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第一章 2「森の隠れ家」 下

   *


 ノックの音でウラルは目を覚ました。寝ぼけた目をこすりながら体を起こしてみれば、ドアの内側に立って心配そうにこちらを見ているジンが見えた。

「具合はどうだ? お前、まる一日も寝てたんだぞ。薬が効きすぎたんだ。疲れてもいたんだろうな。水、飲むか?」

 ウラルの額にジンの手がふれた。剣をにぎっているせいだろうか。分厚い皮をした固い手のひらだった。

「熱もさがったな。そろそろ起きろよ。寝すぎだぞ」

「うん」

「何か食べるか?」

「食欲、ないの」

「果物なら食べられるだろう?」

 ジンは部屋のドアを開けた。ウラルもリビングに出ると、三人がテーブルにつき、食事をとっている最中だった。フギンとネザ、もうひとりはリゼだったはずだ。机の上にはパン、ベーコン、チーズにバター、それから果物が並び、それぞれ芳香を放っている。

「ウラル! 大丈夫か?」

 ウラルの顔を見るなり、フギンが心配してくれた。

「大丈夫。薬、ありがとう」

 ふん、と猫背のネザが鼻を鳴らす。ヘビが威嚇するときに出す音にそっくりな息づかいだった。

「かなり薄めたつもりなんだがな。お前は薬が効きやすい体質らしい。覚えておこう」

「座れよ、ウラル。好きなもの食ってくれ」

 ジンが椅子をひいてくれたので、ウラルはありがたくテーブルについた。あまり食欲はなかったが、ここまでしてもらって何も食べないというのも気がひける。夏にとれる種類のベリーを手に取り、口にいれた。甘ずっぱい汁が口いっぱいに広がったが、あまりたくさん食べる気にはなれなかった。

 フギンが居心地悪そうな視線をジンに向ける。ジンはその視線を受け止め、ウラルに向けた。

「ウラル、ムールに乗ったことはあるか?」

「ムールがここにいるの?」

 ムールは巨大な鳥である。役人が騎乗して村の上や森のほうで巡回しているのをウラルは何度か見たことがあった。しかし、間近で見たことはない。

「三羽いる。乗ったことはないんだな。フギンとリゼとネザ、三人で散歩にでも行ってこいよ」

「いい考えだね」

 ベーコンをパンにはさみながらリゼがうれしそうに相槌をうつ。

「行こうよ、ウラル」

「空は、気持ちがいいよ。ずうっと遠くの地平線まで見えるんだ」

 フギンとリゼ、二人に後押しされ、ウラルは行ってみたいとうなずいた。

「よし、決まり。お頭は行きませんか?」

「いろいろと忙しくてな」

 フギンが面白がるような笑みをもらした。

「次は南海岸の絵画でも見に行くのかい?」

 ジンもにやりと笑みを返す。

「いや、コアトル神殿の大理石像を見に行くんだ」

「あの神殿の像は見事らしいですよ。俺も行きたいな」

 笑いながら言ったリゼの声に、ジンは鼻白んだ。

「冗談の通じないやつだな。俺が本当に行く気だと思うか?」

「わかってますよ。だから笑ってるんでしょう」

 さもおかしげな笑い声に、言われた側は顔を渋くする。

「俺もパスだ。新しい薬の研究があってな」

 なぜかフギンがぎくっと体を震わせた。ネザが不気味としかいいようのない笑みを浮かべる。

「あ、うん、俺はもちろんオーケー。女の子と一緒に空の散歩。いいよなぁ」

 フギンがウラルにむきなおり、早口でまくしたてる。その後ろでネザの両眼が怪しく光った。

「残念だな、フギン。新作の味を確かめてもらいたかったんだがなぁ」

「いや、遠慮しとく。デートの邪魔するほど、あんた人が悪くないだろ? ネザ」

「いやいや、遠慮するなよ。今回はひとさじで馬を殺せる薬だぞ。コップ一杯原液で飲ませてやるから」

「ウラル、もう食べないのかい?」

 ひきつった笑みを漏らすフギンを横目に、涼しい顔のリゼが尋ねてきた。

「うん、もういい。大丈夫なの? あのふたり」

「いつものことだから。じゃあ、腹ごなしの空中散歩といくか」

 リゼが席を立ったので、ウラルも椅子から立ちあがった。あたふたとフギンもネザの魔手からのがれて席を立つ。ジンがひとりで、腹をかかえて笑っていた。

 ムール厩舎はかくれ家の裏に馬の厩舎と並んで建てられていた。青々とした葉をしげらせた巨木を支柱に、網状の巨大な布をテント状にかぶせたものだ。

 テントの中に茶色や白の巨鳥が見えた。くちばしは太くて短いが、顔はすらりと精悍だ。胸板はずいぶんと厚いが、顔にたいしていささか大きすぎる瞳はくりくりとしていて愛嬌がある。トンビとフクロウをあわせて巨大化させたような外見だ。

 近づいてみると、ムールの巨大さがわかった。頭の高さはウラルの背よりもずっと高い。一羽が羽を広げた。村でウラルが住んでいた家なら翼の後ろにすっぽり隠れてしまうだろう。

 大きいのね、とウラルが言うと、「そりゃあ、人を乗せて飛ぶわけだから」とリゼから返事が返ってきた。ムールの大きな目がウラルを興味深げにながめている。

 ヒュイ、とリゼが指笛をふいた。三羽のムールがそれを合図にして集まってくる。三羽ともウラルのほうへふらふらしながら歩いてきて、くちばしを近づけてきたり、クウクウとおたがい話でもするかのように鳴いた。

「気に入られたみたいだな。なでてあげなよ」

 巨体のわりに小さなくちばしにおそるおそるウラルは手をのばした。色艶も年輪のような模様も黒檀にそっくりだ。ムールは目を細めて、気持ちよさそうな顔をする。

「あの茶色と白はコフム、黒と白のがハーロークで、全身薄茶がカルロス」

 一羽ずつ指さして、リゼが名前を教えてくれた。

 ウラルがムールと遊んでいる間にリゼは三羽を杭につないだ。

「フギン、入り口を開けてくれないか?」

「了解!」

 するり、とカーテンのように、ついさっきウラルたちが入ってきた場所が大きく開いた。ムールが興奮したように鳴く。

「もう一枚、服を着ておいたほうがいい。寒いぞ」

 すっかり夏の盛りをむかえていて、かなり暑かった。空の上は寒いのだといわれても実感がない。ウラルは首をひねりながらリゼに貸してもらった服を着た。すぐにじっとりと汗ばんでくる。冬じゃなくてよかったな、とリゼが片目をつぶってみせた。

「さ、乗ってみろよ。ここが鐙だ。馬とはぜんぜん違うだろ?」

 リゼが指したのは馬の鐙とは似ても似つかぬ代物だった。ひざ上のまでありそうなブーツである。二本のベルトが足首とひざの位置についていた。

 リゼの肩を借りて鞍にまたがり、そのブーツに足を入れた。やっぱり長いかとリゼは苦笑し、鞍についた袋から別のベルトを出してウラルのひざ下に巻いた。

「ずいぶん厳重なのね」

「空から落ちたら死ぬからな。馬みたいにはいかないさ」

 さらに、腰に二本のベルトが巻かれた。

 リゼはムールの頭につけられた冠のようなものを指した。二本のツノが長く伸びている。

「これが馬でいう手綱のかわりだ。右へ行きたかったら右のツノを引く。左だったら左を引く。飛びたつときと着地するときが怖いかもしれないけど、ほかは大丈夫だから。馬みたいな揺れかたはしない。行こうか」

 ウラルが乗ったのは白と黒のハーローク。フギンがコフムで、リゼがカルロスだ。

 リゼが鋭く舌を鳴らした。ムールが飛び立つ。力強い翼の動きがウラルの体にも伝わってきた。風が強い。何十、何百の鳥が鳴いているような風の音がする。いや、これがムールの羽音なのかもしれない。ムールの翼の下は一面が森の緑。はじめて見る景色だった。木を上から見おろすなんて、幼木ならともかくめったにないことだ。

 ウラルに向かってリゼが何か叫んでいた。

「何? 聞こえない」

「気分はどうだ?」

「ちょっと怖いけど、大丈夫」

 リゼは笑ってスピードをあげた。ウラルが乗ったムールもつられてスピードをあげる。上着を貸してもらってよかった、とウラルは心の中で感謝した。冷たい風が顔にあたって耳が痛い。ウラルの後ろからフギンがついてきている。

「見てみろよ!」

 フギンの声にふりむいてみると、一面の青が広がっていた。

「あれは、何?」

「海だ。もっと近くまで行ってみよう!」

 近づくにつれて、真一文字を描く水平線がどんどん遠ざかっていき、かわりに海の青がずっと広がっていく。

「きれい」

 ウラルの呟きを何かの合図だと思ったのだろうか。ムールがちらりと横目でウラルを見た。光があたって、瞳がすきとおった茶色に輝いていた。

 リゼが旋回している。これからどうする、とウラルに尋ねているようだった。

 ウラルは南を指した。すい、とリゼは南へ進路を向ける。

 海の上から地面の上へともどると、少し遠くの麦畑の中に黒いものが点々と見えた。どうやら、村のようだ。

 村が近くなってきたところで、リゼがまた旋回していた。煙のにおいがする。下を向くと、村と思えたそれは、黒くこげた跡が生々しい焼け跡だった。リゼが戻ろうと手で合図をしている。フギンも旋回していた。

 ウラルはムールのツノを前に押し、鐙をさげた。ムールがつかの間、混乱したようにリゼの方を見、すぐ高度を下げた。女ばかりが何人か地面にシャベルを突きたてて話しこんでいる。ムールの影に気づいたのか、数人が顔をあげた。

 女が何かを叫んだ。「でていけ」「なんで火をつけたの」「絶対に復讐してやる」。ウラルのことを、村を襲った兵士の一人だと思っているのだろう。

 旋回していたムールの横を、もう一羽のムールが追い抜いた。リゼだった。ウラルはぎゅっと下唇をかみしめた。ウラルが乗ったムールは、リゼのムールについて飛んでいく。森の中の隠れ家へむかって。

 ムールがばたばたとはげしく羽ばたき、地面に降りる。くう、と小さくのどを鳴らしたムールのうなじをなでてやり、ウラルは自分で腰のベルトをはずそうとした。皮のベルトは思ったよりかたく、指が痛くなった。

「手伝おうか?」

「うん、ありがとう」

 やっとひとつ、腰のベルトがはずれた。フギンが鐙のベルトをはずしてくれている。

「悪かった」

 苦虫でもかみつぶしたかのような声が聞こえた。

「どうして謝るの?」

「息抜きのつもりに出てきたのに、また、こんなことになっちまって」

 ウラルは首を振った。リゼがムールの鞍をはずしているのが目の端にうつった。

「フギンのせいじゃないよ。それに、もう気にしてない。天災みたいなものだよ。くよくよしてても、何にもならないじゃない」

 フギンが顔を上げた。怒気のこもった目だった。

「ウラル、それは違うぞ」

「ありがとう。本当に」

「天災なんかじゃない。人災なんだ。泣き寝入りしてどうするんだよ」

「嵐や津波といっしょだよ。戦乱も、村が襲われるのも。避けられないなら、同じ」

「いっしょなんかじゃない!」

 フギンがほえた。びくりとムールが体を震わせる。やっと全てのベルトがはずれ、ウラルはムールから降りることができた。地面が揺れているような、変な感じがした。まだ空を飛んでいる気がする。

「フギン、落ちつけよ」

「お前、自分の村が襲われて、追いだされて、陶芸窯の中で震えてたんだぞ。赤ん坊をしめ殺してしまうくらい、怖い思いをしたんだぞ。次に行った村も襲われてて、また怖い思いをして。同じことをまだ繰り返すのか?」

「フギン!」

 どなり続けるフギンを、鞍を地面に置いたリゼが一喝した。

「リゼ、お前は黙ってろ。俺はウラルと話をしてるんだ。同じことを繰りかえして、それでいいのか? また新しい村に移って暮らしてみろ、次こそ死ぬぞ」

「いい加減にしろ! ウラルと話をしている? 笑わせるなよ。あんなに震えて」

 気おされたようにフギンは黙った。

 リゼがフギンとウラルの間にわって入った。ウラルのほうを向いて、ゆっくり穏やかな声で話しかける。

「ウラル、フギンは言いすぎたと思うよ。でも、戦乱がハリケーンや洪水と同じものだとは俺にも思えない。立ち直るのと、やけになるのは違う」

 ウラルは目を伏せ、うなずいた。

「あの村の上で、高度を下げたよね」

 もう一度、ウラルはうなずく。

「あの村の住人を笑ってやるために低く飛んだんじゃないだろ?」

「よく、見ておきたくて」

「そっか」

 リゼはやさしく笑いかけ、フギンを振り返った。

「青菜があったはずだ。持ってきてくれないか?」

 ムール厩舎の外へ走っていくフギンを見送り、リゼはもう一度ウラルに笑いかけた。

「あいつら、このごろがんばってるからな。ごほうびをやらなきゃ」

 ごほうびの餌をもらえると知った三羽のムールがクゥクゥ鳴きながらフギンによっていった。フギンが両手でかかえてきた木箱一杯ぶんの青菜をまきちらす。ムールは大きな翼を広げながら青菜に飛びつき、食べはじめた。

 ウラルは貸してもらっていた上着をぬぎ、リゼに返した。

「ありがとう」

 リゼはうなずいて、あごでフギンを指した。

「ごめんな。感情的なやつだから。でも、あいつなりに聞き捨てならなかったんだろ。許してやってくれよ」

 一拍おいて、リゼは明るい口調で話題を変えた。

「ムールって何を食ってると思う?」

「菜っ葉、食べてるじゃない」

「うん、植物も食う」

「植物も、ってことは肉食なの?」

 ウラルはムールがネズミや馬を頭から食べている図を想像した。こんなに大きな鳥なのだ。人間も食べるのではないかと思うと、おちおちムールに近くことなどできそうにない。

「似たようなもんだけどな、ちょっと違う。ムールは海鳥なんだ」

「魚を食べているの? 鳥が?」

「そう。普段は水面に集まってる魚をとって食う。昼間に食いものが見つからなくて、でも腹が減って朝まで待てないときは夜も飛ぶ。ムールは夜目がきくんだ。海の中で光ってる夜光虫につっこんで、光に集まった魚やイカを食う。海から離れたときなんかは、今みたいに菜っ葉や麦なんかを食べるんだけどな」

 そうなんだ、と感心するウラルにリゼはもう一度ほほえみかけた。

「また行こうな。次は北へ行ってみよう」

 ウラルはうなずいて、ありがとう、と小さくお礼を言った。



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