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第三章 2「決裂」 上

 フギンとダイオはまだ「大鹿亭」の酒場にいて、たあいもない噂話に花を咲かせていた。

「お帰り。もう一部屋、とっといたよ。アラーハも今日からベッドで寝れるぞ」

 片手をあげて出迎えたフギンとダイオが、アラーハの険しい顔つきをみて、凍りついた。

「何かあったのか?」

「ベンベル人男に会った」

「何だと! ナウトも一緒に襲われたのか?」

「いや、そういうわけでもない。上で話す」

 アラーハが角の剣で壁をごりごりこすりながら狭い階段をあがっていく。ウラル、フギン、ダイオ、ナウトも続いた。

 部屋に入り、めいめいベッドや床、窓枠に腰をおろす。部屋の隅に陣取ったアラーハが低い声で、昼に「大鹿亭」を出てから、市場で買い物をし、夕方シャルトルに会うまでの流れをかいつまんで話した。

「あの栗毛男は、ウラルを探していた。が、ウラルを捕らえようとはしていなかった。むしろ俺やナウトと一緒にいるのを見て、ほっとしたように去っていったんだ」

 ナウトは飽きたのか、窓枠に腰かけてみたりベッドに倒れこんだりしてみていたが、結局、ウラルの膝の上に落ち着いた。

「つまり、どういうことだよ」

「わからん。栗毛男が主君の命令でそうしたのか、主君の命令に背いて見逃したのかもわからなかった」

「相手側は我輩たちを血眼になって探しているわけではない、ということか。逃げてもいい、むしろ逃げろと」

「そんな感じだったわ」

 ウラルがうなずくと、ダイオは「ふむ」とうなった。

「わけがわからん」

 たしかに、かなり妙なことになっている。ベンベル側から見ればフギンらは脱獄犯、しかも監獄のリーグ人をみんな逃がしてしまった重罪人だ。だからこそ、エヴァンスはウラルをおとりに使ってまで、フギンらを捕らえようとしていた。

 それなのに、なぜ、今はウラルを逃がそうとしているのだろうか。

 たしかなことは何もわからないが、ウラルは、シャルトルはエヴァンスの命令にそむいているのだろう、と思った。

(よかった。あなたは、そちらにいるほうが、幸せそうだ)

 耳を貸さなかったつもりだった。けれど覚えている。シャルトルはウラルの幸せを願ってくれていた。本心かどうかはいまだわからないが、ずっと笑っていてほしいと言っていた。

「ウラルをおとりにして我輩たちをおびき寄せた件もある。これで安心と思うにはちょっとばかり早そうだ」

「今すぐにでも乗りこんで、あのエヴァンスってやつの首根っこをつかんでやりたい」

 フギンが自身の膝を殴る。アラーハの目が、すっと細められた。

「そのことなんだが」

 口調が、鋭さと緊張感を増している。かくかくと癖の貧乏ゆすりが始まった。

「俺は、エヴァンスを殺したくない」

 フギンとダイオのぎょっとしたような視線がアラーハに集まった。

「どういう意味だよ?」

「俺は、復讐なんぞ、まっぴらだ」

 目は静かで、声も平静だ。一見、すべてをあきらめ、放棄してしまったようにすら見える。だが、体の隅々を細かく見てみれば、アラーハは激しい憎しみに体中の血管を浮き立たせ、こぶしをぶるぶると震わせているのだった。

「どうしたんだよ、急に」

「急じゃない。むしろ俺にとっては、この復讐劇のほうが急な話だった」

 たしかにエヴァンスの話は、森の隠れ家を出てきたときには、まったく予定になかった。

「何言ってんだよ。確かに、急な話だったけどさ。でも、放っておけないじゃないか」

「黙れ、ボウズ。話を聞こう」

 ダイオが座りなおす。フギンもあらためてアラーハに向き直った。ナウトはウラルの膝の上で無邪気に眠っている。

「ジンを殺したやつは、もちろん憎い。だが、ここで、こんな形で出会わなければ、おそらくは俺が一生を終えるまで、復讐しようとは思わなかったはずだ。目の前にいれば憎くなるが、殺さなければ殺されるとか、そんなものではない」

「本気で言ってるのか?」

「監獄では、マライの命が危なかった。マライが処刑されてしまった後は、ウラルを連れ戻す必要があったから俺はこの町にとどまっていたが、そのウラルも、戻ってきた。今は、何も人質にとられていない。復讐することで、俺たちの中で欠けるものはあるにしても、得るものは、なにもないと思わないか」

 欠けるもの。つまり、この中の誰かが死ぬか、取り返しもつかないことになるか、ということを指しているのだろう。

「本気で言ってるのか? 本当に?」

 フギンの声が、震えている。

「俺は、本気だ」

「見そこなったぞ、アラーハ!」

 フギンが座っているベッドを跳ね飛ばさんばかりの勢いで立ちあがった。ウラルの膝でうとうとしていたナウトがびくっと目を覚ます。

「臆病者! 根性なし! 男の風上にもおけないやつだ!」

 押さえていた怒りが爆発したのか、アラーハもすさまじい勢いで立ちあがる。

「臆病風に吹かれて言っているわけではない! 無益なことをするなと言っているんだ!」

「ふたりとも、落ちつけ」

 ダイオの静止をものともせず、二人はいきりたってにらみ合う。

「頭目の仇が目の前にいるのに尻尾を巻いて逃げろだと? そんなことができるかよ!」

「ジンの願いを忘れたのか? ジンは平和を願っていたはずだ。憎しみが憎しみを呼ぶ。俺たちがその一端になってどうする!」

 二人の剣幕にぽかんとなっていたナウトが、ついに泣き出した。

 ふたりがやっと目線をそらし、黙りこむ。

「悪かった、ナウト。もう暗いな。送っていこう」

 アラーハがくるりとナウトをおぶい、部屋を出ていった。角の剣がガリガリと階段の壁をこする音がいつにもまして荒々しい。

「何なんだ、あいつ」

 どすっと音をたてて、フギンがベッドに腰をおろした。

 ウラルは窓から外を見る。ナウトをおぶい、暗い町に出て行くアラーハの姿が見えた。

 なんとも、子どもを背負う姿がさまになっている。こうやって十歳のジンをおぶい、森を歩いていたことがあったのだろうか。泣きじゃくりながらアラーハの背に身をあずけていたような時期が、ジンにもあったのだろうか。

「憎しみが憎しみを呼ぶ、その一端に俺たちがなってどうする、か」

 ダイオがぽつりと呟いた。フギンがぎろりとその目をにらむ。

「まさか、お前まで臆病風に吹かれてるんじゃないだろうな」

「アラーハは、臆病なんかじゃない」

 ほとんど反射的に、ダイオが何かを答える前にウラルは口を動かしていた。

「アラーハだって、エヴァンスが憎いのよ。あなたたちと同じくらい。ううん、それ以上よ。それを必死に押さえこんでる」

「何を根拠に言ってるんだよ」

 フギンの鋭い視線がウラルに移る。背筋に粟が立つのを感じたが、アラーハの矜持にかけてここは引くわけにはいかなかった。

「にぶいのね。アラーハの腕を見なかったの? 顔もまともに見えていなかったの?」

 フギンが再び立ちあがり、ウラルの胸ぐらをつかまんばかりに詰め寄った。さすがに危険を感じたのか、ダイオが二人の間に立つ。

 フギンの目が、血走っていた。ウラルは真っ向からその目をにらみ返す。

 言いたかった。アラーハはジンの父親なのだと。誰よりもアラーハはエヴァンスを恨んでいるはずなのだ。

「怒りを全部おさえこんでまで、私たちを止めようとしてる。わかる? アラーハは、それほど私たちのことを大切に思ってくれているの!」

「笑わせんなよ! 黙って聞いてりゃ言いたいほうだい!」

 ぐるっと視界が揺れ、天井が見える。え、となった瞬間、壁に叩きつけられた。思いきり頭をぶつける。ぐぅ、と情けない声が漏れた。

 フギンがウラルを突き飛ばしたのだ。第二撃を覚悟して、ウラルは目を閉じたまま頭をかばった。

(憎い。憎い。ベンベル人が憎い)

 突然、耳の奥から聞こえてきた声に、ウラルはびくっと体を震わせた。何重にもかさなった男の声。前に一度、監獄の中で聞いた、亡霊の声だ。

(俺たちのために復讐してくれ。あいつを殺してくれ!)

 少し離れた場所から、「ゴスッ」という鈍い音が聞こえた。

「それでも男の端くれか! 娘に暴力をふるうとは!」

 仲介に入ったダイオがフギンをぶん殴ったのだった。

「ウラルさん、大丈夫か?」

 ウラルはそろそろと目を開けた。ダイオは額に冷や汗を浮かべている。だが、どうやら今の声は聞こえていないようだ。

 ウラルは自分の体を抱いた。ひどい寒気がする。

「ありがとう、ダイオ」

「いやいや。これくらい礼を言われるほどのものでもない。ちょっと失礼するぞ」

 ダイオは慣れた手つきでウラルのまぶたを押し開け、瞳孔の収縮を見た。頭をさすり、たいした怪我ではないかを確かめる。

 まさかフギンに殴られるとは。頭に血ののぼった人間は何をするかわからない。フギンは殴らないという妙な根拠があったから強く出たわけではあるが、言っている内容は、たしかにぶん殴られてもおかしくないものだったかもしれない。

「ごめん、かっとなって、つい……」

 フギンが真っ青になっていた。

「私こそごめんね。言い過ぎちゃった」

 できるかぎり軽い口調で謝ると、フギンはほっとしたようにウラルの近くへ来て、床に座りこんだ。

「怪我してないか? 本当にごめん」

「たんこぶにはなってるけど、大丈夫。びっくりしたけど」

 ウラルは無理やり笑ってみせた。本当はびっくりどころではない。体が震えてどうしようもなくなっているのだ。

「まったく。おまえはその短気で、いずれ命を落とすぞ」

 ダイオの声に、フギンはさっきまでの勢いはどこへやら、しゅんとうなだれてしまった。

 たしかに相手がウラルだったからよかったものの、さっきのアラーハだったら、これどころでは済まなかったはずだ。殴る蹴るになったすえ、ダイオも止められないまま、とんでもないことになっていたかもしれない。アラーハの腕力は人間のものではないのだ。

「アラーハとおまえの話し合いは、適度に酒でも入れながらやったほうがいいな」

「アラーハが笑いじょうごだったらいいんだけど」

「同感だな。できれば、フギンは泣きじょうごがいい」

「ごめん、俺、怒りじょうごなんだ」

 フギンのぼそっとした一言に、ウラルとダイオは顔を見あわせた。口に出さなくともお互いの思っていることはわかる。

 怒りじょうごがひとりでもいるなら、やめておいたほうがいい。



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