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第一章 1「西へ行こう」 上

「なんで、なんでやつがここに……」

 森へ分け入ったはいいが、方向を失わないためあまり深部へは入り込めない。そのうえ二人乗りで駆けては馬の踏みにじった跡を地面にしっかりとつけてしまう。これでは追ってこいと言っているようなものだ。

 だからフギンはしきりに木々の形を目で確認し、太陽の位置で方向を確かめ、馬をゆっくり歩かせて獣道へ誘導した。獣道に出てからは手綱を伸ばし、自由に草を食べさせる。あの戦場で主人を失い今はこの森で生きている馬がいたように見せかけ、蹄鉄つきの足跡をごまかすのだ。本格的にこのあたりを探されたときに備え、人間の足跡はつけないほうがいい。だからウラルとフギンはまだ鞍にまたがったままだった。

 フギンの胸にもたれながら、ウラルは自分の村が、そして続いて隣村が襲われた時のことを思い出していた。あのときもアラーハに足止め役を頼み、フギンにこうして鞍に乗せてもらって逃げた。アラーハは大丈夫だろうか。あのときは平然と追いついてきたが……。

「ウラル、なんであの金髪野郎がここ知ってたと思う」

 フギンの声が低い。ただ声が遠くまで響くのをおそれているのだろうが、すごみを帯びて聞こえた。

「わからない。見当がつかない」

「でも明らかに俺たちを探してたろ。どこでばれたんだ」

 ウラルは首をひねった。本当にまったく見当がつかない。

「仮説一。ここまでの道中どこかで見つかって、つけられていた」

 ウラルはフギンを振り返る。フギンは底光りのする目をしていた。

「道中ってどこ? ヒュガルト町から?」

「ヒュガルト町からって線が一番濃いだろうけどな。でもそれじゃあ話が通らないか。ここまでヒュガルト町から二日もかかる。二日とも野宿だったわけだし、あれだけ真っ向から襲ってきたんだ、ヒュガルト町からつけてたならもっと早く、昨日か一昨日かの寝こみを襲ってるに違いないよな」

 うなずき、仮説二、とウラルは続けた。

「ダイオが何かをエヴァンスに言った。ここの手がかりになるようなことを」

「それはないだろ、ここへ来たのは単なるお前の気まぐれだ。ダイオが俺たちへの捜索を撹乱するためにデマを言ったのに、たまたまお前の気まぐれで俺たちがここへ来て出くわしちまった、ってのは常識的に考えてありえないだろ? お前が何か、やつに漏らしてたならともかく」

 じろりとうなじのあたりを見つめられる。ウラルは首を振って否定した。

「私がここへ来たいと思ったのは、エヴァンスに頭を殴られて気を失って、変な夢を見たからよ。あの襲撃以来エヴァンスには会っていないし、ここのことを漏らす暇なんてなかった」

「あの屋敷で働いてたときはどうなんだよ」

「地下室に軟禁されたとき、ちらっとルダオ要塞の話をしたかな。それにダイオの顔を見てエヴァンスもあのときの戦いを思い出したみたい。でも、それだけ。それだけでエヴァンスがわざわざ片道三日かけてここへ来る理由になる? しかもルダオ要塞じゃなく〈ゴウランラ〉に?」

「だよな。仮説三は? 何か思いつくか?」

 思いつかない、とウラルは首を振った。

「確認のためにもう一度、聞いとく。ウラル、お前がここに来たくなったのは、純粋に気まぐれだな?」

「疑ってるの? 私のことを?」

「疑いたかないよ、俺も」

 フギンはばつが悪そうにそっぽを向く。フギンが疑うのは当然、けれど本当にウラルは何もエヴァンスに言っていないのだ。

「違うんなら、やっぱり仮説二だな。ダイオがデマを言った、でもたまたま俺たちがここに来ちまった」

「ものすごい確率になるけどね」

「ああ」

 ウラルはフギンから顔をそむけ、考えこんだ。その「ものすごい確率」を下げるためには何が考えられるだろう。

 そもそもこの場所に来たくなったのが純粋な気まぐれかといわれると、ウラルは否定せざるを得ない。逃げることができないほど強烈な、すさまじく強烈な直感だった。あの直感がエヴァンスのせいだとしたら。なにか暗示でもかけられていたとしたらどうだろう。ベンベル人はどんな技術や薬品を持っているか、わかったものではないのだ。

 いや、でもありえない、とウラルは首を振った。もしエヴァンスが暗示をかけてウラルをおびきよせるのなら、エヴァンスの屋敷か、あるいはヒュガルト町のどこか人目につかないところを選ぶはずだ。なにもこんな遠くへ呼び出すことはない。

 ウラルは再び顔をあげ、同じく考えにふけっていたフギンに笑いかけた。

「とにかく、フギンがいてくれてよかった。私一人だったらどうなってたか。はやく戻ってシガルに伝えなきゃ。エヴァンスはここで見つかったって」

「いや、今は帰らない」

 予想外の答えにウラルは驚きフギンの目をまじまじ見つめた。

「チャンスだ。あの金髪野郎は俺たちを追ってる、屋敷にはいない。もし俺たちがあのクソ野郎をひきつけながらシガルに連絡を送れたらどうだ? がらあきの屋敷を襲ってダイオを助け出せる。仮説二で合ってるなら、ダイオは当然生きてるはずだよな」

「でも、シガルに連絡ってどうやって? それにまだきっと門番たちがいる。シガルひとりじゃ」

「あいつは騎士だ、当然字も読めるだろ。手紙を送ればいい。手紙ついでに援軍も送るさ」

 フギンはにやりと笑った。声も弾んでいる。

「〈エルディタラ〉へ行こう。あのケルンを作ってくれたからには、みんな生きてるはずだ。字の書けるやつもいる。森の隠れ家へ即刻走れるやつも十人ばかりすぐ集まるさ」

 やっとフギンの意図を悟り、ウラルはぽんと手を打った。

「名案ね!」

「だろ?」

 ウラルはうなずきかけ、ふと馬が顔を上げたのに気づいた。さっきまで草を食むのに夢中になっていたのに、今は口を止めてどこかをじっと見つめている。

 フギンが剣を構えて手綱をしぼり、すばやくあたりを見回して退路を確認する。馬が見つめる先は森の奥。もしエヴァンスなら、ここから森の外側へ向かってウラルらを追うはずだ。そして森の外へ出た瞬間、待ち構えていたシャルトルの矢がウラルかフギンの命を絶つ。

 ぶるる、と馬の視線の先のしげみから鼻を鳴らす音が聞こえた。フギンが警戒を解くと同時に枝角があらわれ、つづいて赤茶の巨体が現れた。

「アラーハ。よかった」

 アラーハは目元をなごませ歩み寄ってきた。どうやらエヴァンスの追跡をうまくかわしてきたようだ。もしまだ追われているのなら、ウラルとフギンらをせっつき森の奥へ導くだろうから。

「ウラル、こいつのことアラーハって呼ぶの、いい加減やめろよ」

 フギンは不快感をあらわにしている。言動がまさしくアラーハでも、以前アラーハがやったようにしんがりの役をつとめてくれても、フギンは頑としてアラーハのことを信じてくれない。ウラルの方もフギンと争うのにもう疲れていた。

「それが名前だから」

 それだけを答え、アラーハに手を差し伸べた。ざんばらになったたてがみ。剣で首を狙われたのだろう、けれど厚いたてがみがクッションになって助かったようだ。いくつかの矢傷。ツノに乾いた血が少しこびりついている。

「殺したの?」

 アラーハはゆっくり首を振って否定した。頭を下げてフギンとウラルが乗っている馬の足を鼻先でつつき、その足をツノで殴りつけるふりをする。馬の足を攻撃して足止めした、ということだろう。

「わかった。手当てをさせて。どこか休めそうな場所、見つけられる?」

 アラーハはうなずき、ついてこいとばかり先に立って歩き始めた。

「ついていって大丈夫かよ」

「アラーハが人の言葉をわかってることくらい、認めて」

 ウラルはフギンに代わって馬腹を蹴り、先導するアラーハの後を歩かせた。

 アラーハが野宿の場所として選んだのは、大木の根元にあるうろだった。

「アラーハ、ここって」

 アラーハがうなずいて肯定する。ジンが死んだとき、ウラルが眠っていたあのうろだ。

 中を確認してみると、前の冬にクマか何かが使ったとみえ骨片がすこし、転がっていた。けれどその他は何の変わりもない。卵形の、ウラルが十分に横たわれる広さのうろ。つめるか、体を丸めて眠ればフギンと二人でもなんとかゆっくり眠れそうだ。

「狭いな」

 フギンが軽く舌打ちした。

「つめれば二人でも入れるよ」

「いや、俺は外で寝るよ。どのみち馬の番もいる。杭やロープの跡を残すわけにもいかないから、手綱握ったまま寝ないとな」

 とはいえ季節はもう晩秋、日が暮れれば一気に冷えこむのはわかりきっている。下手をすれば霜がおりるかもしれない。しかも今夜は用心のため、火がたけないのだ。

 フギンは鼻の下をこすった。

「でも、そうだな、ウラルがいいって言うんなら」

 二人は小さなうろの端と端に座りこみ、干し肉とパン、チーズの冷たい食事をとった。フギンは馬につけた長いロープを持ったままだ。アラーハが前と同じようにぴったり入り口をふさいでくれ、うろの中は二人の息とアラーハの体温でほかほか温かい。

「そういやウラル、胸騒ぎはおさまったか?」

「おさまった、と思う。かわりにいろいろ思い出しちゃったけど」

「そっか。おさまったんなら、よかった」

 何を思い出したのか聞かれるかと思ったが、フギンはそう答えたきり黙りこんでしまった。あの場でウラルの嗚咽を聞いていたフギンにはもう聞くまでもないのかもしれない。あるいはあの戦場を今はもう、思い出したくないのかもしれなかった。

 ウラルも黙りこんで後ろの壁に身をあずける。やがて眠くなってきて、ウラルはそのままずるずると横になり、リスか何かのように体を小さく丸めて目を閉じた。ウラルが寝息をたてはじめると、フギンはそっとうろを出ていったようだ。気を使ったらしい。

 旅の疲れのために夢も見ないほどの眠りにひきこまれ、しばらくぐっすりと眠っていたのだが、やがて冷たい手で頬を軽く叩かれ目が覚めた。

「ウラル、ごめん、ちょっと起きてくれ。なんかさっきからあのイッペルスが変なんだ」

 寝ぼける目をしばたかせて起きあがると、変な姿勢で眠ったせいか首のあたりが痛くなっていた。

 フギンは寒さのせいか、がたがた震えている。

「外で寝たの? 冷たい手」

「見張りしてたんだよ。お前と一緒にいると、つられてぐっすり寝ちまいそうだったから。追われてるのにいくらなんでも無用心だ」

 ウラルはさっきまでかぶっていた毛布をフギンに手渡した。ウラルのぬくもりで温かいはずだ。

「ありがとう。言ってくれたら途中で交代したのに。それで、変って?」

 うろの入り口からアラーハがのぞきこみ、ウラルの服のすそをくわえて外へ出るよううながした。うながされるまま外へ出れば、アラーハはじっと一方向を見つめて耳をぴくぴく動かしている。なにかに警戒態勢をとっているようだ。そこらで適当に草を食んでいる貸し馬屋の馬もときおり顔をぴくっと上げ、アラーハの見つめている方向に耳をやっている。

「エヴァンス?」

 アラーハは鼻を鳴らして答えた。そうだとはっきり言いたいときはうなずくはずだから、わからない、と言いたいのだろう。

「わからないけど用心するにこしたことはない?」

 今度はうなずきが返ってきた。フギンは不審げな視線をアラーハに向け、顔をしかめている。

「言葉のわかるイッペルス、なぁ。ったく、気にいらねぇけど獣の勘は信じた方がいいか。馬もさっきから何か警戒してるしな」

 アラーハが不快げに耳を伏せた。フギンの表情も一気に険しくなる。

「アラーハはそんなすぐ怒るようなやつじゃねぇ。どうやって言葉を覚えたか知らねぇが、ウラルを惑わすなよ、イッペルス」

「ちょっと、フギン!」

 フギンはぷいとそっぽを向き、馬に鞍をつけ始めた。アラーハも不快げに鼻を鳴らしてフギンに尻を向け、怪しい音かにおいのするらしい方をにらみ立ちつくす。

「ウラル、すぐに発つぞ。追われてるんならこんな森の中より人ごみにまぎれた方がいい。一刻もはやく町に出よう」

 フギンの声にのろのろとうなずき、アラーハを振り返る。アラーハはウラルの視線に気づいているはずだが、耳を後ろに伏せたまま森の奥を見つめ、身じろぎひとつしなかった。怒っている。

 何か言いたかったが何をどう言っていいかわからず、ウラルは自分の荷物をひきよせ唇を噛んだ。二人の間の剣呑な雰囲気がただただ悲しかった。



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