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第二章 3「とらわれて」 下

     *


 ウラルにあてがわれた部屋はそのまま独房と化した。ドアに鍵をかけられてしまえばどこからも出られなくなる。部屋は半地下にあって、ベッドの上で立ちあがっても手の届かない高さにしか窓がない。窓を割って逃げようにも、頑丈なよろい戸がガラスの外でぴっちりと閉じられており、しかも外からかんぬきをかけられていた。

「出してください。スー・エヴァンスにお話したいことがあるんです」

「スー・エヴァンスからのご指示がない限り、だめです」

 何度も言ってみたが、ドアの外で見張りをしているシャルトルからは冷たい返事が返ってくるだけだ。 ウラルは唇を噛みしめ、内側からドアをノックした。こぶしを握りしめてドアをたたくが、何の反応もない。

「はじめから、そういうつもりだったんですか?」

 声が震える。

「私をおとりにして、フギンをおびき寄せるつもりだったんですか? 最初から?」

 答えは返ってこない。

 ウラルはドアをこぶしでぶん殴った。

「そうです」

 やっと、シャルトルからリーグ語で返答があった。

「全部、全部演技だったんですね……」

 こぶしをおろす。ドアから離れて、ベッドの上でうずくまった。あの笑顔は。あの優しさは全部ウラルを信用させるためだけの。

「違う」

 ドアの向こうからシャルトルのくぐもった声が聞こえてくる。

「違います。全部演技なんて、そんなことを言わないでください」

 低い、低い悲しみに満ちた声。けれどあの笑顔が演技だったのなら、そこまでの役者なら、これくらいの声を出すのはたやすいはずだ。

「ウラルさん、正直に話します。たしかに、監獄にあなたを迎えに行ったときは演技でした。あなたに背中を刺されたことに対する怒りや復讐の気持ちもありましたし。看守らにひどいふるまいをさせて、そこに僕が救いに現れて、優しくしてやって。それで信用させようと思っていました。あなたからフギンさんらの居場所を聞きだすため、あなたを餌に彼らをおびきよせるために。けれど」

 ウラルは枕元に手をやった。ジンの形見のアサミィをにぎりしめる。鞘から抜くと、真鍮の刀身がちかりと光った。

 思い返してみれば、監獄でこのアサミィを返してもらうとき、「儀式用で刃は研がれていない」ということをシャルトルはしつこく確認していた。これはウラルをおとりに使うことを前提に、ウラルがエヴァンスとシャルトルを恨むことを見こしていたからではないだろうか。ウラルが武器を持っていないことを。どれだけ憎んでもエヴァンスやシャルトルを傷つけられないことを。

「けれどあなたはそんな僕をののしるどころか、ごめんなさいと。あろうことか謝ってくださったんです。拷問は全部スー・エヴァンスと僕の指示でした。それなのに」

 そうだったのか、とウラルは目を伏せた。あの拷問はエヴァンスの指示。すべてが演技。

「あなたが初めて僕に笑顔を向けてくれたときの驚きが想像できますか? 普通はそこで罪悪感をおぼえるんでしょう。けれど僕は、僕はただただ嬉しかった。本当に嬉しかった。

あなたの笑顔がずっと見たくて、あなたに本当に幸せになってほしくて。それからのふるまいは、演技じゃない。信じてもらえないかもしれませんが」

 ウラルはもう聞いていなかった。壁にもたれかかり目を伏せる。

「あなたには力がある。あなたの幸せを誰もが願わずにいられない。でも僕はスー・エヴァンスの部下です。ベンベル国に仕えています。だから、だから……申し訳ない」

 あの、エヴァンスが。憎悪に体が震える。エヴァンスは、ジンとウラルに関わりがあったことを知っているのだろうか。いや、戦場の混乱の中でのことだから、ジンのことを覚えているかすら、怪しいかもしれない。

 交互にエヴァンスとジンの姿を思い浮かべた。ともに堂々たる偉丈夫。そして、背筋に一本固い芯のとおったような騎士の風格と覇気。ジンはよく声をあげて笑っていたが、エヴァンスは表情らしい表情を見たことがいまだ一度もない。褐色の強い光に満ちた瞳と、鋭い光を帯びた青い瞳。

「Maonna doce uage?(何をしている)」

 ドアの向こうに憎い人の声がした。

「Su Evans…(スー・エヴァンス……)」

「Karpea zi reeme. Iu muuna nae Ural.(開けなさい。ウラルに会いに来た)」

「ウラルさん、スー・エヴァンスが来てくださいました。開けますよ」

 シャルトルの声に続き、ウラルの返事も待たずにドアが開いた。

 ウラルはぐっとエヴァンスの青い瞳をにらみつける。最初は怖いと思ったこの瞳が、今は憎くて仕方がない。

「何をあの男に言われた」

 相変わらず、挨拶もなしに尋ねられた。

「私の目でわかりませんか?」

 ウラルも負けじと言い返す。

「私が憎いか」

「ええ」

「お前をおとりとして使ったからか?」

 ウラルは答えなかった。ぎりりとエヴァンスをにらみつける。

 エヴァンスが部屋に置かれた椅子に座った。ウラルもベッドの上で座りなおす。頬をつたった涙の跡を見られるのが、恥ずかしい。

「お前が話をしたいと言っているとシャルトルから聞いた。聞こう」

 ここでやっと、エヴァンスがリーグ語で話していることに気がついた。普段はベンベル語で先に内容を言ってから、リーグ語でそれを訳している。

「なぜ、リーグ語を使うのですか」

「いちいちベンベル語で話していては、時間の無駄だ。おまえがベンベル語を片言しか話せないから、私がリーグ語で話している」

 感情のまったくこもらない声で言ってから、エヴァンスは「早く本題に入れ」とばかりにあごをしゃくった。

 ウラルから尋ねたいことはひとつだ。

「一年前、どこにいましたか」

「なぜ、そんなことを聞く?」

 ウラルは黙ったままエヴァンスの目を見つめる。エヴァンスは不服そうに鼻を鳴らし、まぁいいだろう、と足を組みかえた。

「私は三万の兵を率い、ヴァーノン山脈のふもとにあるルダオ要塞攻略の指揮をとっていた」

 ウラルはこぶしを握りしめた。

「やっぱり、そうですか」

「やはり?」

 ウラルの呟きも、この至近距離では聞き逃してもらえそうにない。できることは、言ったあとで黙ることだけだ。

「どういうことだ」

「いずれ、わかります」

 エヴァンスがジンとフェイスの仇だと知った以上、フギンとダイオ、そしてアラーハが黙っているとは思えない。ウラルもこのまま黙っている気には到底なれないのだ。

 彼らは必ず、エヴァンスに報復する。

「一年前のルダオ要塞攻略が、私を憎む理由なのか?」

「ええ」

「私に尋ねたいことは、それだけか」

「Uose, Su Evans.(はい、ご主人様)」

 思いきり皮肉っぽく言ってやる。エヴァンスが無造作に足を組みかえた。その腰にある剣、ベンベル式に大きくしなった刃をもつ長剣、シャムシールの金具が不穏な音を立てる。

「それほど私が憎いなら、ここで殺してみるがいい」

 声に感情がこもらないどころか、絶対零度の冷たさだ。淡々としているのに、おそろしくとげとげしい。

「花瓶は割れば立派な刃物だ。私が座っているこの椅子も、鈍器として扱えば充分人を殺せる。試してみるがいい」

 反射的に枕の下のアサミィをにぎろうとしたウラルは、ぐっと歯を食いしばりながらその手をひっこめた。

 ジンの形見であるアサミィは儀式用で、刃が研がれていない。研がれていたとしても、エヴァンスの腰には長剣があるのだ。いや、たとえ丸腰だったとしても、相手は騎士。到底かなう相手ではない。もしフギンがここにいたなら、勝ち目がないとわかっていても向かっていっただろうが。

 短気をおこせれば、エヴァンスに一度、ぶん殴られたら頭も冷えるだろうに。黙りこむことしかできないから、怒りがどんどん積もり重なっていく。

 エヴァンスが立ちあがった。捨て台詞も言わず、ウラルに冷たい一瞥をよこしながらさっさと部屋を出て行く。悲しげな目をしたシャルトルがドアを閉め、外から鍵をかけた。

 フギンに会いたかった。こんなところにひとりでいるのは、我慢できない。

 もう一度、ノックの音。

「ウラル、もうひとり、あなたに会いたいという人が来ています。通してかまいませんか?」

 シャルトルの声が遠慮がちになっている。どうぞ、と答えると、ゆっくりドアが開いた。

 エヴァンスの姿は影も形もない。ドアノブをにぎるシャルトルの陰にいたのは小柄な婦人だった。

「ありがとう、シャルトル。席をはずしてちょうだい」

「でも母さん。スー・エヴァンスにここから離れるなと言われているんです」

「外から鍵をかけてくれてかまわないわ。出たいときは中からノックをして合図するから。女同士の聞かれたくない話なの」

 ミュシェを部屋の中に残し、ドアが閉まった。シャルトルが鍵を閉める音がする。

 ミュシェは足を引きずりながらゆっくりとベッドの上のウラルに近づいてきて、さっきまでエヴァンスが座っていた椅子に腰を下ろした。

「ウラル」

 ミュシェがそっとウラルの手をとる。

「かわいそうに。泣いていたの?」

 ゆっくりとした、たどたどしいリーグ語。目頭が熱くなるのをウラルはぐっとこらえる。

「(昨日の人に、会いたいのよね)」

 次はベンベル語だったが、ゆっくりと発音してくれるので言っていることはわかる。やさしい声にゆっくりとウラルはうなずいた。

「(エヴァンスが憎い?)」

 「憎い」という単語がわからず、ウラルは首をかしげた。「大嫌い」「激しい怒り」などの単語をミュシェが挙げてくれる。意味がわかった。

 うなずく。

「(シャルトルも?)」

 もう一度、うなずいた。

 ミュシェが確認するようにうなずき返す。それから、覚悟を決めたような、厳しい目つきをした。

「(どうして? エヴァンスには話さないから、理由を教えてちょうだい)」

 気が動転しているせいか、長い単語は聞き取りにくい。

 ミュシェが持ってきたハンドバッグを開いた。小さなスケッチブックと筆、絵の具が少し入っている。スケッチブックを広げ、ウラルの似顔絵をサラサラッと書いた。続けてエヴァンスとシャルトル、ミュシェの似顔絵を手馴れた手つきで描いていく。

 ウラルからシャルトルとエヴァンスに向けて矢印を描き、ミュシェは似顔絵のウラルの口をねじまげ、目を鋭くさせて、怒りの表情にした。

 ミュシェはウラルの横に困ったような表情をした自分の似顔絵を書き、クエスチョンマークを描く。

 ウラルは首を横に振った。ミュシェが言いたいことの意味はわかったが、答える気にはなれない。

 ミュシェがぐっとウラルの顔を覗きこんでくる。ウラルが目をそむけると、ミュシェは真剣な目つきになり、声を強くした。

「(憎く思っている理由を私に話してくれるなら、あなたが昨日の人にこっそり会えるよう、力を尽くすわ。もちろん、エヴァンスには話さない)」

 ミュシェがスケッチブックに黒づくめの片腕男を描く。フギンからミュシェに矢印が伸ばされ、ウラルにつながった。

 ウラルははっとして顔をあげた。ミュシェの緑の瞳は、強く輝いている。

「(ごめんなさいね、私が声さえあげなければ、昨日あなたは逃げられたのに。こんな言葉もまともに通じないような場所に連れてこられて、誰だって嫌よ)」

 キャンパスに描かれたミュシェの絵からシャルトルとエヴァンスにむけて矢印が伸ばされるが、ミュシェはそれにバツ印をつけた。

 ミュシェがウラルに向き直る。ウラルももう、うつむいてはいられなかった。

「(ただ、それだけでエヴァンスをあれほど憎むわけはないわ。さっき、ドアの前であなたとエヴァンスの話を聞いていたの。私にわかるように話してくれるなら、リーグ語でいい。理由が知りたいの。シャルトルにも話さないわ)」

「(ごめんなさい、話す、できません)」

「(話してくれるなら、あの黒づくめの男の人に会えるよう私にできる限りのことをやらせてもらうわ。悪い話じゃないわよ)」

 ミュシェの思いがわからない。なぜ、こんなことを知りたがるのか。やはり、エヴァンスに言われているのだろうか。ミュシェにとっての利点がない。

「どうやって、フギンに?」

「(正直、あてはないの。でも彼はきっともう一度私の家の庭に来る。あなたを助けにね。だから、庭にこっそり彼に宛てた手紙を置いておくつもりよ。絵を売りにいくときはナウト君を探してみるわ)」

 フギンはベンベル語が話せるが、監獄でいやおうなく覚えたものだから、文字はきっと、読めないだろう。ナウトも絵を見に広場へ行くとは考えにくい。ウラルの居場所はわかっているのだし、フギンが追われていることを教えられて、警戒しているかもしれなかった。

 ウラルが警戒していることを感じたのだろう。ミュシェが悲しげな目つきをする。わかったわ、と観念したように呟いた。

「(信用できないなら何日か待って。私が本気だということがわかったら、きっと話してね)」

 ミュシェがドアをノックした。少し遠くからシャルトルの足音が聞こえ始める。やがて、鍵の開く音がした。ミュシェはウラルに小さくウインクし、ゆっくりとドアをくぐっていく。ドアが閉まる音と、鍵が閉められる音。

 ウラルは小さく息をつき、ミュシェが残していった画材カバンを開いた。スケッチブックを開き、目をとじる。

 フギン、アラーハ、ダイオ。そして、ジンとエヴァンスの顔を思い浮かべた。


     **


 夜半、カツカツという音で目が覚めた。

 目を開けると、高いところにある窓の外に小柄な影が見える。窓の外にあったはずのよろい戸が開けられ、月の光が部屋に差しこんでいた。音は、ミュシェが窓をノックしている音だったのだ。眠気が吹っ飛び、ウラルはあわてて体を起こした。

 ミュシェが後ろにいる誰かを振り返る。影を見るだけで誰かわかるほどの、とびぬけて大柄な男だ。

「ウラル、無事か!」

「アラーハ!」

 ミュシェは本気だったのだ。フギンやアラーハを探す当てはないと言っていたのに、どうやって半日でアラーハを見つけ出し、ここまで連れてきたのだろうか。

 アラーハの目に深い安堵の色がある。ウラルはアラーハにむかって手を差しのべた。アラーハが大柄な体を窓におしこめ、すとんと部屋の中に降りてくる。

「見張りはいないみたいだな。ありがとう、おばあさん」

 アラーハの礼はリーグ語だったが、ミュシェには通じたようだ。にこにこしながらうなずき、ウラルの方を向いて、ベンベル語で呼びかける。

「(びっくりしたわ。さすがに今日は来ないだろうと思っていたのに、あの黒装束の人が来た時間、同じ場所に、彼が立っていたんだもの)」

 ミュシェがいたずらっぽくウインクする。

「(巨人族の彼に、出て行くときかんぬきをかけるように言っておいて。私は約束を守ったから、あなたも明日には昼間言っていたことを教えてね)」

「(ありがとう、ミュシェさん!)」

 ぱたん、と音をたてて窓が閉まった。

「アラーハ、会えてよかった!」

「俺もだ」

 短く答え、アラーハは満面の笑みを浮かべた。いつも表情がとぼしい彼にしては本当に珍しいことだ。

「どうしてこんな無茶をしたの?」

 エヴァンスやシャルトルがこれほど警戒しているのに、ミュシェの家にもぐりこんでくるとは。大胆にもほどがある。

「別に捕まってもよかった。それでお前の独房の横にでも入れるなら御の字だ。さっさと牢をぶち壊して逃げてしまえばいい。お前の居場所がわかったのに、何もしないのは我慢できなかった」

 おそろしいことを言いながらアラーハは照れたように目を伏せる。

「お前は俺の娘だ。娘がこんなところに囚われているのを、黙って見ている父親はいないだろう?」

 ウラルは目をしばたき、それからゆっくりほほえんだ。

「行こう。フギンとダイオに内緒で抜け出してきてしまった」

 思わず笑ってしまった。本当に大胆にもほどがある。

 ウラルは枕の下に置いていたジンのアサミィをとって、ふところにしまった。スケッチブックが画材カバンの中にちゃんと入っていることを確認し、よろい戸が開けられた窓を見あげる。

 アラーハがベッドを窓の下へひきずっていく。ウラルよりも頭ふたつも背の高いアラーハは、ウラルがどれだけがんばっても手の届かない窓枠にやすやすと手をかけることができた。

「いいか」

 ミュシェとの約束を守れないことへの罪悪感はあったが、このチャンスはのがせなかった。アラーハに肩車してもらって、ウラルは窓をくぐり、外へ出る。アラーハがイッペルスのばねをきかせ、その後に続いた。



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