浮かんだかと思うと、そのそばに小さな光がぽつりと宿り、遠くにぽつぽつと赤い光と、澄んだ緑の光が強く浮かぶ。赤い光のかたわらに小さな光。

 ウラルはぎょっと目を開く。とたん、黒曜石の鏡の奥にも同じものが透けているのに気づき、思わず一歩身を引いた。

 視界の中央に浮かぶ強い光がウラル自身だ。そのそばの小さな光がこの老婆。赤い光がフギン、緑の光がアラーハ。フギンの近くの点はイズン。教えられてもいないのにはっきりわかる。

 光の点はどんどん増えていく。きっとこの隠れ里の村人をあらわす光だ。そしてやがて、村の入り口から少し離れたところに、ぽかりと穴が開いたように暗い点がふたつ浮かんだ。まっすぐ村の入り口へと近づいてくる。この速さではすぐ、本当にもうすぐにここへ来てしまう。

「見えたようだね、私と同じものが」

 とたん、光の点でいっぱいになった鏡の奥に老婆の顔が浮かび、老婆の顔に視点を移した瞬間に光が失せた。

「今のは」

「自分の夢とまったく違うことがわかったろう。さ、お行き。ここにいていいなら置いてあげたいが、あんたは行かなきゃならないようだ」

 ウラルは礼を言って頭を下げ、ぱっと外へ飛び出した。

「風神の娘。あんたに母神のご加護がありますように」

 出際に聞こえた長老の不思議な言葉が気になったが、もう立ち止まって意味を問うゆとりはなさそうだ。さっき挨拶を交わした村人たちの間を、不思議な家の間を村はずれのイズンの家めがけて駆け抜ける。

「ウラル、お帰り」

 フギンとイズンは家の前にいた。ちょうどどこからか帰ってきたところのようだ。

「今、馬とあのイッペルスを森の中に隠してきたところだ。ベンベル人どもが来るのか?」

「もう村の入り口まで来てるはず。隠れないと」

 二人の顔が険しくなった。

「なんでまたこんなに早いんだ。荷物は地下に移しといたぜ」

 イズンが地下室への扉を開けてくれた。フギンと二人で中に入る。

「イズンは入らないの?」

「外から閉める人が必要なんです。さ、そこのランプをつけて。真っ暗になりますよ」

 イズンはかすかに微笑して扉を閉めようとし、ああそうだ、と部屋の隅から何かをとってきてウラルに渡した。

「念のため、持っていてください。あとこれも」

 どこから持ってきたのか、イズンが渡してきたのは細身の剣だった。続けて渡されたのはフルートだ。どうして、と尋ねる前にイズンは地下室の扉を閉めてしまった。しばらくは扉の隙間から細い明かりが漏れていたが、イズンが適当な絨毯でも敷いたのだろう。真っ暗になり、さらに机と椅子を扉の真上に持ってくる音が聞こえた。

「念のため、って。普通、念のために武器をくれって言うところじゃないのか? ウラルに渡してどうするんだ」

 ウラルも首をひねりかけ、それからイズンの真意を悟って頭上の扉を見あげた。イズンは自分がエヴァンスに切りかからないよう、ウラルに剣を渡したのだ。

 イズンもエヴァンスを殺したいほど憎んでいる。イズンがここで向かっていかないのは、ウラルとフギンを隠さなくてはならないから。相手がかなわないほどに強いとフギンに聞かされているから。

 ウラルは灯されたランプの明かりにフルートをかざした。磨きこまれた小型のフルートには、よく見ればいくつもの傷がある。どこかにぶつけた程度のものではない、深く刻みこまれた傷跡。刀傷。これは楽器としてイズンのなぐさめになりながら、一方では護身用の金属棒としてイズンを守ってきたものなのだ。

「そういやウラル、あの婆さんに何の相談してきたんだ?」

 いきなりフギンに話しかけられ、ウラルはびくっと肩を震わせた。

「静かにしておいた方がいいんじゃない?」

「やつが来てないときなら大丈夫だろう。まずかったら適当にイズンが合図してくれるさ。で?」

 たしかにそうだ。ウラルはためらいながら口を開いた。

「フギン、墓守って知ってる?」

「はぁ?」

「よくわからないけど、私はそれなんだって。夢の中にお墓を持っている人をそう言うらしいの。それで、フギンとアラーハもそうだって言われて。フギン、フギンはお墓の夢、見る?」

 フギンは不思議そうに目をしばたいていたが、やがてこっくりうなずいた。

「そりゃ見るけどな。墓というか、あの戦場の夢。ほら、だいぶ前にお前にもちらっと話したろ。夢に戦場を見て、なんで俺だけ生き残ったんだって死者の声が俺を責める」

 ウラルは驚いてフギンを見やった。たしかにフギンとあの戦のあと、はじめて再会したとき、フギンは眠りながらひどくうなされていた。夢の中に悪魔が出るといって泣いていた。それが二年以上もたつ今まで続いていたとは。

「俺を責めたり、ベンベル人を殺せとそそのかしたり。でもさ、最近はそんな風に責められだしたら、なんかお頭とかお前とかの声が聞こえてさ」

「私の声が?」

「うん。お前が復讐はやめてくれ、生きてくれ、って懇願するんだよな。それで、その声にだんだん亡霊の声がかきけされて、何も聞こえなくなって、そのままぐっすり眠っちまうんだ」

 ウラルは微笑した。

「うん。私がもしその場にいてもそう言うと思う」

 だろ? とフギンも笑う。

「でもさ、それってある種、自然なことだろ? 墓守だのなんだのってのは無関係だと思うんだけど。トラウマになってないほうが不思議だろ」

 たしかにそうだ。フギンはそもそもからして「墓」ではなく「戦場」なわけだし、きっと無関係だろう。ただ、あの老婆の鏡で見たフギンの光、強い赤い光が気になるのだが……。

 と、上からドン、ドン、と靴のかかとで床を鳴らす音がした。イズンの合図だ。

「お出ましかな」

 フギンがぎろりと扉をにらんだ。

 地下にいるせいだろうか、耳を澄ませば足音がよく聞こえる。馬の蹄の音。それに馬の蹄とは違う妙な音がかすかに聞こえた。人の足音に似ているが、違う。ひたひた、ぺたぺたと。きっとこれがゴーランの足音だ。

 ややあって足音がすぐ近くで止まり、二人の人間が下馬する音が聞こえた。ノック。

「はい、どなたです?」

 イズンの声が聞こえた。ウラルとフギンが訪れたときとはまったく違う、妙に淡々とした乾いた声。続いてドアの開く音がする。

「突然申し訳ない。人を探している」

 丁寧なリーグ語にフギンの目がつりあがった。もしフギンが獣なら牙をむきだし全身の毛をさかだてているところだ。

「ベンベル人の知り合いはいませんがね」

 イズンの声は冷たい。さっさと目の前から消えてほしいとばかりに。

「リーグ人の男女二人連れだ。名は女がウラル、男がフギン。心当たりはないだろうか」

「あの二人なら来ましたよ。つい昨日のことですが」

 え、とウラルは思わずイズンがいるであろう方を見つめた。まさか、そんなあっさりと居場所を? まさかウラルらを売る気だろうか?

「本当か」

「ええ。ここに一晩泊まっていきましたがね、先を急ぐということで。今朝早くに発ちましたよ」

 ウラルは胸をなでおろした。まったくはらはらする。

「ここで一泊したのか。では聞かせてもらいたいのだが、二人は食料と水をまともに持っていなかったはずだ。売ってくれと頼まれなかったか」

「売りましたよ。水筒ごと、袋ごとね。さぁ、もういいでしょう。ベンベル人にリーグ人の情報を売るようなまねはこれ以上したくない。お引取り願いたいのですが」

「最後にひとつ、聞かせてほしい。次にどの町へ行くか、言っていなかったか」

「追われている人間が行き先を明かすと思いますか?」

 あからさまな棘のある口調にエヴァンスが苦笑する気配がした。

「ありがとう」

「ええ」

 バタンと激しくドアの閉まる音がした。

「びっくりした。イズンがあんな物言いをするなんて」

「相手が相手さ、無理もない」

 ひそひそ言い交わしながらも、フギンも驚いているようだ。

 エヴァンスと、外で話を立ち聞きしていたらしいシャルトルがベンベル語で何事かを言い交わしながらそれぞれ馬とゴーランに乗る気配がした。馬が歩き出す音。けれどゴーランの足音がしない。

 シャルトルの不思議そうな声。それに何事かエヴァンスが答え、ややあってゴーランと馬の双方の歩き出す音がし始めた。

 足音は遠ざかっていく。遠ざかっていく。遠ざかっていく。それがふいに、地下からでも聞こえるか聞こえないかぎりぎりのところで足音が止まった。

「聞こえたか」

 フギンの緊張した目にうなずき返す。

 どうやら書き物机の前に座っていたらしいイズンが地下室の扉の真上に来た。扉の上に移動させてあるテーブルの前にいるようだ。ギギィ、と軽く机を動かしかける音がする。

「イズン、待ってくれ。まだ近くにいる」

 イズンはテーブルを動かすのをやめ、何事もなかったかのようにテーブルとセットになっている椅子に座ったようだ。

「どのあたりにいるか、わかりますか?」

 聞こえるか聞こえないかの声。イズンの声はまだ固く冷たい。

「わからない。変な感じに足音が止まった」

「わかりました、様子を見ましょう。動く気配があったら教えてください。動きがないようなら、外へ出て井戸を使うふりでもしてみます」

「怪しまれたかな」

「さて、どうでしょうね」

 イズンはそのまま適当に本でも広げたようだ。判断基準が聞こえるか聞こえないかぎりぎりの足音、互いに小声で話すこともできずじっとしていると、やがて、かすかな足音の遠ざかっていく気配がした。

 イズンが椅子を立ち、テーブルと絨毯を扉の前からどかした。フギンが内側から扉を押しあげる。

「イズン」

 イズンはうつむき、布で覆われた左の顔だけをウラルとフギンに向けていた。

「馬とアラーハを迎えに行ってきます。ついでにまだやつらがいないか見てきましょう。二人は、適当にしていてください」

「イズン、私も一緒に行っていい?」

「よせ、ウラル」

 フギンにまじめな顔で引き止められ、ウラルはうなずいて引き下がる。かすかに見えた口元は微笑の形を作っていたが、イズンはとうとう生身の顔を見せないまま出て行ってしまった。

「なんか、泣いてるみたいだったな。あいつ」

 イズンの出て行ったドアを見つめながら、フギンは妙に寂しげな顔をしている。

「泣いてたの?」

「いいや。そう見えただけだ」

 ウラルはずっと手に持ったばかりだったイズンの剣とフルートをもう一度胸に抱いた。イズンのフルートがジンの形見のペンダントに当たり、かちゃりとかすかな音を立てる。そんなウラルの様子を見ながらフギンはため息をつき、どっかりと椅子に座りこんだ。

 窓から見えるイズンの後姿は普段とさして変わりなかった。近くにまだエヴァンスらがいる事態に備え、変に見えないよう自然に、けれど油断なくあたりに目を配りながら歩いているに違いない。

 風が吹いたらしく、イズンの顔を覆っている灰色の布がふわりとまくれあがる。ウラルとフギンには見せられない顔が、そこにあるはずだった。



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