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第二章 1「尋問」 下

     ***


 さらに翌日、看守はまたやってきた。四人だ。今までずっと三人だったのに一人増えている。看守は鞭のかわりに椅子を一脚、持っていた。

 鞭を持っていないとはいえひどいことをされるのは目に見えていたから、ウラルは牢の隅で縮こまっていた。怖かっただけでなく、動けない。ぜいぜい喉が鳴っている。体調は昨日よりもさらに悪化していた。

「ウラルさん、でしたね。少しお話したいんですが、構いませんか?」

 新顔の一人が流暢なリーグ語で話しかけてきた。看守が持っていた椅子を牢の外に置き、男は礼を言ってその椅子に腰かける。男がベンベル語で何かを言うと、看守らは背を向けて遠ざかっていった。すぐに足音が止まったので、少し離れただけらしい。それでもウラルの視界から看守の姿は消えた。

「僕はシャルトル・ミョゾティといいます。お顔を見せていただけませんか。一度会ったことがあるんですが、覚えてらっしゃいますか?」

 ベンベル人に知り合いはいない。それでも少し興味を引かれて顔をあげ、ウラルは息をのんだ。栗色の髪と緑の瞳に覚えがある。あのマライが殺されウラルが捕らえられた日、ウラルが短剣で背中を刺したあの男だ。

「大丈夫ですか、ひどい顔色ですよ。この二日で何をされたんです?」

「あなたこそ。あなたこそ大丈夫なんですか。私、ナイフであなたを」

 声を出すと喉がひどく痛む。それに加えて喉からぜいぜい嫌な音が混じった。声も悲鳴をあげ続けたせいで嗄れている。

 シャルトルは不思議そうに首をかしげた。

「心配されるとは思わなかったな。痛くないといえば嘘になりますが、もう動けます。さいわい急所もそれていましたし、傷自体も浅かったので。僕を殺そうと思って向かってきたんじゃなかったんですか?」

「フギンを、あのとき処刑されていた人を助けるために飛びこんでいった友人を助けたくて、夢中で飛びこんだんです……。ごめんなさい。大怪我じゃなくて、よかった」

 シャルトルは何か言いたげに口を開き、けれど何も言わずにウラルを見つめた。驚いたの、あきれたのか。緑の瞳が困ったように泳ぐ。

 しばらくシャルトルはうつむいて足元の床を見つめていた。それからウラルのほうを向き、もう一度床を見つめ、ウラルに視線を戻して、再び口を開いた。

「ウラルさん、無理だったら構わないんですが、もう少しこちらへ来ていただけませんか? 顔をよく見たい。声も聞き取りにくいですし、お話しするだけですから」

 ウラルはシャルトルの顔を見つめた。シャルトルは看守と違い、紳士的だ。鉄格子を間に挟んでいることだし、ひどいことはされそうにない。

 そろそろとウラルは立ちあがりかけ、背中の痛みにうめいた。うめくと同時に恐怖が襲ってくる。この傷は誰がつけたのか。遠くからあの看守の話し声が聞こえる。再びうずくまり、ウラルは体を固くした。

「Ceoiwonna perude.」

 シャルトルが横を向いて何事かを言うと、看守らの話し声がぴたりとやんだ。静かにしてほしい、あたりのことを言ったらしい。それからウラルに向かって微笑してみせた。

「ではこのままで。本当に具合が悪そうだ、手短に話します。ウラルさん、ここから出たくはないですか」

 何を言っているのかわからず、ウラルは二、三度目をしばたかせた。ゆるゆると驚きが胸に満ちてくる。ここから出られる?

「僕の主人がメイドをほしがっているんです。リーグに来たはいいものの、男ばかりで家事がまわらない。あなたに刺されたことを主人に話すと、どういったわけか興味を持たれたらしくて。さすがにベンベル人とみるや手当たりしだい刺すような娘なら無理だが、そうでなければ連れてこいというお達しを受けてきたんです。この話を受けてくださるなら、あなたをここから連れ出すことができますよ」

 ウラルは再び驚きに息をのみ、シャルトルの緑の瞳を見つめた。

 ここから出たい。切実に。けれどこのベンベル人についていっていいものか。いくら紳士的でも、ここを離れたとたん殴られたり、ひどいことをされないだろうか。看守のように豹変しないだろうか。それに、シャルトルの主人は当然ベンベル人だろう。シャルトルが紳士的でも、その主人とやらが高圧的な人だったら。なにせ相手はリーグ国の侵略者だ。奴隷のように扱われても不思議ではない。

 見透かしたようにシャルトルが口を開いた。

「住みこみのメイドとして雇うだけです。代わりの人がなかなか見つからないので、辞めることはしばらく許せないんですが。お給金も少しばかり出せると思います。ひどい扱いはしないと約束しましょう。主人のお名前はエヴァンス・カクテュス様。ベンベル国騎士です」

 「騎士」の一言にジンの姿が目に浮かび、ウラルは悲しくなった。ペンダントをぎゅっと握りしめる。死んでしまったジン、リゼ、サイフォス……。ベンベル人騎士なら、リーグ人と戦っていたはずだ。もしかするとその主人が〈スヴェル〉の誰かを殺しているかもしれない。そんな人のところで働きたくはなかった。

 それでも、今は切実にここから出たい。ここから出られることを考えると少しだけ希望がわいた。

 そうだ、メイドなら買い物も任されるはずだ。町へ買い物に出られたら、一人で外に出られれば。辞めることは許せないと言われても、おかまいなしに逃げてしまえばいい。

「わかりました。行かせてください」

 シャルトルは笑みを浮かべた。横を向いて看守になにやら指示をする。カツン、カツンと三人分の靴音が近づいてきた。音にウラルは震えあがる。この音が近づいてくるたび、ひどい仕打ちを受けてきたのだ。

 看守が牢の鍵を開けた。身を固くして震えはじめたウラルにおかまいなく、ずかずか入ってくる。それをシャルトルが止めた。

「Daya’na ipewearte. See use herhetade itte yoo. Iu tuce utte.(やめなさい、怯えておられる。僕がやります)」

「Bidda.(しかし)」

「Micena touce kuu. See uzea’na i pertarnee.(鍵を貸しなさい。この子はもう囚人ではない)」

 シャルトルは看守に外に出るよう示した。しぶしぶという様子で看守はシャルトルの手に小さな鍵を置き、退出していく。シャルトルがそろそろと近づいてきて、体をこわばらせているウラルの隣にゆっくりとかがみこんだ。

「もう心配ない、彼らは手出しできません。さ、手を出してください。手かせをはずします」

 シャルトルはウラルの手を優しく取り、手かせをはずしてくれた。しびれ、痛む手をさする。ほっと息をつくと、シャルトルは優しげに笑ってくれた。背中を刺し、傷つけたのに、こうしてシャルトルは笑ってくれる。優しい人なのだ、とやっと素直に思えた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。行きましょう。馬車を待たせています」

 うなずいて立ちあがりかけたが、何か大切なことを忘れている気がする。すぐに思い当たり、ウラルはシャルトルを振り返った。

「あ、あの。ひとつだけお願いがあるんですが、いいですか?」

「なんなりと」

「私が捕らえられたとき、腰にアサミィがあったはずなんです。このペンダントと同じ絵柄の。ほかのナイフや武器はいいんですが、返してもらうことはできないでしょうか」

 シャルトルの顔が曇った。

「短剣ですか? 人を傷つけるようなものは持たないでいただきたいんですが」

「儀式用で、刃は研がれていません。大切な人の形見なんです」

「刃が研がれていないなら。ちょっと待っていてください」

 シャルトルは看守に話しかけた。ベンベル語で少しばかり口論になった後、看守のひとりがウラルのほうをにらみつけた。たっぷり上から下まで見つめる。鋭く叱責の口調で何事かをシャルトルが言うと、看守らはしぶしぶどこかへ立ち去っていった。

「大丈夫です、馬車まで持ってきてくれるそうですよ」

 ウラルの不審げな視線を受け、シャルトルは苦笑する。

「売ってしまったというから、叱っただけです。そんなわけはない、規約で保存しておくよう定められているはずだといってね。あなたがここを出て行った後に売り払って小金を稼ぎたかったようです。なにはともあれ話はつきました。心配はいりません。立てますか?」

 シャルトルに手を取られ、ウラルはそろそろと立ちあがった。ひどいめまいがする。座りこみたかったが、それよりも早く牢から出たい。シャルトルにうなずいてみせ、ウラルはふらつく足で床を踏みしめた。

 馬車までゆっくり、ゆっくり歩いて向かった。馬車の前では看守が待ち構えている。やはり怖かったが、シャルトルが心配ないとばかり看守の前に立ちはだかってくれた。

「ウラルさん、これで間違いないですか?」

 シャルトルが看守からアサミィを受け取り、一度鞘から抜く。刃が本当に切れないかを確かめてからウラルに差し出した。ウラルはうなずき、受け取って胸にかき抱く。シャルトルが指示をすると、看守らはウラルに恨みがましい目を向けながら去っていった。

「さ、どうぞ。着いたら医者を呼びましょう。僕は御者台にいますから、なにかあったら前方の壁をノックしてください」

 御者がドアを開けてくれる。シャルトルに促され、ウラルはうなずいて馬車の中に座った。間もなくみしり、と軽く馬車がきしみ、御者とシャルトルが御者台に座ったのがわかった。

 馬車が動き出す。ウラルはずるずると椅子の上で横になった。悪寒がひどい。気分も悪い。アサミィを胸にいだき、馬車の揺れをじかに頬で感じながらウラルは目を閉じた。道を覚えなければ、とぼんやり思ったが、とてもそんな気力はない。

 馬車が石でも踏んだのか大きく揺れ、ウラルは椅子の上から床へ転がり落ちる。起き上がる力も残っておらず、ウラルは床に倒れこんだまま再び目を閉じた。

 しばらくそのまま眠っていたらしい。

「ウラルさん! 大丈夫ですか!」

 もろに背中に触れられウラルはうめいた。シャルトルがびくりと手を引っこめる。ウラルの背がじっとり血と膿とで濡れているのに驚いたらしい。馬車の床から体を起こし、けれどふらついて椅子に頭をぶつけかけたウラルをあわててシャルトルが支えてくれた。その後ろから御者が心配そうにのぞきこんでいる。

「背中に怪我をしておられるんですか? 着きました。歩けますか?」

 ウラルは答える力もない。喉からぜいぜい嫌な音が漏れている。背中に触れないようシャルトルが気をつけながら支えてくれるも、立っているだけでやっとだった。馬車の揺れで悪化したのか、それとも監獄から出たことで気が緩んだのか。

「Bruncha, micena yoo touce i dactee. Tealuse!(ブランシャ、医者を呼んできてくれ。ティアルース!)」

 シャルトルの怒鳴り声に御者ブランシャが御者台に飛び乗る。走り去る馬車と入れ替わりに門番らしき男が駆け寄ってきた。

「Maonna’tu, Mc.Chartre?(何事ですか、シャルトルさん)」

「See bo heawle ure. Yoo ewre bo kyreuage ka see. Touce locena.(具合が悪いんだ。背負ってさしあげてくれ。休ませないと)」

「Kae, utte bidda.(そりゃ一大事で)」

 門番がウラルに背を向けてかがみこむ。おぶされ、と言っているらしい。肩越しに振り向いた瞳は灰色、肩にかかる髪は赤みの強い茶色だ。シャルトルには慣れたが、やはりベンベル人は怖い。ウラルは立ちすくんだ。

「大丈夫ですよ。門番のティアルース、図体は大きいですが、優しい男です」

 シャルトルが紹介している間もティアルースはかがんだまま、せかす言葉のひとつもなくウラルを待ってくれている。その静けさに少しだけ好感が持てた。

「お邪魔、します」

 ウラルは勇気をふりしぼってティアルースの肩に手をかけ、身を預けた。ティアルースがベンベル語で何事かを言う。

「ひどい熱だ、大丈夫か、と言っています」

 シャルトルが通訳してくれる。ウラルは力なくうなずいた。

 シャルトルの先導でウラルを背負ったティアルースはどこかの建物に向かっていく。石造りの建物だ。が、一階の窓の高さが妙に低い。誰かに屋根の上からぐいと押され、地面にめりこんだように見える。あながち間違いでないことが中に入ってわかった。一階は半地下、要は半分地面に埋まっていたのだ。

 玄関を入って少し階段をくだり、ウラルはその半地下の一室に通された。外から見たときは天井が異様に低く見えたが、中に入ってみると地下に掘り下げられている分、天井は十分に高い。その天井の近くには窓があって、光がさんさんと差しこんでいた。背中に怪我をしていることをシャルトルから聞かされたのだろう。ティアルースはそっと注意深くウラルをうつぶせに寝かせてくれた。

「すぐに御者が医者を呼んできます。寒くないですか?」

 寒いと答えると、シャルトルはどこからか毛布を数枚持ってきてウラルの上にかぶせてくれる。ぱたぱた外へ出て行って手桶をかかえて戻ってくると、ウラルの顔をかたむけさせ、湿した布をひたいに置いてくれた。

 間もなく医者が到着した。診察を受け、背中の傷の手当てをしてもらう。シャルトルの通訳によれば、どうもウラルは風邪を通りこして肺炎にかかっていたらしい。薬を飲まされ、ついで背中全体を覆った膿を薬液で落とす。軟膏が塗られ包帯が巻かれた。

 医者の薬は効果てきめんで、すぐに体は楽になり、傷の痛みも引いていった。



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