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第一章 2「物乞いの少年」 下

     *


 ナウトの家は貧民街の一角にあった。ほかの家よりは少し立派、とはいっても、やはりあばら家だ。隙間風のびゅうびゅう入ってくる小さな部屋に入ると、ほこりとかびと、肉か何かが腐ったようなにおいがした。

 フギンとアラーハは荷物をおろし、適当にくつろぎはじめた。フギンが右手の義手をはずし、ごろり、と転がす。

「あの人、腕」

 ナウトがぎゅっとウラルの腕をつかんできた。

「不幸なことがあってね、フギンは右手をなくしたの」

 ナウトの頭をなでてやりながら、ウラルは食料をどっさり入れてきた袋を開けた。中身を順に出していく。チーズ。ハム。サラミ。パンをどっさり。それから初ものの野菜。

「僕、こんなに食べきれるかな」

「チーズとサラミは保存がきくし、野菜は今日中に使ってしまうから大丈夫」

 ウラルの説明にナウトはこくりとうなずいた。だが、まだ困ったような目つきでウラルを眺めている。何かほかに尋ねたいことがあるらしい。

「どうしたの?」

 ナウトははずかしそうに目をそらした。

「なんで、お姉ちゃんは優しくしてくれるの? あの二人は、怖いのに」

 ウラルは思わず吹きだした。あの二人は怖い、か。

 ナウトがびくっと体を震わせる。急に笑いだしたので驚いたようだ。ひとしきり笑ってから、ウラルは真顔になってナウトに向き直った。

「私には、ナウトっていうお兄ちゃんがいたの。あなたと同じ名前。ベンベルとの戦争で、戦死したらしいんだけどね。親近感、っていうのかな。なんか、放っておけなくて」

 ナウトは黙りこみ、ばつの悪そうにうつむいてしまった。

「いいんだよ、悪く思わなくて。親がつけてくれた名前をそんな風に思うなんて変じゃない。たまたま同じ名前だっただけなんだから。ただ、懐かしかっただけ」

 ウラルは言いながら部屋を見まわした。テーブルがひとつ、椅子が二脚に、ベッドが二脚、置かれている。そうだ、ナウトにも兄がいるのだ、とウラルは思い出した。

「ナウトのお兄ちゃんって、何をしてる人?」

「金髪の人のおうち、作ってる。三日に一度だけ帰ってくるんだ。今日は帰ってくる日」

「どんな人? 歳は?」

 ナウトが七歳くらいだ、兄ちゃんといってもせいぜい十歳くらいだろう。なのに仕事が土木とは。けれど、ナウトの答えは違った。

「あの怖いお兄ちゃんより、ちょっと、年上くらい」

 「怖いお兄ちゃん」とはフギンのことだろう。だとすると二十代後半か。これはもはや「兄ちゃん」どころではなく「お父さん」に近そうだ。十人兄弟の長男と末っ子といったところだろうか。

「ずいぶんナウトと歳が離れてるんだね」

「本当のお兄ちゃんじゃないから」

 はにかみ笑いを見せるナウト。どういうこと? とウラルは首をかしげて尋ねた。

「住む場所なくて、困ってたら、一緒に住むか? って、言ってくれた。そのとき、初めて会ったんだけどね。りっぱな服着て、でもすごく疲れた感じの兄ちゃんに」

 ナウトは座りこんで、床に絵を描きはじめた。床は、土間だ。ほんのり湿った砂の上に似顔絵らしいものを描いていく。

「兄ちゃん、それまで何やってる人だったのか、どこで暮らしてる人だったのか、教えてくれなかったけど、この家を見つけてくれて、一緒に住ませてくれたんだ。着てる服とか全部売って、ベッドも買ってくれた。食事は、兄ちゃんが帰ってきた日は、食わしてくれる。でも、帰ってこない日は、だめなんだ。だから、盗んだりして、暮らしてる」

 ナウトの似顔絵は、かなりつたない、稚拙なものだった。馬のような面長の顔で、頬骨が突き出ているのが誇張して描かれている。おだやかに笑う目元と口元。

 ナウトがぱっと立ちあがった。

「そうだ、いいもの見せてあげる」

「いいもの?」

「兄ちゃんの、たからもの」

 ナウトは走っていって、ベッドの下に手をつっこんだ。

 取り出されたのは、この家には不釣合いなほど立派な、細長い箱だった。側面と蓋はビロードのような布で覆われている。縁取りは真鍮だ。ナウトがカポッと蓋をあける。

 一枚の大きな羽が入っていた。白と茶色の細かいまだら模様だ。トンビの尾羽だろうか。それにしては入っている箱が立派すぎる。

「ちょっと、見せてみろよ」

 様子を見ていたフギンが近寄ってきた。ナウトが「いや」と箱を閉める。

「ウラル姉ちゃんだから見せるんだよ。いやだ」

 フギンは苦笑して、おとなしく引き下がった。

「何の羽?」

 小声でナウトに聞いてみる。が、ナウトは、「珍しい鳥だってことしか、知らない」と答えただけだった。

「兄ちゃんがすごく大事にしてるんだ」

 箱を元通りベッドの下にしまいこむ。

「そうだ。私、ナウトの似顔絵、描いてあげる」

 ナウトの顔がぱっとほころんだ。

 土間にすわりこみ、ウラルはじっとナウトの顔を見る。ナウトは「待って」と一言、またベッドの下をごそごそやりはじめた。出てきたのは木炭だ。これで壁に描いてよ、とにっこり笑う。

「なんか、緊張するなぁ」

 笑いながら、ウラルも木炭を受け取った。

 壁に似顔絵を描いてやる。壁はもろく、ちょっと指先に力をこめるだけでぼろぼろ崩れた。

「ウラル姉ちゃん、下手っぴ」

 言われるまでもなく、下手くそな絵だった。ウラルははずかしくなり、表情の下手さを隠すために目と口を思いきり大きく笑わせてやる。

「僕、笑ってる!」

 ナウトが満面の笑みで声をあげた。

「笑ってる!」

 ウラルもナウトの顔を指差し、一緒になって笑いはじめた。

 かまどの方からぷんと煙のにおいがしてくる。フギンが火をおこしはじめたのだ。 振り返ればフギンはなんとか薪を積み、火をおこすところまではうまくいったようだが、風おこし機がうまく使えないらしい。アコーディオンのようなものを両側から勢いよく押して風をおこすものなのだが、片腕ではかなりやりづらいようだ。

「ごはん作ろう。私は野菜を切ったりするから、ナウトはフギンを手伝って」

「いや! あのお兄ちゃん、怖いから」

 あっけにとられたように苦笑するフギン。くくっ、と部屋の隅で笑ったのはアラーハだ。

「怖いか。仕方ない、俺がやろう」

「本当? たのむよ」

 フギンがかまどの前からどいた。アラーハが火の前に座りこむ。不器用な手つきで風おこし機をあつかいはじめた。見かねたフギンがそこらから木片をひろってきて、一緒に火をあおぎはじめる。

 ナウトに手伝ってもらい、スープとサラダを作った。パンやチーズ、サラミなどを小さなテーブルに並べていく。

「兄ちゃん、帰ってこないな」

 料理ができても、ナウトの「兄ちゃん」は帰ってこない。

「多分、残業。残念だなぁ。こんなにおいしそうなのに」

「スープなら明後日くらいまで飲めるよ」

 ナウトをなぐさめ、ウラルは食事を食べはじめた。肉ばかりをとっていくフギンに野菜ばかりをとっていくアラーハ。変な人たちだなぁ、とあっけにとられたように目を丸くして、ナウトはふたりを眺めていた。

「明日、ナタ草がオレンジになるころ(夜中の三時ごろ)起きるぞ。作戦決行だ」

 食事が終わってほとんど間を置かず、フギンが明かりを消した。

 フギンとアラーハは床に雑魚寝、ウラルとナウトはベッドに横になる。ウラルが使うベッドは、ナウトの「兄ちゃん」のものだ。どんな人なのか会ってみたかった、と思いながら、ウラルはとろとろと眠りについた。

 明日は、マライ救出作戦の、決行日だ。



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