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第一章 1「西へ行こう」 下

     *


 アラーハは前にここへ来たことがあるのか、あるいは獣の五感で人の気配を感じているのか、迷いなくウラルを森の中、導いてゆく。けれどフギンは信用ならんとばかりに星の位置をしきりに確認し、地図をたしかめ、方角が合っていることを確認すると気に入らなさそうに顔をしかめ……なにはともあれ昼過ぎには街道にたどりついた。目を細めてみれば道の向こうに町らしいものが見える。

「セテーダン町かな」

 フギンが馬上でくるくる地図を巻き、ベルトにはさみこんだ。ヒュガルト町よりは小さいが、ちゃんと城壁があり、宿屋も数件ありそうな規模の町だ。

「さてっと、人ごみにまぎれた方がいいと町に出たはいいけど、あの金髪男をどうにか引きつけながら〈エルディタラ〉まで逃げなきゃならないんだよな。まずったな、森の中でうまく引きつけながら移動すりゃよかった」

 フギンの口調は楽しげだ、さながらゲームに興じているかのように。けれどその目は鋭く冷たく、シカの足跡を追う猟師に似た目をしていた。いや、これが盗賊の目というものなのだろうか。あるいは、標的を追い詰める復讐者の。

「やつらは地理に疎いはずだ。俺たちが町に向かうことは予想しているだろうが、森を抜けるには時間がかかる。少しあの町にとどまって足跡を残しておこうぜ」

 フギンは意気揚々と馬を歩かせ始めた。が、ウラルを乗せたアラーハはついていこうとしない。困ったように鼻を鳴らし、首を曲げて何か言いたげにウラルを見つめている。

 前を見てみれば森が途切れ、町までは小麦畑の間を突っ切る一本道だ。イッペルスは家畜ではない。しかもこの巨大さだ。どうしたって目立つし、アラーハも雑踏の中を好奇の視線を集めながら歩きたくはないだろう。

「どうした、ウラル?」

「アラーハが『自分は町に入らない方がよさそうだ』って。どうしよう」

「置いていっちまえ」

 あんまりな言い草にウラルはフギンをにらんだが、フギンは「じゃあどうするんだよ」とばかりににらみ返してきただけだ。アラーハはまた耳を伏せて不快感をあらわにしている。

 ウラルはため息をつき、すとんとアラーハの背から降りた。

「じゃあ、アラーハ。町を出るときにどうにかして呼ぶから、森の中にいて。笛かなにか合図になるようなもの買ってくる」

 アラーハはうなずき、くるりときびすを返して森の中へ分け入っていった。ウラルはうつむき、荷物をゆすりあげて黙ったまま小麦畑の間の道を自分の足で歩いていく。フギンの馬の蹄音がゆっくり後ろから追いかけてきた。

「荷物、持ってやろうか」

 ウラルは答えなかった。

「ウラル、気を悪くしたんなら謝る。でもな、あいつにそんな、なんというか、歩み寄りすぎるなよ。考えてもみろよ、あんなでっかい人に慣れないはずの獣にさ、人みたいに接して。客観的に考えるんだぞ、ちょっと不気味じゃないか?」

「傍から見れば、そう見えるかもね」

 かなり棘のある口調になったはずだ。でもフギンはひるまなかった。

「俺はその『傍』にいるんだぞ。お前以外のみんなが、その『傍』にいるんだ」

 たしかにそうかもしれない。けれど。

「じゃあどうすればいいっていうの。あのイッペルスはアラーハなのよ。それだけは、絶対に変えられない。気違いと言われたって、なんだって」

「ウラル」

「もうこの際、信じれないっていうんだったら、信じなくていいよ。ただ、すごくアラーハが悲しんでること、あんな風に言われて怒ってることは、わかって」

「本気で信じてるのか? あいつがアラーハだって」

「信じなくていいって言ったでしょう!」

 フギンの乗っていた馬がぎょっと耳を立ててウラルを見つめた。

「んな怒鳴らなくたっていいだろ」

「私が怒ってることくらい、わかるでしょう。そっとしておいて。もうこのことで言い争いたくないの」

 やっとフギンは黙りこんだ。

 うつむいた顔をあげると、もうセテーダン町の城壁が目の前だ。門前に金や栗色の髪がちろちろ踊っているのに思わずぎょっとする。先回りされていたのかと思ったが、なんということはない、二人とは違うベンベル人が数人城壁の警護に当たっているだけだった。

「お前が怒鳴ってくれたおかげで、多少はやつらの印象に残ったかな。あの金髪野郎がここ通るとき、絶対やつらに俺たちのことを聞くだろ。いい足跡になった」

 ウラルはぷいと顔をそむけた。

 怒りっぽいフギンにあれだけ言ったのだ、怒鳴り返されてもよさそうなものだが、結局フギンの声は静かなままだった。フギンの横顔を盗み見る。

 フギンは怒るどころかひどく悲しげな顔をして、さっきまでのウラルと同じように顔を伏せていた。フギンがアラーハとウラルを悲しませているのと同じように、ウラルもフギンを悲しませているのだ。急に申し訳なさがこみあげてきた。

 ウラルが変わってしまったから。いや、けれどフギンは気づいているのだろうか。今のフギンと、あの「好きな料理は肉全般、嫌いなものは特になし」とおどけて言っていた初対面のフギンと全然違ってしまっていることに。ウラルが気違いになってしまったのと同じくらい、フギンも復讐者として変わってしまったことに。最近は怒り顔ばかりで、あんなおどけた笑顔はジンの死後一度も見ていない。それを思うと悲しかった。

 フギンがウラルの顔を見、すとんと馬から降りた。何か言いたげな顔をして、けれど何も言わずにぽんぽんウラルの背をたたく。

「宿、はやく探そう。ずっと野宿でつらかったろ」

「犬笛か何か、買わなくっちゃ」

「じゃあ猟師が行きそうな道具屋、探さなきゃな」

 ウラルはうなずき、心の中だけで「ごめんね」と続けた。謝りたいことは山ほどある。さっき怒鳴ってしまったこと、心配をかけ続けていること、悲しませ続けていること。けれど、さっきの怒りがまだくすぶっている。素直に声に出す気にはまだなれなかった。

 適当な宿を見つけて馬を預け、食料や水を買い足す。道具屋に寄るとちょうどイッペルスのツノでできた犬笛があったので買わせてもらった。人の耳には空気の漏れる音程度にしか聞こえないが、犬やイッペルスの耳にはかなり遠くまで響いて聞こえるはずだ。

 買い物をしている間にも、メインストリートのそこかしこにベンベル人特有の色素の薄い髪が見えている。一定距離を置いて武装したベンベル人が数人ずつ張り番をしているのだ。眼光鋭い男らが切っ先の鋭く湾曲した剣を腰に帯び、互いに話をするでもなく無表情に市場をにらみつけるさまは異様としか言いようがなかった。

「なにかあったんですか? ベンベル人がたくさん」

 買い物ついでに尋ねてみる。店番のおじいさんは顔をしかめた。

「お嬢さんなにも知らないんですかい? どちらから来なさった」

「出身はシャスウェル地区ですが、つい最近まではヒュガルト町の近くに住んでいました。ヒュガルトはこんなじゃなかったのに」

「ああ、なるほど。西の方は治安が悪いと噂で聞かれたことはないですかね。特にエルディ山脈に近づけば近づくほど治安が悪くなるってあんばいで、とにかくあっちのやつは血の気が多い。流血沙汰が絶えんもんで、ベンベル人どもの警備もどんどん厳重になったんですわ。で、息が詰まるってんで血の気の多い連中が東へ流れてくるでしょう。それを追っかける形で警備厳重地域が広がっていってね。この町もとばっちりを受けとるんです」

 思わず心配になってフギンを見つめると、フギンは固い顔でうなずき、教えてくれた老人に礼を言った。

「〈エルディタラ〉のみんな、大丈夫かな」

「あいつらはそうそう簡単にへこたれないよ。大丈夫さ」

「これからの旅も」

「金髪男を引きつけながらベンベル人の警備の真っ只中を行くのか。ちょっとつらいかもしれないな。ひとまず、もうちょっと食料を買い足しておこう」

 フギンはもう一度市場へ戻ると、日持ちのするものを選んで食料を買った。

「よし、今日は早く休もう。何日かとどまるつもりでいたけど、あれだけたくさんのベンベル人に姿を見られたんだ、十分だろう。次の町へ行こう」

 口ではああ言っていてもフギンは〈エルディタラ〉が心配なのだ。二人は適当な屋台で夕食をとり、日暮れと同時に宿へ戻った。メインストリートに面した、さっき入ってきた門が窓からよく見える部屋だ。日が暮れてからしばらくすると門は閉じられたが、まだあかあかと松明がともされ、不寝番のベンベル人たちが動き回る影が見える。

 落ち着かない気持ちを抱えながら旅装を整え、荷造りをして眠り、夜明けに目覚めた。

 夜明けと同時に門は開き、市場に並ぶ野菜を満載した荷車が入ってくる。その商人たちの波の中に色素の薄い髪をした二人組みがまじっているのを見つけ、ウラルははっと息を呑んだ。

「フギン、ちょっと」

 服を調えていたフギンが顔を上げ、ウラルの後ろから門の方をのぞきこんだ。間違いない。金の髪と栗色の髪をした、ほかの制服を着て門に詰めているベンベル人たちとは違って旅装を身につけた二人の男が、門番を呼びとめ何かを尋ねている。

「……早い」

 さすがに予想外とみえ、フギンもそれきり呆然と黙りこんだ。視線を感じたのかシャルトルがついと顔をあげ、メインストリートを見やる。フギンは慌ててウラルを窓から見えない部屋の奥へ引っ張っていった。

「朝食は後だ。違う門から今すぐ出るぞ。じゃなきゃこの町から出られなくなる」

 預けてあった貸し馬屋の馬を受け取り、二人の荷物をゆわえつけてウラルが鞍にまたがる。さいわいまだ人気の少ない道をウラルは馬で、フギンは徒歩で走り抜け、さっと門を抜けて町の外へ出た。かなり勢いこんでいたので門番たちは不審に思っただろう。いくらもたたずに「不審な男女の二人組み」のことはエヴァンスに伝わるはずだ。

「ウラル、こっちだ」

 町を取り巻く小麦畑を抜ければそこから街道、その両脇は森だ。森に分け入るフギンを追う。ある程度分け入ったところでフギンは馬をつないだ。

「よし、この木でいいか」

「何をする気?」

「やつの反応の早さを見たいんだよ。どれくらいであの門から出てくるか。そのために門を出てくるとき、目立っといたんだ。ウラルは下にいてくれ。朝飯、ここで食っとこう」

 どうやらフギンはすべて計算ずくだったようだ。近くにあった黒い汁気たっぷりの木の実をつぶすと顔にぬりたくり、遠くから白く光って目立たないようにすると、するする片腕で木に登っていく。買っておいたサンドイッチの包みを投げてやると、器用に受け止め樹上でかじりはじめた。

「あのイッペルス、呼ぶなら今呼んどけよ」

 ウラルはうなずき、犬笛を吹いた。こんな町に近い、人のよく通るところで狩りをする猟師はいない。アラーハにはすぐウラルとわかるはずだった。

 サンドイッチをかじりながら待つ。息苦しい時間だった。命を狙われ、追われているのに、その追ってくる相手をじっとここで待つ。たとえやりすごすためにせよフギンはよくそんなことをやろうという気になれるものだ。

 食べ終えるころ、聞き慣れた足音とがさがさ茂みをかきわける音が近づいてきた。

「アラーハ。よかった、通じた」

 草のにおいをまとわせたアラーハがウラルに歩み寄ってくる。

「ウラル、静かに」

 樹上から険しい声が落ちてきた。アラーハが驚いた様子で首をはねあげる。

「どうやらこっちもお出ましだぞ。くそ、早いな」

 ウラルはぎょっと樹上のフギンを見つめた。門を出てから今まで、サンドイッチを食べ終えるくらいの時間しか経っていないのだ。たったそれだけでもうここまで。

「心配するな、静かにしていればまず気づかれない。気づかれても全力疾走で逃げ切れる距離だ。ただ、じっと黙って、いつでも逃げられる準備をしておくんだぞ」

 ウラルがうなずくとフギンも樹上でうなずき、じっと街道の方をにらみすえた。アラーハが「何事だ」とばかりの目でウラルを見つめたが、ウラルが小声で説明しようとするとそっと首をふって制した。目立つ巨体を木の間に隠して座りこみ、気配を消す。ウラルもアラーハにならって息を殺した。

 「逃げるように門を出た」ときっと門番は報告しているはずだ。さすがのエヴァンスもそのウラルらがこんな森の中で堂々と待ち構えているとは思うまい。何本もの木とそれなりの距離と。フギンも街道が見えるぎりぎりの距離で、黒いマントで身を隠し見つからないよう細心の注意を払いながらエヴァンスを見つめている。見つからない。見つからないはずだ。けれど、聞こえるはずもないのにその足音が聞こえる気がする。ウラルとフギンのことを話すベンベル語が聞こえてくる気がする。

「よし、通り過ぎた」

 樹上から落ちてきた声につめていた息をほっと吐き出した。フギンが木から降りてくる。

「こりゃあ、わざわざ引きつけなくてもいいな。本気で逃げても追ってくる。このまましばらく森を歩いてからやつが行った反対方向の街道へ出るぞ。で、大きな町には寄らずに村で泊めてもらうか、あるいは野宿かしながら西を目指す」

 ウラルはエヴァンスの行った方角を見つめた。「足跡」がないと見るや、エヴァンスはすぐに引き返してすぐにウラルらの向かった方向を割り出し、追ってくるはずだ。

「大丈夫だ。もう、やつは行ったから。さ、とっととずらかろうぜ。目指すは〈エルディタラ〉だ」

 フギンにぽんぽん肩をたたかれ、やっとウラルはがちがち歯が鳴っているのに気づいた。アラーハが励ますように耳をぴくぴく動かし、ウラルが乗りやすいよう地面に伏せてくれる。ウラルは震える足を少しさすってからアラーハの背にまたがった。

「〈エルディタラ〉についたら、待ってろよ、ベンベルのくそったれが」

 小声ながらも激しいフギンの独り言がウラルの鼓膜にぶつかり、はじけた。



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