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第二章 1「尋問」 上

 ウラルは夕暮れの陽の中に立ちつくしている。周りはすべてが赤だ。夕日と、そして血で、ぞっとするほど赤く染めあげられた世界。

 転がる死体。その体におりた霜。たかるウジ。カラスの鳴き声。ざーっと音がするほどのハエの群れ。さまざまな獣が死肉をむさぼる音。

 ウラルはひとりだ。前に同じ光景を見たとき、一緒にいたはずのアラーハはいない。

 ここは、戦場だ。ジンやリゼが死んでいった、あの戦場だ。

 夢であるとはわかっていたが、ウラルは震えていた。本物よりもこの夢の中の戦場は凄惨だ。ウラルが見た戦場から、何日か経っているらしい。死体は完全に腐り、黒ずみ、膨張し、たえがたい腐臭を放っている。骨がむきだしになっている躯も多い。ウラルは前にしたときと同じように、服についていたフードを切り取って顔に巻いた。

 ウラルの目の前に石が積みあげてある。ウラルとアラーハがジンを埋葬し、積みあげた石。戦場で死んだ、すべての人の墓。

(おまえは、なぜ、ここにいるんだ)

 もうこの世にない人々の声がウラルの耳に届く。ほとんど抑揚をつけない、押し殺したような低い声。男ではあるようだが、若いのか歳をとっているのか、それすらわからない。何人かが一緒に同じことを喋っているような感じだ。

(なぜ、お前は、ジンの望んだことを、やってやらない?)

「ジンの、望んだこと」

 ぽつり、と繰り返す。

(そうだ。ジンは、お前に、やってほしいと、言いのこしたのに)

 ウラルが黙りこむと、声は続けた。

(ジンは、リーグ国の、幸せを、願っていた。ベンベル国に、乗っ取られては、ならないと、思っていた。ちがうか?)

 ウラルはうつむいた。 どう答えればいいか、わからない。

 中途半端なところなのに、死者の声はこれ以上ウラルに言葉をかけてこようとしない。結局、何が言いたいのか。

 夕暮れの光が弱まっていく。死体の転がる戦場跡に、長い夜が訪れようとしている。


     *


 気がつくと、ウラルは冷たい石でできた床に転がされていた。手には手かせがはめられていて、自由に動かない。足には何もされていないが、部屋には鍵のかかった頑丈な鉄格子があって、どこへも逃げられないようになっていた。どうやら独房らしい。おそらくはマライのいた独房と同じ階だ。

「マライ……」

 死なせてしまった。マライはウラルの目の前で死んでいった。あんなにやつれ、目をえぐられ、抵抗する力も声をあげる気力もなく。目と鼻の先まで駆けつけていながら。あと一日、いや、一クル(二時間)早く駆けつけていたら。

「ごめん、ごめんマライ……」

 ウラルは体を起こし、腰に手をやった。鍵束も短剣もない。いや、それだけではなく、ジンのアサミィまで取りあげられている。胸を見ると、さいわいペンダントは普段通りそこにあった。ウラルはうめきながらペンダントをにぎりしめる。ぎゅっと目を閉じた。

 どれくらいそうしていただろうか。遠くから足音がしてきた。冷たい石を踏み、蹴りあげる、ブーツの固い音。

 カチャン。ウラルがいる牢の鍵の開く音がした。 ウラルが顔を上げると同時に、手をつかまれる。そのまま強引に立たされた。三人組みの警備員、いや、看守だ。

 看守のひとりがベンベル語で何かを言った。わからないのでウラルが黙っていると、看守は腰のベルトにつるしてあったムチを抜いた。

 ビシュッ! 非道な音が地面を打つ。

「ベンベル、言葉、話す、できない?」

 片言のリーグ語。できないのか? と、どうやら尋ねられているようだ。ウラルは黙ったまま、うなずいた。

 鞭がしなり、焼けつく痛みが足に走った。ウラルはのけぞり悲鳴をあげる。

「Uose Su!」

 ウラルはムチで打たれた足を押さえ、その場にずるずると座りこむ。なんと言っているかわからない。黙っているな、と言っているようだ。また、強引に立たされた。

「この監獄、囚人、逃げた。昨日、たくさん、逃げた。お前の、仲間?」

 ムチで打たれた足が痛む。ウラルは小さくリーグ語で「はい」と答えた。

「Uose Su!」

 また、ビシュッ! 次は腹だ。また崩れ落ちそうになるウラルを、じっと立ちつくしていた二人目の看守が押さえつけた。 どうやら「Uose Su」と答えろ、と言われているらしい。ベンベル語で「はい、そうです」あたりの意味なのだろう。

 まったくベンベル語がわからないウラルを、ちゃんとした解説もなしに「ベンベル語で答えなければムチで打つぞ」と脅している。こんなことを毎日繰り返していたから、フギンも一年間でほぼ完璧にベンベル語が話せるようになったのだ。

「お前、名前、言え」

「ウラル」

 おとなしく答えるより、他にない。

 それまで何もせずにいた三人目の看守が紙とペンを取り出し、何かを書きつけた。どうやら書記官らしい。

「仲間、名前、言え」

 ウラルは答えに窮した。フギンとアラーハに迷惑をかけたくない。

 ビシュッ、とムチが地面を打った。あまりにも非情な音に、ウラルはビクッと肩をすくめる。

「フギン」

 書記官のペンが紙の上を滑っていく。

「フギン? 逃げた、囚人。一つき前」

「Uose Su.」

 そうです、という意味でウラルも答える。尋問官の目が一瞬、いやらしく歪んだ。悦にひたる権力者の笑みだ。胃がむかむかした。何かをひどく侮辱されている気がする。

 「Uose Su.」。この言葉が何を意味しているかわからないが、この言葉だけは二度と使うまい、とウラルは唇を引き結んだ。

 ムチの音がウラルを脅す。だが、音だけだ。「Uose Su.」と答えれば、ムチは襲ってこない。

「仲間、場所、教えろ」

 ウラルはぐっと唇を噛んだまま、答えない。鋭く地面を叩くムチの音。全身がガタガタ震える。体が冷たくなっていく。立っていられないほど震えが激しくなる。

 ウラルは、答えない。声を出さないよう血がにじむほど唇を噛みしめ、黙ったままでいる。

「言え」

 ウラルは目を伏せた。歯を食いしばったまま、リーグ語で答える。

「嫌です」

 尋問官の目が鋭くなった。ムチの音が地面を打つ。

 尋問官がウラルの肩を押さえている看守に何かの合図をした。看守は乱暴に手かせをはめられたウラルの手をひっぱり、壁に向かってウラルを立たせる。 壁には、短いが太い鎖が取りつけられていた。ウラルの目線の高さだ。看守はウラルの手かせにその鎖をつなぐ。身動きが取れない。腕が高い位置にあるので座りこむこともできない。後ろでムチの音がする。

 バシュッ!

 体がのけぞる。唇が切れる。唇を閉じたままだが、悲鳴とうめき声が漏れる。膝が崩れるが壁につながれた手かせのせいで倒れられない。ムチで打たれた背中が、痛みを通りこしてじんじんと熱い。

 バシュッ!

 ウラルの意思に反して口が開き、ひとりでに大きな悲鳴をあげる。息が荒くなる。目の前が白くかすんでくる。立っていられない。血が背中をつたっている。

 バシュッ!

 ここでフギンの居場所、おそらくは森の隠れ家かナウトの家だと答えれば、ムチは襲ってこない。だが言えば、みんなは、ただでは済まない。

 バシュッ!

 視界がかすむのを通りこして、暗くなってきた。体重をささえているのは足ではなく、手かせのはめられた手と、膝だ。意識が遠のく。痛みもほとんど感じない。ただ、衝撃だけが鈍くつたわってくる。

 バシュッ!

 もう限界だ。言ってしまおうか。このままでは、死んでしまう。フギン、助けて。アラーハ……。

 バシュッ!

 フギンの居場所は、と口を開きかけたその瞬間、またもムチが襲ってきた。

 ウラルの精神より先に体がまいってしまった。壁につながれたまま、ウラルは気を失った。赤い戦場。ジンの死体を埋めた後の石積み。ぼんやりと一瞬、夢を見たようだったが、すぐ顔に水をかけられて起こされる。

 また、同じことの繰り返し。何度かムチで打たれるだけでウラルは気を失ってしまう。答える余裕がなくなり、言葉らしい言葉を発することもできなくなった。答えたくとも声にならない。悲鳴すらかすれ、うめくばかりになる。看守らももうウラルには何も答えられないとわかっているはずだ。だが、やめない。

 やがて血みどろになり水浸しになり、水をかけられても頬を引っぱたかれても気絶から覚めなくなったウラルを残し、看守たちは去っていった。


     **


 翌日もウラルへの尋問、いや、拷問は続いた。

 水浸しで放っておかれたせい、そして背中の傷のせいでウラルは高熱を出していたが、看守らはまったく容赦がない。手かせをつけたまま引っ張り出され、牢獄の中にあるらしい池へ連れていかれた。池のそばには小さな、人がひとりだけ入れる大きさの檻が置かれている。それが池の横の高い柱に太い鎖でつながれていた。

 抵抗など許してもらえるはずもなく、ウラルは三人がかりでその檻の中に押しこまれた。看守がカラカラ鎖を引くと、ウラルの入った檻は池の真上へ吊り下げられる。そして、じわりじわりと高度を下げられ、檻の床が着水し、ウラルの足を汚い水が浸し……。

 首までつかるまでの時間が長かったら、ウラルは耐えかねてフギンらの居場所を話したに違いなかった。だが、幸か不幸か尋問官は答えを聞きたいというよりウラルの苦しむ顔を見たかったらしい。答える暇もなくウラルは池に沈められた。檻の中でせいいっぱい背伸びをし、仰向いてやっと鼻と口が水面に出る状態で放っておかれる。最初は爪先立って耐えていたものの、やがて力つき、ウラルは溺れた。

 尋問官がウラルを引き上げたのは本当に死ぬ寸前、池の水をたらふく飲んで気を失ってからだった。その場で水を吐かせ蘇生させてくれたまではよかったが、朦朧として満足に立つことすらできないウラルを小突き回しながら、牢までの長い距離をふらつく足で歩かせる。少しでももたつけば鞭が襲ってきた。

 戻ってきた牢は前日までとは違う場所だ。鍵が閉まると同時にウラルは石造りのベッドに倒れこんだが、倒れこんだ次の瞬間にうめいた。体を起こしてみればベッドの中央、ちょうど鞭で傷つけられた背中に当たる位置にウサギが横たわっている。ベッドと一体化した、にたりと笑うウサギの石像だ。これではまともに横になることさえできない。看守らはどうやら、ウラルをとことんまで痛めつけたいらしかった。

「フギン……アラーハ……」

 二人は助けに来てくれるだろうか。二人のことだから今ごろ、何か策を練ってくれているに違いない。だが、フギンがウラルを助けに来るだろうことは、監獄側でも充分予想しているはずだ。しかも囚人のほとんどが脱走してしまったこの監獄では、ウラルひとりに警備が集中している。もう一度潜入するのはあまりに危険だ。

 それでも、それでも今は切実に助けてほしかった。ジンが助けてくれた命、〈ゴウランラ〉の戦場から脱出させてくれた命、こんなところで失いたくはない。

 ウラルはジンのペンダントをにぎりしめ、石のウサギに当たらぬよう体を丸めた。

「マライ。ごめん、ごめんなさい……」

 生きたいと、助けてほしいと。マライもそう思っていたはずなのに。目をえぐられまぶたを縫いつけられて、ウラルよりもひどい拷問を受けながら、フギンの助けを待っていたに違いないのに。



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