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第二章 2「青い瞳」 下

     *


「門番はティアルースのほかに三人。全部で四人いるんです」

 庭園を抜け、門の脇を通りながらシャルトルが説明してくれた。昨日の約束通り屋敷の案内をしてくれているのだ。この家の主エヴァンスの部屋、シャルトルの部屋、キッチン、リビング、井戸と物置き、厩舎をまわって門の前。門の前にはティアルースともうひとり、見慣れないベンベル人男が詰めていた。

「じゃあ、私は四人の門番の方とシャルトルさん、ご主人、ミュシェさん、それから私の八人分の食事を作ればいいんですか?」

「いや、門番はティアルースだけが住みこみ、ほかの三人は通いなんです。昼間に詰めてもらうのはこのうち二人、あとの二人は交代で休みです。それからエヴァンス様は尾昼間は出かけておられますから、お昼ご飯は門番二人、僕、母、あなたの五人分ですね。朝夕はエヴァンス様、僕、母、ティアルース、ウラルさんの、やはり五人。さてと、これでひと通りですかね。なにかほかにご質問は?」

「あ、そうだ。どうして一階が地面に埋まっているんですか?」

 シャルトルはきょとんとし、それから笑って屋敷をかえりみた。

「そうだ、リーグの建物には地下がないんですね。ベンベル国は一日の気温差がとても激しい国です。地面の中のほうが寒いときは暖かく、暑いときは涼しいのですよ」

「暗くないですか?」

「ええ、上のほうは地上に出ていますから、そこから光が漏れてきます。ほかには?」

「いえ。また気になることがあったらお聞きしてもいいですか?」

「もちろん。さてと、じゃあいよいよエヴァンス様とのご対面といきましょうか」

 主人エヴァンスは朝に仕事へ出かけ、夕方ごろ帰ってくるようだ。ついさっき、厩舎の案内をしてもらっているときエヴァンスのものらしい馬が連れてこられたので、そのとき帰ってきていたらしい。どんな方だろう、このシャルトルのご主人なのだから悪い人ではあるまいとは思うのだが、それでも緊張は抑えられそうにない。

 屋敷に戻り、シャルトルはリビングのドアをノックする。主人のものらしい落ちついたテノールで返事があった。ベンベル語で「入れ」とでも言ったのだろう。シャルトルがドアを開けた。

 暖炉の暖かさにじんわり包み込まれた部屋の中、革張りのソファーがワンセット部屋の中央に置かれ、そこにひとりの男が座り書類に目を通している。ウラルは息をのんだ。男はまったく違う風貌をしているのに、一瞬、「ジンが座っている」と思ったのだ。

 ベンベル人騎士、エヴァンス・カクテュス。さすが騎士というべきか。厚い胸板、太い腕。たくましく引き締まった長躯の男だった。ゆるやかに湾曲した長い剣を腰につるしている。燦然と輝く金髪に青い瞳。くすんだ青のジャケットがその瞳の色とあいまって、よく似あっていた。

 シャルトルがベンベル語で何事かを報告している。最後にウラルの肩を軽く叩いて、前へ行くよううながした。

「お前が監獄に囚われていたリーグ人を脱走させたという女か」

 挨拶もなしに、確かなリーグ語で尋ねられる。

「はい」

 ウラルもリーグ語で答えた。

 騎士、という一点で共通しているからだろうか。どこかジンと似通った雰囲気がある。体の中に一本、硬い芯が通っているかのような強いものを感じた。けれど、背格好や雰囲気はジンに似ているのだが、目がまったく違う。エヴァンスの目はその色のせいか固く凍てついた湖を連想させた。何かを鋭くつらぬきとおすような、冷酷とさえいえる、かたい目だ。ジンの温かな目とは対照的だった。

「名は」

「ウラルと申します」

 エヴァンスの目が鋭く光る。細い氷の剣が襲ってくるかのような、冷たい視線。

「最初に言っておく。私はリーグが嫌いではない。リーグ語も不自由なく話せる。だが、リーグ語を話して生活したいとは思わない。ましてや、ここはベンベル国の一部だ」

 ウラルは一歩、後ずさりそうになるのを必死でこらえた。鋭い口調とあいまった覇気。シャルトルは「悪い人でないことは保障する」と言っていたが、こんなところでメイドをやっていけるのだろうか。おそろしく厳格な主人ではないのだろうか。

「ベンベル語を覚えなさい。私はこれから、お前に何かを言いつけるときはベンベル語で先に内容を言ってから、リーグ語で同じことを繰り返す。お前は、わからない時はリーグ語を使って構わないが、片言でいいから、できるだけベンベル語を使いなさい。いいか」

 ウラルはきょとんとなった。鋭い口調とは裏腹に、言っていることはかなり優しいのではないだろうか。

「返事は」

 エヴァンスの口調が鋭さを増す。ウラルはあわてて、はい、と返事をした。

 エヴァンスがベンベル語で何かを言った。一通り言い終わってから、リーグ語で同じことを繰り返してくれる。

「返事が『はい』の場合は『Uose Su.』、『いいえ』の場合は『Nee Su』と答えなさい。このうち『Su』は敬称で、『主人』という意味だ。私を呼ぶときも『Su Evans』、『スー・エヴァンス』と呼びなさい」

 「Uose Su.」。じくじくとまた、背中の傷が痛みだす。なるほど、拷問のとき「はい、ご主人様」と答えろ、と迫られていたのだ。

「Uose Su.」

 たしかにエヴァンスは、今のウラルにとって主人には違いない。あのときの尋問官よりはよほど主人に値する人だ、とは思ったが、歯の奥になにかがつまっているような、歯切れの悪い言い方になってしまった。

 エヴァンスは短く「それでいい」とリーグ語とベンベル語の両方で言ったが、表情をほころばせるわけでも、頬をゆるめるわけでもない。無表情。

「お前にやってほしいことは、炊事、洗濯などの家事一般だ。庭の手入れや私への使い走りには別の者がいる。食材や、必要のあるものは門番に言って買いに行ってもらいなさい」

「Uose Su.(はい)」

「では、明日の夜明けに起きて朝食を準備するように。ミュシェ婦人が手伝ってくれるはずだ」

 エヴァンスがシャルトルに視線を向ける。早口のベンベル語で何事かを話した。さすがにこれは訳してくれないだろうな、と思っていたら、エヴァンスは視線をシャルトルに向けたまま、リーグ語に直してくれた。

「シャルトル、ウラルへの屋敷の案内は終わったか」

「Uose Su.Evans. ――はい、スー・エヴァンス」

 シャルトルもエヴァンスの真似をして、最初にベンベル語で言ってからリーグ語で同じことを繰り返した。

「ならばもう下がってよろしい。ウラル、明日から頼むぞ」

 ベンベル語、リーグ語の両方でまた言われ、ウラルはまた「Uose Su.」と返した。エヴァンスはうなずき、すいと手を伸ばし書類を手に取ると、静かにコーヒーを飲みながら暖炉の前のソファーに座って書類に目を通しはじめる。やはり、ジンとエヴァンスは違う。とてもじゃないがジンにこんなおしゃれなことはできない。

「シャルトルさん、『おやすみなさい』って、どう言うんですか?」

「『Gedda neuha』です。『Su Evans』とそえるのを忘れないように」

 そっと尋ねてみると、やはり小声で、やさしく教えてくれた。

「Gedda neuha, Su Evans.」

 すっとエヴァンスが顔をあげた。

「Gedda neuha, Ural.(おやすみ、ウラル)」

 凍てついた湖のような冷たい瞳、けれどほんのわずか口元に笑みを浮かべているようにも見えた。シャルトルとふたりで一礼し、部屋の奥にあるドアをくぐる。

「どうです? 悪い人ではないでしょう」

 シャルトルは白い歯を見せて笑っていた。


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