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第三章 1「市場で」 上

 二人はかなり長いこと歩いた。アラーハは何度も疲れないか、とウラルを心配したが、ウラルは夜気にあたりながらゆっくり散歩できることが幸せだった。なにしろ、地下に軟禁された後なのだ。

 ベンベル人街をぬけ、大通りをゆっくりと歩いていく。そのうち、見覚えのある道になった。

 二年前の火神祭でここへ来た。ジン、イズン、マライ、ネザと歩いたファイヤーロードのあった大通り。思い出にひたりながら、ウラルはゆっくりとあたりを見回す。

 アラーハはそのうち、細道に入っていった。

「この宿屋に泊まっている」

「なつかしい」

「ここに来たことがあるのか?」

 アラーハが指す宿屋、いや、酒場に宿屋がくっついただけの建物の看板には、立派な角をふりあげた大鹿が描かれていた。

 「大鹿亭」だ。ウラルが初めて入った酒場。ネザに初めて酒を飲まされ、パレードの話で盛りあがった。酔客にからまれ、みんなでよってたかって守ってもらった。

 アラーハが店内に入っていく。祭りの時期でない、しかも深夜である今は、酔いつぶれて机につっぷしたり、椅子で横になっている客がぽつりぽつりと座っているくらいだ。

 ウラルは店内を見回した。あのとき壊れた椅子は、新しく買いかえられたのだろうか。

 二階への階段をアラーハがあがっていく。ウラルもあとに続いた。せまい通路の先にはドアが四つ。そのうちのひとつをアラーハが開けた。

 簡単な寝台がふたつ。ベッドはふたつともふさがっているから、アラーハは床で寝ることになっているらしい。寝ていた二人がぱっと敏捷に起きあがり、枕もとの剣をとった。

 ウラルはアラーハの毛皮をつかむ。二人が剣を抜く前から白刃を喉元につきつけられた気がしたのだ。

「俺だ」

「なんだ、アラーハか。どこ行ってたんだよ」

 また眠ろうとするフギン。ダイオがそのわき腹を小突く。

「おいおい、客人だぞ。寝ていいのか、ボウズ」

 冗談めかしたダイオの口調に、緊張が一気にほぐれた。

「本当。眠いのはわかるけどね。ナタ草、まだオレンジ色だし」

 横になりかけていたフギンが飛びあがる。

「ウラル! なんで!」

「ちょっと想像すればわかるだろうが」

 フギンの慌てぶりと、それを見下すようなダイオの態度に、思わずウラルは笑ってしまった。

「なんで黙って行ったんだよ、アラーハ!」

「意外と短気だな、おぬし」

 ダイオが低く笑いながら立ちあがり、壁にかけてあったサーコートを着る。さすが元騎士とあって、人前ではぴしりとした格好をしていたいらしい。だが、このサーコートがまた、けばけばしい真紅なのだ。派手趣味は一年前から変わっていないらしかった。よくよく見ればダイオの枕元にある剣も豪華なエナメル模様がほどこされている。

「ダイオ卿、あの監獄のときは、本当にありがとうございました」

「いや、なに。助け出してもらった借りを返したまで。マライ殿のこと、本当に残念だったのぅ。惜しい御仁、いや、ご婦人だった」

 ダイオが低い声で応じ、ランプをつけた。部屋の隅に座りこむアラーハとぼさぼさ髪のフギン、寝起きであるという様子は微塵もうかがえなくなったダイオが、その明かりに浮かびあがる。

「それから、娘さん。『卿』はいらない。私はもう、ただのダイオだ。フェイス将軍にお仕えして二十数年騎士をやってきたが、そのフェイス将軍もお亡くなりになってしまわれた」

 ウラルは目を伏せた。

「フギン、フェイス将軍もエヴァンスに殺されたの?」

 ダイオを見習い、ぼさぼさの髪を手ぐしで整えていたフギンが、ウラルと同じように目を伏せる。

「そうらしいんだ」

「そんな人のところで働いていたなんて」

「まったくだ。主人ばかりかそのご子息まで殺されてしまうとは、臣下として黙っておけん」

 え、とウラル、フギン、アラーハの視線がダイオに集まる。

「主人とご子息?」

「知っていたの?」

「どういうことだよ、みんな」

 ダイオがぴしゃりとひたいを叩いた。

「これは失礼、てっきり周知の事実かと」

 ダイオの口調がいちいち古めかしい。フギンが身を乗り出した。

「うちの頭目が最高位騎士の息子だったって、そういうこと?」

「十の歳をむかえたあたり、行方不明になったフェイス将軍のご子息であらせられるそうだ」

 フギンが天井をあおぎ、ひえー、と間の抜けた声をあげた。

「知らなかったの、俺だけかよ。そりゃあ、フェイス将軍が死んだって報せを受けてから、頭目、そんなことをちょこちょこ言ってたけどさぁ。まさかなぁ、って思ってたんだ」

「すまんが」

 ウラルはぎょっとなった。アラーハの声に、珍しく怒りがこもっていたからだ。

「俺の前で、そのふたりの話をしないでくれ」

 アラーハもジンの父なのだ。ジンの名前を出されるだけで暗い顔つきをしていたくらいだから、フェイスとジンが父子でんでんの話をされるのは我慢がならなかったのだろう。

「どうしたんだよ、いきなり」

「頼む」

 アラーハが会釈程度にではあるが、ふたりに頭をさげる。普段とは違うアラーハの様子に、さすがのフギンとダイオもぎょっとしたようだ。

「酒でも注文する? そのほうが明るく楽しくならないか?」

 アラーハが湿っぽいため息をつき、部屋の隅に座りこんで、目を閉じた。

「俺、ちょっと下、行ってくるよ」

 フギンが本当に酒を注文しに行ってしまう。ダイオが困ったように息をつき、ベッドに腰かけた。ウラルもフギンが寝ていたベッドに腰かける。

「いつから知ってたの?」

「何をだ?」

「ジンとフェイス将軍のこと」

 ダイオがちらりとアラーハのほうを見やる。

「話さないほうが、いいのではないか?」

 ウラルはしゅんとなり、うなずいた。アラーハは目を閉じているが、眠っていない。話は全部聞こえているはずだ。

 ダイオが「そういえば」と一言、ウラルの肩を軽く叩いた。

「ウラルさん、だったか。男なら悲鳴をあげる場所でもじっと女は耐える、そこが女の強いところだというが、まさしくその通りだ。おまえさん、年頃の娘のくせに、度胸がある」

 ウラルは思わず赤くなった。ウラルは二十四の娘っ子なのだ。普通なら婚約者と正式に籍をいれ、ふたりで果樹園の世話をしたり、麦を作ったりしている年頃。もしかすると、子どもが二、三人いて、育児に追われていたかもしれない。

 ふとウラルは思った。もし、エヴァンスの家に売り飛ばされたのがフギンだったらどうなっていたんだろう。背筋が凍った。

 ウラルの胸のうちも知らず、ダイオがやさしくほほえんだ。

「夜中に起こされて大変だったろう。休みなさい。アラーハも寝てしまったから」

 あごで部屋の隅のアラーハを指す。アラーハは一瞬、薄目を開けたが、すぐにまた目を閉じてしまった。

 たしかにウラルは疲れていた。だが、ウラルがベッドを使ってしまったら、ダイオとフギンはどうするのだろうか。

 ウラルの思いを読み取ったかのようにダイオが続ける。

「心配ない。我輩とフギンはこれから一杯やるから。すっかり目が覚めてしまった」

「ありがとう」

 ウラルは布団を一度、きちんと整えて、アラーハに近いほうのベッドに横になった。布団はエヴァンスの家のものとは雲泥の差だ。だが、ウラルにとってはこちらの布団ほうがなじみ深く、ほっとするものだった。

 ノックの音がする。どうやら足でドアを蹴っているらしく、くぐもった音だ。ダイオの足音が聞こえる。ドアの開く音がした。

「すまん、忘れていた。なぜ呼ばなかった?」

「あやうくボトル一本割るとこだったよ。あれ、ウラルとアラーハは寝たの?」

 ウラルも忘れていた。フギンは片腕なのだ。片腕でグラスとボトルを四人分持ってこようとがんばってくれていたのだろうか。

「そりゃあ、そうだろう。アラーハなんぞ一睡もしていなかったんだ。ウラルさんも精神的にまいっているだろうよ。さて、一杯やるか」

「アラーハ、ベッド使えばいいのに。まぁいっか。明日にはもう一部屋とろう」

 二人がグラスにワインだか黒ビールだかをつぎ、乾杯をする音が聞こえてきた。

 アラーハが静かに寝息をたてはじめる。ジンが死んでからアラーハは人間らしくなった。以前なら人前で食事をしたり、眠ったりすることはなかったのに。

 ウラルは布団の中でほほえみ、ゆっくりと目を閉じた。



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