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第一章 3「急げ!」 上

「Hie e yoo?!(何者だ!)」

「Ruage zi bore! Uaborder!(警鐘を鳴らせ! 侵入者だ!)」

 ウラルにベンベル語はほとんど聞き取れない。が、何を言っているかは雰囲気でわかる。

 頑丈な鉄柵の門の隙間から、戦うアラーハの姿がちらり、ちらりと見えている。四人いた警備員のうち、ひとりは仲間を呼びに走り去った。残るは、三人だ。 三人とも剣を抜いて次々とアラーハに切りかかっているが、傷ひとつつけられない。 アラーハの方はどうやら手加減しているようだ。一気に首や頭を狙わず、腹を狙い、時間をかけてダメージを与えていく。

 ウラルは厚いレンガの外壁にフギンとふたりもたれかかって、アラーハの合図を待っていた。もう一枚むこうの門からナウトも心配そうにこちらをながめている。

 物見の塔かどこかで警鐘が鳴った。アラーハの目つきが変わる。ここからは、本気だ。角の剣がぎらりと輝く。鋼の剣とは光沢が違うが、不穏な光であることには変わりない。

 アラーハの豪腕がうなった。切りかかったひとりが、腰を深く落としたアラーハにあごを強打され、昏倒する。一瞬だ。

 アラーハの脚力、そしてパワーは、人のものではない。イッペルスという巨大な獣のものだ。ウラルの隣でフギンも息をのんでいる。アラーハがひとりで戦っているところをじっくり見る機会など、何年も一緒に戦ってきたフギンでもほとんどなかったはずだ。

 残るふたりも一撃で後頭部や耳の下の急所を強打され、あっけなくのびてしまった。アラーハがひとりずつ瞳孔の収縮を確かめ、手際よく完全に気絶しているか調べていく。すぐ、ウラルやフギンのいる方向を向いて、うなずいた。合図だ。

「時間がない。急ぐぞ」

 ぱっと鉄柵の門を乗りこえる。さすが元盗賊というべきか、フギンは片腕なのに、すいすいと高い門を乗りこえていく。男装したウラルもフギンに手をとられ門をこえた。

 フギンは詰め所に入り、ロッカーをひっかきまわした。間もなく、鍵束とふたり分の制服をウラルに突きつける。

「これを着て」

 ウラルはフードを脱ぎ捨て、服の上からぱっと制服を着た。制服は深い紺の軍服。そろいの帽子をかぶり、髪をひっつめる。片腕で剣帯をつけるのに四苦八苦しているフギンを手伝っていたところで、遠くのほうからどやどやとあわただしい足音が聞こえてきた。

「ウラル、ここからはリーグ語禁止な。話したら怪しまれるぞ」

 ウラルはうなずいたが、ベンベル語などほとんど話せない。フギンは話せるのだろうか。

「行こう。すぐに警備の連中が来る」

 ウラルは渡された鍵束をにぎりしめた。アラーハも「早く行け」と言いたげな目でこちらを眺めている。

 ここを開けて、と言われたドアに鍵をつっこんだ。鍵があわない。あわてて次の鍵を差しこむと、あっけなく開いた。どの鍵を使ったか覚えておかなければ。戻るとき命取りになる。

 やけに分厚いドアを開けると階段があった。上にいくものと下にむかうもの、両方ある。螺旋階段だ。フギンがすぐにドアを閉め、鍵をかけなおすようウラルに言った。さっとドアの横にかけてあったランタンを取り、火をつける。

 リーグ建築には基本的に地下というものがない。真っ暗で何一つ明かりのない階段が不気味だった。フギンが足を踏み出す。かつり、と高い音が上から下まで大きく響いた。

 フギンが無言のままウラルの手を引く。フギンの手の暖かさだけが今は頼りだ。ウラルはうなずき、壁に体重をあずけながら、そろそろと降りていった。ウラルが慣れるのを待って、フギンは足を速め、すばやく階段を降りていく。

 しばらく行くと、扉があった。フギンが身振りで「ここを開けろ」と指示する。ウラルはうなずき、鍵束を取り出した。鍵穴に鍵を入れる。開かない。別の鍵を入れる。これもだめ。次の鍵。鍵穴に入らない。内心あせりながら別の鍵を入れる。やっと開いた。

 長い廊下の両側に、ずらりと鉄格子が並んでいる。いくつかに隔てられた檻の中、ひとつの檻に十人ほどが粗末な布団に包まり、横になっているのが見えた。全員が小さく縮まり、震えながら眠っている。いかにも寒そうだ。いびきの音や、寝息の音が響いている。

 フギンはブーツの音を響かせ、廊下を歩きはじめた。いびきの音が止まる。寝息の音も眠りが浅くなったのか一瞬止まり、そのまま前を通りすぎてしばらくすると、また聞こえてきた。てっきり監視が見回りに来たのだと思っているのだろう。

 長い廊下の先に、もうひとつの扉があった。また鍵束を取り出す。すんなりドアは開いた。

 また長い廊下。ここには鉄格子のはまった小窓のついた、木のドアがついた部屋が並んでいる。どうやらひとり部屋の独房らしい。

 そのドアの中のひとつの前で、フギンが止まった。ドアに鍵はついていない。鍵の必要ない、かんぬきがかかっている。

 マライの独房は、なぜかかんぬきが開いていた。

 フギンがドアを開ける。

「マライ」

 独房は、もぬけの殻だ。

「マライ」

 もう一度、呆然とフギンが呟いた。場所を間違ったか、とウラルは思ったが、フギンの様子からしてここで間違いないようだ。

「どこ行ったんだ、マライ!」

 ダン、と独房のドアをフギンが蹴る。その時だった。

 ダーンッ!

 爆発音が響いた。上の階、いや、ここは地下だから、地上だ。地面が揺れる。開かれたマライの独房のドアが大きな音をたてて閉まった。

 アラーハが心配だ。火薬を持ち出されてはさすがのアラーハも身がもたない。いくら人間ではないとはいえ、生き物には違いないのだ。

 火薬の爆発音は三度だけ響き、その後はぱったりとなくなった。威嚇のためだけに鳴らしたのか、これ以上鳴らす意味がなくなってしまったのか……。

 近くの独房、その先の廊下の方からも、どやどやと囚人たちが起きだす気配がした。「何があった!」とリーグ語とベンベル語で繰り返し叫ぶ声が聞こえる。このままでは、警備員が様子を見に駆けこんでくるのも時間の問題だ。火薬を使うくらいなのだ。とっくに、外部にも応援を要請しているはずだった。

 ウラルの不安を読んだかのように、今しがたウラルとフギンが降りてきた階段のほうから、どやどやとあわただしい靴音が聞こえてくる。

「フギン」

 フギンは黙ったまま、動かない。

 廊下の先でドアの開く音がした。三人ほどの警備兵が来たらしい。リーグ語とベンベル語とで怒鳴りあう音が長い廊下にぐわんぐわんと反響する。

 看守が騒ぐ囚人に気を取られている今のうちに、なんとかして逃げるか隠れるかしなければ。だが、フギンはマライの独房の入り口に立ちつくしたまま、動く気配がない。

「畜生!」

 なにを思ったかフギンが大声で、しかもリーグ語で叫んだ。

 廊下の先の騒ぎが一瞬、静かになる。

「Maonna duse sepuca?」

 ウラルにはわからないベンベル語。だが、おそらくは警備員のひとりが仲間に向かって「誰の声だ」と言っている。牢の中でのリーグ語のざわめきが大きくなった。

 廊下はまっすぐの一本道。途中にあるドアは開け放たれている。こちらからもむこうからも、相手が丸見えだ。さいわい制服を着ているからか、ふたりは怪しまれてはいるが侵入者だとは思われていないらしい。

 何か気のきいたセリフを言ってごまかすかと思いきや、フギンは腰のサーベルを抜いた。目は激しい憎しみにらんらんと輝いている。

「Eoee uze Marai?(マライはどこにいる?)」

 口に出すのも嫌だ、という感じのベンベル語。

「Yoi noume?(誰だ?)」

 次は、フギンにむけて警備員が問いかける。

「Iu ime Fugin.(俺はフギンだ)」

 さーっと全身から血の気がひくのをウラルは感じた。歯の根があわなくなる。ベンベル語はわからないが、フギンがとほうもない失敗をしたのはわかった。

「Fugin?(フギン?)」

 何を言っているかわからないという様子、しかしかなりの緊張をはらんだ声で警備員が聞き返した。

「Iu ime Fugin. Eoee uze Marai?(俺はフギンだ。マライはどこにいる?)」

 ベンベル語で言い返すフギンの全身が、ぶるぶると震えている。憎しみに我を忘れているのだ。ウラルの全身も震えている。これでは逃げられない。自殺も同然だ。

 三人の警備員が剣を抜いた。剣をランタンの明かりにぎらつかせながら長い廊下を走ってくる。「何があった、ここを開けろ!」と近くの独房のドアを激しく叩く音がした。

 ウラルは独房のドアを背にしたまま何もできない。ウラルを守るように立ちふさがったフギンが剣の応酬を受けている。震えながらウラルも腰の護身用のナイフをつかんだ。その瞬間、ウラルにも剣が振り下ろされる。思わず目をつぶった。

 ウラルの脳天に振り下ろされたはずの剣。傷みも衝撃も、何もない。

「お前ら、女にまで手を出すのかよ。紳士道のかけらもない畜生め!」

 おそるおそる目を開けると、フギンがウラルの前に立ちふさがっていた。左手のサーベルでほかの警備員を刺しつらぬきつつ、右手の義手でウラルにふりかかった剣を受け止めている。

「ベンベル人のくそったれが! マライをどこへやった!」

 やけになっているのか、フギンの怒号はリーグ語だ。

 独房のドアを激しく叩く音が、ふいにやんだ。

「まさか、〈スヴェル〉軍の残党か? ここを開けろ!」

 聞き覚えのある声だ。 まさか、もうひとり〈スヴェル〉の生き残りがいるのだろうか?

 ウラルはぱっと横に跳んだ。振り返りざま、護身用として持っていたマキビシを思いきり投げつける。ウラルの動きに気づいたフギンが身をていして後ろを守ってくれた。

 この独房には鍵がかかっていない。鍵のいらない、かんぬきがかかっているだけだ。ウラルは重いかんぬきを力いっぱい引きあげた。


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