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第三章 4「夢うつつ」 上

 馬場に放牧されていた馬にまたがり、まだ気を失っている門番を蹴散らしてフギンは突っ走った。パニックになり暴れる馬の背にしがみつきながらフギンは馬に脚をいれ続ける。半ば気を失ったウラルを隻腕で支えながらだ。しかもその馬は鞍もハミもつけていない。ほとんど神業だった。

「ウラル! ウラル!」

 興奮しきった馬は跳ねに跳ねながら表へ飛び出すと通りを突っ走り始めた。壁にぶつかりかけ急旋回し、通行人に驚いて土煙を蹴立て棹立ちになる馬に振り回されながら、それでもフギンはウラルを支え馬にしがみついたまま。けれどさすがにそんな離れ業は長く続けられなかったらしく、メインストリートの一歩手前で走る馬の背から飛び降りた。解放された馬は夕暮れ時で混み合う市場へ一直線に突っ走っていく。

 ウラルは路地裏で横にならされ、フギンに軽く頬をたたかれた。うめきながら目を開ける。目を開けるだけでも後頭部に鋭い痛みが走った。

「どこ、やられた」

 そろそろと手を動かし、後頭部を押さえる。

「あの野郎!」

 悪態をつきながらも、フギンはいたわりに満ちたしぐさでウラルの瞳孔の収縮を見、後頭部の傷を見た。

「俺の名前、言えるか?」

 一瞬、思い出せず、ウラルはとまどった。口を半開きにしたままぼうっとなっているウラルの手を、心配そうにフギンがにぎる。

「フギン」

 答えられたが、フギンはよけい心配になったようだ。

「大丈夫だ。すぐ、安全な場所に連れてってやる。少し、寝てろよ。な?」

 ウラルはかすかにうなずいて、目を閉じた。

 フギンがおぶってくれる。右肩から先がないので、うまく体が安定しない。何度かためしたが、どうしてもずるずると滑ってしまう。フギンが左肩にウラルをかつぎあげた。

 安全な場所といっても、どこへ連れていく気なのか。ウラルはまた、ふぅっと気が遠くなるのを感じた。

 気を失っては、また目を覚ます。何度目かに目を覚ましたとき、ノックの音が聞こえた。フギンがどこかのドアを叩いている。

 うっすらを目を開けると、フギンと同年代の若い男がドアを内側からあけるところだった。見覚えのあるような、ないような顔だ。

 フギンがなだれこむようにしてドアの内側に入る。男は止めようとしたが、すぐに、何も言ってこなくなった。

 薄っぺらい布団の上に横にならされる。頬を軽く叩かれる感触がした。

「もう、大丈夫だ。安心して、眠って」

 ウラルはぼんやりとうなずき、また、目を閉じた。


     *


 故郷の丘に立っていた。けれどそこは実際の丘よりずっと広く、あるはずの自然石の墓標もない。村も見えない。ジンが死んだ日に見た夢、風神の夢にあらわれた丘、貴石の棺がならぶあの丘だった。

「ウラル」

 聞きなれた男の声に、はっとウラルは振り返った。

「ジン?」

 水晶の棺にジンが座っている。棺の中は空っぽだった。中にいるはずの人がここにいるのだから当たり前といえば当たり前ではあるけれど。初めてジンに出会ったとき、故郷の陶芸じいさんの家で会ったときの格好をしていた。

「ジン。どうしてここに? 会いたかった」

 ぽんとジンが水晶の棺、自身の座る横を叩く。

「座らないか?」

 ウラルは示された場所、ジンの隣に腰をおろした。 棺の群れが、ずっと遠くまで広がっているのが見える。ウラルとジンの近くにある棺には、ほとんど中に骸が入っていていた。

 ウラルの心の丘。棺の主は、すべて、ウラルとどこかで出会った人だ。棺の前には一本一本、青いナタ草がそなえられている。ウラルが故郷の丘で、村のみんなの墓の前にそなえたように。

「俺は、ジンだと思うか?」

 夕日をみつめながら、ジンが尋ねた。

「俺は、残念ながら本物のジンじゃない。本物のジンは風神に導かれて心の世界に還ったよ。俺はお前の心の中のジン、お前の記憶にあるジンが形をとったものだ。だが、ずっとお前の耳元でささやいていた〈戦場の悪魔〉よりは、ずっと本物に近い」

「戦場の、悪魔?」

「幻覚を見せて、宿主を殺す悪魔だな。だいたい、戦場で生き残ったやつがとりつかれる。さっき、お前をエヴァンスに差しむけた声や、マライを助けにいった監獄での声は、全部〈戦場の悪魔〉の声だ。フギンが最近、よく無茶をするのもこいつのせいだ。フギンも、〈戦場の悪魔〉にとりつかれている」

 マライを監獄に助けに行く前、たしかにフギンはそんなことを言っていた。悪魔の声が聞こえると。

「あの、死者の声も?」

「ああ。あれが〈戦場の悪魔〉本来の声だ」

 ウラルは故郷の村をおもった。ベンベル国の飲みこまれかけていた、滅びに瀕していたあの村で、大婆さまはウラルの後ろに〈戦場の悪魔〉を見ていたに違いない。

「〈戦場の悪魔〉は俺が生きていた時に言っていたことをうまく使ってお前をまどわしたろう。だが、本当に俺が思っていたこととは少しずれていたはずだ。もうお前は騙されない。悪魔は一度とらえそこねた相手は襲わない」

 たしかに、そうだった。監獄のときは、ジンがその場にいれば、すぐさまフギンを助けるため包囲に飛びこんでいっただろう。だが間違ってもウラルに行かせようとはしなかったはずだ。ましてや、ウラルをあおるようなことはするはずがない。エヴァンスのときも同じだ。

「問題はフギンだな」

 フギンの、ファイアオパールの棺が夕日に輝いた。

「あいつを助けてやってほしい。〈戦場の悪魔〉に引きずられないように、お前が杭になってやってくれ」

「杭?」

「お前が近くにいれば、あいつは無茶ができない。アラーハの言うとおりだ。お前があの時、監獄に行かなかったらフギンは死んでいた。お前があの時、エヴァンスの屋敷に行かなかったらフギンはダイオの復讐に燃え、無謀に立ち向かって殺されていた。お前がいたからフギンは生き残ったんだ。俺はずっとここにいたからわかる。ここでフギンの棺を見ていたから」

 ジンはすぐそばにあったフギンの棺を見た。フギンの棺はむろん空っぽだ。生者は棺はあっても中身はなく、ふたが棺にたてかけられて空っぽの中身が見えている。骸があるのは死者だけで、不透明の石でも棺のふたがしまっているのでそれとわかった。

「棺を見ていれば、なにかわかるの?」

「見てみろ」

 ジンの指した先にはガーネットの棺がある。その中にぼんやりと人影があった。が、ほかの死者の骸の影よりはずっと薄く、ぼやけている。棺のふたも開いたままだ。

「ダイオ!」

 ウラルは思わず声をあげ棺に駆け寄った。まさか、まさか死んでしまった? 駆けつけ棺にひざまずくと同時に、棺の中のダイオの姿はすうっと薄れ、消えていった。

「生き延びたようだな」

 同じく駆けつけていたジンが棺のふたに刻まれた「ダイオ」の文字を指でなぞる。

「それは、どういう」

「持ち主が死にかけると、今のようにぼんやり人影があらわれる。フギンのときもそれでわかったんだ。死ねば棺のふたが閉まり、生き残れば人影は消える」

「ダイオは、生きている……」

「生死の間をさまよったみたいだけどな。そうだ、生き残ったよ」

 よかった、とつぶやいたウラルの肩にジンが手を置いた。生前と変わらない温かい手、温かいほほえみ。

「じゃあここで棺を見ていれば、誰が死んでいて、誰が生きているかわかるの?」

 ジンは近くにあった二つの棺を指さした。深緑のトルマリンの棺と、銀細工のほどこされた美しい棺。トルマリンのネザの棺は閉まり、銀細工のイズンの棺は。

 イズンの棺は、空っぽだった。



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