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第二章 2「布に覆われた顔の下」 上

 ウラルとフギン、アラーハは森の中に座りこみ、地図に見入っていた。

 大あわてで町を出てきたはいいが、あの混乱の中でフギンの荷物、ジンのマント以外の荷物をまるまる失っているのだ。軽いパンや干し肉はウラルの荷物の中、今ここにあるのだが、重い鍋や水は全部フギンの荷物の中に入ったまま。特に水は大問題だった。せめて水筒があればいいのだが、いまさら町に買いに戻るなどできるはずがない。

 不幸中の幸いというべきか、フギンもウラルも貴重品はベルトにつけたポケットの中に入れていたからお金の心配はないのだが、一刻も早くどこかの町に立ち寄って補給をしなければならなかった。

「でも、どうにかあの金髪野郎を巻かなきゃならないからなぁ。くそっ、右腕があったらあの栗毛だけは仕留められたのに。できれば一番近い町に今日にでも駆けこみたいところなんだけど、俺はなんとしてでもダイオに会いたい。あんなとんでもないオマケをつけていくわけにはいかないから、なんとしてでも振り切らないとだめだ」

 フギンは一本しかない腕でいらいらと地面を叩いている。

「俺の案はこうだ。やつが予想もつかないほど遠くの村まで補給なしでつっきって、大回りで隠れ家へ向かう。ウラルにはすごい強行軍になっちまうけど、足跡は多分くらませる」

「補給なしでってどうするの? 水なしじゃ限界があるでしょう」

 フギンは地図の一点を指した。森のど真ん中をつっきるように指を動かす。

「ここに川って言えるかも微妙な細い川が通ってるんだ。いかにも湧き水って感じの、一歩でまたげるような細い川。もちろん地図には載ってない。で、このあたりに」

 さらに森のど真ん中、細かな木で埋めつくされた一点を指した。

「隠れ里、っていうのかな。すごいちっちゃい村があるんだ」

「どうしてそんなことがわかるの? フギン、もしかしてこのあたりの地理、詳しい?」

 いいや、とフギンは首を振り、ちらりと笑った。

「その隠れ里、実はネザの故郷なんだ。一回だけみんなで行ったことがあってさ」

 ウラルは目を見張った。

「どうして隠してたの? 私が行きたがることくらい想像ついたでしょ?」

「今まですっかり忘れてたんだよ、地図見て考えてたら思い出した。うってつけだろ?」

 ウラルはうんうんうなずいた。

「行きたい。もしかしたらネザがいるかもしれないし」

「いや、それはないと思う。ネザ、自分の村に帰るの嫌がってたんだ。一度俺たちと行ったときも否応なくというか、なんというかな状況でさ。村に帰っても赤の他人みたいなふりして、ネザかって聞かれても違うって答えてた。親兄弟もいないみたいだったし」

 そうなんだ、とウラルはうつむく。となれば本人の知らないところで故郷に立ち入るのは、家主のいない家に無断で立ち入るのとそんなに変わらない、ばつの悪い感じがした。それに、もしネザの消息を聞かれても答えられないのだ。それを思うと寂しい。

 フギンは腰をあげて帽子をかぶり、尻についた土をパンパン払った。

「よし、とりあえず決まりだな。早いとこ小川へ行こうぜ。俺、喉渇いちまった」

 森の中を進むとフギンが言った通りの小川があった。水の流れを擬音で表現するなら「ちょろちょろ」だ。「さらさら」や「ごうごう」からは程遠い。あとはそれに沿って下流へくだっていけばいいという。

 水筒はないが真横に川があるのだから水には困らないし、鍋がなくて煮炊きはできないが、そのまま食べられるパンや干し肉はウラルの荷物の中にある。用心のため夜は火をたけないが、さいわいまだ寒くはない。むしろ暑いくらいだから、数日くらいなら問題なくしのげるはずだ。

 馬とイッペルスの歩きやすい道を探しながら二人は歩き始めた。


     *


 「隠れ里」に到着したのはそれから一日半後の夜だった。そろそろ野宿する場所をと探し始めたときに村からあがる炊事の煙を発見、それを頼りに向かってきたらすっかり遅くなってしまった。夕食時が終わり、もうみんな寝支度をはじめるころあいだ。

「こんな時間に村入ったら怪しまれるよなぁ。こんな偏狭なんだ、よそ者には厳しい村だろうし。やっと着いたけど適当な場所探して村の外で野宿した方がいいかもな」

 たしかにそうだ。長いこと森の中を歩いていたから人恋しかったが、怪しまれ叩き出されては元も子もない。

 いくぞ、とフギンが馬首を返す。ウラルも続こうとしたのだが。

「アラーハ、どうしたの?」

 アラーハが動かない。首をあげ立派な枝角を高々かかげて何か、村の中の何かを見つめている。

「フギン、ちょっと待って」

 フギンを呼び止め、ウラルもアラーハの見ているほうに目を凝らした。アラーハがかすかに鼻を鳴らし、それからゆっくりと村へ向かって歩き出す。

「ちょ、おいおいウラル、こんな時間に入っちゃまずいって」

 フギンの制止などアラーハは聞いていない。止まるどころか足を速め、ついには走り出してしまった。

「アラーハ、止まって。どうしたの、今まで人のいるところ避けてたのに!」

 あわてて叫んだがアラーハはむろん止まらなかった。耳をぴんと前に向け、一目散にどこかへ突っ走っている。アラーハが走る理由を見つけるほうが先決だと判断し、ウラルはアラーハの向かっている方に神経を集中した。

「笛の、音?」

 かすかな音だが間違いない、聞き覚えのある楽器の音色。

「このバカイッペルス! なんでまた急に走り出すんだ!」

「フギン、耳をすませてみて。フルートの音が聞こえる」

「フルート?」

 追いかけてきたフギンが鞍上で首をかしげたそのとき、アラーハが急に走るスピードをゆるめた。前に放り出されそうになるのをウラルは慌てて立て直す。

 アラーハが止まったのは村はずれにぽつんとある小さな家の前だった。フルートの音はこの家から聞こえてくるようだ。

 しばらく鞍上で耳をすませていたフギンが血相を変えて馬から飛び降りると、ドアの前に駆け寄った。慌てている割にはすぐノックをしない。混乱しているのかもしれなかった。

 少しばかりドアの前で落ち着きなく足踏みをしてから、コンコン、と軽くノックをする。

「どなたです?」

 フルートの音がやみ、落ち着いた男の声が返ってきた。聞き覚えのある声。

「イズン、イズンなのか?」

「その声、まさかフギンですか?」

「そうだよ、フギンだ!」

 ぱっとドアが開いた。フルートを持ったイズンがドアノブをにぎり笑っている。

「イズン! イズンだ、イズンだ、イズンだ……!」

 イズンの姿を認めるなりフギンが飛びつき抱擁した。

「フギン、アラーハ、ウラルさんも」

 アラーハも嬉しそうに鼻面をイズンに向けて伸ばす。ウラルもアラーハの背から飛び降り、イズンの手をにぎった。

「本当に三人とも無事でよかった。フギン、その腕はあの戦でですか?」

「お前こそ、その顔」

 これですか、とイズンは顔の半分を覆う布に手をやった。白と何種類かの灰色でキルトのような模様を描いた布がぐるりとイズンの鼻から右の耳、後頭部までを覆っている。額には金属の輪のようなものがはまっており、布はそこから垂らされているらしい。

 イズンはほんの少し、口元の布をはだけた。赤黒くただれた皮膚をわずかに見せ、すぐに布を元通り垂らす。明らかにひどい火傷だった。

「火薬の攻撃を受けましてね、顔の右半分と右肩までが全部これなんです。右目は見えませんし、右耳の鼓膜も破れているので、右側から僕に話しかけるときは気をつけてくださいね。聞こえづらいんです」

「ひえー、よく生きてたな」

 間抜けた声をあげるフギンにイズンはからからと声をあげて笑った。

「それはお互い様でしょう。さ、立ち話もなんです。入ってください。アラーハ、珍しいですね、ずっとその姿でいるなんて。いつから趣旨替えしたんです?」

 ウラルはぎょっとイズンを見返した。そういえばイズンは最初から、このイッペルスをアラーハだと知っているようだ。

「イズン、お前までそう言うのか? このイッペルスをアラーハだって?」

 顔をしかめるフギンをイズンは困ったように見つめ、ウラルに目をやって、はっと何かを思い出した顔つきになった。

「まさか、人の姿に化けたくとも化けられなくなったんですか?」

「イズンは知ってたの、アラーハのこと?」

 やっぱりそうですかと言いたげにイズンは悲しげな顔をして、それからふっと微笑した。

「僕を誰だと思っているんですか、森でアラーハと一緒に暮らしていた野生児のジンを引き立てて〈スヴェル〉を作った男、ジンの最初の仲間ですよ? アラーハは当時、人の姿をしていても行動がほとんど獣で、しかも頻繁に人獣姿を入れ替えていましたからね。僕としてはなぜアラーハがウラルさんに正体を明かしたのか疑問なくらいで」

「そうだったの?」

 全部初耳だった。フギンは隣で頭をかかえている。

「もしかして、アラーハのことはフギン以外みんな知ってた、なんてことじゃないよね?」

「まさか。ちゃんと知っていたのは僕とジンとウラルさんだけですよ。でもみんな薄々感づいていたんじゃないかな。まったく知らなかったのはマームさんくらいで。どうしていつも家で食事をとらないのか、って機嫌が悪くなるたび怒ってましたもんね」

 アラーハがため息のつもりか軽く鼻を鳴らした。

「フギンは感づいている方だと思っていましたが。だってほら、一度アラーハが暑い盛りでも毛皮を脱がないのを面白がって、リゼと二人で毛皮を脱いだところを見てやろうって池で待ち伏せしていたことがあったでしょう。あれにはアラーハも参ったと言ってましたよ」

 ウラルは思わず吹き出した。たしかにフギンならやりそうだ。フギンは「なんのことだよ」と目を泳がせている。

「さてと、アラーハが家に入れないならどうしましょうか。窓際で話しますか、それとも椅子でもここに持ってきましょうか? 今日は泊まっていきますよね」

 アラーハがとことこと家の側面へ歩いていき、窓の前にどっかと腰をおろす。フギンは馬のディアンを手近な木につなぎ、鞍をおろしたり水を持ってきたりと世話を始めた。

 イズンが家の中へ入るよううながしてくれたので、ウラルはありがたく入らせてもらった。イズンを手伝ってお茶を沸かし、軽食を準備し、窓際に三人分の椅子を持っていく。ちょうど準備が整ったところでフギンが家に入ってきた。

「そういやイズン、この村の人、全然起きてこないんだな。この夜中にあんな蹄の音たてて、絶対どなりこまれると思ってたんだけど」

 ああ、と、イズンは村の中心部を見やった。

「ここは普通の村じゃないんですよ。地図に載っていない隠れ里、別名を『まじない師村』。占い師か預言者か薬草士が一家に二人はいる村なんです」

「まさか、占いで俺たちが来るの、わかってたって?」

「占い師ふたりと預言者ひとりが今朝、今夜僕に来客があると言っていたんですよ。三人が同時に同じ予言をするのはめったにないので、これは当たるだろうと今朝から村人みんなで覚悟していたんです。やっぱりな、イズンのところへ行くんだな程度にしか思っていないはずですよ」

 フギンが本当かよと言いたげに窓から外を見やった。

「フギン、この村には一度来たことがあるんじゃなかったの?」

「あの時は村のはずれにテント張って泊まって、次の日には出たからな。この村の中のことまでは知らないんだよ」

「このあたりの森は薬草の宝庫、この村で育った者は男も女も薬草の使い手です。幼少のネザもそうして薬草や毒薬の使い方を学んだんでしょうね」

 あの猫背の軍医にも、とても想像できないが子ども時代があった。そしてこの不思議な村が生まれ育った町なのだ。

「ネザが育った家、まだ残ってるかな」

 イズンが微笑した。

「この家ですよ」

「え?」

「僕たちが今いるここがネザの生家です。長年空き家になっていたのを僕が借り受けていたんですよ。これも何かの縁だろうと」

 ウラルはぽかんと家を見回した。こぢんまりした小さな家。家具らしいものといえば四人がけのテーブルに椅子が四脚、ベッドが三台、キッチンに食器のほとんど入っていない食器棚がひとつ、それだけと、あとはイズンが持ちこんだらしい書物が何冊か置いてあるだけだ。家主が出ていって何年にもなるのだから殺風景なのは当たり前なのだろうが。

「さっぱりしているでしょう。ところが、ここがネザらしいところでね」

 イズンは部屋の真ん中に置いてあるテーブルをずりずりと部屋の隅へひきずっていった。テーブルのあったところには小さな穴がふたつ、あいている。イズンはそこにどこからか持ってきた金具を持ってくるとはめこみ、ぐっと力をこめた。

「ネザのお父さんはこういう仕掛けが好きだったらしくて」

 地下室だ。イズンがランプをかかげてみれば、地上の殺風景さとは打って変わり、本当にごちゃごちゃしていた。何かの薬草か薬品かのにおい、散乱する書物とぎっしり詰まった本棚。どれも誰かから借りてきた書物を手で羊皮紙に写し、自分で綴じたものらしい。字の読めないウラルにも乱筆だとわかった。ほかにはテーブルクロス、銀食器などの家財道具もたくさん詰まっている。

「これ、全部ネザの持ち物なのか?」

「いや、ネザは十歳すぎてすぐに行方知れずになったそうなんでね、ほとんどがネザの父の持ち物ですよ」

「そりゃまた。ネザがあんな変人になるわけだよなぁ」

 イズンは笑って地下室への扉を閉ざした。

「ところでイズン、ネザの行方、知ってる?」

 鍵代わりの金具をまたどこかへ戻し、再び椅子に座ろうとしていたイズンの動きが止まった。

「イズン?」

「死にました」

「え?」

 イズンは微苦笑を浮かべ、ゆっくりと椅子に座ると窓の外、のぞきこんでいるアラーハの方を見やった。

「亡くなったんです、ネザは。あの戦で」

 イズンはウラルに顔の右側、布に覆われ表情のうかがえない側面を向けながら静かに息をついた。



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