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風神の墓標【初稿版】  作者: 白馬 黎
第二部‐第三部間章
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間章 2「心が追いつくまで」 下

「アラーハ。ちょうどよかった、今あなたのこと話してたの」

 ため息か、それとも苦笑まじりに肩をすくめてみたつもりだったのか、大きな息をひとつつく。それから首を伸ばしてツルを噛みちぎり、アケビをくわえてウラルらのところへ歩いてきた。

「ナウト。怖くない、怖くない。高いところのアケビを取ってくれるんだって」

 アラーハは首をさげ、アケビをくわえた鼻先でナウトの右手をつつく。しばらくぽかんとしていたナウトが手に押し付けられるアケビをにぎると、アラーハは満足そうに口元をゆるめた。

「ね、子ども好きなところも変わってないでしょう? アラーハは森の守護者だった。つい何ヶ月か前まで。でも、若い別のイッペルスに決闘を申しこまれて、負けてしまって。守護者の座を明け渡してしまったみたいなの。人の姿になれなくなってしまった」

 アラーハがくるりとウラルとシガルの方を向いた。シガルは肩をこわばらせ、しみじみとアラーハの毛皮や蹄を見つめている。あの大男の姿のアラーハと重ね合わせているらしい。

「アラーハさん、ですか?」

 アラーハがゆっくりと枝角を振った。「そうだ」。

「前にナウトをうちまで送ってきてくれた、あの大男の?」

 枝角が縦に揺れる。シガルはおずおずとその鼻先に手を伸ばしかけ、けれど触れずに手を引いた。ウラルを振り返る。

「えー、ウラルさん、一応確認しますが人の声に反応してうなずくように調教してるわけじゃないですよね?」

 ウラルは思わず苦笑した。

「じゃあちゃんと人の言葉がわかっているか、確かめるようなことを言ってみたら? そうね、うーん。アラーハ、ナウトを背中に乗せてあのアケビを採ってこれる? あの高いところの。こんなサーカスの芸みたいに言ってごめん」

 アラーハはわかったと言いたげに耳を動かし、その場に伏せた。ナウトの肩を鼻先で軽くつつき、首をぐいと曲げて自分の背中を指す。

「ナウト、おいで。乗せてくれるって」

 首をぶんぶん振ってシガルの後ろに隠れてしまったナウトを見、アラーハは目を細め口元を緩めた。ほほえんでいるようだ。

「めったにないわよ、イッペルスに乗せてもらえるなんて」

 ナウトはシガルの後ろに隠れてぶんぶん首を振る。アラーハが困ったように鼻を鳴らし、どうするとばかりにウラルとシガルを見た。

「シガル、どうする? よかったらアラーハしか知らないようなことを聞いて。ああ、でも知り合ってからまだ日が浅いのよね。そんな秘密になるようなこと、まだない?」

「いや、もう十分です」

 シガルは額に手を当て、顔をしかめてアラーハを見つめている。

「でも信じられない」

「シガル」

「とりあえず彼が人の言葉を理解しているのはわかりました。ウラルさんがこんな自信を持って言うんだ、きっとアラーハさんしか知らないようなことを僕が言っても彼は答えてくれるんでしょう。疑う理由はないのかもしれません」

 「じゃあどうすれば信じてもらえる?」と言いかけたウラルを、シガルは軽く手をあげて制した。

「でも、心が追いついてこないんです。わかってくれますか?」

 ウラルは二の句が告げられなくなった。

 アラーハがシガルの隣で大きく息をつき、わかるよ、と言いたげに大きくうなずいてみせる。それからまっすぐにシガルの顔を見つめた。やさしい大きな瞳で、ありがとう、と言いたげに。

 シガルは申し訳なさそうにほほえんだ。

「少し、時間をください。心が追いついてくるまで」

 たしかにこんな非現実的な話を急に信じろと押しつけるのは酷かもしれない。

「十分だ、ありがとう、ってアラーハが話せたら言うと思う。私からもありがとう、シガル。フギンもそう言ってくれればいいんだけど」

 フギンもいつか「心が追いついたら」、アラーハのことを信じられるようになるだろうか。

 ナウトがそろりそろりとアラーハに近づき、ちょんと鼻先に触れて手を引いた。ウラルやシガルが相手してくれないものだから飽きたのか、アラーハが静かに伏せているだけなので慣れてきたのか。アラーハは動かずナウトを横目で見ている。動いたらナウトが怯えるとわかっているのだ。

 ウラルもアラーハに近づき、そのたてがみを指ですいた。シガルも近づいてくる。

「ツノ、触ってもいいですか?」

 アラーハがうなずいた。シガルがツノをなでても動かずにいる。けれどシガルの手がツノを離れ、ひたいをなでると嫌そうに鼻を鳴らした。

「あ、嫌でしたか? 申し訳ない」

 大男のアラーハがシガルに頭をなでられている図を想像し、ウラルはくすりと笑った。シガルとナウトがウラルを見つめる。それで、今のがずいぶん久しぶりの笑みだったことに気がついた。

 きょとんとウラルを見つめているナウトのわきを抱え、よいしょと力をこめてアラーハの背へ乗せた。

「たてがみをしっかりつかんで」

 アラーハがひょいと立ち上がると、ナウトは「あわわわ」と声をあげアラーハの首にしがみついた。しがみつかれた方はまんざらでもないようだ。目元をなごませ、ゆっくりウラルとシガルの周りを歩き回ってみせる。

 ウラルはほほえみ、それからシガルに向き直った。

「シガル、もうひとつ話さなきゃならない」

 なんですかとばかり見返すシガル。

「旅に出ようと思うの。今この時期、どうしてって思うかもしれないけど」

「それはまた。どこへ行かれるんですか?」

「北へ。ジンやフェイス将軍の死んだ、あの戦場へ行きたいの。前にちらっと言ったでしょう、不思議な夢を見たって。たかだか夢なのに気になってしょうがないんだって。あの場所を見たら気が済むと思う、でも行かなきゃ気が済みそうにない。エヴァンスもダイオも見つからない今、ここを私が離れるのはまずいと思う。でも」

 シガルは黙ってウラルを見つめている。ウラルはうつむき、早口に続けた。

「フギンには何も言わずに行こうと思うの。私自身でさえ何がなんだかわからない。それなのにフギンを説得するなんて、私には無理だから。私が行ってから、フギンに伝えて。こんな役を押しつけてごめん」

 シガルはしばらくの間、黙ったままアラーハとナウトを見つめていた。少し慣れたのだろう、ナウトはもうたてがみにしがみついてはいなかったが、体をがちがちにこわばらせうつむいている。

「それでいいんですね?」

 やがて返ってきた言葉にウラルはうなずいた。

「いつ行かれるんですか? おひとりで?」

「明日一日で準備して、明後日。明後日の夜明け前、みんなが寝ているうちに出るつもり。私は旅慣れてるし、アラーハも来てくれるから大丈夫。アラーハ、家の近くで待っててくれる?」

 のんびり歩きながらも聞き耳を立てていたらしい。アラーハが大きく縦に枝角を振った。

「〈ゴウランラ〉とルダオ要塞を見て、すぐに帰ってくる。帰ってこれると思う……。でも途中で寄り道するかもしれないから、遅くなっても心配しないで」

「わかりました。水神のご加護を」

 水神のご加護を、つまり旅の安全を祈る。すんなり許可をもらえ、ウラルはむしろ拍子抜けした気持ちでシガルの顔を見つめた。

「いいの? そんなにすんなり」

「それであなたの胸のつかえが取れるなら」

 シガルはほほえんでいる。本当に望みどおりにしていいのだ、とウラルも今度こそほっとして笑顔を返した。

「やっと笑顔になった。あの男があなたを探しているなら、あなたはここを離れて遠くへ行っていたほうが安全かもしれませんね。行っておいでなさい、僕は止めません」

「ありがとう。フギンを、お願い」

 シガルは穏やかにほほえんだまま、うなずいてくれた。


     *


 ウラルは薄靄の中、外へ出た。草を食んでいたアラーハが顔をあげて歩み寄ってくる。その蹄が踏みしだくナタ草は山吹色、オレンジから黄色に変わる途中の色だ。この色は夜明けと同時に鮮やかな黄色に変わる。

「行きましょう。ジンのところへ」

 ああ、とアラーハがため息に似た声を出した。持ってやろうか、と言いたげにウラルの荷物を鼻先でつつく。ウラルは首を横に振った。アラーハをそんな駄馬のように使いたくはない。

「ウラル、行くのか」

 はっとウラルは顔を上げた。アラーハも顔を跳ねあげる。何も知らずに眠っているはずのフギンが、旅装を整えジンの黒マントをまとい、ウラルが今しがた出てきたばかりの隠れ家のドア前に立っていた。

「フギン、どうして」

「シガルから聞いた。やつもさすがに黙っちゃいられなかったんだろう。昨日の夜中に話してくれた。どうしてもってなら、俺も行く」

 強い声だ。決して引かないぞとばかりの。

 ウラルは奥歯を噛み締めた。この台詞は、この口調は、どこかで聞いたことがある。ここで、この隠れ家の前の今まさにウラルが立っているところで、二年前に。

(行くのか、ジン)

(アラーハ。なぜ、来た)

(俺も一緒に行こう)

 ジンがこの家を最後に見つめたそのときに。

「この家は、どうするの」

 ウラルはそっと言葉を押し出す。森は、どうする気だ――あのときのジンの言葉を繰り返すように。

「シガルとナウトに任せてきた」

「それで大丈夫なの?」

「べつに無理なわけじゃないだろ。女の子ひとりで行かせられるか」

 その口調が帯びていた苛烈なものがやわらぎ、少しだけばつが悪そうになって。俺の手の届かないところへウラルが行くのなら、ついていこうと、言外にそう言ってくれた気がした。

 ウラルはほほえんだ。泣き笑いに近い顔になったと思うけれど。

「ありがとう。ごめんね」

「いまさら謝るなよ。……行こう」



第二部‐第三部間章完 第三部へつづく

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