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第一章 2「森の隠れ家」 上

 ゆっくり、のんびりと馬は進んでいた。ほとんど道らしい道はなく、シカかなにかが毎日水飲みに通うような獣道だ。馬が一歩を踏みだすたびその腹や尻を草がこすっている。

 うっそうとおいしげっていた木々がだんだんまばらになり、やがてぽっかりと開けた場所に出た。丸太のしっかりした造りをした家が二件と、厩舎らしい建物がある。

「さ、ついた。ここが俺たちの隠れ家だ」

 すぐ後ろで声がした。フギンだ。

 隣村まで襲われて行き場を失ったウラルをジンは「行き先が見つかるまで自分たちと一緒にいるといい」とこの隠れ家まで連れてきてくれたのだ。

「ただいま、マーム。食事はできてるか?」

 サイフォスが家のひとつに向かって声をかけた。

「できてるわけないじゃないの! 今日帰ってくるなんて聞いてないからねっ!」

 女が二階の窓からひょいと顔をのぞかせ、よく響く声で男どもを怒鳴りつけた。若いのかと思ったが、案外そうでもなさそうだ。ゆわれた髪に白いものが混じっている。からから笑い声をあげる男たちを見回し、サイフォスはわざとらしく肩をすくめてみせた。

「サイフォスには嫁さんがいるんだ。おっかない奥さんだけど、料理はうまいぞ」

「フギン、聞こえてるよ! そんなに私が優しいと思ってるなら今日は食事抜きにしようか。そのへんの草でも食うんだね!」

 フギンがぎくりと肩をすくませる。マームと呼ばれた女の視線がウラルに移った。

「あら、お客さん? 珍しいわね。遠慮なんかしないであがって。お腹すいたでしょ?」

 急に語気が穏やかになった。言葉を失ったウラルにマームはウインクすると、軽い音をたてて窓を閉めた。

「さ、あがって休んでろよ。ウラルのおかげで今日は食事にありつけそうだ」

 苦笑いしながらフギンは馬の手綱をとり、ウラルの馬の手綱も持って、奥の建物へ行ってしまった。ほかの男たちも笑いながら同じように馬を降り、鞍の腹帯をゆるめ、荷物を玄関に置いて厩舎へと馬を引いていく。

 ウラルはひとり取り残されていた。家のドアは開け放たれており、白いタイルがしきつめられたポーチとフローリングの廊下、奥のほうに階段が見えている。

「入って、いいのかな」

 マームが顔をのぞかせた窓を見あげてみる。鼻歌がかすかに聞こえてくるだけだ。

 靴のかかとを石に打ちつけて泥を落とし、ウラルはドアをくぐった。上から野菜を切る音が聞こえてくる。その音を目指してウラルは二階へあがった。

「あ、そこで靴と帽子はぬいで」

 半開きになっているドアの向こうから女の声が聞こえる。ウラルはブーツを脱いでドアを開けた。

 女がひとり、入って左手にあるキッチンに立っている。小花柄のワンピースにベージュのエプロン。立派な炭コンロの上でシチューがコトコト音をたてていた。どうやらマームは照れ隠しに「料理はできていない」といっただけで、実際は作って待っていたようだ。

「いらっしゃい、大変だったわね」

 マームはエプロンで手をぬぐい、フギンに怒鳴ったときとは別人のような優しい声と視線をウラルに向けた。

「初めまして。ひどい顔色ね、熱があるんじゃないの?」

 ひんやりとした手がウラルの額に触れる。かすかにタマネギが香った。

「やっぱり熱がある。寒気はしない? 疲れたのね。今、ベッドを整えるからそこの部屋で休んでなさい。いい?」

「大丈夫です」

「こういう時は『はい、ありがとうございます』って、素直に休むべきよ」

 ウラルの返事も聞かずにマームは奥の部屋へ入っていった。開け放たれたドアの向こうでマームはてきぱきと布団を出し、隣の部屋へ入って空っぽのベッドに布団を敷いた。

「着替えはこれでいいかな、おばさんくさくてごめんなさいね。ゆっくり休んでて。あ、まずい、ふきこぼれてる!」

 ウラルがきょとんとしているとマームは笑い、遠慮なんかしないで、とやさしく言った。

 しばらく使われていない部屋のようだった。きれいに掃除され、ほこりっぽさはないが、なぜか冷たい感じのする部屋だった。「死んだ娘か息子の部屋かもしれない」というウラルの第一印象がそう思わせたのかもしれないけれど。

 ウラルはマームのものらしい服に着替えて横になった。予想以上に疲れていたらしい。熱っぽさがじわりとウラルを包んだ。ウラルは布団の中で小さくなり、震えていた。

「ただいま。腹へったぁ」

 子どものようなフギンの声が聞こえてきた。マームが笑う。

「お帰り。シチュー、できてるよ」

「早く食いてぇ」

「ジンが帰ってきてからね。あ、フギン、あんたは食事抜きだっけ」

「えー」

「冗談、冗談。おつかれさま。早く食べたいなら準備、手伝ってね」

「見てるだけで食えないとか一番つらいんだけど」

 フギンとマームの話し声が聞こえてくる。どうやら壁が薄いようだ。

 ただいま、と元気のいい声が帰ってくる。ウラルは布団の中でひとり、ふたりとその声を数えていた。

「ただいま」

 七人目でジンの声が聞こえた。アラーハだけがまだ帰ってきていない。

「お帰りなさい。みんなお待ちかねよ、フギンなんか今にも飢え死にしそう」

「そりゃ悪かった」

 笑いまじりのジンの声が「いただきます」の合図だった。

「ウラルはどうした?」

「あの女の子? 熱だしてたわよ、あの子。休ませたわ。そこの部屋で」

「そうか」

「おかわり!」

 フギンの声に笑い声があがった。よく食うなぁ、お前は。やっぱりまだ子どもだな。笑いながらからかうジンに、不服そうな声が言いかえしていた。

 食事がひと段落したらしく、リビングが静かになった。

「ウラル、起きてる?」

 ノックの音がウラルにあてがわれた部屋に響く。フギンの声が聞こえてきた。

「起きてます。どうぞ」

 フギンが部屋に入ってきた。顔に「満足」と書いてある。すっかり空腹の虫はおさまったらしい。

「具合はどう? ネザに薬湯、作ってもらってきた。あ、ネザって軍医な。あのヘビみたいなやつ」

 ウラルが笑うと、フギンも嬉しそうに笑みを返してきた。フギンは小さなカップに薬湯をつぐと、ウラルに渡した。

「苦いかもしれないけど、ちゃんと飲めよ。熱いから気をつけて」

「ありがとう」

 草色の薬をふぅふぅとふいて冷まし、口に含んだ。フギンはにっと人なつっこい笑みを浮かべて「口なおし」と甘い焼き菓子をくれた。それからすぐ、俺はこれでと部屋をでていった。

 フギンが出て行くと同時に不自然なまでの眠気が襲ってきた。さっきの薬湯に眠り薬でも入っていたのかもしれない。ウラルは布団にもぐりこむと気を失うように眠りに落ちた。



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