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第一章 1「夕暮れの丘で」 下

   *


 カッ、コッ、カッ、コッ。規則正しい蹄の音が森に響いている。

 ウラルは泣きはらした顔で馬に乗っていた。乗馬は初めてだったが、馬は先を行く馬にくっついて勝手に歩いていく。前の馬が道を曲がれば曲がったし、止まれば止まる。手綱などほとんど必要なかった。

「どうだ? 初乗馬は」

 フギンが馬をよせてきた。栗毛の馬がくるっとウラルに耳をむける。フギンが栗毛の耳をつついた。馬は嫌そうに耳をふるわせ、それでもやめずにフギンが耳をつつくと、頭ごと上下に大きくふった。

「かわいい」

「だろ?」

「この子、名前は?」

「おいおい、自分の乗ってる馬より先に俺の馬の名前を聞くのかよ。こっちはステラ、お前が乗ってるその馬はシニル」

 ウラルはシニルの耳をつつこうとしたが、手が耳に届く前にバランスがくずれて、ウラルは慌てて馬の首にしがみついた。おどけた声で「大丈夫かぁ?」とフギンが笑う。

「ジン!」

 鋭い声にウラルはびくりと肩を縮めた。振り返ってみれば十人の中でひとりだけ徒歩のアラーハが後ろから走ってくるところだ。

 シニルがアラーハの馬なのかと思ったのだが、どうやら違うらしかった。アラーハはそもそも馬に乗れないらしい。ずっと歩きで大丈夫なのだろうかとウラルは心配になったが、べつに問題はなさそうだ。馬はずっと人が歩くのとかわらない速さでゆっくり歩いているだけだった。

「何か様子がおかしい。気をつけろ」

「どうしたんだ?」

 アラーハの眉間にシワがよった。

「血のにおいがする。煙のにおいもだ」

 ウラルは首をかしげた。そんなにおいはしないが……。隣のフギンを見てみると、少し険しい顔で「アラーハは耳と鼻が獣なみにきくんだ」と教えてくれた。

「ウラルはマライとここで待機、何かあればイズンがフルートで知らせる。他の者は戦闘の危険性がある。警戒して進むぞ」

 よく揃った返事があがった。

「待って! 戦闘の危険性って、まさか」

「まだ断定できないが、この村まで襲われたかもしれない。思い違いだといいんだが」

「そんな」

「ひとまずここで待っていてくれ、様子を見てくる。行くぞ」

 ジンが馬を進めた、とたん、馬が棹立ちになって暴れ始めた。馬の動きに合わせてカラン、カララン、と鐘の音がする。馬の足に濃い緑色の紐がひっかかっていた。

「武装した兵士がきた! 隣村に来たやつらだ!」

 遠くから怒鳴り声がした。ジンの額を汗が伝う。

「見つかったか。戦闘準備、ウラルの護衛はマライからアラーハに変更だ! 他の者は盗賊兵士を霍乱するぞ。少しでも村人が逃げる時間を稼ぐ。〈ゴウランラ〉の助けはない、無茶はするなよ!」

 やぐらか何かから見ているらしい盗賊兵士に聞こえぬよう低い、けれど覇気をともなった声。命令すると同時にジンは駆け始めている。つられて駆けようとしたウラルの馬の前にアラーハが立ちふさがった。驚いた馬が跳ねる。ほとんど鞍からずり落ちたウラルの腕をアラーハがつかみ、乱暴に馬からおろした。アラーハに尻を叩かれた馬は宙を蹴り鞍の荷物を投げだしながら、すさまじい勢いで仲間を追いかけ始めている。

「来い!」

 アラーハに怒鳴られたが、足が震えて動けない。アラーハは業を煮やした様子でウラルを抱き上げると茂みの中に分け入った。こんな獣じみた大男にそんなことをされるのだ、ウラルは思わず悲鳴をあげようとしたが、もれたのは息のかたまりとかすかなうめき声だけだった。どうしてジンはマライでなくこんな大男にウラルの護衛を任せたのだろう……。

「怖いか?」

 ウラルの震えに気づいたのかアラーハが声をかけてきた。やっとの思いでうなずくと、アラーハはかすかな微笑を浮かべた。

「お前にとっては女のマライが護衛についたほうがよかったんだろうな。だが、マライは気が短い。人を守るのに向いた性格じゃない」

 アラーハはウラルを潅木の下にそっとおろすと、枝や落ち葉をかきあつめてウラルの体の上に乗せ始めた。

「俺は気が長い。人を守るのにも慣れている。心配するな」

 ウラルをすっかり隠してしまうと、「そこで動くなよ」と聞こえるか聞こえないかぎりぎりの低い声で指示をした。それからウラルの横で地面に伏せると地面に耳をあて、遠くの音を聞いている。

 どれくらい経ったろうか、アラーハの目に緊張が走った。何事かと林道を見ようとするウラルに、アラーハは伏せていろと手で合図をする。

 荒々しい足音が聞こえた。兵士が数人、馬で林道を走ってきたようだ。横目でアラーハを見る。息の音すらしなくなってしまった。どこかへ行ってしまったのかと思ったが、アラーハはウラルの隣で林道をにらんでいる。暑さのためか緊張のためか、額には玉の汗が浮かんでいた。

 馬蹄音が響く、盗賊兵士の怒鳴り声が響く。どうやら敵同士がかちあったらしい、高い金属音と悲鳴がすぐそばで響き渡った。

「アラーハ! どこにいる!」

 フギンの声が鋼の音に混じる。ウラルのすぐそばで葉ずれの音がした、瞬間、ウラルが隠れている場所とはまったく別の場所からアラーハが飛び出した。どうやら葉ずれの音がした一瞬でアラーハは移動していたようだ。音もなく、人間離れした速さで。まるで本物の獣だ。

「ウラルは」

「そこにいる」

 フギンの死角をアラーハが援護する。フギンの武器は槍、アラーハは巨大な剣の形をした棍棒だ。フギンが槍を振るうたび誰かの喉に血がしぶき、アラーハが豪腕を振るうたび誰かの骨がばっきり折れ、あるいは砕かれる。

「ある程度けちらしてきたが、これだけの人数じゃもたない。逃げるぞ」

 アラーハがウラルの方に一歩踏みだした。剣のうなる音と骨の砕ける音。アラーハがウラルの前に立った、と思った瞬間、小脇にかかえられてしまった。慌てる間もなくフギンの馬に押し上げられる。

「その子を連れて先に行っていろ」

「お前はどうする」

「すぐに追いつく」

 フギンが槍で剣を防ぐ。そのまま槍はぐんと回転し、盗賊兵士の喉を突きやぶった。

「わかった、この名騎手フギンに任せとけ。すぐに来いよ!」

 アラーハが道の中央に立ちふさがり、馬の尻を叩いた。驚いた馬がアラーハを蹴ろうとしたが、フギンがドンッと脚をいれるといきなり駆けだした。

 馬の揺れは、想像以上どころのものではない。後ろに乗ったフギンが支えているおかげでウラルはかろうじて乗っていられるが、今にも振り落とされそうだ。フギンの肩ごしに後ろを見ると、いつアラーハの守りを抜けたのか三騎が追いすがっている。

「後ろを向くな、馬が走りづらくなる!」

 今にも舌打ちが聞こえそうなフギンの怒鳴り声。

「しっかり前を向いて、体の力を抜くんだ!」

 フギンの槍がうなった。フギンの支えを失ったウラルが落馬しかける。フギンが慌ててウラルの肩を支えた。

「くそっ!」

 フギンが片手で槍を投げつける。

「頼むぞ、ステラ!」

 槍のかわりに握られた鞭の音が鳴る。フギンの愛馬ステラは彼の要望にこたえて歩度をのばし、速度をあげた。

 ウラルの耳元を矢がかすめた。背後で絶叫があがる。木陰に弓を構えた誰かが見えた。

「そのまま走り抜けろ!」

 軍医ネザだ。すごい猫背だったはずなのに今はぴしりと背筋が伸びている。

 フギンが力強くうなずき、ネザの前を走り抜けた。ネザが弓を地面に投げだし、垂れ下がっていたロープを思いきり引く。

 人馬が共に悲鳴をあげた。ステラが止まりウラルとフギンがふり返ると、走り抜けたばかりの道に何十本もの槍の穂先がずらりとならび、フギンを追ってきた敵は突っこんできた勢いをそのまま串刺しになっている。ネザが引いたロープは地面に埋められた槍を持ちあげるカラクリを作動させるものだったようだ。

 もうもうと立ちのぼる土煙の間をぬって、ネザの矢が次々と生き残った者を射落としていった。

「この先で大将が待っている。アラーハは」

「すぐに来る」

 ステラが大きな息を吐いた。ぼたぼた口から泡がたれている。

「大丈夫か?」

 ネザの気づかうような声で、ウラルは自分が震えていることに気がついた。

「無理もない。できるだけ早く安全な場所で休んだほうがいいだろう」

 ネザが示した方向にフギンは馬首を向けた。よくがんばったな、とフギンの手がやさしくステラの首を愛撫した。

 林道の横に空き地が見えてきた。ジンが空き地の入り口で待っている。

「無事でよかった」

 ジンはほっとしたような笑みを見せ、ウラルが馬からおりるのを手伝った。あぁ、とため息かうめき声かウラル自身にもわからない声が漏れる。心配そうにジンはウラルの顔をのぞきこみ、木陰に自分のマントを敷くと、そこまでウラルに肩を貸した。ジンの背が高すぎてウラルは肩に手が回せず、ジンは半分腰をかがめながら歩いていた。

「すまなかった」

 木陰で座りこんだウラルにジンが頭をさげた。体中に泥がこびりつき、ところどころに生々しい切り傷がある。胸から腹にかけて牛の皮を何重かにかさねた皮よろいは身につけていたが、それ以外には何も防具らしいものをつけていない。

「アラーハ! どこをどうやったらこんなに早く馬なしで走ってこられるんだ?」

 フギンの声が妙に遠くから聞こえた。無事にアラーハもここまで来ることができたようだ。わずかに矢傷をいくつかつくっただけの、どこかひょうひょうとした面持ちのアラーハがネザと一緒に歩いてきていた。

 うつむき、暗い顔をしているジンのそばに全員が集まってきた。

「全員、そろいました」

 苦みがむきだしになったイズンの声が報告した。ジンが黙祷を捧げるかのように天を仰ぎ目を閉じている。

 風向きが変わったのか、それともジンらの体に染みついたのか。血と生き物の燃えた鼻をつくにおいが濃くたちのぼっていた。村の惨状は聞くまでもなさそうだ。ウラルは膝を抱き、ただただ肩を震わせた。



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